映画と夜と音楽と…[343]霧が流れる波止場の夜
── 十河 進 ──

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マルベル堂のプロマイド●浅草のマルベル堂で撮影したプロマイド

先日、新宿ゴールデン街の「深夜+1」で呑んでいたら島根からきたという年輩の人と会った。おそらく団塊世代であろう彼は、西田佐知子のプロマイドを取り出し「浅草のマルベル堂へいって買ってきた」という。西田佐知子は関口宏と結婚して引退したはずだから、もう何十年も見てはいないが、熱烈なファンはいるものだと感心した。

西田佐知子歌謡大全集もっとも僕が強く反応したのは「浅草マルベル堂のプロマイド」である。そのプロマイドを見た途端、僕は二十数年前にマルベル堂を取材したことを思い出したのだ。その頃、僕はカメラ雑誌の編集部にいて、毎号八ページの体験取材レポートを担当していた。

水中写真、料理写真、海洋写真、スポーツ写真などを実際に体験するのである。そのシリーズで「浅草マルベル堂でプロマイド撮影を体験する」という回があった。相棒はカメラマンの加藤孝である。僕が体験しているシーンを加藤クンが撮影し、それを誌上で吹き出しなどを入れながら展開する。

浅草マルベル堂のお店は、浅草の仲見世にある。狭いスペースにプロマイドが数限りなく貼られている。昔、歌手や映画スターの人気度は、マルベル堂のプロマイドの売上で計られたものだった。売上ベストテンが明星や平凡といった芸能誌に掲載されていた。


僕が取材したのは撮影スタジオの方だ。店から少し離れたところにあり、スタジオと暗室があった。スタジオといってもそんなに広くない。バック紙があり、その前でポートレートが撮影できればいいのだ。そのスタジオに多くの人気スターがやってきたことに思いを馳せ、僕は感慨に耽った。

マルベル堂の取材で印象に残ったのは、5×7インチサイズというカメラである。妙に縦長の比率でポートレートには向いているが、あまり一般的ではない。いわゆるブローニーサイズのフィルムを使うなら、6×6とか6×7インチサイズがよく使われる。6×6サイズはハッセルブラッドで有名だ。

さて、マルベル堂取材の最後は、僕自身がモデルになってプロマイドを撮ってもらうことだった。マルベル堂の人が「どんなポーズでいきますか」と言う。僕は撮ってもらうなら絶対コレだと決めていた要望を口にした。

──マドロス・スタイルでいきたんですが…、できれば赤木圭一郎風に。

途端に加藤孝が笑い出した。マルベル堂の人も声はあげなかったが、確かに笑った。僕は少しムッとしたが、笑われるのは仕方ないなと諦めていた。

だが、マルベル堂のプロマイドなら、波止場で船を係留するロープを巻き付ける鉄のキノコのようなもの(名前を知らないのだ)に片足を乗せ、その膝に肘をのせて拳であごを支えるポーズしかない。衣装はもちろん派手な横縞のマドロスシャツに船員帽だ。日活スターはもちろん、美空ひばりだって得意のポーズだった。

●船員は昭和三十年代の粋なスタイルだった

瀬戸内の港町に育った僕にとって、霧笛はなじみの深いものだった。霧が深い夜は、ボォーと長く伸びる霧笛の音が街中に響いた。物悲しさが漂った。それは霧で前方がよく見えないために、船が自分の所在を知らせ注意を喚起するためのものなのではあるけれど、どこかロマンチックな響きだった。

霧笛が俺を呼んでいる昭和三十年代、船員もロマンチックな存在だった。「マドロス」という言葉は歌謡曲にもよく取り上げられたし、映画ではヒーローとして登場した。日活映画でマドロス役が多かったのは、赤木圭一郎だったという印象がある。たぶん「霧笛が俺を呼んでいる」(1960年)に出演しているからだろう。

今年の春、熊井啓監督が亡くなったときの新聞記事を見て、最初に僕が思いだしたのは「霧笛が俺を呼んでいる」だった。もちろん、その記事のどこにもそんなことは出ていない。1964年に「帝銀事件 死刑囚」で監督デビューし、社会派監督として活躍した…。もちろん、それで間違ってはいない。

しかし、僕にとっては熊井啓は「霧笛が俺を呼んでいる」の脚本担当者なのである。「地の群れ」(1969年)も僕には思い出の映画だが、監督になる以前、「霧笛が俺を呼んでいる」の脚本を書いていたことに僕は親しみを感じるのだ。

夜霧よ今夜も有難うその脚本だって、実はパクリである。「夜霧よ今夜も有難う」(1967年)がハンフリー・ボガートの「カサブランカ」(1942年)の翻案であったように「霧笛が俺を呼んでるぜ」は「第三の男」(1949年)の翻案である。「第三の男」が公開されたのが昭和二十七年の秋、それから八年足らずのうちにパクってしまうのだからおおらかな時代だった。

霧がたちこめた波止場に船から男(赤木圭一郎)がひとり降りてくる。通りがかりのトラックを止めて「街まで乗せていってくれ」と言う。船員帽にピーコート、お定まりの船員バッグを肩にかけている。街に着いた男は昔なじみの親友(葉山良二)に会いにいくが、彼は死んだと聞かされる。

親友の恋人(芦川いづみ)と共に親友の死について調べ始めた男に刑事(西村晃)がつきまとう。刑事は親友が麻薬の密売をやっていたと告げるのだ。男は信じない。だが、やがて死んだはずの親友が生きているとわかってくる。

事件が解決した後、霧の波止場を男は親友の恋人と歩いている。「どこへいらっしゃるの」と聞く芦川いづみに「そうさなあ、霧笛にでも聞いてくれよ」と赤木圭一郎は答える。赤木圭一郎は、このとき二十歳だった。とても二十歳の青年とは思えない渋さがあった。

赤木圭一郎は1961年二月に二十一歳で死んだ。僕が初めて「霧笛が俺を呼んでいる」を見たときには、もう伝説のスターになっていた。その墓には花が絶えないと聞いた。映画を見て納得した。数年だけの俳優生活だったが、どの映画からも甘さの中にある「暗さ」のような魅力が伝わってきた。石原裕次郎や小林旭と違い、赤木圭一郎は陰のあるヒーローだった。

●対照的なふたつの映画のラストシーン

第三の男 (ユニバーサル・セレクション第3弾) 【初回生産限定】「第三の男」は有名な映画だから、公開当時「霧笛が俺を呼んでいる」を見た人たちはすぐに翻案だと気付いたと思うのだが、案外、小難しそうな洋画を見る観客層と日活映画の観客層は違っていたのかもしれない。「第三の男」はインテリが喜びそうな作品である。

「第三の男」は、ツィターという楽器を有名にした。タイトルバックはその楽器の弦のアップが映り、主題曲と共に弦が震える。その主題曲を弾いたアントン・カラスも一躍有名になった。最近ではエビスビールのコマーシャルで「第三の男」の主題曲が使われている。

舞台は戦後間もなくのウィーン。英米仏ソの四国が分割統治をしている。アメリカから友人のハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)を訪ねてやってきた三文作家ホリー(ジョセフ・コットン)は、ハリーが死んだことを知らされるが、ハリーの愛人アンナ(アリダ・ヴァリ)を訪ねた夜にハリーを見かける。

やがてハリーが水増ししたペニシリンの横流しで大儲けし、当局に目をつけられたために替え玉を使って死を偽装したことが明らかになる。ホリーはハリーが横流ししたペニシリンで多くの人が死んだことを知って当局に協力し、ハリーを追いつめる。

「第三の男」には有名なシーンが多いけれど、極めつけはやはりラストシーンだろうか。これは原作を書いた(元々、映画用に書いたもの)グレアム・グリーンが前文に書いていることだが、ラストシーンについては映画の手柄であることを明言している。

原作では、語り手であるキャロウェイ少佐がホリー(原作ではロロ)とアンナが手を組んで去るのを目撃して終わっている。それを監督のキャロル・リードは変えてしまった。もちろん、だからこそ「第三の男」は深い余韻を残すのだ。

ハリー・ライムを埋葬し、ホリーはキャロウェイ少佐のジープに同乗して並木道になっている墓地の中央の道を送られ、心惹かれているアンナを追い越す。かなり追い越したところで、ホリーは「止めてほしい」と言って車を降り、並木に凭れてアンナを待つ。

遠くから歩いてくるアンナ、手前の並木に凭れてタバコを吸うホリーをカメラはずっとフィックスで捉える。しかし、アンナはホリーを見向きもせずに通り過ぎフレームアウトして映画は終わる。長い長いワンカットは映画史に残る名場面になった。

「霧笛が俺を呼んでいる」と「第三の男」を見比べて思うのは、ラストシーンの違いである。もちろん大衆娯楽作品のヒーローである赤木圭一郎がヒロインに無視されて終わるわけにはいかない。主人公に惹かれるヒロインはさりげなく慕情を口にし、ヒーローはそれを知りながらキザなセリフを吐かねばならないのだ。

第三の男後に社会派と呼ばれ、作品に徹底的に執着する監督になった熊井啓が、「第三の男」をベースにしたシナリオを書きながらラストシーンにこだわらなかったとは思えない。これは僕の単なる想像だが、会社上層部の指導が入ったのではないだろうか。

それでも、僕は「霧笛が俺を呼んでいる」のラストは好きだ。映画としては名作にはなり損なったが「どこへいくかって? そうさなあ、霧笛にでも聞いてくれよ」というセリフは、赤木圭一郎ファンなら誰でも知っているほど有名になった。

「霧笛が俺を呼んでいる」には、葉山良二の妹の役で少女の面影を残す吉永小百合が出演している。難病で入院している少女なのだが、いつもの吉永小百合の明るい優等生的(関川夏央さんは「級長のような」と形容していた)な演技を思い出すと何だか懐かしい。

あれから半世紀近くの時間が過ぎて、熊井啓監督が亡くなった。吉永小百合は、テレビコマーシャルや広告ポスターで、すっかり落ち着いた大人の女性の姿を見せている。赤木圭一郎の墓は、今でも花が絶えないのだろうか。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
黄色い涙 【初回限定版】先日、どうしても見たかった映画を追っかけて新宿文化ビルの小さなロードショー館で見ました。夏休み期間中とはいえ平日の午前中で、周囲はすべて女性。かなり年輩の人もいたが、若い女性が多かった。「嵐」の五人が主演だから、仕方ないかもしれませんね。

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小説宝石」7月号に大沢在昌さんとの対談が載りました。「ハードボイルドがなければ生きていけない」というタイトルです。大沢さんの話の間に僕が「そうですね」と言っているだけのような対談ですが、大沢さんの映画やミステリへの愛がうかがえて面白いですよ。