[2313] タブレットに慣れるコツ

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<朝起きたら、卵なんさ>

■グラフィック薄氷大魔王[112]
 タブレットに慣れるコツ
 吉井 宏

■武&山根の展覧会レビュー
 印刷博物館で「知」に反応する
 武 盾一郎&山根康弘


■グラフィック薄氷大魔王[112]
タブレットに慣れるコツ

吉井 宏
< https://bn.dgcr.com/archives/20071114140200.html
>
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たまには真面目なTIPS・テクニック系記事。液晶タブレットで勝手に盛り上がってましたが、今回の内容はintuos、FAVO、Bambooなどの普通のタブレット、通称「板タブ」。そもそも液晶タブレットにはうまく描くコツやテクニックが存在しない。だって、描けばそのまま描けるもん。

で、タブレットが苦手という人は多い。「ツルツルして描きにくい」「紙に描くように思い通りに描けない」などなど。絵を描かない場合でも、ポインティングデバイスとしてはマウスよりも圧倒的に優れているのに。

ツルツルして描きにくいなら、何か敷けばよろしい。僕はLIONカッティングマットの絶妙な摩擦がダントツで描きやすい。プリンタ用紙に入ってる厚紙(裏の灰色側)も非常に具合がいい。コピー用紙をセロテープで貼り付けるだけでもちがう。巷でイイと言われているのは「ダイソーのデスクマット」。

思い通りに描けないのには、試してみる価値のあるコツがたくさんある。いくつか書いてみます。

●最重要事項! タブレットの傾きを調整

画面を見ずに軽く水平線と垂直線を描いてみると、実際の水平垂直からどれだけ傾いているかよくわかる。手の動きと描かれる線の方向が一致してない状態でサッサカ描くのは無理。この状態では常に目で線の方向と位置を確認・補正しながら描かなくちゃならない。これが思い通りに描けない最も大きな原因。

だからといって、タブレットをモニターと完全に平行、あるいは垂直、または中心軸を合わせても正しい置き方になるとは限らない。手のクセや感覚的な偏りがあるため、物理的には水平でも線は斜めに描かれたりする。

そこで、タブレット自体を回転して角度をつける。無意識に描いた水平線がモニター上で水平線になるように調整する。僕の場合、右が数度上がるように調整すると平行垂直が自然に描けるセッティングになる。描いてる最中にも、ちゃんと水平垂直が描けるかときどき確認して調整すること(描きやすいセッティングは、体調や気分でどんどん変化するので注意)。

それから、タブレットの下に本などを差し込んで、描きやすい傾斜をつけるのもいい。僕はキーボードとタブレットを板にワンセットで乗せて傾斜をつけている。また、膝の上にタブレットを置いて描くのもラクな上に描きやすい。

●ドライバの設定

デフォルトではかなり強く描かないと線が出ない(僕の場合特に)。筆圧設定のスライダを左端に寄せると、非常に軽い筆圧でも描かれるようにできる。その状態で描けば、かなり自然な感覚で描けるようになるはず。Painterでは独自に筆圧設定ができるので、ドライバを調整した上でこちらも併用する。下絵と色塗りで筆圧設定を変えるのもアリ。「ダブルクリック距離」はオフに。絵を描くときにこれが効いてると、カーソルが画面の一点に貼り付くような変な動きになる。あと、「マッピング」の「縦横比を保持」を必ずチェックすること。これがオフだと、正方形を描いてるつもりでも長方形になってしまうことがある。

●画面にグリッド

PhotoshopやPainterなどで、何もない白紙に新しく形を描くのはけっこうむずかしい。すでに形があるものに色を塗ったり描き込むよりも、はるかにむずかしい。というのは、白い画面には目印になるものがないので水平垂直や距離の感覚が希薄になり、手の感覚だけで形を描くことになるから。上記のようにタブレットの角度が調整されていないと、思い通りに描くのはほとんど不可能。

これには画像にグリッドを表示するのがおすすめ。広い間隔でもいいから、薄い色でグリッドを表示して描いてみると、水平垂直の感覚がわかるようになる。紙に鉛筆で描くときのように、位置関係を把握しやすい(グリッドや罫線が印刷されたスケッチブックやノートに描くのと、真っ白なB1の紙に描くことの違い、と例えてみる)。

グリッドに似た考え方として、線を描く前に、ちょんちょんとアタリの点をいくつか描いておくと、ラクに形を描くことができる。あと、細かい部分を描くときには、面倒がらずにその部分を画面いっぱいに拡大表示するほうがいいです。

●ペン

僕の場合、押すと凹むバネ付きのペン先(ストローク芯)でないと描く気がしない。ぐるっと回る線を描くとき、ストロークがいい感じに手の動きに追従してくれる。また、ペンが太すぎて描きにくい人もいると思う。特に、intuos3付属のペンは「絵を描く用のペンじゃない。あれは字を書くペンだ」と僕は酷評してるくらいのもんで。太いのが好きな人もいるだろうけど、それでも先の太くなってる部分はどう考えてもおかしい。幸い、intuos3のゴムの太いグリップは簡単に引っこ抜ける。これで鉛筆並の細さになる。僕はグリップのガイドのレールも削って持ちやすくしている。あるいは、intuos3用に「クラシックペン」という初代intuosの細身のペンを再現したものがオプションで購入可(この連載の13回目で紹介)。
< https://bn.dgcr.com/archives/20050629000000.html
>

……と。これらの項目だけでもやってみてください。タブレットが使いにくいと思ってた人の何割かは描けるようになるはず。それと、タブレットで自由自在に描くってのは、やはり普段の慣れも大きいです。しばらくタブレットで絵を描いていないと、「あれ〜〜! こんなに描きにくかったっけ?」って思うくらいで。

○おまけ

テキスト作業中心の場合、やはりマウスのほうが便利なのは認めます。ペンを持ったままタイピングできないってことで。でも、ペンを手のひらの内側に親指で巻き込んで持つと、けっこうちゃんとキーボードも打てますので試してみてください。

ここではっきり言っておきますが、「ペンタブレットはドラッグ操作に特化したポインティングデバイスである」ってこと。テキストのドラッグ編集やファイル・フォルダの移動などの操作は、ペンで慣れたらマウスでまったくやる気がしなくなりますよ。

もちろんポインティングだってペンのほうがラク。300個のチェックボックスをマウスでチェックする操作を想像してみてください。いや実際、メールサーバー内の不要メールをチェックして削除する操作を毎日やってるのですが、そんな感じの操作ですよ。マウスじゃやる前に挫折しそうです。ペンよりマウスのほうが優れているところは、ホイールによるスクロールのみです(絶対座標と指スクロールが使える特大のタッチパッドがあれば、ポインティングデバイスとしては最強かもしれない……)。

僕にしてみれば、ペンタブレットを使わずにマウスで仕事(特にグラフィックソフト全般)をしている人は、わざわざ作業効率を三分の一に落として、時間をドブに捨て、疲れや肩こりを三倍に増やしてるようなもの。ぜったい損です。もっと過激に言うと、僕が社長なら、タブレットを使おうとしない社員は仕事の効率を上げる気がないと見なしてクビにします。

以前テレビで、締め切り非常事態中の超有名デザイナーがIllustrator画面の細かいパスをマウスでちくちくいじってるのを見て、「タブレット使いなさいっ!」ってツッコミ入れた。本人は急いでるつもりでも、僕にはのんびりやってるようにしか見えない。彼もクビだっ!

【吉井 宏/イラストレーター】hiroshi@yoshii.com

MacBook Proの内蔵160GBはそのままとっておき、外付けFirewire800のHDDを買ってきて、ようやくOSX Leopardをインストール。あんまり機能探索とかしてないですけどね。Cover Flowやクイックルック表示はなかなか便利。Mail.appのメモとToDoは.Mac synkやiCalで同期できて実用的。TimeMachineはデカいHD Dを買ってこないと使えないけど。またそのうちくわしく書きます。今のところ、ファイル名を変えようとするとFinderが落ちるという困った現象があるが、どうもATOK2006が効いてるときだけのようだ。2007版では大丈夫かなと思ってアプグレしたけどやっぱダメ。近々Leopard対応版アップデータが出るそうなので期待。っていうか、Leopardがどうこうってより、Firewire800・3.5インチHDDの快適さに感動してるとこ。ところで、その新しいHDDに見慣れぬケーブルが付属。SATAケーブルだった。ということは、Express cardスロットに差すSATAアダプタを買えば、3.5インチHDDを内蔵したのと同じ転送速度に!!と思ってお店で見たら、1万円もするのでヤメた。Firewire800で十分速い。

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■武&山根の展覧会レビュー
印刷博物館で「知」に反応する

武 盾一郎&山根康弘
< https://bn.dgcr.com/archives/20071114140100.html
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山: こんばんは! 選ばれない方のかさい、いや山根です!

武: いやー、笠居さんって困った人だなー(笑)。
< https://bn.dgcr.com/archives/20071024140200.html
>

山: ほんまほんま。チャットすっぽかしたり人の話し聞かんかったり、ひどい人やなあ。

武: まつむらさんのご苦労、よおーく分かります(笑)。

山: 僕なんかもうこんな人を友達に持ってほんま大変ですよ。まったく。

武: ってか、山根が笠居さんと被ってるって話しだぞー。

山: え? そうやったっけ? 僕はそんなことした記憶ない。記憶はない。

武: 酒呑むといっつも記憶ないじゃん、キミ。チャットしたこと自体の記憶すら忘れるしよー。

山: よくこれで原稿落とさんよな(笑)。

武: 次の日、俺が編集してるからだっ!!

山: え、そうなん? 記憶にない、記憶にないんだよ。

武: ……なんかその言い回しいいな。俺も使うべ。

山: あかん。二人とも記憶がなくなった場合、今までいいためしがない(笑)。

武: でも、そんなこと繰り返して生きて来れたんだから大丈夫だべ。
参照→『武・山根、記憶を失っている状態での会話。焼酎はボトルじゃなくて一升瓶にするべきだったと、酒が足りないので山根が文句を言っ』
< http://jp.youtube.com/watch?v=0oDrGy4fxXw
>

山: そうか……、そういう考え方もあるな。人生てきとー!

武: なんにも思い出せない真っ白で「うぶ」な記憶に戻って毎日を送りたい。朝起きたら、卵なんさ。

山: 卵かい!

武: 卵の殻の中には全宇宙が入っているんぜよ。全知全能。

山: じゃあそのまま明日の朝ご飯にします。僕が全知全能。わっはっは。

武: 胃の中で孵化して寄生虫になってやる。

山: 武さん、胃の中じゃなくても寄生してるじゃないですか(笑)。実家消失したし。

武: いや、リアルに同意。

山: 素で返さんとってください(笑)。

武: そんな感じで、行ってきましたよー!!って、どこだっけ? 記憶にない。

山: なにーっ! 行ってきましたよ! えーっと……。なんやったっけ。

武: では、二人とも行った場所を忘れてしまったので、そろそろしめにしよう。

山: それではおやすみなさい!

武: 今回の評。☆☆☆☆☆ 星5つ。記憶なくす程楽しかった! おすすめです。ぜひ行きましょう!

山: いいかげんにも程がある、って編集長におこられる! 記憶を取り戻そう、えーっと……。

武: 俺たち冒頭部分しか読まれてないからいいんだよ、本文長いし。で、編集長さま今度ぜひ呑みましょう(笑)。まつかささんと合コンってのもいいなあ、女人禁制(笑)。

山: 呑むんか! で、記憶なくすんか! ……やっぱそれもいいな。

武: そうそう。人生、酔生夢死。


●印刷博物館に行ってきました!


山: というわけで行ってきました! 印刷博物館です!
< http://www.printing-museum.org/
>

武: 覚えてんじゃん(笑)。【百鬼夜行】ですな。

山: ちゃう! 【百学連環】です! 飯田橋です。

武: 俺は、江戸川橋駅から行ったんよ。

山: 僕も雑司が谷から歩いて行ったんですよ。なんかあそこらへんはほんま印刷やら出版やらが多いよなあ。

武: 凸版印刷の博物館なんだね。

山: そうやね。ネットで1割り引きの割引券があります!
< http://www.printing-museum.org/access/map_coupon.html
>

武: 500円が450円! だから俺、帰りに吉野家で豚丼330円じゃなくて牛丼380円を頼んだんさー。

山: お、得したな! 得した得した! ……って、一瞬遠くを見つめてしまうのはなぜだろう……。というわけで、まあ今回の展示があった訳ですが。

武: 博物館って楽しいんだよな。内緒だけど、美術館行くより楽しい。

山: そうなん?

武: アートだと俺、やっぱ構えちゃうっつーか、そういうんはもうクリアしたいんだけどね、博物館だとなんだか素直に楽しめちゃうんだよ。

山: 確かに博物館の楽しさってあって、なんやろ、素直に「へ〜!」って思えるっていうかね。歴史が絡んでるからか? 例えば古典画を見るのも博物館的なわけで。

武: 子供の頃は別に歴史とか分かんないけどさ、展示されてる物、その物質感を眺めるのが楽しかったね。鉄部の無骨な鈍い光沢とか、ミニチュア造形の水の質感とか、家とは違った匂いとか。

山: なんかみょーに興奮したりするよな。人形とか。

武: そうそう。で、今回の【百学連環】ですが、こういうことだそうです。

「知るたのしみ 見るおどろき
私たちは、長い歴史の中で、さまざまな出版物から大量の情報と知識を得るとともに、多大な影響を受けてきました。その中で、博物誌と百科事典は、人類が観察したさまざまな事物を、集成、分類、記載・記述することで、知の体系化を目論んだ出版物であり、幅広い知識と教養を私たちに提供してきました。特に、印刷誕生以降は、文字と図版を通して、より多くの読者に知識を提供し、科学や学問、文化の発展を促し、社会の成立に大きく貢献しました。本企画展では、私たち人類が、歴史を通じて、いかに、どのようにして知の体系化を図り、普及に努め、そして知的遺産を継承してきたかを古今東西の博物誌と百科事典ならびにさまざまな図譜により紹介します。また併せて、これらのさまざまな博物誌と百科事典の誕生に対して役割を担った印刷技術についても紹介します」(印刷博物館HPより)。

●百学連環って何よ?


武: というか、「百学連環」ってなに?

山: 「エンサイクロペディアとは、一定の分野の知識をおおい、百般にわたる学科を記述・口授するものであり、円環のうちに、初心者をかこいいれて、教育するための手段である」(『百学連環』カタログより)。エンサイクロペディアは百学連環の語源ね。西周(にしあまね)という人がヨーロッパに留学して学んで来た事を日本に伝えるために作った語らしい。

武: ふぇー。ウィキペディアだと「西周(啓蒙家)」とある。すごいな、啓蒙家だって。そんな職業あったんか(笑)。

山: わはは。確かに。

武: ちょっとでも難しいのう。。。

山: ペリーが来た時ぐらいの人の話やし。

武: 「読み書きそろばん」という現実的訓練とは違った教育法ってことなんだろうかのう。

山: そうみたい。ちなみに「哲学」という語も西周が作ったみたいやな、日本語訳として。で、「実際、十八世紀の前半になって、まずはイギリスにあって出現したエンサイクロペディアにあっては、学問上の知識は、それぞれに個別の価値をもち、その体系上の地位にもかかわらず、断片としても存立が可能であると断言した。このために、あえてアルファベットによる配列を採用して、利用者の用に供した。しかし、このことは諸断片の知識が、孤立して存立することを意味するのではなく、おのずから連環をなして、並立することが、含意されている」(『百学連環』カタログより)。

武: ウーム……。ん? つまり今のネットの情報共有並列化じゃねーのか?

山: わはは。今となってはそういうことかもしれんな。

武: アルファベット順どころじゃないし(笑)。

山: なんぼでもあるわな。検索一発(笑)。

武: 知による宇宙的体系化を理想としたのかなーって思うんだけど。今のネットだと「知」ではなく「情報」という単語になるんだけどね。

山: 「知」は「情報」でもあるよな。それは「叡智」であるのかもしれんが。「知」らんとわからんねんけどな。

武: 「知」る為に何が必要か。まずはそれを知れる場所に行く。これが一番だよね。

山: 人で言えば、何かを知っている人、というのはやっぱり一目置かれるしな。

武: 通常それは年上だよな。

山: そうやね。経験だとかはやはり年上が多いわけで。ただ、経験だけでは知っていることは限られるんだろうが。

武: その経験がやったら多くて面白い奴はやっぱり今だって一目置かれるよな。

山: やっぱおもろいもんな。畏怖すら感じたりするかもね(笑)。

武: 百学連環の言葉に戻るけどさ、「初心者をかこいいれて、」ってあるならば、何も特別な人だけでなく、誰でも「百学連環」の一端を成せるってことだよね。西周は特権階級だったけど、今や誰だってその「知」や「経験」を公開・共有出来る。「啓蒙」という時代は終わった。とも言えるんじゃないのかなあ。山根がよく言っていたように。

山: そう思うんよな。過去の人々が一生懸命一般に啓蒙して来た事柄はもうすでに行き渡ってて、それらをかなり自由に使える状況になってるわけやんな。例えば検索のシステムというのはやっぱり、最初はアルファベットを順番にやったからこそあるんやろし。

武: 今の出版は、かつての「理想に基づいた使命的啓蒙」よりも「知的権威遺産に寄りすがっていたい」ってことだったりして(笑)。


●インターネットと本


山: 「現代において私たちは、インターネットで瞬時のうちに世界中の膨大な情報にアクセスできます。しかし、そうして得られた情報は単なる情報でしかありません。」(社団法人日本書籍出版協会理事長小峰紀雄ごあいさつより)って言われておるんですが、確かにそうなんやろうけど、それは今の状況をあんまり考えてないような言葉に聞こえてしまうところがある。

武: 「知」を広める、あるいは「共有」するためにかつての人たち(主に支配階級の人だけど)が心血注いできたのは確かだべ。その中で、「本」という存在は抜きにして語れない。ただ、百学連環の根幹を考えると、それは「本」という形態は関係ないんじゃないのか?

山: 「本」という形態がかつて重要であったことはまぎれもない事実で、それによって多くの利益なりなんなりがあったことは誰も疑う余地がない。だからといって、それが今もまったく通用するか、というと難しいよな。

武: 確かにね。

山: 今までは「本」、「書物」という形態は広めることを前提として作られていた。「本」と「印刷」はその意味では不可分やな。

武: 「思想」「哲学」「知識」を伝える媒体はもはや書物である必要がないと思うんさよ。「本」は「物体」そのものの価値性を持つっていうか、つまり脳内だけでは無理な物、ここに「アーティストブック」としての「本」のアイデンティティーを感じるんだけどね。

山: つまり「本」というものを情報を伝達するだけのものではなく、何かしら、もうちっと違うものも伝達する手段として捉えている、ってことですかね。

武: 何しろ本は手に取れる物質ですから。

山: 紙やしな。ま、紙じゃない本もあるけど、物質よな。じゃあ、インターネット上の情報はなんやろ? 物質ではなくてなんなんやろ? 電子?

武: 「情報」でいいんじゃない(笑)。

山: そうか。

武: 情報は「並立」だし、百学連環の思想とリンクすると思うよ。小峰紀雄さんのあいさつには論理的矛盾点があるよな気がするんさ(笑)。印刷会社が印刷(複製)の長い長い歴史を肯定するのは当然だけど、その上に今があるのも確かだが、今は複製の意味合いと方法が全く変わってしまった。その中で印刷の意味を問いただした時、印刷会社だったら「印刷こそ素晴らしきものだ」っていうのが、まあ当然なんだけどね。

山: まあな。当然利害が絡んでるからなあ。儲けるか、儲けないか(笑)。

武: なるほど、西周は儲けるか儲けないか考えなくてもいい程の人だしの。


●学問って何?


山: っていうか、展示の事はまるで話してないな。

武: そうだのー(笑)。「知」というところでいろいろ反応してしてしまったからの。ここで俺が思ったのは「知」ってのは「知識」じゃなくて「考える」ってことじゃないんかな?

山: 考えることはもちろん大事やけどそれ以上に、何かを知った上で感じることとちゃうんかね。

武: もちろんそうだけど。何かを感じると、それに伴って考えたくなる、考えるとそれに伴っていろいろ知って行く。それを繰り返して行くうちに、いろいろな分野のことを少しづつ知っていって、きっと、あるときそれらが円環のように繋がっていることに気がつく。

山: アカシックレコード(笑)。
< http://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=15431414
>
百学というのはむしろ百の学問と言うよりも、百の「知」ということかね。

武: 百学連環自体がひとつの学問かも知れんし。

山: うーん、学問、ってしてしまうとなんか大上段に構えてる感じがするけど、今回の展示とか観ててもおもうんやけど、結局ただみんな自分のやりたいことやってるだけとちゃうん?

武: 一つ一つは断片ってことだと思うんですよ。でも、それらが体系を成して、何らかの宇宙・世界観が築かれて行くと、何かを作った(思想した)ことになるんかもしれない。

山: 結局、始まりとしては何かを知りたいとか何かをやりたいとかっていう所から始まっている訳で、それをどこまで信じてやるかってことなんかね。

武: 純粋なところではそうだと思う。そういうロマン(笑)。

山: そう考えると「学問」なんて言葉はなんや、アホらしいな(笑)。そんなん自分やん。

武: いやあ、そうでしょ。


●結局呑んで忘れる


山: つまりこうやってさんざん話して、結局の所すべて忘れて何も体系化だとかなんもしなくっても、まあええとしよう(笑)。学び、問えばいいのだ。

武: っていうか、今回、展示の話ししてないんだけど(笑)。

山: うーん、この話はまだまだできるはずやのに話せないのんはなんでやろ。

武: 俺は、「複製」ってなんだろう? っていうところまで話しを持って行きたかったんだけど、すでにへべれけ。

山: ま、僕はすでに記憶にはない。

武: 俺も記憶にない予感。

山: 二人とも記憶にないとすると、これはよろしくないはずや!

武: だから残すんじゃね?

山: 残したらこれはまたやっかいやな……。

武: 残すからこそ、未来に繋がるかも知れない、とか。。。

山: 未来もすでに記憶がない(笑)。先取り(笑)。

武: それいいねー。貰っとこ。

山: 明日の分まで呑んでしまった!

武: 明日呑まないってことだよな、それって。

山: あ、呑みます。明後日の分(笑)。


●印刷博物館【百学連環】評

武: ☆☆☆☆☆ 星5つ。博物館の可愛いおねえさんに微笑まれたから。

山: ☆☆☆ 星3つ。もっといい展示出来るはず。嫌いじゃないけど。

印刷博物館【雑協・書協創立50周年記念世界出版文化史展「百学連環−百科事典と博物図譜の饗宴」】
会期:9月22日(土)〜12月9日(日)10:00〜18:00 月休
入場料:一般500円、学生300円、中高生200円、小学生以下無料

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/朝起きたら、卵なんさ】
< http://iddy.jp/profile/Take_J/
>
mailto:take.junichiro@gmail.com

【山根康弘(やまね やすひろ)/選ばれない方、いやきっと選んでくれる】
・SWAMP-PUBLICATION < http://swamp-publication.com/
>
・交換素描 < http://swamp-publication.com/drawing/
>
mailto:yamane@swamp-publication.com

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■編集後記(11/14)

まんねん貧乏・得能史子「まんねん貧乏」を読む(ポプラ社、2006)。帯に「年収15万円 なんとか、しのいでいます」とある。それって惨憺たる、ではないのか。作者は、子供の頃から昼寝と空想が好きで、大人となったいまもこのふたつはやめられないという30代後半の漫画家である。マンガとエッセイが合体したようなスタイルで、コマ割はなく、1ページに3コマ分のマンガに、エッセイのような解説のような短いテキストが入り、吹き出しの中は手書きである。マンガといっても、カットみたいなきわめてシンプルな絵である。丸顔で二頭身くらいの、主人公である作者が出ずっぱりで、かなりラフに描いているようにみえるが、なかなか達者な絵だ。ページは白いスペースが多く、手抜きというかゆるいというか妙な味がある。だから読みやすい。するする読める。なまけものの自業自得な貧乏生活が次々と披露されているが、自虐な感じではない。ほのぼのとした楽しさが漂う。でも断じて節約上手のお話ではない。むしろ貧乏なのに浪費している。いままで、いろいろな仕事を転々とし、転々の間に無職が挟まる。働いている時はがんばって貯金していたが、その目的は早く無職になりたいからである、働かなくていいならそれにこしたことはない、という生活信条が潔い。けっこううらやましい人生だ。でも、おもしろいだけのエッセイマンガではなく、ちょっと泣けるエピソードもあった。好きなマンガジャンルに、ホームレスもの(吾妻ひでお)、懲役もの(花輪和一)があるが、新たに貧乏ものが加わった。あまり健全で好みではないな。(柴田)

・昨日のオトコ試験。男性にやらせてみた。正解は8問中1問。あなた、オトコゴコロわかってないわ〜と突っ込んだら、「(着せてみたい服はセーラー服、チャイナドレス、ナース服、キャビンアテンダント制服のうち)セーラー服だと注意されるところを思い出すし、ナース服だと適当にあしらわれて痛い注射されそうだし、キャビンアテンダントは相手してくれなさそうだし〜(正解は制服)」「(使っていてほしい室内用時計は、シンプルなもの、デジタル、キャラクター、インテリアもののうち)キャラクター時計もってる女なんて好みじゃない」とかうるさいうるさい。個体差は大きいようだ。/世の中からIEがなくなればいいのに……と毎回泣き言を言いながらJavaScriptやCSSを触っている。どうしてIEだけがそういう表示になるの? 変な動きするの? そしてたくさんの先人のアクロバット的なTipsや情報に感謝。机の横に積み上げられた本や雑誌には付箋がいっぱい。ブラウザには検索結果画面が大量に。/いいよなぁお酒強いのって。お酒弱い。おいしいと思えるのは甘いカクテル類かたまにワイン。酔うとおしゃべりになり、明るくなり、そしてそのうち暴言吐きまくり。まぁすぐに気分悪くなるからその時間は短いのだが。日の丸と君が代の話なんてしちゃって最悪のムードになったり。送ってくれている時にカーステでかかっていた音楽に対して「これだいっっっっきらいなんだよね。この中途半端に甘えた声と曲(ロリータボイスは嫌いではない。あ、ガッキーの声が良くてびっくりした)。こんなのがはやっているの理解できないよ。趣味わるいよね〜、こういう曲かけるラジオ番組」というようなことを言ったら、持ち主が一番好きな音楽でヘビロテ中だった……。うわ、改めて文字にすると最低だわ。相手が反論してくれるような人ならいいんだけどね。人を傷つけるためにお酒を飲みたいわけではないのだ(泣)。(hammer.mule)