[2286] 真夜中の遠い彼方に…

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<まずは目から人形になり始めた>

■映画と夜と音楽と…[348]
 真夜中の遠い彼方に…
 十河 進 

■Otaku ワールドへようこそ![59]
 ヒゲのカメコとボインの河童と
 GrowHair


■映画と夜と音楽と…[348]
真夜中の遠い彼方に…

十河 進
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●「鉄騎兵、跳んだ」でデビューした小説家

あまり読んではいないのだが、気になる作家が何人かいる。佐々木譲さんもそのひとりだ。先日、新聞に大きく「警官の血」という新作の広告が出ていて、上下二巻の大作だが読んでみたくなった。佐々木さんの作品は「ベルリン飛行指令」あたりから、どれも重厚長大になる傾向にある。

「エトロフ発緊急電」が第八回日本冒険小説協会の日本軍大賞を受賞したのは1990年のことだった。その後、第十三回日本冒険小説協会日本軍大賞を「ストックホルムの密使」で獲得している。最近は時代小説も書いているし、警察小説にも手を染めている。

数年前に佐々木さんが書いた「黒頭巾旋風録」の表紙を見たときは、子供の頃に見た映画と連続テレビドラマを思い出した。東映映画で「怪傑黒頭巾」シリーズに主演したのは大友柳太朗だった。テレビの「怪傑黒頭巾」シリーズは外山高士の主演である。後に悪役専門みたいになったけれど、テレビアニメ「サスケ」で父親の「大猿」を担当していて、その深みのある声が僕は好きだった。

さて、佐々木譲さんは1950年の生まれ。僕とは一歳しか違わない。おそらく、子供の頃に「怪傑黒頭巾」に熱中したのだろうなあ、と思った。そう思って、作品歴を調べてみると、扱ってきたジャンルの幅広さに驚く。現在は北海道に住み、悠々自適で作品を生みだしているようだ。

佐々木譲さんが「オール読物新人賞」を受賞し、その短編が掲載された号を僕が読んだのは1979年のことだった。筆者の紹介欄に勤め先として「ホンダ技研」が出ていたのを憶えている。タイトルは「鉄騎兵、跳んだ」というもので、オートバイにかける青年が主人公の青春小説だった。

あの頃、僕は就職して四年目。佐々木さんも二十代だったのか、と少し感慨深い。その受賞作のタイトルは深く僕の印象に残り、翌年、ロマンポルノではない作品として日活で映画化されたとき、見にいこうと思いながら見そびれてしまった。石田純一の実質的デビュー作だと思う。監督は「黒匕首」シリーズの小沢啓一だった。

第二次大戦の頃の日本とヨーロッパを舞台にした冒険小説などは、スケールが大きすぎて映画しにくいのか、佐々木さんの小説の映画化作品はあまりない。劇場公開されたのは「鉄騎兵、跳んだ」の他に「われに撃つ用意あり」(1990年)だけだと思う。監督は若松孝二だ。

原作は1984年の秋に出た「真夜中の遠い彼方」だった。五冊目の本であり、初期の長編小説である。当時、新聞の書評に取り上げられたのを読んだ記憶がある。「鉄騎兵、跳んだ」以来、初めて話題になった佐々木さんの小説かもしれない。これは、後に「新宿のありふれた夜」と改題されて文庫化された。

僕は「われに撃つ用意あり」を見た後に、原作を読んだ。メインのストーリーは原作を踏襲しているが、主人公の過去の膨らませ方、あるいはラストシーンに大幅な改変があった。それは、60年代末の新宿に郷愁を抱く若松孝二の趣味だったのだろうと思う。

●新宿のアジア難民問題を予告した映画

新宿で二十年、ジャズバーをやってきた郷田(原田芳雄)が仕入れの買い物をするシーンから物語が動き出す。郷田は知り合いに「今日で店じまいだから、全部タダ」と言っている。一方、ヤクザに追われるベトナム難民の女メイランが登場し、郷田の店に逃げ込んでくる。また、新宿署の刑事(蟹江敬三)は暴力団の組長がマンションで射殺された事件が起こり、その調査にかかる。

その夜、郷田の店にはかつての仲間たちが集まってくる。郷田は医学部の学生だった頃に全共闘運動に身を投じた男だ。やってくるのは闘争仲間である。フリーライター(桃井かおり)、実業家(西岡徳馬)、大学助教授(小倉一郎)、コピーライター(斉藤洋介)、区議会議員(山口美也子)など、いかにもといった顔ぶれである。

郷田はドロップアウトした人間だ。もうひとり、新聞配達員で糊口を凌いでいるアル中の秋川(石橋蓮司)がいる。郷田は酔っ払ってだらしなくなる秋川の面倒をずっと見てきたのだろう。そこには昔の友を思う気持ちがにじみ出る。おそらく、郷田と秋川は闘士だったに違いない。

元全共闘世代の男女が閉店パーティで繰り広げる会話劇が面白い。環境汚染を訴える区議会議員、遊び人風の実業家、女子大生たちを引き連れてやってきて全共闘時代の自慢話をする助教授など、いわゆる団塊世代の生態が描かれる。カリカチュアライズしているのではないが、どこか自己批判的ではある。

鬱陶しいのは、新宿騒乱罪の事件を女子大生たちに自慢し口説こうとする助教授だ。「そのとき、先生、逮捕されたんでしょ」と教え子に言われて「捕まりやすそうな顔してたんだろな」とにやける。それを見たコピーライターは「殴ってやろうか、あいつ」と立ち上がり、フリーライターに止められる。

酔うに連れて、彼らは相互批判を始める。「あのとき、おまえは日和った」とか、「いや、本当に闘ったのは郷田だけだ」とか、眠りこける秋山を「こうなったらオシマイだな」という。笑ったのは「ダラ幹が偉そうに…。おまえなんか笛吹いてただけじゃないか」というセリフだ。

一方、メイランがヤクザに追われている事情がわかってくる。密入国者であるメイランはヤクザに捕まって売られそうになる。組長に犯されそうになり、もみあっているときに拳銃が暴発して組長が死ぬ。そのとき、メイランが持ち出したビデオテープに何かが写っているらしい。

郷田の店にヤクザがやってきて、目を覚ました秋山が抵抗しようとして射殺され、メイランがさらわれる。郷田は彼女を救出するために、ヤクザのアジトに乗り込む決意する。「われに撃つ用意あり」とは、郷田の決意を語る言葉なのだと、そのときに観客は気付く。郷田は、二十数年、メンタルな意味でその姿勢を貫いてきた男なのだ。

「われに撃つ用意あり」は、元来、原田芳雄好きだった僕が繰り返し見る映画の一本になった。全共闘世代に対する批判と共感、それがアクション映画として描かれた作品なのである。また、元機動隊員である刑事と全共闘の闘士との因縁話までからんだハードボイルドでもあった。

●いつでも「われに撃つ用意」はあるのだろうか

「われに撃つ用意あり」のラストでクレジットタイトルがスクロールされる間、背景に流れるのは昭和四十三年(1968年)十月二十一日の新宿の夜を撮影したニュースフィルムである。原田芳雄の歌声が重なる。「過去を振り向く趣味はないはずなのに…」と彼は歌うが、そこに流れる映像はある世代にとっては強烈な記憶を甦らせるものだろう。

国際反戦デー。その日、学生たちは国会構内や防衛庁に乱入し、新宿駅に火炎瓶を投げた。デモや集会に参加したのは全国で二十八万九千人と発表されている。新宿駅では、数千人が駅構内に入り、すべての電車はストップした。群衆は数万人に膨らんだ。警視庁は、二十二日午前零時十五分に騒乱罪を適用。Tさんたちも、その夜、新宿にいたのかもしれない。

Tさんは僕の大学の先輩で、全共闘世代だった。僕が大学に入ったときには、すでに学生会館は封鎖され、学生たちが中庭でデモをやったり、セクト間の内ゲバが始まったりすると、大学当局は躊躇なく機動隊を学内に導入した。そんな頃に僕はTさんと知り合った。

Tさんは文学青年で同人誌をやりながら、小説を書き続けていた。Tさんの仲間たちも芝居をやったり、詩を書いたりする人たちだった。彼らは、数年前の闘争を懐かしく語った。それは僕にとっては羨望を掻き立てるものだったし、同時にそんな時代を懐古的に語る彼らを批判したくもなった。

彼らは、よく呑んだ。その頃は、あまり酒を呑まなかった僕だが、時々は彼らに付き合うこともあった。彼らが呑むのは、大学があった神保町か新宿だった。ゴールデン街にはよく出没していた。だから「われに撃つ用意あり」で背景にされた夜の新宿が懐かしく見えたのだ。まるで、彼らの二十年後を見ているようだった。

Tさんが最初にまとまった作品集を自費出版したのは、1983年の春のことだった。出版社は飛行商会という名で、これも先輩のAさんが作ったところだ。Tさんの作品集の出版記念パーティが開催されるという案内が届き、僕は会場のある下北沢へ出かけた。

そこで、僕は佐々木譲さんと会った。佐々木さんは、まだ一冊の短編集と一冊のオートバイ青年を主人公にした長篇小説を出しただけの新人作家だった。パーティにいた人の中で、佐々木さんの小説を読んでいたのは、もしかしたら僕だけだったかもしれない。いや、佐々木さんは誰かの紹介でパーティにきていたから、その人は読んでいたはずだ。

パーティがおわってから、Tさんと一緒に数人で呑みにいった。そこで、Tさんは佐々木譲さんとずっと話していたが、後にTさんから聞いた話では「佐々木譲は取材が大変だという話ばかりで、文学の話はできなかった」という。Tさんが書きたかったのは純文学であり、エンターテインメントを志向する佐々木さんとは向いている方向がまったく異なっていた。

その後の佐々木譲さんの作品歴を見ると、ジュブナイル小説を書き、ハードボイルド小説を書き、1988年に第二次大戦三部作の一冊目である「ベルリン飛行指令」を書いて注目される。政治家の野望の物語である「愚か者の盟約」を書き、自動車産業を興した男の一代記「疾駆する夢」を書き、カストロのノンフィクション「冒険者カストロ」を書く。

僕はTさんのサインが入った作品集を本棚から抜き出した。扉にTさんのサインと一緒に日付が記されていた。1983年4月30日─あの夜のことは、今も鮮明に記憶に残っているが、もう二十四年がたっていた。あれは…、遠い彼方の出来事なのだ。その長い長い年月を経て、佐々木さんは五十冊以上の著作を残し、Tさんも自費出版とはいえ数冊の作品集を残した。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
ナンバリングをまた間違いました。今回が348回目のはずです。もうすぐ350回目ですね。もう九年目に入りました。よく続くなあ。子供の頃、母親に「あんたはどうしてそんなに飽きっぽいのかねぇ」と言われ、今でも「あんなに飽きっぽい子が三十年以上も同じ会社に勤めるとはねえ」と言われている。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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■Otaku ワールドへようこそ![59]
ヒゲのカメコとボインの河童と

GrowHair
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このメルマガもだんだんと年寄りが病気自慢をする場になりつつあるようだから(なってない、なってない)、私も一席ぶつとしましょう。だけど、それだけでまるまる一回分書いてはナニがアレするので、連休に遠野に行った話と将棋を指した話を入れて、小ネタ3本立てで行きましょうか。

●私、お人形さんになるの

目の手術を受けることにした。左目の水晶体が白濁して、まるで使い物にならなくなったので、人工のものに差し替える。白内障である。

まだそんなのに罹る歳ではないはずなのだが、今年の初めごろだったか、ある朝起きてみると左目の中に真っ黒いオタマジャクシみたいなのが棲んでいて、向く方向についてにょろりんぐるりんと動く。なんだこれはと思っていると、二〜三か月の間にみるみる視界が白くぼやけ、すりガラスを通してものを見るような感じになった。

七月ごろ近所の眼科に行ったら、白内障だという。いったん白くなると元に戻す方法はなく、もしもっと早くに行っていたらどうにかなっていたというものでもないらしい。手術する気になったらまた来て下さいと言われ、薬が出るわけでもなく。

五月に中華庭園「燕趙園」でコスプレイベントがあったとき、鳥取空港から乗ったバスを降りるときにステップを踏み違えて道に転がり落ちて、右の膝小僧をしたたかに打ち、ジーンズの膝のところが破れた。その一週間後、東京近郊のバラ園で撮っているとき、レイヤーさんに指示を出そうと駆け寄ろうとしてすべってこけ、治りきらない同じところをまたしたたかに。うぎゃーーーっ!また同じところが破れた。

誰かの恨みでも買っているんじゃなかろうか。あいつかな、いやいや、あいつかな、とけっこう気を揉んだ。だけど、これも後から考えるとこいつのせいだったようだ。距離感がつかめないのである。人混みも苦手。人と人の間をすり抜けようとするとき、どっちの人が手前にいるのか奥にいるのか、瞬時には分からない。これでよく夏コミを乗り切ったと思うが、このときはもう分かっていたので、用心していた。

九月になると、右目もぼやけてきた。新聞や文庫本の小さな文字がまるで読めない。これはいよいよいかんと思い、9月22日(土)に再び眼科へ。なんと、右目は老眼が進んで眼鏡が合わなくなっただけで、外したらちゃんと読めた。だけど、左目は矯正視力0.1とほぼ何も見えていないに等しく、そろそろ頃合いかと覚悟を固め、手術を受けられる病院への紹介状を書いてもらった。

目って、手術を受けたくない部位のナンバーワンではなかろうか。いやまあ他もいやだけど。思うだけで油汗が出る。水晶体を人工のものに差し替える。水晶体はレンズの役割で、横から筋肉で引っ張って厚みをコントロールすることでピントが合わせられる仕組みだが、術後はピントが固定される。

まずは目から人形になり始めた。いつか関節が球体になったりして。

●ヒゲのカメコ、遠野でボインの河童と出会う

医者から帰って旅行の身支度を整え、カメラを引っ提げて出かける。遠野へ。六月に、美登利さんと八裕沙さんの作った人形を古い日本家屋で撮らせてもらう機会があったが、今度は八裕さんの作った赤い河童を撮らせてもらえる話になった。赤い河童といえば遠野である。柳田國男の「遠野物語」に出てくる。まずは、いい撮影ポイントを求めてロケハンに。

三連休の初日の宿を、当日探しても空いてないわな。遠野はあきらめて、花巻に宿を予約。14:56 東京発の東北新幹線で新花巻まで行って銀河ドリームライン(JR釜石線)に乗り換え、17:58 花巻着。花巻と言えば温泉だけど、花巻温泉というのは駅からバスで20分ほどのところにあり、花巻駅前は特にどうということのない田舎町。五分ほど歩いて旅館へ。下駄箱には運動靴がぎっしり。バスケットの試合で来ている学生の団体なんだそうで。散歩に出ると、すでに人通りが少なく、深夜かと錯覚する。

翌朝、6:49 花巻発の銀河ドリームラインで遠野へ。盛岡発の直通列車で四両編成のディーゼルカー。けっこう人が乗っている。みんな早起きだ。これを逃すと次は二時間後。山腹を走る軌道は猿ヶ石川に沿って遡り、いい景色。

7:52 遠野着。観光案内所はすでに開いていて、カッパ淵に行くバスの時刻を聞くと、8:01発だという。すぐだ。考える間もなく乗ったはいいけど、さてどこをどう回ったもんか。運転手さんと相談し、コース選定。バスの便は一日に四往復しかない。それほど選択の幅があるわけでもなく、あっさり決定。カッパ淵と水車小屋。それだけ。

前方に山が見えるので、早池峰(はやちね)かと聞くと、早池峰はその右の奥で、雲に隠れて見えないという。ならば石神山に違いない。さらに右手にあるはずの六角牛(ろっこうし)とともに、三人の女神が領するとされている。遠野市のホームページには熊出没情報マップが掲げられ、駅の近くなど、ありえんところに印がついていたのを思い出す。「熊、出るんですか?」と聞けば、「う〜〜〜〜〜〜ん、出ますねぇ」。何ですか、その長いう〜んは? 本当のことを言おうか言うまいか迷ってたとか? う〜ん。

伝承園前でバスを降りると、草葺屋根のバス停。土壁には相合傘の落書き。次のバスまで4時間25分。駐車場脇に「カッパの直売所」がある。商品は雨合羽とか? 野菜などを売ってる店だった。木彫りの河童も置いてある。巨乳の河童に一目惚れ。これで思い出すのは小島功の漫画「ヒゲとボイン」である。黄桜のCMの河童、ね。黄桜の河童は清水崑のが元祖らしいけど。よし、今日はこのコとデートと決め込もう。

カッパ淵を目指して歩くとお寺がある。曹洞宗常堅寺。狛犬が狛河童だったりする。撮っていると、お坊さんが出てきて、10時から鹿(しし)踊りがあると教えてくれた。鹿踊りの一団がこの時期を一年の区切りとしていて、踊り納めをこの寺でやると決めているのだそうで。境内にはまだ誰もいなくて、これから何か始まるという空気がまるでない。

ほどなく踊りの一団が入ってきた。20人ほどで、ほとんどが子供。美しく着飾っている。ヒゲが珍しいとみえて、取り囲まれて触られまくる。その中の一番小さい丸顔の女の子、「何しに来た」「仕事してるのか?」「今にツルッ禿げになるぞ」と口の減らないやつだ。い〜〜〜っ、だ。

手荒に遊ぶ。これ、カクラサマの精神か。カクラサマは外で雨ざらしになっていたとされる木像。神と言っても何のご利益があるわけでもなく、信仰する者はいない。村の子どもたちが、川に投げ入れたり、道の上を引きずったりとおもちゃにするので、目鼻もよく見わけがつかなくなっている。それを叱る大人がいると、その人のほうがかえって足が動かなくなったり高熱を出したりと祟られる。拝んでもらうとお告げにカクラサマが出てきて「せっかく子供たちと楽しく遊んでいたのをじゃました罰だ」と言うので、詫びると元の体になおったという。

鹿踊り。てんつくてんつくてんてんてん...。

終わればみな去り、また元の静寂。お寺の裏手がカッパ淵。馬曳きの子が目を離した隙に河童が馬を淵に引きずり込もうとしたけど、馬のほうが力が強くて、河童をひきずったまま厩に帰ってきてしまう。河童は飼葉桶を伏せて中に隠れているが、村人に見つかってしまう。普段から悪さばかりするので、殺してしまおうかと言うのを、河童があまりに平身低頭謝るので、もう悪さをしないと約束させて逃がしてやる、という話が伝わる。

流れの両側を往復できるよう、散策路がついているが、短く、10分くらいで一回りできてしまう。ボインちゃんに出てきてもらい、ひたすら撮る撮る撮る。目が悪いと不便だが、案外何とかなるものだ。オートフォーカスは20世紀最大の発明と言ってよいのではなかろうか。

岸からしゃがんで流れを見ていたおばさんが、河童に引きずり込まれて水に落ちた。いや、河童の姿は見えなかったけど。豪快に腹からばっしゃーんと。ま、膝下ぐらいの浅い流れなんで、溺れたりするようなところではなく、自力で上がってきたけど。

時間は余らず、急いでバス停に戻る。昼メシ、食い損なったー。山口でバスを降りれば、畑の中の分岐路。何もない。腹減った〜。帰りのバスは三時間半後の16:43だ。畑に実ってるとうもろこしとか、墓に供えてあるまんじゅうとか、よほど食ってやろうかと思ったが、妙な妖怪変化につきまとわれても困る、と思いとどまった。とうもろこし畑には電気牧柵が施してあるし。熊よけらしいけど。

山口の水車小屋へ。大きな水車がごとんごとんと重い音を立てながら回っている。のどかな風景だけど、思い描いていたのとはちょっと違うかな〜。鬱蒼とした深い森にちょろちょろ流れる小川という絵を期待していたのだが、ここは広々とした野っ原。そうだ、山のほうへ行ってみよう。遠野の地形は面白い。ここまでは野原、ここからが山、とくっきり境界線ができている。

両側の山が迫ってきて渓谷へと閉ざされるところに最後の民家があり、その先の道は舗装道路から、轍のくっきりついた草ぼうぼうの山道に変わる。沢沿いにうねうね曲がって、先が分からない。熊よけに口笛で「森のくまさん」。沢には小川がいくつも注ぎ込み、緑が濃くて、いい感じ。こういうところなら、何が棲んでいてもおかしくない。もし立派な家があり、つい今しがたまで人がいた様子なのに誰も見当たらないとなると、それは「迷い家」(マヨヒガ)だ。しかし、そういうものには出くわさず。

山口のバス停に戻るとまだ一時間ほどあるので、デンデラ野へ。デンデラ〜っとした野原だ。もとは「蓮台野」と書いたらしい。昔、六十歳をこえた老人の捨て場所だったところだ。日中は里へ降りて、農作業を手伝ったりしてわずかな食料をもらって食いつないでいたという。里を見下ろす景色はよいが、野原はなんだか寒々として陰気だ。奥は、平らな野原がいきなり針葉樹林の急斜面に突き当たる。

帰りのバスは空っぽで来た。ずっと乗客は私一人だった。運転手さんと雑談。遠野駅に着いて、ようやくメシにありつける。駅前の喫茶店で山菜ピラフ。がつがつ食う。18:10 遠野発の列車で新花巻へ。23:00 東京着。遠野物語を読んでから行くと、遠野はたまらなくいい。何度でも行きたくなる。

●ボイン争奪、将棋大会

翌日、9月24日(月)は、そのボインちゃんを賞品に将棋大会。大会といっても三人だけど。雨続君と私で風間加勢氏のところへおじゃまする。高校時代、ここで私塾を営む風間氏から私は数学を教わっている。雨続君は会社の同僚で、この間、達人戦の決勝戦を三人で見に行った。

さすがは塾の先生、プリントを用意して待っていた。棋譜用紙である。対局者の名前まで印刷されているという周到さ。棋譜を取られながら指すのは私も雨続君も初めてである。こんなものが心理的にある種の作用を及ぼし、指し手にも影響を与えたと後で考えると馬鹿馬鹿しくて悔やまれるが、指してるときはけっこうなプレッシャーに感じられた。

もしも大ポカをやらかしてあっけなく負けたりして、それが後々まで残ったのではかなわない。そう思うので、慎重を期して指すのはよいのだが、派手にチャンチャンバラバラやるのが恐くて、ついつい穏便に穏便にと収めてしまい、それはそれでみっともない棋譜を残す結果になってしまった。

雨続君の「ごきげんよう中飛車」には何とか勝てた。うーん、確かに王様の前に振った飛車がちょいと斜めに置かれてたりすると、お嬢様学校の制服のタイが曲がっているように見えなくもないが、将棋と「マリみて」が両方分かる人が全国に一体何人いるというのだ?

以前は四段として指していたという先生が、ついこの間将棋会館で一級の認定をもらってきた雨続君に飛車落ちで勝ち、自称初段の私に角落ちで勝ち、優勝。優勝河童を手にした。

観戦記では芹澤博文九段の書いたのがダントツに面白いというので、それが収録されている「王より飛車が好き」をお借りしてきて読んだ。ううむ、これは観戦記の域を超えている。情景描写、人物描写、指し手の解説の面白さは真似しようとしてできるものではない。それは、芹澤自身がどういう姿勢で生きてきたかが凝縮されているから。

あとがきに、こうある。「三度も死にそこなった。今、我が命、おまけである。おまけと思うと、大事に生きたくなる。長く生きるということでなく、その与えられた時間を、どのことにしても一所懸命生きようということである。遊びにしても一所懸命遊ぼうと思う。……ここに収めたものは、この思いで書き連ねたものである」。こういうのは後世に読み継がれてほしいと思う。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。定期入れがぼろぼろに傷んでいる。定期券は三方のどっからでも、あるいは上からでも引き抜けるし、カード入れの側面はばっくり開いている。改札を通った後、ポケットにしまおうとして中身をぶちまけたことが三度。メイド喫茶のスタンプカードなど、どばっと。同じようなのを買おうと思うのだが、売ってない。スイカ入れになっちゃったのか。
八裕沙さんの人形のページ < http://yahiro.genin.jp/
>
遠野の写真
< http://www.geocities.jp/layerphotos/Kappa070923/Kappa070923.html
>

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■編集後記(10/5)

最新 用字用語ブック・うちのさなぎちゃん、発見当時はまだ緑のイモムシ状だったが、今朝はもう完全に蛹となって、くすんだ緑色をした木の芽のような形状になっていた。目立たない。壁の色にとけこんでいるわけではないが、それでも存在感がない。これなら外敵に見つかりにくい。自然界の知恵とはみごとなものだ。昨夜は気になって二度も見に行った。うちの子という感覚がある。羽化して飛び立つまではお父さんが守ってやる。/あのL&Gという詐欺集団の会社名は、レディース&ジェントルメンからとったという。ふざけるなと言いたいが、案外この有名な呼びかけのフレーズ、香具師的な代表者にお似合いだ。怪芸人・小島の「おっぱっぴー」って、「おーしゃんぱしふくぴー(オーシャンパシフィックピース)」だよとうちの園児が教えてくれた。今月二歳児は「かんけいない」と言う。お笑い番組で短縮語を正しく言うクイズをやっているが、わからないのがいくつもある(どうでもいい物件だけど)。ときどき時事通信社の「用字用語ブック」の漢字略語集、ローマ字略語集、科学・医学・ハイテク略語などをながめて頭脳の老化を防止している。というか、このごろクイズに答える瞬発力が著しく劣化して、わかっていながらすぐに言葉で出ないのがくやしいからトレーニングしているのだ。いいかげんに知っていることを正しい用語で表現することが大事だ。受験勉強しているような味気ない部分もあるが、ムダな知識を得るのは楽しい。安保条約を正しくは「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」という。これくらいは覚えられるが、「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律」(男女雇用機会均等法)などとなるといらいらしてくる。ところで、「はんたいのさんせい」「さんせいのはんたい」はバカボンのパパだが、「はんたいだからはんたい」としか言わない思考停止の人たちには困ったもんだ。(柴田)

・K-1 MAX。準決勝まで見た(続きは次の食事時に見る)。面白い〜! PRIDEはもうないし、HERO'Sはあんまり好きじゃないし、K-1ヘビーはちとマンネリ気味。地上波でやる格闘技イベントだとK-1 MAXが一番面白いと思う。ヘビーだと技をねじ伏せてしまえる体重差なんてのがあるけど、軽中量級だと技メインになるし、スピード感があって。テレビ番組の作りやCGはK-1ヘビーの方が好き。/PRIDE運営事務所、突然の解散。PRIDEのオープニングアニメや「男の中の男たち、出てこいや!」も見られなくなるし、六三四の高梨康治作曲のあのテーマソングも聞けなくなるのね。音楽を聞くだけでわくわくしたのに〜。音楽(♪ダンダンダダン、ダンダンタダン)を聞くと、選手入場の光景が見えたり、巻き舌の女性(レニー・ハート)コールや声援までも聞こえてくるような気になるのは不思議。ね、聞こえるよね? 生観戦した時は鳥肌たったよ〜。/プロレス&格闘技フリーペーパー「ビバ!ファイト」創刊。どこで配ってるの〜?(hammer.mule)
< http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/headlines/20071004-00000026-spnavi-fight.html
>
PRIDE解散
< http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/headlines/20071004-00000031-spnavi-fight.html
>
今後は
< http://www.nicovideo.jp/watch/sm181044
> これももう見られなくなるのね
< http://jp.youtube.com/watch?v=CivfSCufOaY
> この曲
< http://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=14073504
> 青二所属だったとは!
< http://eshop03.eplus2.jp/article/57906624.html
>  ビバ!ファイト