ローマでMANGA[9]マンガはMANGAでないとだめ/midori

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「さて、次はルチアーノ。」で、前回を終えた。

ルチアーノはA4を縦に、版面に見立てた長方形をいくつもランダムな位置に描いてネームを作っている。描いたところまでをコピーして、家に持ち帰り、何度も眺めてみたけれど話のつながりがわからない。工房ではイヤホンを耳にCDを聞きながら楽しそうに作業をしているけれど、遅々として進まない。もっとも、私も自分のマンガのネームを作ってみているのだけど同様に進まない。経験が足らないと、手が動くのも遅くなるのは当然の成り行きらしい。

前回に引き続き、もっと簡単な線でいいから、だいたいどこに何がくるのかを先に作ってくれないかと言ってみる。ルチアーノは、小さい長方形をコマ割りした中に丁寧に描き込んでいるのだ。イヤホンを外して「こうやって描かないと自分でわからないから」と、前回と同じ返事。私は物語の全体を通してみないとサジェスチョンはできないので、諦めて、なるべく早く最後のページまで作っちゃってね、と言ってルチアーノをCDに返した。


●MANGAとヨーロッパマンガの違い

このコラムで「MANGA」とローマ字で表記する時は、アメコミやBD(フランスマンガ)などを含まない、こちらでも外来語となっている日本の漫画のことを指しているのでお含みおきください。

この工房の目的である講談社「モーニング国際新人漫画賞」担当者からメールが入った。曰く、140もの応募があった2回目の二次審査が終わって10編が残った。そのうち2編がイタリアの応募作なので翻訳してほしい。ということだった。

そのうちの一編は知り合いの作品だった。ベローナに住む兄弟で、二次選考に通ったのは弟の方。兄の作品も送付前に見ており、深く静かなゴシック風の世界に引き込まれるような作品で気に入っていた。

兄が通らなかった理由を編集部に尋ねると、サイレントなのに内容が伝わってこない、ということだった。兄は敢えてストーリーを排除し、ある世界を伝えることを目的にしたのだけれど、物語を主題にする、というMANGAの姿勢を崩してはならなかったわけ。つまり、MANGAの構築法にそって作品を仕上げた方が少なくも一次、二次予選を通る可能性が高くなる。

MANGA構築法は、日本の漫画を普通に読む日本の読者にとっては当たり前で、今更言葉にする必要もないし、世界中のマンガもそのように出来ているのだろうと思っておられるかもしれないが、そうではない。MANGAは登場人物の感情の動きを追って話を進めて行く。だから、あるコマと次のコマは密接な関連があり、登場人物が生きる時間を同時に読者も生きる。人物の表情だけではなく、時間の流れを作って、読者が感情を生きられるようにする。

ヨーロッパマンガは状況を絵にして話を進めて行く。どこで誰が何をしているのか、を描いて行く。だから背景をきちっと描き込み、人物を解剖学的にキチンと描くのが普通で、ヨーロッパのマンガ家の多くが美術学校を出ているのは偶然ではない。だから各コマは絵としての完成度が高いヨーロッパマンガ界の大御所が「MANGAに出てくる人物はあり得ない」と評するのは、その観点からするとお門違いではないのだ。

もっとも、MANGAにあまり興味がない人が目にする事が出来るMANGAは、いわゆるアニメ系の絵柄がほとんどなので、デカ目に大きい頭で確かに解剖学から言えばあり得ない人間だ。ついでにいうと、そんなめちゃくちゃな絵で成り立つMANGAは手に取る価値もなし……と毛嫌いして読まないから、「くだらないもの」と貼ったレッテルをはがす事はまずない。それが残念。

それはさておき。読者は人物に感情移入をしないで、第三者として物語を追って行く(場合が多い)ので、MANGAを読み慣れた日本の読者は粗筋だけを読んだような物足りなさを味わう。

もっと詳しく言うと、ヨーロッパマンガを日本の漫画を読むのと同じ速度で読もうとしてしまう。つまり、登場人物と同じ時間を生きようとして、サッサッとページをめくってしまうのだ。ところが、ヨーロッパマンガは状況説明だから、コマごとをじっくり見て、描き込まれた風景の隅々まで味わう必要がある。つまり、ページをめくる速度はかなり遅くなる。そうした絵の隅々まで見て行きながら、人物の感情を推測して理解していく。

別の見方から言うと、ヨーロッパの読者は状況展開式のヨーロッパマンガも感情移入式のMANGAも楽しめる。実際、日本のマンガはヨーロッパでかなり読まれている。日本の読者は感情移入式で状況展開式を読もうとしてしまうので、ヨーロッパマンガを楽しめない。もちろん、すべての作品に当てはまるわけではないにしても、大雑把に見るとこういうことになる。

新人賞応募要項のページに「BD(バンドシネ=フランスのマンガ)でもアメコミでも受け付けます」とあるけれど、応募作品は少なくも、コマとコマが連続していることを大前提に制作する必要があるわけ。ベローナ兄はこの事を表面に出してくれた。

●何度ネームを見ても展開がわからない

コマとコマが連続していること、という観点で見て行くと、すでに下書きに入っているバルバラ、じっくりネームを練っているエミリア、在校二年生で課題に追われてなかなか参加できないバレリアは問題がない。

何度ネームを見ても展開がわからない、ルチアーノとロベルトが問題だ。ルチアーノは最後までネームを作ってから……と諦めているので、またもやロベルトだ。

ロベルトはインフルエンザにかかって二週間休んだ。作品作りに問題があっても、やる気は十分で、休んでいる間にネームを作って来た。

グラフィック・ノベルにする、という案で顔を輝かしたロベルトであったけれど、ストーリーに添って前に書いた下書きの絵をそのまま当てはめて来ただけ。ロベルトは手抜きをしようとしてるのではないことはよくわかるけど、当てはめただけ……としか言いようがない。

一度出て来た構図を変えようとしていない。なぜその構図なのか、どういう効果があるのか……を考えていない。ある状況を自分が描ける構図で描いている……だけ。これでは感情移入式であろうが、状況展開式であろうが作品としておもしろくない。グラフィック・ノベルだから、文を読んで行けばストーリーはわかるはずだけれど。

言ってしまえば、ロベルトは絵を描く事がヘタなのだ。線が未熟だとか、表情が出せないとか、ポーズがヘンとかの技術以前の問題。

一ページ丸々使って、主人公が神々の住む次元へ落ちて行く場面を描いた。その後の孤児院の仲間を殺すシーンや、試練を通過して印を得るシーンは小さいコマに描いている。
「移動する場面がそんなに大事なの?」
「大事だ」
「なんで?」
「現世から神々の次元へ行くから」
私の言いたい事をわかってもらえない。
「神々の次元へ行くのが大事な事はわかるけど、行き方がそんなに大事なの?」
「うん」「なんで?」「う……、主人公は神々の次元で神になるんだもの」
「……」

一つの見開きページの中で何が大事なのか、ロベルトを誘導していく必要があることがようくわかった。時間になってしまったので、描いて来たものをコピーして家に持ち帰ることにした。私の宿題。復活祭で学校が休みの間にじっくり見直す事にする。そして、次回こそルチアーノ?

【みどり】midorigo@mac.com

既に吉井さんやまつかさ氏が書いているので、Mixiの騒ぎのことはご存知でしょう。私もMixiユーザー。
< http://bn.dgcr.com/archives/20080312140100.html >
< http://bn.dgcr.com/archives/20080319140200.html >

規約改訂反対コミュに入って、いつもより多くアクセスして動向を見ていたが、19日に出た規約改訂修正版にとりあえず納得して、居残ることにした。なにしろ、Mixiで人脈ができちゃった。Mixiをやめて、その人脈を別の方法で保つというのは並大抵ではない。起こり得る悪い事より、メリットの方が大きいと判断したわけ。

規約改訂が出てから、いろいろ憶測が出た。曰く、Googleによる買収があってオープンになるんだろう。かつての流出した写真を巡って運営側と一部のユーザーとアップ・削除のいたちごっこがあったから、全部運営側の自由にしたいんだろう。三浦被告の件で、証拠を出すんだろう。株価操作じゃないか。上海Mixiにコンテンツを流すんだろう。

多くが憶測で騒いでいる中、「問題点がはっきりした今、運営側に問いただすのが筋。一般ユーザーとしてではなく、ジャーナリストが質問するのがいい」と実際の行動に出る人も出た。この人はマスコミに働きかけて、「週刊金曜日」とコンタクトをとることに成功し、「金曜日」として公式取材に臨んだ(この人の記事が載った同雑誌が3月21日金曜日に出ました)。

Mixiが取材に応じた事をまず評価し、新規ビジネスと改定は無関係、修正案の完成を急いでいるとの公式見解を得た。「正式に見解が出た上は、あれこれ想像を巡らさず必要がなくなりました。」という日記文が潔かった。

大勢に関わる問題が起きた時に、こうして意味のある行動に出る人の行動力、決断力に感心させられた出来事でもあった。

イタリア語の単語を覚えられます! というメルマガ出してます。
< http://midoroma.hp.infoseek.co.jp/mm/menu.htm >