[2300] 言葉、言葉、言葉

投稿:  著者:  読了時間:19分(本文:約9,100文字)


<一度見ただけで生涯残るほどの強烈な体験>

■映画と夜と音楽と…[351]
 言葉、言葉、言葉
 十河 進

■うちゅうじん通信[9]
 うちゅう人の技法 -序
 高橋里季

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■映画と夜と音楽と…[351]
言葉、言葉、言葉

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20071026140300.html >
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●言葉で人格を破壊される体験ができる映画

藤原伊織さんの遺作「遊戯」を読んでいたら、フルメタル・ジャケット弾についての記述があった。「完全被甲弾」と呼ばれ、貫通性が高い弾丸と言われている。鉛を硬い金属で覆っている弾丸のことだ。人道上の理由から軍用の弾丸にはフルメタル・ジャケットが使われる。

不思議なもので、銃弾は人を殺傷する兵器であるのに、人道的であるかないかが問われるのだ。鉛の弾丸はやわらかいので、人に命中すると弾頭が変形し破壊力が増す。弾頭をさらに変形させ殺傷力を増やそうとするのが、弾頭に十字の刻みを入れるホローポイント弾である。

ホローポイント弾は人体に命中すると衝撃で弾頭がキノコのように変形し、その回転で内蔵をメチャクチャに破壊する。貫通した場合は、入った傷は小さくても、出ていった傷は巨大な穴が開くと言われている。もちろん僕も冒険小説の描写くらいでしか知らない。

スタンリー・キューブリック監督の「フルメタル・ジャケット」(1987年)を見て、僕はその言葉を知ったのだが、あの映画のタイトルは何を指しているのか不明なところもある。新兵を徹底的に訓練し、フルメタル・ジャケットの弾丸のような兵器に仕上げるという意味なのだろうか。

時代設定は1960年代の半ばである。なぜ、それがわかるかと言えば、ナンシー・シナトラのヒット曲(「にくい貴方」だったかな)が流れるからである。ベトナム戦争が激しくなった頃のことだ。北ベトナムへの爆撃が始まり、アメリカは泥沼化するベトナムに新兵を送り込み続けるしかなくなっていた。

「フルメタル・ジャケット」は、おそらく徴兵されたであろう若者たちが長髪をバリカンで刈られて刈り上げ頭になるカットから始まる。次に登場するのは、新兵の訓練担当官である鬼軍曹である。彼が一方的にしゃべり、新兵たちは直立不動で「サー・イエス・サー」と答えることしか許されない。

映画の前半は、新兵の訓練シーンが延々と続く。鬼軍曹の言葉の汚さは映画史に残る凄さである。卑語、罵詈雑言、ありとあらゆる下劣な言葉が飛び交う。人を徹底的に侮辱し、貶める。軍曹は名前が気に入らないと怒鳴り、デブ、チビといった肉体的欠陥をあげつらう。

その軍曹がスクリーンから正面に向かって怒鳴り続けるカットがある。見ている人間は、まるで自分が罵られている気になってくる。キューブリックは、こうした疑似体験を観客にさせるのが得意で、「2001年宇宙の旅」(1968年)の映像体験も強烈な印象を残している。

「フルメタル・ジャケット」の後半では、殺人マシーンに仕立て上げられた新兵たちは、いきなりベトナムの戦場に送り込まれる。彼らは通常の思考を停止させられ、人間兵器となっているのだ。非人間的にならなければ、戦場に出ることなどできない。

そのベトナムの戦場シーンの怖さは、どこから銃弾が飛んでくるかわからないことだった。仲間がいきなり撃たれて死んでいく。ここでも、キューブリックの描写は非凡だ。どこから銃撃されるかわからない不安を、スクリーンのこちら側にいて安全なはずの観客の心に掻き立てる。

●シェークスピアも「言葉、言葉、言葉」と嘆いた

「フルメタル・ジャケット」は、悪夢のような映画だった。それが僕の中に長く残る印象だ。一度見ただけで生涯残るほどの強烈な体験である。それは、ただただ鬼軍曹の罵詈雑言の凄さにまいったからだった。

言葉の暴力は、確かにある。言葉は人を殺す。精神を殺すのだ。洗脳し、殺人マシーンに仕立て上げるために、指導軍曹は罵り、怒鳴り、相手の自尊心を徹底的に破壊する。だが、その軍曹にデブと罵られ、しごかれた新兵は、遂に精神に変調をきたし、軍曹を撃ち殺して自殺する。

「たかが言葉、されど言葉」である。いじめの問題も同じだ。毎日毎日、教室で「おまえは臭い」と言い続けられたら、僕だって自殺したくなる。僕たちの日常生活では暴力は非日常だが、言葉の暴力は日常なのである。言葉によって人は傷つき、言葉で人を傷つける。

「言葉、言葉、言葉」とは、シェークスピアの「ハムレット」の中のセリフだが、まさに「言葉、言葉、言葉…、やれやれ」という感じである。ただ、人は他者からの言葉に敏感だが、自分の発する言葉には鈍感だ。そのくせ、人はコミュニケーションの手段に言葉以外の有効な方法を持たない。

そう、言葉はコミュニケーションの手段のはずだった。しかし、「フルメタル・ジャケット」の訓練担当軍曹と新兵たちの間には、コミュニケーションなどはない。支配し命令する者と従う者という一方的な関係だけだ。鬼軍曹は新兵たちを人間ではなくするために、卑語と罵詈雑言を浴びせかける。

しかし、僕たちの日常でも言葉はコミュニケーションになっているのだろうか。組織の中にいる人間なら多かれ少なかれ、一方的な言葉を浴びることを経験している。その組織的縛りが厳しいところもあるし、緩やかなところもあるだろうが、一方的に浴びせられる言葉はどこにでも存在しているのだと思う。

言葉は、言葉だけで存在しているのではない。それを発する人間がいる。その人間には様々に付帯するファクターがある。その人間がもうひとりの人間と会話する時、付帯するファクターはさらに複雑になる。ふたりの人物の関係がからんでくるからだ。親と子、教師と生徒、上司と部下、発注者と受注業者など、様々な関係が存在する。

言葉、言葉、言葉…、すべて言葉で処理しなければならないなんて、ちょっと無理があるのではないかと思えてくる。愛の告白の言葉が通じなくて「この胸を断ち割って見せたい」と、もどかしげに叫んだのもシェークスピア劇の登場人物だった気がするが、違っているかもしれない。

●敬意を持った言葉遣いを心がけたい

「ものは言いよう」という言葉がある。フルフレーズだと「ものは言いようで角が立つ」になる。しかし、この言葉は逆じゃないかと僕は思っている。「ものは言いようで丸くなる」が正しいのではないか。僕の個人的体験の範囲での統計だが、どちらかと言えば人は「角が立つ」物言いがベースになっているように思える。

もちろん、ものの言い方は個人差が大きくて、柔らかな物言いをする人は常にそうだし、あまり気遣いしない物言いをする人は大体において角が立つ言い方をする。僕は自分では前者だと思っていたのだが、「ソゴーさんの言い方は、きついよね」と言われて、最近、いたく反省した。

仕事では注意を勧告したり、小言を言ったりしなければならない立場になっている。誰だってイヤがられることは言いたくないけれど、組織には耳障りのよくないことを言う憎まれ役は必要だ。「トイレの電気はこまめに消せ」「サーバのデータを整理しろ」「無駄な残業はするな」などなど、まあ、自分でもうんざりすることはある。

そんなこと一々言わせるなよ、と思う。思うから、言葉にニュアンスが生まれる。皮肉っぽい言い方になる。それが「きつい言い方」になるのかもしれない。僕は甘ったれた覚悟のない言葉を聞くと、「甘ったれるな。てめぇの牙はてめぇで磨け」という反応をしてしまうので、よけいにそう受け取られることがあるのだろう。

僕はKさんという取締役総務部長の仕事を四年前に引き継いだ。それまで、Kさんがどんな仕事をしているのかほとんど知らなかった。Kさんが社員の目に見えるところでやっていたのは、電球を取り替えたり、玄関に飾ってある写真を取り替えたり、トイレが詰まったという訴えの処理をしたり、道具箱を下げてどこかを修理したりということだった。

そんな縁の下の力持ち的な仕事をしているKさんを、僕は敬意を込めて「取締役ビル管理人」と呼んでいた。これは揶揄的に聞こえるかもしれないが、Kさん本人にもそう言っていたし、僕の言葉のニュアンスを感じてKさんも笑ってくれていた。

しかし、実際にKさんの仕事を引き継ぐと、そんなことはほんの一部だったことがわかったし、ビル管理人的仕事にKさんが誇りを持っていたことも知った。引き継ぎの時にKさんは僕を社屋中引き回し、様々なことを説明しながら「経理はダメだったかもしれないけど、総務としては充分やった」と胸を張った。

切れた蛍光灯を取り替えたり、詰まったトイレを処理したりという仕事は誰かがやらなければならないのだ。取締役という肩書きがありながら、Kさんはそれを自分の仕事だと誇りを持ってやっていた。誰かがやらねばならないなら、自分であってもいいわけだ。そう思っていたに違いない。

幸い、僕もそういう庶務の仕事が苦にはならない。トイレの修理もするし、蛍光灯が切れていると言われれば取り替えにいく。Kさんもやっていたのだから…と思う。しかし、どんなに丁寧な言葉遣いでも「それは、あんたの仕事だろ」というニュアンスが伝わってくると(確かに僕の仕事だが)、やはり気持ちが乱れる。ムッとすることもある。

そんなことがいくつか重なって、先日、改めて思った。「人の気持ちを和らげる物言い」とは、「相手に敬意を持った言い方」なのだと。敬意を持った言い方とは、相手の自尊心を傷つけないことである。

「フルメタル・ジャケット」の鬼軍曹は、兵士にとって最も邪魔になる自尊心を破壊するために言葉を暴力として使った。命令に従順にし、死の恐怖をなくし、人を殺すことを無感覚にし、セックスしか考えない頭にする。それらにとっては、自尊心こそが最大の障害だ。

敬意を持って言葉を選ばなければならないな、と僕は自戒する。僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかった十代の頃に読んだ「偉大なギャツビィ」の書き出しが甦る。それを僕は自分の指針にしてきたはずなのに、いつの間にか相手の自尊心を考えない言い方をする人間になっていたのかもしれない。

──僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」(村上春樹・訳)

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
いかにも秋らしい十月下旬の日曜日。ゆっくり音楽を聴こうとしたら、オーディオセットが不調。相当使ったからなあとは思うが、(僕としては)かなり奮発した品物だ。今更、新しいCDプレーヤーを買うのもなあ。パソコンの新しいのを買う方がいいか、と迷っています。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1 >

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■うちゅうじん通信[9]
うちゅう人の技法 -序

高橋里季
< http://bn.dgcr.com/archives/20071026140200.html >
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今日は、おもに技法について書こうと思っていたら、資料集めまでしか書けなかった。

「デフォルメの仕方をどうしよう?」と考えて、私は女性の顔の資料をいっぱい集め始めました。広告写真のモデルの気にいった写真。

いつもだったら、資料集めはそこそこにして、描きたいポーズや顔の角度で自分自身のデジタル写真を三脚を使っていっぱい撮るの。なぜかと言えば、広告写真(フォトグラファーの作品)のモデルを見ながら描くのはイヤなの。絵って、安心してリラックスして描くことがとっても大事だと思う。

自分の写真データだったらパソコン上で試行錯誤ができる。写真Aの身体と写真Bの顔の向きを繋げると、画面の空きがカッコイイとかね。この作業の後に、クロッキーした方が早そうだったらクロッキーする。

資料の広告写真は、写真Aを撮るための資料 1、2、3、だったりする。髪の長さが服のデザインのジャマにならない身体のひねり方は1で、光の方向は2で、とか、風景写真の空の色具合が面白くてドレスの模様のアイデアになったり。

イラストで女性を描き始めた頃は、いろんなポーズの資料や作品データがあれば、自分だけのストックができて、だんだん作業時間が短くできると思っていたけど、この頃は作品が多すぎて、必要なデータを探すより、写真から撮りなおす方が早い。

こういうことを続けていると、似たようなポーズでも、ほんの少しの角度で、今っぽい感じが全然ちがうな〜とか、思う。顎のラインなどは、絵にすると、B1サイズのアップで7ミリ違ったら別人。だけど、今回は(一年前だけど)デフォルメの仕方を変える可能性があるから、髪型の描き方も服の描き方も、絵自体のタッチも全部、未定。

一回目の個展の時は、「曖昧さ」がひとつのテーマでした。それが時代(2〜3年)の旬な気分だと思ったのでした。資料集めは、そういう気分とかノリを確かめるためにも、自分がパッと見て、何を新しいと感じるか、集めた資料を見つめながら考える作業です。

< http://www.dgcr.com/kiji/riki/071026/glasses.jpg >

今回の絶望的なコンセプトのために、資料を集めはじめて、すごく「足りない」感じがしました。「曖昧さ」よりも、もう少し「強い感じ」を探していました。仕方がなくて、DVDで美しいと思う女優さんを探して、たくさん見て、そうしても、一瞬の表情しか美しいと思えない自分に気がついたの。

同じ女優さんの斜め右からのアップなのに、この表情はダメでこの表情はイイ。私が過敏になっているだけなのか、ダメな表情は描きたくないほどダメって感じる。

それで、DVDをコマ送りにして、イイ顔を探した。そしたら、ないの。コマとコマの間のブレた一枚を挟む三コマを見ると美しいと思うのに、一コマずつ確認すると、三枚ともダメ。だから、「自分が今、何をイイと思っているか」が把握できなかった。しかたないから、美しいと思う三コマをいっぱい探してみました。

「わかった、わかった、全部、瞳だけが、ブレて、大きく見えるんだ。」美しいと思う一瞬の場面は、驚くほど、不思議なほど、瞳以外はまったく動きがない。瞳ではなくて唇がブレそうな感じがするけど、唇はピクリとも動いていないのに、瞳だけが、ある特定の動きをしている場面ばかりを、私は選んでいたのでした。

もうひとつのパターンは、目もとに影がかかって、一瞬だけサングラスをかけて外したような効果。これは、ずっと前から気がついて、何回も描いてみていた。そんなことをしている時に、リロ&スティッチのスティッチを見て、「負けたわ〜」と完全ノックアウト、ハートを鷲づかみされて、ディズニー恐るべしなのだわ〜、、、とかやっていたわけです。私ったらホントに。

そう、テレビで、動く人を見て育った世代なの。私は。たぶん、親や友だちの顔をじっと見るよりも、映像を見て美的感覚が刺激される脳なのだ仮説。ありのままの自然より、メディアに切り取られた自然を美しいと感じる仮説。

こんなことは、ウォーホルだって気づいていたかもしれない。でも、彼の時代には、たくさんのDVDをコマ送りで簡単に見ることができなかったの。たぶん。瞳はブレて大きく見える。そして、手足がブレると細く見えるのだ。

広告写真の美人や、少女マンガやキャラクターで、私には、イイと思うグラフィックと、イヤだな〜と感じる視覚効果があるんだけど(クリエイティブとしてではなくて消費者的な好みで)もしかしたら、制作側の現実の捉え方が、私とは違うのかもしれません。

そして、私的20才の感動のピカソの、刻々と変わる視点は、構造的に私に現実、虚構、意識、表現などの捉え方を、明確に一瞬にして教えたのかもしれないな〜と、今にして思えばです。そして、分厚い思想書を一瞬にして伝えるほどの絵のチカラを私は今でも信じているのだわ。

【たかはし・りき】イラストレーター。 riki@tc4.so-net.ne.jp
・高橋里季ホームページ
< http://www007.upp.so-net.ne.jp/RIKI/ >

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■イベント案内
扇町クリエイティブ・クラスターフォーラム Vol.4
「日本語がビジネスになった! 挑戦を続けるIT企業の秘訣とは」
< http://www.mebic.com/forum/597.html >
< http://bn.dgcr.com/archives/20071026140100.html >
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ワープロソフト「一太郎」で日本を席巻した、ベンチャー企業のはしりとも言えるジャストシステム。マイクロソフトとの熾烈な戦いなど、創業から現在までの裏話や、日本語をビジネスモデルにした技術力・開発秘話を、長年「一太郎」の開発に携わってきた法人ビジネス部企画課主任の高田克久氏をお招きしてお話しいただきます。創業から28年経っても、チャレンジスピリットを持ち続けるベンチャー企業経営の秘訣とは? ご期待下さい。(主催者情報)

内容:「日本語がビジネスになった! 挑戦を続けるIT企業の秘訣」
高田克久(株式会社ジャストシステム法人ビジネス部企画課主任)

・ジャストシステムの歴史
「一太郎」命名秘話、マイクロソフト社との競争過程などなど、夫婦2人から
従業員約1,000人の会社に至るベンチャー企業としての成長の過程を振り返り
ます。

・文書校正システムのメカニズム(日本語変換の仕組み)とATOKの進化。

・データマイニングシステムからテキストマイニングシステムへ〜ここまで
来た日本語変換システム
最先端の姿をデモ機を通して実際に体験。

日時:11月2日(金)18:30〜21:30
会場:扇町インキュベーションプラザ2階(大阪市北区南扇町6-28 水道局扇町庁舎2F)< http://www.mebic.com/access/ >
参加費:無料(交流会1,000円 税込)
主催:扇町インキュベーションプラザ、株式会社ジャストシステム
共催:関西ネットワークシステムインキュベート研究会、関西デジタルコンテンツ事業協同組合
詳細・申込:サイト参照

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■編集後記(10/26)

・書店で「日本妖怪大百科」(講談社)というパートワークスタイルの本が、ひっそり発売されているのを発見。この類いの本なら、普通は新聞で大きめに広告を出すものだが、読売では見ていない。けしからんことに、パートワークの「第一号は特別価格」というお約束が守られておらず、税込み600円である。しかも第2号も同時発売だ。第1号は「河童と水辺の妖怪」、第2号は「鬼と里の妖怪」が特集だ。水木しげる、荒俣宏、湯本豪一、多田克己、村上健司ら妖怪業界ではおなじみの人が毎回出てくるようだ。河童では高橋克彦、鬼では小松和彦と常識的な布陣。寺田克也の妖怪イラストがすてきだ。内容もデザインもわりといい出来だ。昨日の夕方、講談社のサイトで検索しても出てこない。夜遅くなってようやくヒットした。そこでわかったことは、この妖怪本はパートワークではなく、「仮面ライダー」とか「ウルトラマン」などと一緒の「Kodansya Official File Magazine」という分類だ。じゃ、第一号特典はなくても仕方がないか。そして、今朝になったら、ちゃんと特集ページができていた。でも、そこには「全く新しいテーマのパートワークマガジン創刊!」とある。よくわからんが、もういい。月一回の刊行で全10巻らしい。それなら買いやすい。テーマもおもしろそうだ。食指が動く。でも、このごろモノをコレクションしようとか、揃えようとかいう意欲が希薄になり、書棚のスリム化に向かっているので、どうしようか迷う。しばらく迷い続ける。(柴田)
< http://shop.kodansha.jp/bc/magazines/yokai/ > 日本妖怪大百科

・DSでワンセグ。11/8予約開始。任天堂サイトからのみ受付。発売は11/20。ワンセグもあるからと新型PSPを買おうとしていた友人はとりやめ。PSPは自分で作った動画を持ち歩けるし〜と言ってみたが、それなら動画再生可能iPodとDSを持っている人には必要ないのか……。ネットはケータイにフルブラウザがあったりするし。ネットをしていない友人から、会社の人のもお願いと4台頼まれたのだが、業者と間違われないだろうか? 家族全員が買うっていう人もいるかもしれないしな。全DSで使えるのはいいね。PSPだと新型しか使えないことになっているから不満だわ。/録画はできなさそう。録画できるケータイワンセグの方が便利では? 長距離通勤の人はエンコードしなくても持ち歩ける〜。(hammer.mule)
< http://www.nintendo.co.jp/ds/unsj/index.html >  サイトのみ
< http://ameblo.jp/pspdensuke/entry-10048701632.html >  怖くて触れぬ
< http://www.jp.playstation.com/peripheral/psp/ >  PSP用