武&山根の展覧会レビュー キュレータ達の夏休みの宿題発表会(笑)★★★★☆「キュレーターズ・チョイス07「対話する美術館」/東京都写真美術館」
── 武 盾一郎&山根康弘 ──

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武: こんばんは!

山: どーも。こんばんは。

武: もうね、お便りが来ないんですよ。

山: なんの?

武: 「俺の遺伝子要りませんかー!」とあれほど言ったのに、一通もメールが来ませんっ! なんかスパムが異様に増えただけなんだよ(泣)。

山: なんやそんなことかいな。今僕はそんな場合やないんですよ!

武: ぬなっ?

山: 今同点! もう座ってられへん! あ、やったーっ!!! 阪神勝ち越しや! 兄貴ーーーー!!!! よっしゃよっしゃ!! がははっっは!

武: 巨人阪神戦かいっ!

山: いやー、すばらしい(泣)。。もうこのまま早よ終わってくれー!

武: っつーかチャットに集中してくれっ!

山: うーん。難しい問題やな。。

武: 難しいわけねーだろっ!

山: しゃーないな。。ラジオの音小さくしよう。

武: 消せっ!

山: これは「メイク・ミラクル」ならぬ、「メイク・トラクル」やっ! って、今ラジオで言ってたで。そんなアホな(笑)。

武: トラぬ狸の皮算用にならないといいけどな。

山: むむ、、。

武: そんな感じで、俺たちも今日はトラいしてきましたがな、初の写真展。恵比寿ですがな。恵比寿と言えばビールですがな。

山: 酒の話かい!

武: それにしても恵比寿はキレーになっちまったねー、煙草は吸えないわ、野宿は出来そうにないわ、立ちションも出来なさそうだな。オサレな佇まいだなあ。俺は嫌いだけど。

山: オシャレと言うんか何と言うのんか、あの駅からのガーデンプレイスに抜ける道はすごいよな。

武: 思わず下痢が悪化したよ。

山: 飲みすぎやろ。

武: 垂れ流すかと思った。

山: 立ちグソかい!

武: 「直腸の解放」と呼んでほしい。

山: そんなオシャレな街で直腸を解放させるとは。。もう一緒には行けません。

武: どなたかこんな俺の下の世話をしてください! 宛先は一番最後にっ! どっしどしお願いしま〜す!

山: 介護かい!

武: それで俺は生まれたての赤ん坊のように全知全能の断絶無き世界観を体感するのじゃ。

山: 本気で脳がやられてきたようやな。。付合い方を考えよう。もう話さん。

武: 39歳の赤ん坊、どなたかいりませんかー?

山: だから誰もいらんっちゅうねん!! だって恵比寿で直腸を解放させる39歳の赤ん坊で人と自分との境を解らず、さらに顔でかいねんで! そんなんいらん。

武: 赤ん坊の顔がデカイのは世の常だろ。瞳もつぶらだよ。

山: 飛び出てこぼれ落ちそうやないか!

武: ってか、本題行かないか? また、柴田さんに大幅削除喰らうよ。

山: うーむ。。いっそのことスクワットしよう(笑)。

武: 一回、二回、三回、スクワットしてます。

山: もうええわ!


●キュレーターズ・チョイス07「対話する美術館」/東京都写真美術館
< http://www.syabi.com/details/curator07.html
>


武: けっこう展覧会行ったけど、写真は初めてだね。

山: デジクリではな。

武: この展覧会はですね、ホームページから引用すると、

「〜(略)〜
日頃の研究や事業を企画・運営するなかで培った個性的な視点にもとづいて収
蔵作品をセレクトする「キュレーターズ・チョイス07」は、テーマを「対話す
る美術館」と題し、専門スタッフならではの視点で、作家や作品との対話、そ
してなによりもご来館いただくお客さまとの対話を実践し、写真美術館の魅力
を広く示してゆきます。当館に収蔵されている二万三千点にのぼる作品・資料
と、約六万点に及ぶ写真・映像に関する図書の中から専門スタッフがセレクト
した名品、知られざる傑作からあっと驚くような珍品まで、通常の企画展では
なかなか観ることのできない収蔵作品や資料にご期待ください。」

  ま、キュレータ展とでも言ったらいいのかな。

山: というか常設展の見せ方を少し変えたんやな。収蔵作品なわけから。

武: ただ単に収蔵品を陳列しても見る側はよく分からないから、何らかテーマを持って来て、とある切り口から展示してみよう、と。

山: そういうことやろね。

武: ぶっちゃけ期待しないで観に行ったんだけど、結構楽しめたな。入場料も500円だし。


●写真そのものが良かった

山: そうやねんな。何が面白かったかって、まず写真そのものがおもろかった。作品のテイストにもかなり幅があったしな。

木村伊兵衛の眼―スナップショットはこう撮れ! (コロナ・ブックス 131)武: そだねー。木村伊兵衛とか点数の多かったセバスチャン・サルガドとか特に印象に残ったかな。あと、森山大道も。

山: 例えば「セバスチャン・サルガド展」は見にいくかどうかわからんが、セバスチャン・サルガドは良かった。

武: 個々の作家性の違いを楽しむことも出来たし、例えば「アンブロタイプ」
参照:< http://www.monokowashi.com/senjin/photo_tech/as_you_see3.html
>
  っていう1800年代の写真技術を紹介してたのも面白かったな。

山: そやね。確かにあんまり見る事ないやろし。この方法を書いた当時の和本も展示されとったな。

武: 博物館的要素もあったので作品に入り易い。写真って絵画より歴史が浅いからかいつまんで見せていくことが出来たんじゃないかなあ。。。

山: それはあるやろね。そういった歴史をいっぺんに見せてくれるとこっちとしてはヒジョーに分かりやすい。

武: 写真も絵も「Picture」だけど、写真の方がとっかかりが楽というか、

山: 僕はね、展示を見た後の感じとしてはね、なんかいっぱい本読んだような感じやったんですよ。

武: ほう。それはどういうこと?


●写真と絵画

山: いや、なんせいろんなタイプの写真があったもんやから。そんでそれぞれの見せ方が一個一個キュレータ毎に独立してたやん。だからそれが一冊一冊本読んだような印象。

武: 一冊一冊違うんだけどそれは全て「写真の本」ってことか。

山: そうそう。もちろん写真なんやけどね。けど、写真って現実を写すのが基本やん。だから、なんかそれぞれを「違う事象」として捉えやすいというのか。方法は写真やねんけど。

武: 例えばグループ展なんかだと一人一人が違うじゃないですか。グループ展見終わった後「なんだかバラバラでどれも覚えてない」みたいな印象を持っちゃうことってよくあるんよね。

山: わかるわかる。

武: 今回のは展覧会としてスッキリまとまって見えた感ってのはあった。けどさ、キュレーターズ・チョイスを絵画でやった場合どうなるんだろうなあ、なんてちょっと思った。

山: どーゆーことや?

武: 絵と写真って同じだよなあって思ったけど、全然違うなあって思ったんすよ。例えば、写真の方法論って、なんつか、限られてる。「カメラ使ってシャッター切る」ってのが写真で、なんらかの瞬間を見せる・はぎ取るワケで、その中で「ではどんな瞬間なのか」が作家性や意味性ってことになる。展示方法としてはせいぜいインスタレーション仕立てにするかどうかでしょ。絵となると「私はこれを絵と解釈する」と言えばなんでも絵になってしまう。

山: 写真の場合どうしてもいわゆる「ドキュメンタリー」を感じてしまうねんな。それがいかに個人的な事だったとしても。

武: マン・レイや森村泰昌作品の云う「虚構」だとしても、ね。

フローズン・フィルム・フレームズ―静止した映画山: 森村作品はあの中ではかなり異質に感じた。あと、ジョナス・メカスの『制止した映画フィルム』シリーズとか。なんかちょっといわゆる写真と違う。

武: ふむ、視点をはぎ取るということではないもんね。シャッターを切る事が重要じゃないんだろうな。どちらかというと絵なのか? コンセプトそのものっていうのかな。

山: 森村作品は絵で描いたってぜんぜんいいわけやから。写真やからおもろいっていうことはあるかもしれんが。。。あー、東京ドームに行きたい。。

武: まだ、ラジオ聴いてんのかっ!

山: いや、ネット。ラジオつけよっかな。。どうしよっかな。。こまったなあ。

武: 野球なんてほっときなさい。

山: あれ、何の話してたっけ?

武: 「写真と絵の共通点と相違点について」だよ。

山: ……黒霧島のふたがどっかいってしもた。

武: 俺、実は写真ってそんなに興味なかったんだけど最近みょうに写真と縁があって、そういうこともあって、楽しめたってのはあるな。

山: あれ?どこやろ?

武: って、今度は黒霧島のふたに気を取られてるんかーっ!

山: あったあった。よかったー。で、「黒霧島と他の焼酎との違いについて」か。うーん。

武: 俺は元々麦焼酎派だったからね、麦の方がスッキリしてて呑み易い。

山: そうやね。米はまたちょっと違って甘さがあるっていうのかね、好みはあるやろうけどな。

武: 食べ物と併せてちびちび呑むんだったら、芋焼酎の方がいいのかなあと最近思い始めたんですよ。

山: 意外と引っ張りますな(笑)

武: 絵描きだからね。

山: なんでやねん!

武: なんか、写真家の方がスタイリッシュな感じするよね。

山: 気のせいやろ。

武: 絵描きはホント、業が深いっていうかメンドクサイ奴らばっかじゃん。恨みつらみを根に持って、ずっと留まってこそ画家ってところもあるし。

山: そんなとこが絵と写真の違いか!……いや、けっこうそうかも。

武: 写真家って動き回ってなんぼってところがあるじゃん、後腐れのない人間が写真家になる(笑)

山: なんか写真家に恨みでもあんの?(笑)

武: いや、むしろ絵描きに恨みがある。

山: わはは!


●これからはナチュラルに原理主義

武: だから俺は軽やかに動き回りたいんだよ。

山: 程遠い(笑)。っていうかね、写真は要するに「手」から出てくるものではないんよな。最終的に提出されたイメージがどうしても手作業の痕跡を残さないというか。暗室で自分の「手」で作ってるにしても。

武: ああ、「作家の身体」のダサさが前面に出るメディアではないよね。

山: しかも実際に撮っているのは現実的な事象なわけで。絵の場合どうしても内面が出てきたりする。もちろんそうじゃない絵もあるが。

武: 絵って手の動きそのものが画面に出る訳だから、見る側もその「身体」に付き合わなければならないところってあるよね。

山: 例えばそういうものをなるべく排除しようとしたウォーホル。

武: そだね。身体を消していく。

山: 初期の作品はまだやっぱりそれでも手癖が出る訳ですよ。デザイナーとしての手癖。手癖という表現はちょいと違うかもしれんが。そのうち自分で作らなくなる。シルクスクリーンのモティーフは写真から引っ張ってきたりするわけだ。さらにほんとに自分でなんにもしなくなる。サインすらしない。

武: いったん、絵画は身体性の徹底的な放棄を試みたわけだよね。ウォーホル、ポップアートによって。

山: で、銅板に他人におしっこかけてもらって、それが腐食した具合を「絵」にしちゃったりする。すごいな。小便絵画(酸化絵画)。

武: ウォーホルの作品は絵なんだけど、過程として写真が含まれてるよね。

山: そうやね。今の絵描きも写真は多用している。

武: で、写真についてなんだけど、写真に絵を施す写真家も結構いるよね。

山: 広告にはその手法はめっちゃ多いよな。

武: うーん。。こうやって話してると写真と絵の違いが分からなくなってくる(笑)。まあ、だから「Picture」で一括りでもいいんだけどね。で、川内倫子の写真は「写真原理主義」的な感じがしたんす。

山: ほう。

武: 技法・ジャンルの差異が曖昧になった今、ひるがえってシンプルに「写真」って感じがした。

山: なるほど。たしかにシンプル、素直な印象は受ける。あまりこねくり回してない。

武: コンテンポラリー・同時代性として、シンプルに原初に立ち、それでいて個がスクッと立ち現れてくる作品が求められてるのかもしれない、とか思った。「無理から変態」「自分だけ違う」とかって、かえってありがちで没個だったりする。で、俺たちは、ナチュラルに酒乱。凛としてへべれけ。

山: ……それは問題やな。。

武: だから、これでいいのだ。これからはナチュラルシンプル原理主義へべれけ。

山: 変なまとめ方せんとってくれ!


●美術館とキュレータ

武: でな、展示についてもうちょっと言いたい。確かにオモロかったんだけど「キュレータ達の夏休みの宿題発表会」って感じも否めなかった(笑)。

山: わはは!

武: 宿題の発表のような、ちょっと「真面目なフリ」をしてみせてるような、先生とお母さんには怒られないようにしとこう、みたいな。キュレータのテキストなんかからそんな感じ受けたな。

山: うん。そこな。例えば今回の展示のテーマが「対話する美術館」やな。

武: そだね。

山: 「対話」を重視した作品選びをしました! ってことやな。

武: そうなんだろね。

山: で、僕も最初そのテーマを聞いて「対話」を写真から感じようとしてたんだが、よくよく考えてみると、「対話」のない写真ってほとんどないわけで、なんでもええやないか! みたいなね。

武: わはは!「対話」のない作品自体存在しないもんな。

山: そうなんよな。でだ、結局誰が誰と「対話」したかったのかと言うと、展示の説明にもあるように「……作家や作品との対話、そしてなによりもご来館いただくお客さまとの対話を実践し……云々」ということやったんやな。要するに、キュレータが「ちゃんと」何か言いたかった、というか「ちゃんと」何かを言わなくちゃだめだろ! ということに美術館が分かってきたということだ。

武: 「対話します」ってことをテーマにしなきゃならない程、今まで美術館って「対話して来なかった」証しになっちゃうし(笑)

山: そうなんよな。結局この館側の説明を見る限り、そうは書いてないけど意味を汲むと、むしろ今度は客側が美術館を啓蒙するわけだ(笑)。

武: 美術館も客商売だってことに気がついたってことかもね。キュレータってお役所仕事っぽいイメージあるもん。

山: ちょいと前からよく言われている例の指定管理者制度とかね。

武: 詳しくは知らない。

山: めんどくさいからいいや。

武: めんどくさがるなっ!
参照:指定管理者制度< http://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=14597044
>

山: で「対話する美術館」なんですが、それでキュレータみんなけっこう頑張って作家を選ぼうとする訳だ。でも結局は自分が良く知ってる作家しか扱えないわけで。

武: まあ、もちろんそうだろ(笑)

山: そのテーマに無理矢理当てはめる。そしてもうほとんど苦肉の策としか言えないような、キュレータの独り言のような切り口をこちら側に見せてくる。それがおもろかった。

武: だから「夏休みの宿題」なんだよ。

山: そうやってキュレータも勉強してるわけや。あ、黒霧島がなくなった!どうしよう!

武: 薩摩一に突入っ!

山: まじですか! じゃあ俺も! ちょっとこっちにもください。

武: はいよ。トクトクトク。。。

山: あ、どうも。ゴクゴクゴク。。。うーん。うまい!

武: 有名無名問わず常にアーティストに目を光らせてるキュレータなんてほとんど居ないような気もする。。。そうなると、結局巨匠ばっかりってことになったりしちゃう。キュレータはもっと頑張らないといけないですよ。「小さなムラ」で「些細な出来事」を大袈裟に言うか、勝ち馬に乗ろうとするかばっかりじゃなくて。

山: でもこの展示は今までより自分がキュレータであるっていうことが思いっきり出てしまう展示やん。個人名をほとんど作家的にあつかってやってるわけやし。そのほうがいい。

武: キュレータはリスクをアーティストに背負わせてぬくぬくと生きてきたんだもん。それじゃあ美術館、ひいてはアートの意味の根本から疑われて当然だよ。キュレータも美術館も、リスクを背負わないと美術そのものが潰れる。

山: だからこういう展示の仕方はいいと思う。しかも一人のキュレータの展示じゃなくていっぱいおって、更にキュレータどころか技術者も選んでいた訳で、僕は妙な共感を覚えた。

武: ま、俺たちをガッツリ扱うキュレータが現れたら「お、日本のキュレータもレベルが上がったよな」って思ってやるよ(笑)。だーれも扱ってくれないですからね、ほとんど無視。だから俺らでやってるんだけど。したっけ、キュレータなんて要らないってことになっちまう。でも、それじゃあ厭なんだよ。

山: 多分ただのアルコール依存症でイカレたミョーな人、って思われてんやな(笑)。

武: 絵描きなんてたいがいそんなもんじゃないですか。

山: 僕はアルコール依存症でもイカレてもミョーでもないぞ。トラを愛する一現場主義者です。

武: うん、山根が一番ミョーな奴だから。大体、キュレータには精神を病む権利すら与えてはいけませんよ。そんなことやってるから上手するアーティストばっかりになっちゃうんだよ。

山: なんかキュレータに恨みでもあんの?(笑)

武: キュレータに恨みなんかないよ、むしろ絵描きに恨みがある。

山: じゃあやめてまえ! あ、よっしゃーーー!! 阪神25年ぶり10連勝やーっ!


●「キュレーターズ・チョイス07「対話する美術館」評

武: ★★★☆☆ 実際には3.8くらいで星四つだけど、下痢したから星三つ。

山: ★★★★☆ あんまり写真の展示を見に行かない人には特におすすめ。そして安い。

【キュレーターズ・チョイス07「対話する美術館」】
会期:8月11日(土)→10月8日(月・祝)
休館日:毎週月曜日 ※ただし10/1は都民の日で臨時開館(観覧無料)
会場:東京都写真美術館・地下1階映像展示室・4F図書室
料金:一般500円/学生400円/中高生・65歳以上250円
※小学生以下および障害者手帳をお持ちの方とその介護者は無料
※第3水曜日は65歳以上無料

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/直腸の解放】
< http://iddy.jp/profile/Take_J/
>
mailto:take.junichiro@gmail.com

【山根康弘(やまね やすひろ)/黒霧島のふた】
・SWAMP-PUBLICATION < http://swamp-publication.com/
>
・交換素描 < http://swamp-publication.com/drawing/
>
mailto:yamane@swamp-publication.com

photo
フローズン・フィルム・フレームズ―静止した映画
ジョナス メカス フォトプラネット Jonas Mekas
フォトプラネット 1997-08

セメニシュケイの牧歌

by G-Tools , 2007/09/12