うちゅうじん通信[8]思春期、女神のステンドグラスの思い出
── 高橋里季 ──

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柴田編集長は、私の事を「まったく、うちゅうじんなキャラなんだからな〜」と誤解しているようですが、(だから、いろんなミスも大目に見てくれるんだけれど、たぶん)私、自分では、超まじめな優等生キャラのまま、大人になっただけですの。と思ってます。

イラストレーター高橋里季の思春期、まだデザイン学校に入学する前、「死ぬか生きるか、決めなくては。」と私は覚悟していました。それくらい人生という事が、重いと思っていたのね。

アフリカで二秒にひとりの産まれたての赤ん坊が餓死するというニュースに泣き、自分が生きて行くのにどれくらい動物を食べるのかを思うと恐くなり、それでも生きて行く意味があるのか、真剣に考えていました。


楽しい事はいっぱいあったけど、楽しむために生きる気にはなれませんでした。人間であるという事だけで、悲しくて悲しくて、覚悟を決める為に私は「神様は、どんな目をして私を見ている?」と考えて、ステンドグラスを作ってみる事にしました。

なぜだか、それを作れば、私にはちゃんと神様の顔がわかるのだと思いました。優しい目をしているだろうか? 微笑んでいるだろうか? それとも冷たい目で見下しているのだろうか?

確か東急ハンズでステンドグラス用の画材を買って、ひとりでガラスを運ぶのは無理だと思って、アクリル板を買った。アクリル板に、硬化するとガラスインクの堤防のような役割をするフチを、樹脂で型取っていく方法でした。

一畳ほどの大きさで、女性の上半身を、どんどん黙々と怒って作っていきました。素敵なステンドグラスが作りたいのではなくて、神様の顔がわかりさえすればよかった。髪型や顔の輪郭は、私に少し似ていました。どうでもよかったんだと思います。私ね、モナリザの事、少し分るような気がする。

そして目に最後の着色料を入れ、それは、瑠璃色のガラスインクでした。それが乾いて、完成して、それを見て思いました。「神様は私の事なんか、見ていない。」

「私がどんなに動物を食べても、アフリカでどんなに赤ん坊が死んでも、神様には、見えないんだ。だって、人の目とは違うんだもの。」その作品を眺めて、一日泣いていました。

神様は確かにそこに居て、私にはそれが分るのに、神様には、私が見えない。だから、神様に怒っても、どうにもならないんだ。神様は私を知らないんだなと思って、少し、気分が自由になったけど、孤独っていう事が分った気がしました。



「自由で孤独」


それから、ピカソに遭遇するまで、どれくらいの期間だったか、、、ただ、あの頃、高島屋のピカソ展がなかったら、私は、クリエイティブの意味を失ったまま、途方に暮れていたんじゃないかな〜? ピカソは、その頃の私より、ずっと自由で、圧倒的に孤独で、それでも描いていて、優しい視点を保ったまま絶望しているような感じ。愛っていう事が分った気がした、、、今になって言葉にすれば。空気にさえタマシイが在ると、ピカソは、確かに私に教えたと思います。

私は、なんでもすぐ忘れてしまうので、ピカソの名前だけは忘れないように、それから毎晩ピカソにお祈りをして寝る事にしたのでした。今、振り返ってみると、本気で思いつめていたわりに、やっていた事は訳わかんない。現在の私も、あんまり変わってない気もするな〜。

【たかはし・りき】イラストレーター。 riki@tc4.so-net.ne.jp
・高橋里季ホームページ
< http://www007.upp.so-net.ne.jp/RIKI/
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