笑わない魚[234]悲劇の横綱川之山/永吉克之

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「ただいまの決まり手は殴り倒し〜殴り倒しで毒乃海の勝ち〜」

平幕同士の取り組みが終わり、間もなく三役クラスの取り組みが始まる。千秋楽、結びの一番は、とうの昔に盛りを過ぎて、平幕力士にコロッコロ負けて、金星狙いの格好の餌食になっている横綱、川之山が出場することになっていた。

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川之山のあまりの弱さにファンは去り、後援会までもが引退を迫るようになっていた。相撲のイメージダウンを心配する横綱審議委員会にも、何年も前から引退勧告を受けていた。

委員長も始めのうちは、「川之山関、退き際の潔さというものがあると思うんだが」なんて諭すように言っていたのが、後には、「おい、川、俺がおとなしく話をしてるうちに言うこと聞いといた方が身のためだぞ、あ?」と、脅しをかけてくるようになった。


それでも、生涯現役ですドスコイドスコイと言って引退しようとしないので、業を煮やした委員会は、少女買春、賭博などの疑惑をでっち上げたり、暴力団がらみの八百長に川之山が関わっているといった根も葉もない噂をリークして、あわよくば相撲界から追放しようと画策した。

しかし、それにもまったく動じず、スキャンダルに飢えたマスコミが群がってきても、相撲一筋ですドスコイドスコイと言うばかりで、頑として身を引かない川之山は、相撲界の汚点として、日本国民すべての嘲笑と憎悪の的になっていたのであった。

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川之山は、もとは「噴火山」というシコ名で、小兵ながらその名の通り大地をも揺るがすほどの爆発力をもった突き押し相撲で、数々の記録を塗り替えた歴史的力士だったのである。その突き押しの破壊力の凄まじさに、あるスポーツ紙は「噴火山が闘った後の土俵には草木も生えない」と表現したものだが、あまり気の利いた喩えではないというのがもっぱらの評価だった。

大関以下と違い、横綱はどんなに負けても降格というものがない。そのかわり黒星が目立ちはじめると、引退あるいは休場という形で、最高位力士としての体面を、ひいては角界の体面を守らなければならない羽目になる。

しかし全盛期を過ぎ、黒星が白星を上回るような成績をとるようになっても、「横綱は自分ひとりだけっすドスコイドスコイ」と、引退はもちろん休場すら絶対にしようとしない噴火山を見て、腹に据えかねた親方は「川之山」という、何のコンセプトもなさそうなシコ名を押しつけて世間の笑い物にしようとしたのだが、本人は「いいシコ名、ごっつあんですドスコイドスコイ」と言って、むしろ喜んでいるかのようだったという。しかし、それが親方の神経を逆なですることになってしまったのである。

そしてこのあたりから、先にも述べたような、角界ぐるみでの川之山いじめが始まったのである。部屋でも、もう五十路に入った川之山を、稽古と称して、親方がビール瓶で殴る、弟子たちがよってたかって金属バットで殴るなどの、もはやシゴキ超えたリンチによって死に至らしめ、横綱川之山は半世紀の生涯を稽古場の土俵の上で閉じた。「死ぬときは土俵の上ですドスコイドスコイ」と言っていた彼の願いは、そんな皮肉な形で叶えられたのであった。

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たしかに相撲人気というものを短期的に考えると、川之山は適当なタイミングで引退すべきだったかもしれない。スポーツに限らず、圧倒的な実力があって、しかもスター性があり、時たまゴーマンかますくらいのキャラクターをもった人物が人気を呼ぶ時代に、川之山はあまりにも素朴で実直すぎた。

しかし先日のプロボクシング世界戦、内藤対亀田の試合が、なりふり構わないひた向きさというものを、われわれに思い出させてくれたのではなかったのか。スポーツがテレビ向けにショーアップされるようになってから、われわれが忘れかけていたものを、内藤の、不器用なボクシングながら必死で闘う姿が思い出させてくれたのではなかったのか。

実はそれよりもはるか以前に川之山が、そのなりふり構わない愚直なまでのひた向きさを示してくれていたのだ。しかし、誰もその功績に気がつかなかったのである。もしそれに国民が気がついていれば、朝青龍のサッカーも沢尻エリカのガン飛ばしもなかったのだ。

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さて千秋楽、結びの一番となり、土俵の上では、横綱川之山と、大関地獄岳がゆっくりと四股を踏んでいた。「死んでも休場はしないっすドスコイドスコイ」と生前から語っていた通り、川之山は死後も連日土俵に上っていた。彼は密かに決心していたのだ。この場所の千秋楽で勝ってから本格的に死のう、と。

今場所はまだ無敗の14勝。すでに前日に優勝を決めて、横綱昇進も確実にしていた弱冠二十歳の大関地獄岳に対して、相手が1勝13敗(うち不戦勝1)ですでに死んでいるとなれば、場内の空気はいやがうえにも盛り下がっていた。

観客の興味は、どちらが勝つかではなく、地獄岳の攻撃に川之山が何秒間持ちこたえられるかにあった。特に地獄岳の張り手の威力は壊滅的で、あるスポーツ紙は「地獄岳の張り手をくらった力士の顔には草木も生えない」と表現したものだが、あまり気の利いた喩えではないというのがもっぱらの評価だった。

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制限時間いっぱいになり、川之山はいち早く仕切り線のまえで両手を土俵につけて構えている。憔悴は隠せないものの、殺さんばかりの眼つきで相手をにらむ川之山だが、一方の地獄岳は、どれ、ここはひとつ横綱に胸を貸してやるかとでもいいたげに、その巨体をゆっくりと沈ませて、片手づつ土俵につけた。

そして立ち会い! 川之山は馬鹿正直なまでの正攻法で、地獄岳の鋼鉄のような胸板に両手突きをくり返したが何の効果もなく、逆に地獄岳の張り手一発で背中から土俵に叩きつけられた。

これまでの川之山なら、これで動けなくなっていたところだが、これが相撲との今生の別れになるかもしれないという思いが彼を奮い立たせ、ふたたび地獄岳に挑みかからせた。しかし相変わらず非力な両手突きをくり返すばかりで、同じように張られては、土俵にころがり、倒れ、崩れ落ちた。

張り手をまともに喰って、客席にまでふっ飛ばされたときは、もうこれまでと誰もが思ったが、割れた額や切れた口の中から溢れ出る血で顔を真紅に染めながら土俵に這い上がってくる川之山の形相を見て、地獄岳の眼に恐怖が浮かんでいるのを、テレビカメラはしっかり捉えていた。

並の力士なら一発で失神するはずの張り手をこれだけ喰らって、まだ向かってくるこの男はいったい何者なんだ。彼の眼はそう語っていた。奴は川之山じゃない。噴火山だ。噴火山が甦ったのだ。そんな妄想にとり憑かれていた地獄岳がふと我に返ると、いつの間にか目の前で川之山が、ふらふらしながら両手突きをしているのに気がついた。

「う、うわ!」地獄岳が亡霊でも見たかのように、本能的に後退りをした瞬間、土俵を囲んでいた五人の審判委員のひとりが手を挙げた。地獄岳の足が土俵を割ったのだ。つまり足が土俵の外に出て地獄岳が負けたのである。

川之山にしてみれば、俵の外に体の一部が出るか、足の裏以外の部分が土俵につくと勝負が決まってしまうという相撲のシンプルなルールによって拾った幸運な勝利だったともいえる。とはいえ、千秋楽を勝利で終えることができて、もう思い残すことがなくなった川之山の心を達成感が満たし、魂が少し離脱しそうになった。

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しかし現実とは残酷なものだ。すぐさま物言いがつき、勝敗の判定は二転三転して、結局、地獄岳の不戦勝ということに落ち着いたのであった。というのは川之山は、取り組みの前にすでに死んでいたからである。人に非ざるもの、つまり力士に非ざるものに負けたとて、それは相撲で負けたことにはならない、という論理なのである。

ここで哲学的な疑問が湧いてくる。死んだ人間は人間ではないのか?

ともかく、死んでいた川之山はこの闘いで精魂使い果たし、もっと死んだとさ。

【ながよしかつゆき/コンクリート】katz@mvc.biglobe.ne.jp
日本シリーズ。心情的には日ハムに優勝させたいが、巨人のリーグ優勝を霞ませるためには、同じセリーグの中日に優勝してもらうのがいちばんだ。なんというケチは根性だとお思いであろう。そうだ私はそういう人間なのだ。

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