音喰らう脳髄[41]頑固親父のすすめ
── モモヨ ──

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今年も12月。あちこちで、2007年はあっという間にすぎた、というお決まりのコメントが聞こえてくるようになった。その言葉にまともに反応するほどの野暮はないが、それを承知でいうならば、私にとっては、越し方のいずれの年も同じように過ぎたように想う。生まれてから十代までの幾年かだけが異様に長く感じられたものだが、それが想ったほど実りのあるものであったかといえば、謎である。

子供の時間というのは、とても不思議だ。


父親になり、娘、息子の成長を見ていると、つくづくとそう想う。目立ったふうな勉強をしているわけでもないのに、それでもやはり年々、様々な知識が彼らの中に定着していき、性格を形成していく。

彼らの中では、時間がそうとうゆっくりと動いているようである。数十分ほどの空間に対して彼らが暇を訴える。そのことからもわかる。だいたい、三十分ほどのテレビアニメにしても、私自身少年であった頃は、それなりのドラマをそこに見出していたものだ。白黒時代のアニメ、鉄腕アトムに涙したこともある。

が、今の私にとって、それはかつての四コマ漫画のような存在でしかない。雑誌連載の原作があるものなどは、続き物なのでそれなりの見ごたえはあるが、そうでないものは、十五分ものや五分ものと印象が変わらなくなっている。これは、衰えなのか、老化なのか、その辺りが悩ましい。

少年期には瀟洒な短篇を好んだ小説でも、今の私は、ドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟」だの、武田泰淳だのを繰り返し読むようになっている。いずれも長編である。

一方、日本人固有の短詩文芸に対する顕著な嗜好のせいか、詩や歌のかたちは、直截な含蓄あるものを好むようになった気がする。が、これも、その歌の背後に、一言では言いがたい豊饒なイメージと文言を秘めているからである。

短くても携帯対応などといわれるものように、機械などによって人間様のつかう言葉の多寡を支配され制限されるようなものは好みではない。心が狭くされてしまうような気になるからだ。あるいは、朝の太陽がきれいだとか、花がかわいいとか、いかにも可哀想なものを可哀想と感じて涙するとか、単純な感情行為が難しくなっているのかもしれない、とも想う。

いや、犬などを主人公とした動物ものの映画は、涙すること必至で、泣いている姿を見られないように子供たちのいない夜中に、一人でこっそり観るようにしているのだから、感じることがないわけでは、けっしてあるまい。とどのつまりは、ひねくれてしまっているようである。

そう、ひねくれまくったあげく何とか頑固ジジイとして世に憚りたいもの、というのが来年の抱負である。

Momoyo The LIZARD 管原保雄
< http://www.babylonic.com/
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