Otaku ワールドへようこそ![59]ヒゲのカメコとボインの河童と
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このメルマガもだんだんと年寄りが病気自慢をする場になりつつあるようだから(なってない、なってない)、私も一席ぶつとしましょう。だけど、それだけでまるまる一回分書いてはナニがアレするので、連休に遠野に行った話と将棋を指した話を入れて、小ネタ3本立てで行きましょうか。


●私、お人形さんになるの

目の手術を受けることにした。左目の水晶体が白濁して、まるで使い物にならなくなったので、人工のものに差し替える。白内障である。

まだそんなのに罹る歳ではないはずなのだが、今年の初めごろだったか、ある朝起きてみると左目の中に真っ黒いオタマジャクシみたいなのが棲んでいて、向く方向についてにょろりんぐるりんと動く。なんだこれはと思っていると、二〜三か月の間にみるみる視界が白くぼやけ、すりガラスを通してものを見るような感じになった。

七月ごろ近所の眼科に行ったら、白内障だという。いったん白くなると元に戻す方法はなく、もしもっと早くに行っていたらどうにかなっていたというものでもないらしい。手術する気になったらまた来て下さいと言われ、薬が出るわけでもなく。

五月に中華庭園「燕趙園」でコスプレイベントがあったとき、鳥取空港から乗ったバスを降りるときにステップを踏み違えて道に転がり落ちて、右の膝小僧をしたたかに打ち、ジーンズの膝のところが破れた。その一週間後、東京近郊のバラ園で撮っているとき、レイヤーさんに指示を出そうと駆け寄ろうとしてすべってこけ、治りきらない同じところをまたしたたかに。うぎゃーーーっ!また同じところが破れた。

誰かの恨みでも買っているんじゃなかろうか。あいつかな、いやいや、あいつかな、とけっこう気を揉んだ。だけど、これも後から考えるとこいつのせいだったようだ。距離感がつかめないのである。人混みも苦手。人と人の間をすり抜けようとするとき、どっちの人が手前にいるのか奥にいるのか、瞬時には分からない。これでよく夏コミを乗り切ったと思うが、このときはもう分かっていたので、用心していた。

九月になると、右目もぼやけてきた。新聞や文庫本の小さな文字がまるで読めない。これはいよいよいかんと思い、9月22日(土)に再び眼科へ。なんと、右目は老眼が進んで眼鏡が合わなくなっただけで、外したらちゃんと読めた。だけど、左目は矯正視力0.1とほぼ何も見えていないに等しく、そろそろ頃合いかと覚悟を固め、手術を受けられる病院への紹介状を書いてもらった。

目って、手術を受けたくない部位のナンバーワンではなかろうか。いやまあ他もいやだけど。思うだけで油汗が出る。水晶体を人工のものに差し替える。水晶体はレンズの役割で、横から筋肉で引っ張って厚みをコントロールすることでピントが合わせられる仕組みだが、術後はピントが固定される。

まずは目から人形になり始めた。いつか関節が球体になったりして。

●ヒゲのカメコ、遠野でボインの河童と出会う

医者から帰って旅行の身支度を整え、カメラを引っ提げて出かける。遠野へ。六月に、美登利さんと八裕沙さんの作った人形を古い日本家屋で撮らせてもらう機会があったが、今度は八裕さんの作った赤い河童を撮らせてもらえる話になった。赤い河童といえば遠野である。柳田國男の「遠野物語」に出てくる。まずは、いい撮影ポイントを求めてロケハンに。

三連休の初日の宿を、当日探しても空いてないわな。遠野はあきらめて、花巻に宿を予約。14:56 東京発の東北新幹線で新花巻まで行って銀河ドリームライン(JR釜石線)に乗り換え、17:58 花巻着。花巻と言えば温泉だけど、花巻温泉というのは駅からバスで20分ほどのところにあり、花巻駅前は特にどうということのない田舎町。五分ほど歩いて旅館へ。下駄箱には運動靴がぎっしり。バスケットの試合で来ている学生の団体なんだそうで。散歩に出ると、すでに人通りが少なく、深夜かと錯覚する。

翌朝、6:49 花巻発の銀河ドリームラインで遠野へ。盛岡発の直通列車で四両編成のディーゼルカー。けっこう人が乗っている。みんな早起きだ。これを逃すと次は二時間後。山腹を走る軌道は猿ヶ石川に沿って遡り、いい景色。

7:52 遠野着。観光案内所はすでに開いていて、カッパ淵に行くバスの時刻を聞くと、8:01発だという。すぐだ。考える間もなく乗ったはいいけど、さてどこをどう回ったもんか。運転手さんと相談し、コース選定。バスの便は一日に四往復しかない。それほど選択の幅があるわけでもなく、あっさり決定。カッパ淵と水車小屋。それだけ。

前方に山が見えるので、早池峰(はやちね)かと聞くと、早池峰はその右の奥で、雲に隠れて見えないという。ならば石神山に違いない。さらに右手にあるはずの六角牛(ろっこうし)とともに、三人の女神が領するとされている。遠野市のホームページには熊出没情報マップが掲げられ、駅の近くなど、ありえんところに印がついていたのを思い出す。「熊、出るんですか?」と聞けば、「う〜〜〜〜〜〜ん、出ますねぇ」。何ですか、その長いう〜んは? 本当のことを言おうか言うまいか迷ってたとか? う〜ん。

伝承園前でバスを降りると、草葺屋根のバス停。土壁には相合傘の落書き。次のバスまで4時間25分。駐車場脇に「カッパの直売所」がある。商品は雨合羽とか? 野菜などを売ってる店だった。木彫りの河童も置いてある。巨乳の河童に一目惚れ。これで思い出すのは小島功の漫画「ヒゲとボイン」である。黄桜のCMの河童、ね。黄桜の河童は清水崑のが元祖らしいけど。よし、今日はこのコとデートと決め込もう。

カッパ淵を目指して歩くとお寺がある。曹洞宗常堅寺。狛犬が狛河童だったりする。撮っていると、お坊さんが出てきて、10時から鹿(しし)踊りがあると教えてくれた。鹿踊りの一団がこの時期を一年の区切りとしていて、踊り納めをこの寺でやると決めているのだそうで。境内にはまだ誰もいなくて、これから何か始まるという空気がまるでない。

ほどなく踊りの一団が入ってきた。20人ほどで、ほとんどが子供。美しく着飾っている。ヒゲが珍しいとみえて、取り囲まれて触られまくる。その中の一番小さい丸顔の女の子、「何しに来た」「仕事してるのか?」「今にツルッ禿げになるぞ」と口の減らないやつだ。い〜〜〜っ、だ。

手荒に遊ぶ。これ、カクラサマの精神か。カクラサマは外で雨ざらしになっていたとされる木像。神と言っても何のご利益があるわけでもなく、信仰する者はいない。村の子どもたちが、川に投げ入れたり、道の上を引きずったりとおもちゃにするので、目鼻もよく見わけがつかなくなっている。それを叱る大人がいると、その人のほうがかえって足が動かなくなったり高熱を出したりと祟られる。拝んでもらうとお告げにカクラサマが出てきて「せっかく子供たちと楽しく遊んでいたのをじゃました罰だ」と言うので、詫びると元の体になおったという。

鹿踊り。てんつくてんつくてんてんてん...。

終わればみな去り、また元の静寂。お寺の裏手がカッパ淵。馬曳きの子が目を離した隙に河童が馬を淵に引きずり込もうとしたけど、馬のほうが力が強くて、河童をひきずったまま厩に帰ってきてしまう。河童は飼葉桶を伏せて中に隠れているが、村人に見つかってしまう。普段から悪さばかりするので、殺してしまおうかと言うのを、河童があまりに平身低頭謝るので、もう悪さをしないと約束させて逃がしてやる、という話が伝わる。

流れの両側を往復できるよう、散策路がついているが、短く、10分くらいで一回りできてしまう。ボインちゃんに出てきてもらい、ひたすら撮る撮る撮る。目が悪いと不便だが、案外何とかなるものだ。オートフォーカスは20世紀最大の発明と言ってよいのではなかろうか。

岸からしゃがんで流れを見ていたおばさんが、河童に引きずり込まれて水に落ちた。いや、河童の姿は見えなかったけど。豪快に腹からばっしゃーんと。ま、膝下ぐらいの浅い流れなんで、溺れたりするようなところではなく、自力で上がってきたけど。

時間は余らず、急いでバス停に戻る。昼メシ、食い損なったー。山口でバスを降りれば、畑の中の分岐路。何もない。腹減った〜。帰りのバスは三時間半後の16:43だ。畑に実ってるとうもろこしとか、墓に供えてあるまんじゅうとか、よほど食ってやろうかと思ったが、妙な妖怪変化につきまとわれても困る、と思いとどまった。とうもろこし畑には電気牧柵が施してあるし。熊よけらしいけど。

山口の水車小屋へ。大きな水車がごとんごとんと重い音を立てながら回っている。のどかな風景だけど、思い描いていたのとはちょっと違うかな〜。鬱蒼とした深い森にちょろちょろ流れる小川という絵を期待していたのだが、ここは広々とした野っ原。そうだ、山のほうへ行ってみよう。遠野の地形は面白い。ここまでは野原、ここからが山、とくっきり境界線ができている。

両側の山が迫ってきて渓谷へと閉ざされるところに最後の民家があり、その先の道は舗装道路から、轍のくっきりついた草ぼうぼうの山道に変わる。沢沿いにうねうね曲がって、先が分からない。熊よけに口笛で「森のくまさん」。沢には小川がいくつも注ぎ込み、緑が濃くて、いい感じ。こういうところなら、何が棲んでいてもおかしくない。もし立派な家があり、つい今しがたまで人がいた様子なのに誰も見当たらないとなると、それは「迷い家」(マヨヒガ)だ。しかし、そういうものには出くわさず。

山口のバス停に戻るとまだ一時間ほどあるので、デンデラ野へ。デンデラ〜っとした野原だ。もとは「蓮台野」と書いたらしい。昔、六十歳をこえた老人の捨て場所だったところだ。日中は里へ降りて、農作業を手伝ったりしてわずかな食料をもらって食いつないでいたという。里を見下ろす景色はよいが、野原はなんだか寒々として陰気だ。奥は、平らな野原がいきなり針葉樹林の急斜面に突き当たる。

帰りのバスは空っぽで来た。ずっと乗客は私一人だった。運転手さんと雑談。遠野駅に着いて、ようやくメシにありつける。駅前の喫茶店で山菜ピラフ。がつがつ食う。18:10 遠野発の列車で新花巻へ。23:00 東京着。遠野物語を読んでから行くと、遠野はたまらなくいい。何度でも行きたくなる。

●ボイン争奪、将棋大会

翌日、9月24日(月)は、そのボインちゃんを賞品に将棋大会。大会といっても三人だけど。雨続君と私で風間加勢氏のところへおじゃまする。高校時代、ここで私塾を営む風間氏から私は数学を教わっている。雨続君は会社の同僚で、この間、達人戦の決勝戦を三人で見に行った。

さすがは塾の先生、プリントを用意して待っていた。棋譜用紙である。対局者の名前まで印刷されているという周到さ。棋譜を取られながら指すのは私も雨続君も初めてである。こんなものが心理的にある種の作用を及ぼし、指し手にも影響を与えたと後で考えると馬鹿馬鹿しくて悔やまれるが、指してるときはけっこうなプレッシャーに感じられた。

もしも大ポカをやらかしてあっけなく負けたりして、それが後々まで残ったのではかなわない。そう思うので、慎重を期して指すのはよいのだが、派手にチャンチャンバラバラやるのが恐くて、ついつい穏便に穏便にと収めてしまい、それはそれでみっともない棋譜を残す結果になってしまった。

雨続君の「ごきげんよう中飛車」には何とか勝てた。うーん、確かに王様の前に振った飛車がちょいと斜めに置かれてたりすると、お嬢様学校の制服のタイが曲がっているように見えなくもないが、将棋と「マリみて」が両方分かる人が全国に一体何人いるというのだ?

以前は四段として指していたという先生が、ついこの間将棋会館で一級の認定をもらってきた雨続君に飛車落ちで勝ち、自称初段の私に角落ちで勝ち、優勝。優勝河童を手にした。

観戦記では芹澤博文九段の書いたのがダントツに面白いというので、それが収録されている「王より飛車が好き」をお借りしてきて読んだ。ううむ、これは観戦記の域を超えている。情景描写、人物描写、指し手の解説の面白さは真似しようとしてできるものではない。それは、芹澤自身がどういう姿勢で生きてきたかが凝縮されているから。

あとがきに、こうある。「三度も死にそこなった。今、我が命、おまけである。おまけと思うと、大事に生きたくなる。長く生きるということでなく、その与えられた時間を、どのことにしても一所懸命生きようということである。遊びにしても一所懸命遊ぼうと思う。……ここに収めたものは、この思いで書き連ねたものである」。こういうのは後世に読み継がれてほしいと思う。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。定期入れがぼろぼろに傷んでいる。定期券は三方のどっからでも、あるいは上からでも引き抜けるし、カード入れの側面はばっくり開いている。改札を通った後、ポケットにしまおうとして中身をぶちまけたことが三度。メイド喫茶のスタンプカードなど、どばっと。同じようなのを買おうと思うのだが、売ってない。スイカ入れになっちゃったのか。
八裕沙さんの人形のページ < http://yahiro.genin.jp/
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遠野の写真
< http://www.geocities.jp/layerphotos/Kappa070923/Kappa070923.html
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