わが逃走[7]思い込んだらの巻/齋藤 浩

投稿:  著者:  読了時間:9分(本文:約4,300文字)


巨人の星の主題歌「思い込んだら試練の道を〜」を重いコンダラ(コンダラって何?)と勘違いしていた、という話はよく聞きますが、私もその方同様、どうも言葉を変な意味に変換してしまう癖があるようです。

Scawaii ! (エス カワイイ) 2007年 11月号 [雑誌]最近の例を挙げると、『Scawaii!』という雑誌があります。ちなみにエスカワイイと読みます。意外なことに主婦の友社刊。この雑誌名を最初に音で聞いてしまった私は『エスカはイイ!』という雑誌なんだと思い込んでしまったのです。

BUS magazine Vol.25―バス好きのためのバス総合情報誌 (25) (別冊ベストカー)エスカはイイ。エスカレーターマニアのための専門誌。『鉄道ジャーナル』や『航空ファン』など乗り物系マニア雑誌は多数存在しています。最近私はバス好きのための『バスマガジン』なる雑誌の存在を知り、時代はここまできたのかと衝撃を受けたのですが、ついにエスカレーター!!


あれって乗り物といえば乗り物だけど、どこが面白いんでしょう。きっと巻頭カラーは江ノ島エスカー撮り下ろしグラビア。特集は中央デパート閉店に伴い、最後の三菱71式エスカレーター廃止。さよなら運転当日は全国からエスカレーターファンが押し寄せ、別れを惜しみました。なんて記事があるに違いない。

きっと読者のコーナーには「ぼくはエスカレーターの振動音が大好きです。あなたの街の日立製エスカレーターの音とぼくが録音したオーチス社の音を交換しませんか」とかいう投書が載ってるのだ。すげー世の中だな。世も末だね。などと思っていたら、ぜんぜん違った訳ですよ。参った。

この『思い込み』のことを“癖”と表現したところ、それは癖ではない、性(さが)であると、極親しい間柄の年上の女性Aさん(年齢非公開)から言われてしまいました。それって褒め言葉?

そんな訳で、今回はそんな性(さが)にまつわる思い出話でもいたしましょう。

【その1:聴覚系思い込み・マツムシ】

10月に入ってようやく涼しくなってきました。夜、窓を開けて仕事をしていると、虫の声が秋らしさを高めてくれます。

さて虫の声といえば、文部省唱歌『虫の声』が思い出されます。誰もが知っている「あれまつむしが ないている チンチロチンチロチンチロリン…」という曲。

私は出だしの「あれまつむしが」の部分の意味を取り違えていたのです。本当は、あれ??マツムシが鳴いている(つまり“あれ”が感嘆詞)が正解のところ、私は「アレマツムシが鳴いている」と捉えていたのです。マツムシもクワガタムシと同様さまざまな種類が存在していて、オオクワガタ、ミヤマクワガタのように、ノコギリマツムシとか、アレマツムシという品種が存在すると思ってしまったのです。

「コレはね、アレマツムシといって、ちょっと粗い感じのマツムシなのさ」とか知ったかぶりしないで本当に良かったと思います。「じゃ、粗い感じってどういう感じなんだよ!」とか言われたら、「ほら、触覚のあたりが普通のマツムシと比べてちょっと粗くない? わかんないかなあ」とさらに深みにはまっていったことでしょう。

余談ではありますが、この曲にはもっとメジャーな思い込みが存在します。最後のフレーズ「ああおもしろい、むしのこえ」を「青も白い、虫の声」と勘違いしていたというもの。私の従姉も小学生当時そう思い込んでいたらしく、青いものが白くなってしまう程感動的な、とかいった意味だと思い込んでいたそうです。オトナはよく“もののたとえ”を使うので、きっとこれもその一種だと納得してしまったのですね。まあ、よくあることです。

【その2:聴覚系思い込み・チコロ】

チコロ。皆さん、この言葉をご存知でしょうか。チコロには良いものと悪いものが存在するようです。いいチコロ、わるいチコロ。チコロがいい、チコロが悪い。

私もしばらくの間この意味が全く分からなかったのですが、普段あまり使う言葉ではなかったので、特に調べずに20歳を迎えてしまったのです。

そんなある日。そう、あれは11月も半ばを過ぎた頃だったと記憶しています。学生の私はムサビの1号館を背に、自転車置場に向かって歩いていました。と、何の前触れもなく、突然その曲が脳裏をよぎったのです。

「セクシ〜、あなたはセクシ〜、私はいいチコロでダウンよ、もうあなたにあなたに溺れる〜」

私はハッと気づきました。それは「いいチコロ」でなく「イチコロ」なのだと。

なぜいきなり謎が解けたのかは今をもって謎ですが、その時、巨大な壁が崩れ落ちて、そこから光が差してくるような、長い長いトンネルから突然抜け出たような感動があったことは今もはっきりと覚えています。折しもベルリンの壁崩壊の年。私の中の永遠の謎であったピンクレディ『渚のシンドバッド』が、その時崩れた壁の向こうから完全な姿を現したのでした。

以上、聴覚系思い込み二編をお送りしました。多かれ少なかれ、誰にでもこういったことはあると思います。私の周りでも、いまだに『仰げば尊し』の「いまーこそーわかーれめー」を「分かれ目」だと思い込んでる人がけっこういます(正解は係り結び)。

まあ、そういった訳で、よくあることなのです。なので、あまり気にしないようにしましょう。私も気にしません。

【その3:視覚系思い込み・ゴーシュ】

いわゆる読み間違い(?)とも違うのです。宮沢賢治の『セロひきのゴーシュ』、私はそれをずっと『ゼロひきのゴーシュ』だと思い込んでいたのです。ゴーシュが一匹もいないという話です。

別にゴーシュが何匹いようが俺には関係ないね。なんて思っていました。ゴーシュはたぶんバッタみたいな生き物。

なぜゼロひきなのに、セロひきという表記なのかを考えてみました。原稿は『ゼロひき』にもかかわらず、印刷段階で誤植があり、『セロひき』として定着してしまった。例えていうならトヨタの社名は当初トヨダだったのだが、社名ロゴのデザイナーに送られた情報にはトヨタとあったため、発表されたロゴマークに合わせて社名もトヨタにしてしまった、なんていうエピソードに似ています。

当時私は有名私立中学受験のための進学塾に嫌々通っており、試験に出るからという理由で宮沢賢治作品のタイトルを嫌々暗記していたのです。なので、こんなひねくれた思い込みをしてしまったのかもしれません。

後年、本当にセロひきだと知った時はショックでした。しかもセロがチェロのことだったとは!

やはり文学は強制されて読むものでもなければ、内容も知らずにタイトルだけ覚えるようなものでもありませんね。でも、そんなこと言ってるからお受験に挫折したとも言えましょう。人間、向き不向きってものがあるのです。

【その4:視覚系思い込み・南瓜の蔓】

小学4年生の時の話です。国語の教科書に原田直友さんの「かぼちゃのつるが」という詩が載っていました。有名な詩ですからから皆さんご存知かと思います。このような詩です。

  かぼちゃのつるが
  はい上がり
  はい上がり
  葉をひろげ
  葉をひろげ
  はい上がり
  葉をひろげ
  細い先は
  竹をしっかりにぎって
  屋根の上に
  はい上がり (以下略)

その日、担任の秋山先生が宿題を出しました。「明日の国語の時間は、この詩を読みます。なので、各自三回、朗読してくること。できればお父さん、お母さんに聞いてもらいましょう。」

私は夕食の後、母の前でこの詩の朗読をはじめたのです。
「かぼちゃのつるが、ハイ、あがり。ハイ、あがり。葉を広げ、葉を広げ、ハイ、あがり」

聞いていた母がツッコミを入れてきました。
「ちょっと何よ、その“ハイ、あがり”って」

私は「だって教科書にそう書いてあるんだもん」と答え、さらに続けました。
「ハイ、あがり。ハイ、あがり。」

「ハイ、あがりって…絶対おかしいから、ちょっとそれ貸しなさい」
母はそういうと私の教科書をとりあげ、読むや否や「あんた何言ってんの。これ、“這い上がり”じゃないの」

母のひと言はまさに「!」といった感じで、目からウロコが落ちるとはこういうことなんだと気づかされた瞬間でもありました。

しかし、その詩の意味するものが私のイメージしていたものと比べるとあまりにも当たり前の内容だったので、なんか拍子抜けしてしまったのです。さて、私の解釈はというと。

“かぼちゃのつる”が寿司職人をめざすストーリーだと捉えていたのです。植物なのにえらいなあ。病気のお母さんのお薬代を稼ぐために、寿司屋に住み込みで働いているのかな。

カウンターからお客さんに「ハイ、あがり。」「ハイ、あがり。」とお茶を出し、毎日努力を重ねた結果、竹をにぎれるまでになった。松をにぎれるようになるまでがんばれよ! と思い込んでしまったのですね。

それが“這い上がり”だってさ。そのまんま植物の描写をしているだけじゃないか。面白くもなんともねーや。

夜、布団に入っても私の中で寿司をにぎる擬人化されたかぼちゃのつると、いわゆる植物のかぼちゃのつるがぐるぐる回っていました。

(どっちが好きかといえば、絶対寿司職人の方だ。たとえ間違っていたにせよ、この俺が寿司職人と解釈したんだから、他にもそう思った奴が絶対いるはずだ。それにしても、「ハイ、あがり」と思い込んだまま明日授業でクラス全員の前で読んでいたら……大恥をかくところだったなあ。あぶねえあぶねえ。やっぱ、宿題はちゃんとやっとくもんだねー。)

翌日、学校に着いた私は、はやく国語の時間が来ないか楽しみでした。もし、自分以外の誰かが朗読することになったら、絶対「ハイ、あがり。」と読むに違いないと確信していたのです。そうしたらすかさず「バッカでぇ〜。“這い上がり”だぜー」と、はやしたててやろうと待ち構えていたのです。

国語の授業が始まりました。ヨコヤマくんが指名され、朗読がはじまりました。するとどうでしょう! ヨコヤマくんは普通に「かぼちゃのつるが、這い上がり、這い上がり…」と読んでいるではありませんか!

周りを見回しても、「ハイ、あがり。」と思い込んでいた人は誰もいないようでした。誰もが顔色ひとつ変えず、教科書を目で追っているのです。ショックでした。思い込んでいたのは、私だけだったのです。

おしまい。

書いていて思い出したけど、その昔、伝説の月刊誌『ビックリハウス』で流行語にしたい言葉を募集するコーナーがあって、思い込むことを『オモコする』と表現することが公式認定されていました。今さら流行ったら素敵だなあ、オモコ。

[さいとう・ひろし]saito@tongpoographics.jp
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。
< http://www.c-channel.com/c00563/ >