映画と夜と音楽と…[362]志を述べる
── 十河 進 ──

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●チャップリンは五・一五事件前日に神戸に着いた

チャップリン暗殺 5.15事件で誰よりも狙われた男昨年の秋に「チャップリン暗殺」(メディアファクトリー刊)という本が出た。いつか誰かが書くだろうと思っていたが、副題が「五・一五事件で誰よりも狙われた男」となっているように、チャップリン来日を題材にしたノンフィクションらしい。僕はまだ読んではいない。

五・一五事件のときにチャップリンが日本にいたのは有名な話だから、僕も少し食指が動いていた。何となく先を越された感じもある。もっとも、僕はチャップリンが五・一五事件に巻き込まれる歴史ミステリーといったものを構想していた。まったく書いていないのだから、何も言えないけれど…。


チャップリン自伝 (1966年)「チャップリン自伝」は今では、新潮文庫で上下二巻になっているが、僕が最初に買ったとき、文庫は「チャップリン自伝 若き日々」しか出ていなかった。それを読んだのが二十年近く昔のことだ。その後、「チャップリン自伝 栄光の日々」が出て読んだが、それは十数年後のことだった。

チャップリンが日本にやってくる話は「栄光の日々」の365ページから載っている。チャップリンの秘書が日本人だったのは有名だが、「日本に向かって発つ前に、わたしの日本人秘書コーノは、自分だけ先発して、受け入れ準備をしておきたいと言い出した」と書いている。

チャップリンは日本政府によって招待され、神戸に着く。そこから政府が用意した特別列車で東京にやってくる。兄のシドニイ・チャップリンも一緒である。東京に着いたチャップリンは皇居の前で遙拝させられたり、いろいろと不思議な体験をする。

そして、犬飼首相の息子の招待で相撲見物をしているとき、犬養毅首相暗殺の知らせが入る。チャップリンは息子が母親から聞いたという、犬養毅の最期を詳細に自伝に記述している。チャップリンは息子と一緒に首相官邸に赴き、暗殺現場を目撃する。

その後、古賀静志海軍中尉の証言によって、チャップリン暗殺が計画されていたと「チャップリン自伝 栄光の日々」にも出ている。古賀は、一種の狂信的な右翼グループに所属していたらしい。古賀は「チャップリンは合衆国の有名人であり、資本家どものお気に入りである。われわれは彼を殺すことによって、アメリカとの戦争を惹き起こせると信じた」と証言した。

その証言を紹介した後、チャップリンは「彼らは、そのときになってわたしがアメリカ人ではなく、イギリス人であることを知り──「あっ、これはまことに失礼!」だったのではあるまいか」とユーモアたっぷりに書いている。ここでは、日本軍人の浅はかさを笑うしかない。前述のノンフィクションは、この自伝の部分から発想し取材したものだろう。

●チャップリンは二十日間近く日本に滞在した

日本映画発達史 2 (2)チャップリンが日本にやってきたのは、昭和七年(1932年)の五月十四日だった。そのまま神戸から東京にやってくる。日本側の反応はどうだったのか知りたくて、田中純一郎さんの「日本映画発達史II」を調べたら、以下のような記述があった。少し長いけれど、引用させていただく。

街の灯 コレクターズ・エディション──当日の夕刊は第一頁を彼のために割愛して、さながら国賓待遇の歓迎ぶりを示し、東京駅に出迎えた群衆は一万名を突破し、揉みくちゃにされたチャップリンは、四百名の警官に護られて死地を脱する思いでホテルへたどりついた。同行の秘書に日本人高野虎市がいた。チャップリンは先に来日したダグラスらとちがって、スキヤキや天ぷらに舌鼓を打つとか芸者を交えた歓迎宴に出席するということはせず、彼が来日した翌日突発した、あの五・一五事件で、陸海軍の一部テロリストのために射殺され、悲壮な最期を遂げた時の首相犬養毅の、まだ血痕生々しい現場を見に行ったり、日本の刑務所の実状を見に小菅へ行ったり、銀座裏のカフェの女給にこっそり戯れたり、せっかく持ってきた近作「街の灯」は、ついに試写も見せず、風変わりな印象を日本人の間にのこして、六月二日に帰米した。

ここに出てくるダグラスとは、おそらくダグラス・フェアバンクスだろう。この記事には当時の新聞の写真が添えられていて「ようこそ!チャップリン」とか「怒濤!ファンの大群 映画王もみくちゃ」とか「大歓呼を浴びて入京す」といった見出しが踊っている。

この頃、日本映画界はトーキーへの移行期で、活弁士や楽士のストライキが頻発していた。この年に日本公開された洋画は「自由を我等に」「三文オペラ」「間諜マタ・ハリ」「類人猿ターザン」などがあるが、さすがに僕は一本も見ていない。

日本映画を見ると、小津安二郎監督の「生まれてはみたけれど」が昭和七年六月三日の公開だった。チャップリンが日本を離れた翌日だ。昭和五年に「何が彼女をさうさせたか」という映画が公開されたことなどを見ると、傾向映画といわれた左翼映画が全盛だったのだろう。小津だって貧しい庶民を主人公にした映画ばかり作っていた。

チャップリン暗殺を計画したという古賀中尉はチャップリンを「資本家どものお気に入りである」と認識していたようだが、チャップリンも常にプロレタリアートを主人公にした。ステッキを持ち山高帽をかぶってはいたけれど、ドタ靴を履いた浮浪者のような主人公ばかりだったのだ。

彼が日本に持ってきた新作「街の灯」(1931年)の主人公だってルンペンである。盲目の花売り娘は親切にしてくれたチャップリンをお金持ちだと思い込み、手術で目が見えるようになったとき、浮浪者のようなチャップリンを怪しむ。しかし、チャップリンの手を握ったとき、初めて彼が恩人だったとわかるのだ。

モダンタイムス コレクターズ・エディション「街の灯」でも金持ちは非人間的に描かれているし、「モダンタイムス」(1938年)では資本家は戯画的に描かれる。チャップリンが容共的だとしてアメリカを追放になった後に作った映画「ニューヨークの王様」(1957年)を見ると、少年(チャプリンの息子が演じた)がいきなり資本家の攻撃を始め、コミュニズムを礼賛する。

察するに古賀中尉は、チャップリンの映画を見ていなかったのではあるまいか。映画を見ていれば、チャップリンが最初の作品からずっと貧しい者の代弁者だったことがわかる。チャップリンが憎んだのは資本家たちであり、金持ちたちであり、何より権力者たちだった。

●理想を述べればコミュニストと言われた時代

チャップリンは貧しくみじめな少年時代を送った。母親は精神に異常をきたし、病院に収容される。子供の頃から舞台を踏んだチャップリンは、自らの芸で世界的なコメディアンになる。アメリカに赴き、大成功を収める。チャップリンがイギリスに凱旋したときの騒ぎは凄かったという。

成功したチャップリンは、ハリウッドに豪邸を建て、美しい妻を得る。彼は、おそらくロリータ・コンプレックスだったのだろう。何人もの妻を持つが、いつも年若い少女のような女たちだった。最後の妻は劇作家ユージン・オニールの娘ウーナである。

独裁者 コレクターズ・エディション大金を手にし豪邸に住んでも、チャップリンがまともだったのは、子供時代の貧窮を忘れなかったことである。彼の作品を見れば、そのことは明確だ。「チャップリンの独裁者」(1940年)「チャップリンの殺人狂時代」(1947年)「ライムライト」(1952年)「ニューヨークの王様」…、彼は変わっていない。常に志を述べ続けた。

そう、チャップリンほど作品にメッセージを込めた監督はいない。彼はほとんどの作品を自分で脚本を書き、監督し、主演した。才人であるチャップリンは音楽まで担当した。「モダン・タイムス」の主題曲「スマイル」は名曲として、多くのジャズ・ブレイヤーが演奏している。

チャップリン作品は、すべて彼が作り上げたものだ。だからこそ、そこには彼の強烈なメッセージが込められた。ときにストレートすぎたため、公開時の評価を下げたこともあった。たとえば「チャップリンの独裁者」である。この映画はヒトラーを英雄視する人々がいた時代に公開されたので、チャップリンは迫害を受けたこともあったのだ。

「チャップリンの独裁者」は、最後の十数分に及ぶ演説シーンが有名である。しかし、このシーンも自伝によれば「大部分の批評家が最後のスピーチに反対したのだ。《ニューヨーク・デイリィ・ニューズ》は、わたしが共産主義の指を観客に向けていると非難した」とある。

その演説の全文は「チャップリン自伝 栄光の日々」の417頁から5頁にわたって掲載されているから、興味のある人はぜひ読んでいただきたい。読んだ人は、チャップリンのメッセージに、その志の高さに間違いなく感動する。身が震える。善き人間になろうと思う。僕もそうだった。

しかし「わたしたちは他人の不幸によってではなく、他人の幸福によって、生きたいのです」と訴える演説のどこが共産主義的なのだろうか。この言葉のどこが間違っているのか。9.11テロ事件後、アメリカではジョン・レノンの「イマジン」が放送禁止になったというが、それと同じように僕には理解できない。「独裁者」の演説も「イマジン」も人類の理想を述べているだけだ。

ニューヨークの王様 コレクターズ・エディションだが、「チャップリンの独裁者」の演説が大戦後の赤狩りの時代に問題にされ、チャップリンのリベラルさが権力者たちを刺激し、1952年、「ライムライト」を最後にチャップリンは、事実上、アメリカを追放される。その後、彼は「ニューヨークの王様」で赤狩り批判を心ゆくまで展開する。

チャップリンが再びアメリカの土を踏むのは、二十年後の1972年である。その年、ハリウッドは偉大な先駆者チャーリー・チャップリンに詫びるためにアカデミー賞の特別賞を授与する。アカデミー名誉賞の授賞式で彼は二十年ぶりにアメリカの土を踏み、ハリウッドの人々の前に姿を現した。

八十歳を超えたチャップリンは、壇上で「胸がいっぱいです」と口を開いた。観客は、この偉大な映画人にスタンディング・オベイションで敬意を表明した。チャップリンの胸には多くの言葉が渦を巻き、八十年間の記憶が甦っていたに違いない。だが、彼は「光栄に思います。優しい心遣いに感謝します」と述べただけだった。

殺人狂時代 コレクターズ・エディションチャップリンは、自分の貧しかった生い立ちを振り返り、人々が平等に幸福である社会の実現を願い続けた。それを映画の中で描き続けたのだ。どの映画も素晴らしく完成度が高い。とりわけ僕は「殺人狂時代」の作品としての完成度の高さに驚く。何人もの女性を殺す話なのに、こんなに笑える映画は他にない。天才の仕事だ。だが、そこでも彼のメッセージは明確だった。

──ひとりを殺せば犯罪だが、百万人を殺せば英雄になれる。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
この原稿を仕上げた翌日、朝日新聞の読書欄で「チャップリン暗殺」が紹介されていた。秘書の高野虎市のその後も詳しく調べられているという。筆者は大野裕之さん。NGフィルムを含めてチャップリン作品をすべて見た人がいると聞いていたけれど、そのご本人らしい。これは読んでおくべきかな。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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