Otakuワールドへようこそ![61]武者行列にコスプレで紛れ込もう/GrowHair

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現代語訳 南総里見八犬伝 上 (河出文庫)10月21日(日)、館山で南総里見八犬伝にちなんだ南総里見まつりが開かれ、暑いほどの晴天の下、八犬士、甲冑武者、女武者などに扮した約100名による武者行列が、JR館山駅から館山城までの2kmを練り歩いた。伏姫になって十二単姿で御所車に乗るのは、里見家の血筋をひくとされる堂本暁子千葉県知事。館山城の広場では、見物人が幾重にも取り囲む中、奇襲をかける北条軍と迎撃する里見水軍との、迫力ある合戦絵巻が繰り広げられた。

玉梓(たまずさ)などの怨霊の姿で行列に紛れ込むのは、仮装とコスプレとの境界線をなし崩しにしてやろうとの狙いを秘めたコスプレイヤーたち。それを狙うカメコ(は私だ)。今回のイベントは個人的にも随所で縁やゆかりを感じ、薄れかけた過去の痛い記憶が引きずり出されたりもした。レポートよりもむしろ日記のように書いてみたいと思う。


●仮装と混ざっていくコスプレ

このイベントのことを知らせてくれたのは、コスプレイヤーの万鯉子さん。万鯉子さんは、去年の世界コスプレサミットで日本代表として蝶子さんと二人で「ベルサイユのばら」のオスカルとマリーアントワネットに扮し、準優勝を獲得している、日本のトップクラスのコスプレイヤーである。私はその後、和歌山のテーマパーク「ポルトヨーロッパ」鳥取の中華庭園「燕趙園」のイベントで撮らせてもらっている。

南総里見まつりでの仮装行列は400年前の戦国大名を偲ぶ時代物であって、遊園地などの会場で漫画やアニメのキャラに扮するコスプレイベントとはがらっと趣きを異にするが、こういう方面にも活動領域を広げていく動きは、意欲的で面白いのではないかと思う。もっとも、これ自体は新しい現象ではなく、四年前に千葉県の佐倉で開かれた時代まつりでも、似たような感じの仮装行列に知り合いのコスプレイヤーが混ざっていたけど。

このところ、コスプレ人口がすごい勢いで増加しているようで、コスプレイベントはいつも大盛況、時には入場制限がかかるほどらしい。「らしい」というのは、私は最近あんまり行かなくなってしまったので。だって、戦国武将を撮ってると背景に赤いセーラー服が入っちゃったり、誰が撮っても似たような絵になっちゃったりして、撮る意欲がそがれるんだもん。壁の模様で会場当てクイズとかやったら、ほとんどのコスプレイヤーがあらかた当てると思うぞ。

それなので、記念写真以上のものを撮りたい人たちの間で、スタジオや庭園を借りての個人撮影がけっこう盛んに行われるようになってきた。都内に何か所かある日本庭園の和室は、以前なら一か月ぐらい前でもたいてい空いていたが、今は半年前から計画立てないと予約が取りづらい。それから、借り賃は高いけど、廃墟スタジオなんていうのもあって、けっこういい雰囲気の写真が撮れたりする。

オタクの中には、イタい姿を一般人に晒すことを批判する人もいる。オタクのイメージ下げるな、同類として見られたくない、と。だけど、実際に撮っていて、嘲笑的な目を向けられたり、悪く言われたりしたことは一度もなく、楽しい場面に遭遇することができたのを喜んで、ほめてくれる人がほとんどである。日本庭園やバラ園の来場者って、くつろげる風景だけではどこか物足りなさを感じているのか、こういう活動的な場面に出くわすと運がよかったと思ってくれる人が多いようである。

時として、一言もなくカメラを向ける人がいるのはマナーとしてどうかと思うが、こっちも目立つことしてるんだから、仕方がないかとも思う。一方、コスプレイヤーたちが大騒ぎしすぎて、一般の来場者から苦情が出たという事件もあったようで、以降はコス撮影の許可が下りなくなっちゃった会場もあるので、みんな、ちゃんと手続きを踏んで、他の来場者の方々に迷惑をかけないよう、マナーを守ってね。

このような最近のコスプレ事情を考えると、仮装行列に紛れ込んで、一般の方々の目に馴染んでいただき、徐々に市民権を得て活動領域を広げていくというのは、大変よろしいのではないかと思う。堂本知事は、二日後に配信されたご自身のメルマガで、伏姫を演じるのは四回目になるが、怨霊玉梓が現れたのは初めてで、びっくり仰天したと書いている。「怨霊そのものの姿なので尋ねてみると、日本のトップクラスのコスプレイヤーの方が、玉梓の衣装を自分で作って参加したとのことでした。来年は館山で和風コスプレ大会をやるそうなので、若者が集まってくるかもしれません」。

●鳥取とのつながりも

里見氏10代忠義は、慶長19年(1614年)、徳川幕府の外様大名取り潰し策にあい、領土を鳥取の倉吉に移され、29歳の若さで没している。倉吉と言えば、燕趙園のあるところである。そんなつながりがあったとは。

南総里見まつりの前日、倉吉市から「里見桜」の苗が館山市に贈られ、館山市長の手によって館山城に記念植樹されている。この植樹の実行委員会のメンバーに、燕趙園のコスプレコンテストで司会を務めた通称駱駝さんがいる。私は館山と倉吉のつながりのことも、記念植樹のことも知らずに行ったので、万鯉子さんたちを撮っているときに駱駝さんとばったりと会って、びっくりしてしまった。

後で関連記事を調べてみると、日本海新聞のサイトに駱駝さんのコメントが載っていた。「倉吉が全国に名高い里見氏ゆかりの地であることは市民の誇り。忠義公や八賢士の思いがこもった里見桜が館山の地にしっかり根付き、(里見氏生誕の地である群馬県高崎市を加えた)三市の交流が大きく広がっていけば」。なお、次回の燕趙園のコスプレイベントは11月23日(金・祝)、24日(土)に予定されている。
< http://www.nnn.co.jp/news/071023/20071023004.html >

●この前館山に来たのは20年前

学生時代である。花畑にストックやポピーが咲く早春。書いてて非常に恥ずかしいのだけど、デートである。デートと言っても、今振り返ってもつきあっていたんだか何だったのか……。さゆりちゃん。

'05年6月17日(金)の本欄にも書いたのだが、中学時代から繰り返し夢に出てくる女性がいた。丸顔で、前髪は眉毛のすぐ上で横一直線に切り揃え、顔の両サイドと後ろはストレートに長く伸び、つやつやととても美しい。その女性の正体は、中学一年の夏休みに沖縄海洋博に行くために博多駅で新幹線から在来線特急に慌しく乗り換える際、横目で見て通り過ぎた博多人形であったと判明したのはずっと後のこと、就職して何年目かに出張で九州へ行ったときのことである。それまでの十数年間、私の理想像であり、将来出会う運命の人なのかもしれないという勘違いに支配されていた。

大学時代、その理想の女性がサークルに入ってきた。それがさゆりちゃん。女子美短大のグラフィックデザイン専攻で、ゴッホが好きだった。もうこの人が私の運命の人に違いないと勝手に決めて、当時は自分から人に話しかけることもできないほどシャイだった私が、彼女が卒業してサークルを抜け、このままではもう会えないというときになって意を決して電話をかけ、誘い出して二人で会うことに成功したのである。有頂天になるまいことか。最初は喫茶店で会ったりしていたが、何回目かのデートで花を見に行こうと、特急さざなみで館山へ日帰りした。

友情 (新潮文庫)武者小路実篤の「友情」は稚拙な恋を描いた話だが、あんな恥ずかしいことを題材に小説を一本書くよりも、「一人相撲」の一言で済ましてくれてもよかったのではないか、と思う。私の場合も、まじめに全力で好きだったような気がするのだが、その割にはちっとも相手を見ていないし、相手の気持ちも考えていなかった。猪突猛進。思いさえ抱いていれば、そういうことは自然に伝わるものだと勝手に信じ込んで、わざわざ気持ちを話したりはしなかった。

そういうわけで、何度会っても二人の距離が縮まっていくことはなく、会話もぎくしゃくした。お互いの都合がなかなか合わなくて、会う頻度が減っていったが、会いたい気持ちが強ければ都合なんて何とかなるものである。これは見込みがないかと思い始めたときには、向こうもそうだったようで、そのころから別の人と会い始めたことをだいぶ経ってから知らされた。

まあ、めちゃくちゃ痛い目にあったわけだ。好きならば相手の幸せを願うのは当然だけども、相手の幸せのためには自分の存在はどれほどのものでもなかったということをはっきりと思い知らされたわけだ。そういうことなら、と円満に別れた。いや、別れるもなにも、あれはそもそもつきあっていなかったね。今にして思えば、あんなものが万が一にも成就していたら、どれだけ軽薄なうぬぼれ野郎になっていたことか。今でさえ相当なのに。だからあれはあれでよかったのだ。

20年ぶりに館山に行くと、駅前の景色がさほど変わっていない。朝の9時半。館山城への臨時シャトルバスが発着するのは海側で、人の往来がほとんどなく、バスを待つ30分間、もうさびしーてさびしーて。あのときのことがいやおうなく蘇ってくる。摘んだ花が、油断した隙にヤギに食われちゃったりして、デート自体はちょっと楽しかったかな。

●アメリカからも来襲

甲冑隊の中に英語を話す外国人が5〜6人いる。聞いてみると、館山市の姉妹都市である米国ワシントン州べリングハム(Bellingham)から招かれて来たのだそうで、今回が初めての参加だという。米国西海岸最北端の町ということは、多分、行っているぞ。え〜っと、…デートで。10年前だ。

Match.com は当時、世界で唯一の出会い系サイトだった。簡単な自己紹介文を書いておいたら、三日に一人ぐらいの割合で新しい人からメールが来て、返信に追いまくられて大変だった。アメリカだけでなく、フランス、オランダ、マレーシア、フィリピン、台湾、オーストラリア、韓国、インド、ネパール、アラブ首長国連邦、ラトビアなどからも来た。

しかも、インターネットにアクセスする人たちは限られていて、テレビのディレクタ、ファッション雑誌の編集者、写真家、作曲家など、クリエイティブな方面でのプロが多かった。まず接点がなかったであろう、世界中の面白い人たちと知り合いになれる、文化もものの考え方もがらっと違う人たちとコミュニケーションができる……インターネットとは、なんちゅうすごい仕掛けなんだと感嘆したものである。

ユー・ガット・メール 特別版しかし、出会うのは大変だ。シアトルに住むグレッチェン(Gretchen)は大学を二つ出たというインテリで、マイクロソフトに勤めていた。両親はオーストリアの出身。丸顔に金髪、髪は座ると尻に敷きそうなぐらい長く伸ばしていた。9か月間メールをやりとりし、職を変わる合間の一週間暇になるというので、上司には英語の短期集中講座を受けると嘘をついて、シアトルに飛んだ。トム・ハンクスとメグ・ライアンの映画「ユー・ガット・メール」が封切りになる前年の12月初旬である。

車でサンファン(San Juan)島に連れていってもらった。海岸線沿いに走るハイウェイを北上し、フェリーからの景色の一部はカナダだと聞いていたから、乗ったあたりがベリングハムだったのではないかと思って今調べたら、その30 kmほど手前のバーリントン(Burlington)で左折していた。島では、静かな森の中にある湖のほとりのコテージを借りて過ごした。丸太を横にして積み上げたような構造なのにすきま風が吹き込むことはなく、燃えさかる暖炉のおかげで部屋は暖かかった。ロマンチックな時を過ごした。

帰ってからがいけなかった。毎日電話したのだが、だんだん出てくれなくなり、聞くと重い病気だという。心配で心配で居ても立ってもいられないのに、なかなか連絡が取れないので、行ったときに会った彼女の友人に電話して、様子を聞いてみた。そしたら、元気で次の人とつきあっているという。こんのやろ〜。別れるなら別れると言ってくれりゃ後腐れもなく別れたのに。何なんだっ!

そういうわけで、そっちのほうから来たというのなら、帰りがけにちょっとシアトルあたりに寄って蹴っ飛ばしてきてほしい人がいるんだけど。それを言ったら、甲冑隊は大笑いだった。

久しぶりに館山に行って、過去の領域に捨てっぱなしでよかったものを図らずも拾い集めてしまい、明るく盛り上がる盛大なまつりのさなかにひとりで少しばかり感傷的になっていた。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
NOVAうさぎとえいごであそぼ![仮題]30万人いると言われる被害者の一人。"Voice Room"(フリートークの部屋)のチケット24枚は紙屑になってしまうのか? 返金してくれないのなら、せめてあのでっかいNovaうさぎを奪ってきて、これ見よがしに担いで電車に乗って帰ってきてやろうと思って交渉に乗り込もうとしたが、時すでに遅く、閉まったシャッターと張り紙に跳ね返されて終わった。こんなに教室増やしちゃって経営は大丈夫なのか、とは前々から生徒たちの間でささやかれていたことだが、「Novaは武富士が親会社だから絶対に潰れないんだ」と言うのを何回も聞いた。ま、「授業料」かね。

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by G-Tools , 2007/11/02