映画と夜と音楽と…[350]「待つ女」と「追う女」
── 十河 進 ──

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●十二歳の少年の心に刻まれた人生の苦さ

──あすは檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも永久に檜にはなれないんだって! それであすなろうというのよ。

雪の中で心中している姉のように慕っていた少女の遺体を見つめて、少年は彼女の言葉を甦らせる。そして、「この二人の死を超えて行かねばならない。己れに克って人生を歩んで行かなければならない」と少年は誓う。

その小説を、僕は十二歳のときに読んだ。六つのエピソードで構成された連作長篇の最初の物語は「深い深い雪の中で」と名付けられており、主人公は十三歳の少年だった。後に、それは作者の自伝的な小説なのだと知ったが、自分とほとんど変わらない歳の少年の思いが強く伝わってきたのを憶えている。

物語は鮎太という主人公の十三歳から始まる。第二話は中学三年生、第三話は大学生、第四話は夢を抱いて新聞記者になった頃、第五話は新聞記者として経験を重ねた頃、第六話では結婚し子供も生まれている。しかし「あすは檜になろう」と思っていた少年が、結局、檜にはなれなかったことを苦く噛みしめて終わる小説である。


あすなろ物語 (新潮文庫)それが井上靖の「あすなろ物語」だった。エピソードが進むに連れて、少年時代に輝くように抱いていた「あすはなろう」という主人公の思いが、次第に現実の前にしぼんでいく。ちょうど戦争にぶつかる時期でもあるのだけれど、そのことが、幼い僕に人生の苦みを教えた。

「あすなろ物語」は黒澤明が脚本を書き、堀川弘通の監督デビュー作として1955年(昭和三十年)に映画化されている。堀川弘通は黒澤明監督の「七人の侍」などに助監督としてついていたので、監督デビューを祝って黒澤自らが脚本を仕上げたのだろう。

「あすなろ物語」は僕に人生の苦さを教えたけれど、井上靖という小説家の名はしっかりと刻み込まれ、その後、僕は多くの井上靖作品を読んできた。晩年の一時期、井上靖は毎年のようにノーベル文学賞の候補にあがっていると囁かれたが、結局、受賞せずに亡くなった。

風林火山その井上靖の本を書店で探すのがむずかしくなったなあと思っていた頃、NHKが「風林火山」を大河ドラマに取り上げたことで、少しは復刊されているようだ。かつて、井上靖が週刊誌の連載を何本も持つ流行作家だったことなど、今や誰も知らないかもしれない。

風林火山 (前編) (NHK大河ドラマ・ストーリー)それにしても、始まった頃(原作にはないオリジナルの部分だった)に僕はほんの数分しか見ていないのだが、NHKの「風林火山」で山本勘助を演じている内野聖陽はミスキャストのように思える。内野聖陽は、舞台「野望と夏草」で演じた平清盛役が印象深く、力のあるいい役者だと思うけれど、山本勘助のイメージではない。

山本勘助は醜く、すがめで、片足を引きずる小男だと原作にある。歳は五十近い。武田信玄の軍師になり、諏訪家の由布姫に惹かれ、信玄と由布姫を愛す。結局のところ「風林火山」は、勘助と信玄と由布姫の愛を巡る三角関係の物語なのだ。だからこそ、勘助は徹底的に醜い外面を作者によって与えられた。

●勘助だって複雑な思いを抱いて生きていた

風林火山映画「風林火山」が公開されたのは1969年3月のことだ。三船プロが社運をかけて制作した大作だった。俳優が自分でプロダクションを作るというスタープロのはしりの頃で、三船敏郎も苦労をしたという。スター同士の連帯感か、信玄は中村錦之助、友情出演で石原プロを率いる石原裕次郎が上杉謙信役で出た。

その年、僕は高校三年生になるのだが、すでに井上靖の多くの作品を読んでいた。特に戦国ものは大好きで「風林火山」「戦国無頼」「風と雲と砦」「天目山の雲」「真田軍記」「淀どの日記」などを読み尽くした。読めば読むほどわかるのだが、井上靖は滅びゆくものを惜しみ、哀切さを謳いあげる名手だった。

しかし、すでに時代劇の巨匠と呼ばれていた稲垣浩監督の「風林火山」は、三船敏郎の大芝居もあって、そういう細やかな情緒が感じられない大作になってしまった。世の人々は合戦シーンのスペクタクルを見たいのだという、制作側の高を括った姿勢が見える作品だった。由布姫を演じた佐久間良子もミスキャストだと思う。

「風林火山」では醜い勘助が美しく高貴な存在(由布姫)を愛し、息子のように思う信玄とは似合いだと思いながらも葛藤する、その特殊な三角関係こそが肝なのだ。そこに生まれる複雑な愛憎を描き切らないと、何も描いたことにはならない。

残念ながら、三船敏郎にそのような演技を要求する方が無理だった。誇り高い由布姫に罵られたとき、勘助のマゾヒズムに充ちた歓びを三船敏郎が表現できるはずもない。また、父を殺し諏訪家を滅ぼした信玄とその軍師である勘助を憎みながら、信玄の子を産む屈辱と喜びを佐久間良子は観客に伝えることができなかった。

無法松の一生稲垣浩監督は時代劇を主に作ってきたが、繊細な人間ドラマを演出できる人でもあった。太平洋戦争の最中に公開された坂東妻三郎主演の「無法松の一生」(1943年)が代表作である。その稲垣浩監督の「戦国無頼」(1952年)を僕は見たくてたまらないのだが、未だに見る機会がない。

「戦国無頼」は井上靖が芥川賞を受賞した翌年の昭和二十六年から翌年にかけて「サンデー毎日」に連載された小説で、その年には映画化されているから、よほど人気があったに違いない。井上靖は、売れっ子の流行作家だったのだ。その連載中に僕は生まれたことになる。そう、五十五年も前の小説だ。

燃えよ剣僕が「戦国無頼」を読んだのは十代半ばだった。今でも僕は「最も好きな小説は?」と問われれば、サリンジャー「フラニーとズーイー」、チャンドラー「長いお別れ」、フィッツジェラルド「グレート・ギャツビィ」、ケストナー「飛ぶ教室」、ブロンテ「嵐が丘」、安岡章太郎「海辺の光景」、古井由吉「哀原」、司馬遼太郎「新選組血風録」「燃えよ剣」などと思い浮かべた後、「戦国無頼」と答えるだろう。

●ふたりの典型的なヒロインの間で揺れ動く

「戦国無頼」は、小谷城の落城前夜から始まる。お市の方と三人の姫を織田信長の軍に渡した後、明日は最後の合戦だと城の男たちは覚悟する。その城から三人の男とひとりの女が生き延び、壮大な戦国ロマンが展開されるのだ。

死ぬなら死んでもいいと思っていたのに生き延びてしまったニヒリスト佐々疾風之介、武士らしく豪快に討ち死にしようと大暴れをしたのに醜い顔を珍重がられて捕虜になってしまった鏡弥平次、城と一緒に死ねるかと思っていた強烈な上昇志向を持つ立花十郎太である。

そして、疾風之介を慕う奥女中の加乃が、疾風之介との約束を信じて城から落ちる。「落ちるなら、この女を頼む」と疾風之介に言われた立花十郎太は、加乃を伴って逃げるのである。そして、加乃に惚れ、加乃のために他家に仕官し、立身出世をめざす。

傷つき野に倒れていた疾風之介を助けたのは、落ち武者狩りをしていた野武士の娘おりょうである。おりょうは疾風之介を助け、一度だけ抱かれると命懸けで惚れる。姿を消した疾風之介を「疾風」と叫びながらどこまでも追い続ける。加乃とおりょう、疾風之介を慕うふたりの女がこの小説のヒロインである。

疾風之介を追うおりょうと疑似親子のような関係になるのが、湖賊の親玉になっていた弥平次だ。弥平次はおりょうの心を捉えている疾風之介と再会したとき、とっさに殺してしまおうと考える。また、十郎太は加乃を疾風之介から奪おうと画策する。つまり「戦国無頼」は、三人の男とふたりの女が繰り広げる愛憎ドラマなのである。

未見なのでキャスティングからの推測なのだが、映画版で疾風之介を演じたのは三船敏郎、立花十郎太は三國連太郎、おりょうは山口淑子、加乃は宝塚女優だった浅茅しのぶのようだ。鏡弥平次を演じたのは、市川段四郎という人かもしれない。

おりょうという野生児のようなヒロインの印象が強烈で、現在ならストーカー扱いされるだろう。反対に、加乃は、当時の時代小説のヒロインの王道をいく「待つ女」である。武家に生まれ、慎みと高貴さを持ち、愛する男を待ち続ける薄幸薄命の美女である。

落城寸前の山城に疾風之介がいると聞き、「追う女」おりょうが石垣を登って会いにいく場面は凄まじい。執念という言葉が浮かぶ。疾風に対する執着・恋着は、異常である。古来、日本にはこういうタイプの代表として清姫とか、八百屋お七がいた。

僕は「戦国無頼」を読み返すたびに、どちらかのヒロインに感情移入する。最初、十代半ばで読んだときは加乃の純情さ・高貴さに惹かれた。黙って男を待っている秘やかさにも胸が騒いだ。加乃は「待つ女」だが、その心の中はたぎっていた。慕情が燃え上がっていたのだ。

長い年月を経て、四十代に読み返したとき、僕は自分がおりょうに強く惹かれているのを感じた。おりょうは、偶然、加乃に会ったとき、この女が疾風の心をつかんでいる女なのだと知って殺そうとする。嫉妬を自覚せず、本能の命じるままに生きている。愛する男を追い続け、その男の心が自分のものにならないのなら殺してもいいとさえ思う。

「戦国無頼」は不思議な余韻を残す。加乃は死に、負け戦ばかりの果てについに戦場で死にかけた疾風之介を見つけたおりょうが、「死にたいなら死なせてあげる」と言う。死に場所を求めてさまよっている疾風之介の虚無の心を、おりょうは理解していたのだ。

しかし、突然の啓示のように疾風之介は「生きたい」と思う。おりょうの「生きたいなら生きたらいいわ、疾風が生きるんなら、わたしも生きる!」という言葉があり、ふたりの未来を暗示して終わる。

井上靖の文章は品がいい。流行の言い方をすれば、文章に品格がある。加えて、登場人物たちにやさしい。自分が創り出した人物たちを、作者が愛していることが伝わってくる。その人物たちを、読者にも愛してもらいたいという作者の思いがある。最近の小説では味わえない爽やかさだ。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
ふーっ、とうとう350回。一回分4000字として、よく書いたものです。「よく続くね」と言われることもありますが、そんなときは「続けているんです」と答えたくなります。大人げないので、言いませんけど…(でも、ここで書いてるんだなあ。まったく…)

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
>

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映画がなければ生きていけない 1999‐2002
十河 進
水曜社 2006-12
おすすめ平均 star
star「ぼやき」という名の愛
star第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
starすばらしい本です。
starものすごい読み応え!!

映画がなければ生きていけない 2003‐2006 夜の来訪者 映画一日一本―DVDで楽しむ見逃し映画365 (朝日文庫) ロング・グッドバイ 「愛」という言葉を口にできなかった二人のために



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天使の爪 上 (1) (角川文庫 お 13-25)
大沢 在昌
角川書店 2007-07
角川文庫から発売になった大沢在昌さんの「天使の爪」上下巻に解説を書かせていただきました。四百字で11枚ほども書いたのに、もう少し書きたいことがあります。もっとも読者は、くどい解説は迷惑でしょう。「天使の牙」「天使の爪」と続くシリーズは、読み始めたらやめられないことは保証します。


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小説宝石 2007年 07月号 [雑誌]
光文社 2007-06-22
小説宝石」7月号に大沢在昌さんとの対談が載りました。「ハードボイルドがなければ生きていけない」というタイトルです。大沢さんの話の間に僕が「そうですね」と言っているだけのような対談ですが、大沢さんの映画やミステリへの愛がうかがえて面白いですよ。



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戦国無頼
井上 靖
角川書店 1958-08
おすすめ平均 star
starおもしろい!

by G-Tools , 2007/10/19