[2414] 伊豆高原での生活・その後

投稿:  著者:  読了時間:26分(本文:約12,600文字)


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■伊豆高原へいらっしゃい[13]
 伊豆高原での生活・その後
 松林あつし

■わが逃走[20]
 自分で書いた文章に触発される。の巻
 齋藤 浩

■デジクリトーク
 「注文の多い写真館」をなぜ始めようと思ったのか
 所 幸則


■伊豆高原へいらっしゃい[13]
伊豆高原での生活・その後

松林あつし
< http://bn.dgcr.com/archives/20080424140300.html >
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僕が伊豆高原へ移住してから丸二年が経ちました。ここに移り住むまでのいきさつは以前書いた通りですが、二年間住んでみての感想をお伝えしたいと思います。もちろん良いことばかりではありませんが、あれやこれや含めて、田舎で暮らすってどうなの? という疑問にもお答えできればと思います。

そもそも、なぜ伊豆高原に移り住んだのかと言えば、海を見ながらのんびり仕事をしたいと思ったからなのですが、当初の希望は叶えられないまま、「移り住む」という大前提だけが先走り、どんどん計画を進めてしまい今に至る、というのが正直なところです。

ただ、狭いマンションで一生過ごすという未来は想像できなかったので、どの道どこかには移り住んでいたでしょう。この地への移住はそんな「マンションを出たい願望」を叶えるための口実だったのかも知れません。

そして、マンションを出るのであれば、できるだけ環境の良い所へ行きたい…そう考えたあげく、候補地にしたのが伊豆高原なのです。

では、実際二年間住んでみてどうだったのか……点数を付ければ、80点というところでしょうか。静かで空気がきれいで、海も山も近い。車でちょっと走ればホタルの生息するわさび園の清流があり、犬の散歩をしても、車の往来をほとんど気にしなくて済む……しかし、田舎とは言っても、ここ別荘地は、緑と坂道のやたら多い「住宅地」なので、適度な利便性もあります。その上で住んでいる人たちはご老人が多く、のんびりとした空気が漂っています。

マンション暮らしの時も、毎日部屋にこもって仕事をしていましたが、日曜日などは朝早くから奇声を上げながら廊下を走り回るガ、おっと、お子様方や、人の家のドアの前で長々と井戸端会議をされる奥様方の騒音に悩まされたり、駐車場に車を入れようとした時、出ようとする車のこわおもてのおっちゃんとトラブルになって怒鳴られたり、上階の人の飛び跳ねる音が気になったり……といった窮屈で殺伐とした環境はここにはありません。何せ、外で誰かの話し声が聞こえると「おや、誰だろう」って珍しがるほど、人通りがないのです。

最も良く聞こえる音は……今の時期であれば、ウグイスの鳴き声や風の音です(結構リフォームをするお家が多いので、建築音は時々聞こえますが)。しかし、だからと言って物寂しいというイメージはありません。ほんの20mも離れたご近所には誰か住んでいます。実際、うちも年末には忘年会、春先にはバーベキューなどごちそうになってますし(今度はうちで何か催さなければなりませんね)。

しかし、ご近所さんは年配の方が多いと言いましたが、そのため、僕のような「若者」(ここでは40代は若者です)が別荘地に住んで、仕事は何をしているんだろう……と思われているはずです……たぶん。なので、最近は積極的に「イラストを描いています」って言うことにしています。CGと言っても理解してもらえないと思いますし……(これはマンション住まいの時も同じだったのですが……「あそこのお宅のご主人はいつも昼間家にいて、何してるのかしら」と言われていたはずです……たぶん)。

それに「うちは夫婦共働きで、イラストを描いたりデザインをしたりしています」ってはっきり言わなければ、町内会の役員にされそうです。

ここだからこそ持てる、広めの庭も日々の生活に潤いを与えてくれます……と言えば聞こえはいいのですが、ほったらかしにするとすぐ雑草の餌食となり、見るも無惨な庭になってしまいます。庭の整備は大変でしたが、それも楽しみのひとつ……二年かけて全体に芝生とレンガを敷き詰め、雑草を生えにくくしました。これから色々な植物を植えて、目指すは「イングリッシュガーデン」といきますかどうか……。

良いことばかりではなく、マイナスの20点は、と言いますと、まず、「ちょっと無理してでも、海の見渡せる家を探せば良かったな?」と後悔したことが一つです。うちからも微かに海と大島が望めますが、その程度なら、逆に森に囲まれた場所の方が良いかも知れません。分譲地内でも地価の高いところ、低いところがあります。おおむね海が一望できる平坦地はかなり高く、逆に景色が悪い上に斜面であったり、水の流れる通路だったりする土地はかなりお安いようです。

僕のような職業の場合、将来への不安があり、銀行の貸付額も低く抑えられますが、無理をすればもう少し予算アップできたかも知れません。しかし、小市民である僕は安全な範囲での予算しか組みませんでした。さんざん探しましたが、予算内で海の見渡せる物件はなかったのです。

それと、温泉。伊豆といえば温泉を連想されるかも知れません。実際ほとんどの別荘地には、温泉のパイプが水道管のように張り巡らしてあります。うちも家の前まで温泉が来ていますが「温泉権利」を取得しなければ使えません。その権利料、約150万円。それプラス配管工事に150万円。計300万円なければ温泉を引けないのです。

しかし、中古物件を見れば「温泉権利付き」というのが結構あります。この権利付き物件は、やはり権利なし物件より多少高いのですが、それでも後で温泉権利を買うより遙かにお得だそうです。……しまった。

自然も良いことばかりではありません。まず、風がやたら強い! 昨年、伊東市は台風の直撃を受けました。その強烈な風は、今まで経験したことがないほどのものでした。ツツジの生け垣は倒れるし、隣の竹林の竹も折れて何本もうちの庭に覆い被さって来ました。台風に限らず冬でも強風は吹き荒れます。

次に湿度がやたら高い! 梅雨の時期や夏場など、換気をしているつもりでも、気を抜けばクローゼットの中にカビが生えますし、歩道は分厚いコケで覆われます。洗濯乾燥機は必需品です。

数年に一度、伊豆半島東方沖地震(群発地震)に見舞われる! 2006年の春がそうでした。地震が発生し始めると、一日に何度も揺れを感じますし、一昨年の最大震度は6弱でした。

しかし、地震、噴火はそれほど脅威には思っていません。伊豆に住むことを考えていた時、「伊豆半島の地盤地図」というのを取り寄せて確認しましたが、伊豆高原あたりは火山岩の岩盤でできており、斜面が多いとはいえ、地盤は強固だと思います。

ついでに火山ですが、すぐ後ろにそびえる休火山の大室山が噴火したのは、はるか4500年も前です。その後活動していないことを考えると、生きている間に噴火する可能性は極めて低く、それより、富士山の噴火の可能性の方が遙かに高いだろうと考えました。

そして静岡と言えば、東海大地震……いつ起きても不思議ではないと言われて久しいのですが、これも伊東市の直下で起きるとは考えにくく、楽観的に捉えています(富士、駿河湾周辺にお住まいの方には申し訳ないのですが、僕の住む伊豆高原を前提に考えた場合の、勝手な判断ですのでご容赦ください)。それでも、どんな被害がでるか予測はできないので、防災には気を遣わなければなりませんが(実際、地区の防災員になってしまいました、というより、されてしまいました)。

どこでもそうですが、防災以外に「防犯」にも気を配らなければなりません。そして別荘地は特に空き巣が多いのです。「別荘を持つ=お金持ち」というイメージがある上に、多くのお宅は数か月に一度しかオーナーが来ない、となれば空き巣にとっては格好の「獲物」と言えるのかも知れません。近所の家も電化製品一式、取り扱い説明書に至るまで全部盗まれたそうです。こわ! どろぼうさん! だからと言って来ないでね。ちゃんと定住者がパトロールしてますから……。

以上が、住んでみてのマイナス20ポイントでしょうか……しかし、僕にとっての最大のマイナスポイントは、夏になるとこの辺一帯、「クモ天国」になることですね。クモは僕の天敵です。うちの庭には一匹たりと巣を張らせないぞ!

最後に、別荘地に移り住もうと思っている方に、恐れ多くも助言ですが……その地の環境や物件、土地だけに目を奪われず、管理母体をしっかりリサーチすることをお勧めします。

分譲別荘地は、どこかの会社が管理をしているはずです。しかし、時々管理の行き届いていいない地域があります。道路の補修ができていない所や、排水溝が埋まっているような所はちゃんと管理ができていない可能性がありますし、道路や水道管の管理が自治体なのか、管理会社なのかによって補修の頻度も違ってきます。管理会社が何度も変わってしまうこともあります。

実際、僕の住む地域もそうなのですが、補修をどこがするかでもめた上、宙ぶらりんになってしまうケースもあるようです。そうなるとどんなに環境の良い所でも、将来不安で住めなくなります。

まあ、どこに住んでも満足度100%のパラダイスはない訳で、自分にとって生活する上で大事なのは何なのかということだと思います。しかし、永住場所として選んだ地ですから、満足度が最低60%ぐらいはあってほしいですね。みなさんの「安住の地」はどこでしょうか?

【まつばやし・あつし】pine2656@art.email.ne.jp
イラストレーター・CGクリエーター
< http://www.atsushi-m.com/ >

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■わが逃走[20]
自分で書いた文章に触発される。の巻

齋藤 浩
< http://bn.dgcr.com/archives/20080424140200.html >
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そんなつもりはなかったのに、すっかりハマってしまいました。今まさに、私の中でランボルギーニ・カウンタックがマイブームです。

そうなのです。前回スーパーカーブームの思い出を書いてみたところ、改めてカウンタックの美しさに惚れてしまい、カウンタックの本数冊とカウンタックのプラモデル2個、そしてカウンタックのDVDを買ってしまいました。

私はもともといろんなものに影響されやすい方だと自覚していたものの、まさか自分で書いた文にまで影響を受けてしまうとはびっくりだー。

ノーギャラで書いてるこんな文章でも、少なくとも経済効果10,000円程度にはなってる訳だ。すごいですね。そういった訳で、今週もランボルギーニでいきます。

1◎俺様は、ランボルギーニ社の成り立ちが好きだー。

そもそもスーパーカーを作るきっかけになった出来事というのが、イイ。伝説によれば、当時農業用トラクターなどをメインに生産していたランボルギーニの社長はフェラーリが大好きで、当然のごとくフェラーリオーナーだったのだが、自社のトラクターに乗ってフェラーリの社長に会いに行ったところ、門前払いにあってしまった。

で、頭に来た社長は「オレがもっとすげえ車作ってやるわい」と意気込み、あのようなスーパーカーを生産するメーカーになったという。エンブレムも跳ね馬に対して牛! いいねえ。いけ好かないお貴族様、フェラーリに対する意地みたいなのが好きだ。

こうして「永遠のライバル」といった図式が成り立った訳だが、あくまでもライバルだと思っているのはランボルギーニ側であり、フェラーリははなっから相手にしていないという。そのへんの事情も面白い。

2◎荒っぽい感じが好きだー。

エレガントな曲線で構成されるフェラーリやポルシェに対して、直線的なラインのランボルギーニ・カウンタック!! リトラクタブル式ヘッドライトも目立つし、ドアが跳ね上がるように開いちゃうんだから、もう、目立つー!!

なにもそこまでしなくても……と言いたくなるくらい、うさん臭いところが好きだー。ハッタリかましまくってる!!

勝手な解釈ですが、そのハッタリ感というのが1920年頃に一世を風靡した美術様式“未来派”に通じるような気がするのです。当時マリネッティらが思い描いたような高層建築が立ち並ぶ都市に、爆音を轟かせながら走る黄色いカウンタック!! 想像するだけで鼻息がもれます。

3◎流線型が好きだー。

私はいろんなマニアックなことを広く浅くかじっているのですが、自称流線型好きでもあります。

私は流線型をふたつに分類しています。「ホントっぽい系」と「ムリヤリ系」。前者は、64型ポルシェやドイツの05型蒸気機関車など、空気抵抗を研究してます! と語りかけてくるような曲線・曲面で構成されたプロダクト。実際速く走ったもの達。

後者は、速く走ることよりも“速く走りそうな感じ”を優先させた、1959年型キャデラック・エルドラドや日本の蒸気機関車C55型など。曲面や曲線を機能としてではなく装飾として使っているプロダクト。

どっちが好きかといえば、どっちも好きなんですよ。時代背景やら、当時の人達が思い描いた未来像なんかが見えてくるので。

で、カウンタックだ。カウンタックは実際速い。時速300キロ! あのスタイリングは速く走るための技術を研究しつくした結果の機能美の極致か、といえばそうなんだろうが、味付けがやや不真面目というかケレン味があるというか、そのあたりが良いのです。

「ホントっぽい系」で突き進んだ後、ほどよく「ムリヤリ系」の味付けを加えて俗っぽくしている。絶妙なバランスだと思う。

エッジの効いた直線と平面の構成は空気抵抗を抑えるというより、空気を切り裂く感じだ。実に攻撃的。これがもし軍用車両のデザインだったらイヤミになるんだろうけど、あくまでも乗用車のデザインなのでアリなのだ。

4◎所有したいか、否か。

で、思い出した。以前ウチの前に黄色いカウンタックが違法駐車していて、バイクを出せずに困っていたら、警察が来て「そこの黄色い乗用車、すぐに移動しなさい」とか言われていたのだ。わはは! 乗用車だってさ。ざまーみろって感じでした。オレはカウンタックは大好きだが、乗ってる奴は嫌いなのだ。

そんなこんなで、少年の頃の夢。オヤジの居酒屋における同世代トーク。これらに必ず出て来る話題が、『カウンタックを所有したいか』。

死ぬまでに一度でいい、あの跳ね上げ式のドアを開けてみたい。という願望はありますが、オレは全く所有したくないです。分不相応な車です。そもそも日本人が日本国内で運転することなんか設計思想にはまるでない。そんな車には乗れんよ。

フェラーリも同様。あれはヨーロッパのお貴族様が乗る車であって、極東の島国で黄色いお猿さんが乗るものではない。って絶対フェラーリ乗ってる奴らは思ってるに違いない。むかつくー。大金持ちになっても絶対買ってやるもんか!

子供の心に戻って、子供の頃に好きだった車を見るのは本当に幸せだ。でも、特に最近のスーパーカーってなんか純粋に車としての魅力というよりも、金銭的価値ばかりが前面に出ているような気がするのです。私の心が荒んでしまったのでしょうか。

話はそれるが、あえて乗りたいスーパーカーを挙げるとすれば、私はロータス!と答えます。なんといっても本国仕様は右ハンドルです。私は日本国内における左ハンドル信仰ってのが全く理解できません。危険ですよ、あれは。その点ロータスは、少なくとも右ハンドルの国で使われるってことを設計者が念頭においていると思うのだ。そのへんがまずイイ。

そして、なんといっても小さくて軽いこと。重たいボディを動かすためにバカでかいエンジンを積む『足す思想』に対して、『そぎ落とす思想』により設計されている。エンジンが小さくても車重を軽くすれば勝てるじゃん! といった考えに基づいて、ライトウェイト・スポーツカーなるジャンルを確立してしまったところがエライ。

エラン、ヨーロッパ、エリーゼ。どれも小さく美しい(どーでもいいけどロータスの車名はみんなEで始まりますね。なんででしょ?)。例えるならツイッギーみたいな感じ?

そんな中で、俺様がこれぞ! と思うロータス車はエラン、特に二代目エラン(Elan SE)がスゲー好きなんですよ。FFでいすゞのエンジン積んでて、なんて理由から超不人気車と言われているけど、純粋に美しい車だと思う。もちろん乗ったことないからエラそうなことは言えないのだが。

そのうち大金持ちになって、車を何台も所有できるようになったらポーンと買っちまいましょう。色は黄色かなー。妄想はいつまでも続く。

5◎走ってるカウンタックを運転中に見たときの話。

学生のときだったか。学校から重たい荷物を引き上げるんでカローラIIに乗って青梅街道を走っていたところ、黄色いカウンタックとすれ違ったのだ。当時はバブル期にさしかかっていたとはいえ、まだ乗用車といえば白いセダンという時代。おまんじゅうのような車とすれ違い続ける中、突然スライスチーズが現れたので仰天したのを覚えている。

「薄い!」
思わず声に出してしまった19歳のオレ。その時の様子を文字で表現してみよう。

饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 スライスチーズ 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 饅頭 …

それまで、カウンタックの実車はスーパーカーショーでしか見たことがなかったので、ホンモノが普通の道を走っているという事実を目の当たりにした私は、まさに「クンタッチ!」でした。

6◎ネーミングのこと。

カウンタックとは「びっくりしたなぁもう!」を意味するイタリア語、クンタッチを英語読みしたものなのだそうです。

我々は普通にゴールデンゲートブリッジを直訳して金門橋とか言ってるので、この車もランボルギーニ・ビックリシタナァモウ! とか言ってみるのも乙なものかもしれません。カウンタックはスタイリングだけでなく、ネーミングからして飛ばしてたんですね。そのへんのうさん臭さも好きだー。

そういえば80年代の終わり、東京モーターショーにて、富士重工(?)かどっかが発表したスポーツカーに『キャスピタ』なんていう名前がついていた。

ちなみにキャスピタという言葉も、イタリア語で「あー驚いた」という意味だという。結局この車は市販化されることなくお蔵入りしてしまったのだが、そもそもネーミング自体が二番煎じくさいんだから、ポシャっても仕方ないじゃん。なんて思う。名前って大切です。

てな感じで、今週も結局カウンタックになっちゃった。次回は別のネタにしますね。前回の感想を送ってくださった皆様、ありがとうございました。スーパーカー少年の夢は不滅です。ではまた〜。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。
< http://www.c-channel.com/c00563/ >

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■デジクリトーク
「注文の多い写真館」をなぜ始めようと思ったのか
──誰でも“特別な自分”の写真が欲しい

所 幸則
< http://bn.dgcr.com/archives/20080424140100.html >
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僕自身が家族の行事、七五三や、証明写真が必要なときに、うちの近所の渋谷ではうまいといわれている写真館にここ10何年ほど行ってたのですが、一度も気に入った写真を撮ってもらったことがないんだよなー。どうしてもクオリティの面で、ちょっとがっかりしてしまうことが多いのです。

撮影されていてに気になったのが、まずポーズ。人にはそれぞれ個性があるはずなのに、ほぼ他の見本の写真とおなじポーズを求められます。様式美、形式美という意味はわかるけれど、みんな統一された不自然なポーズに違和感を覚えずにいられません。

次にライティング。写真を撮る人ならわかると思いますが、少なくとも僕はポートレートを撮るときにいつも、ライティングは顔のかたちや服装によって変えるべきだと考えています。細かくいえば、レンズの選択も人によって変えるべきでしょうし。そんな僕の考えとはかけ離れて、ライティングもレンズもほぼ同一。もちろん、それが自分の写真の哲学だという写真館があるのもわかりますが。

だけど、どうしても納得いかないのがシャッターを切る回数。集合のポートレートでは中判のカメラを使う写真館が多いけど、12枚シャッター切れるフィルムを使いながら、なぜ6枚までしか切らない? 台紙代、プリント代、撮影代にはトータルで6〜7万かかるところだが、その額の中で考えるとフィルム代、現像代がそう影響すると思えない。

なぜそこまでシャッターを押すことを惜しむのか! せめて、気に入ったカットが撮れるまで続けてくれないのかと思ってしまいます。それがプロとしては当たり前だと思うんだけど(実際、僕フィルム持って来るんでせめて一本分撮ってもらえませんか、ってお願いしたことあります。断られましたが)。

せっかくの機材がそろったセットのなかで、目の前でプロのカメラマンが撮ってくれているんだけれど、無機質でどこか決まりきったやりとりは、プリクラや無人のインスタント写真ボックスと変わらない気がするのです。場所代や機材が高いだけ。

なによりも、フォトグラファーとしてのオーラが出ていない。最近、僕も時々思うのです。被写体から、普通に見ただけでは見えてこない魅力を引き出す力を持ったフォトグラファーは、日本に何人いるんだろう。95%以上の確率でそれが出来る、そういうフォトグラファーのことです。そうはいない。写真館のなかにも何人いるんだろう。日本も広いからいるのかもしれないけれど、僕がそう思えるレベルの人、いたら撮って欲しいんです。

最近増えている、新しいタイプのデジタルフォトスタジオみたいなところや、知り合いが撮ってもらったという旅行先での安いパック(10分で撮影、30分後に仕上がり)なんかで、お肌ツルツルな美しい自分を演出してくれるといいいます。でも、もはや本人とはまったく違うというほど、デジタルで整形しまくった写真が上ってきている(最近の一部ファッション誌でもそんな傾向は見られなくないけど)。

つるつるにするのを全否定するつもりはないんですよ。写真の全体のトーンとなじんでいれば。だけど、リアルな一枚の中に顔だけが奇妙に見えるので、全体に安っぽく感じられる。実際、韓国のそういうのはかなり安いみたいだけど。

本人はそれで満足しちゃうのかな。どうも高いプリクラという印象しかなく、ひとりの人間のかっこい表情を光の当てかたや、アングルによって追求したハイクオリティな写真とはほど遠い。

僕は、「ドマーニ」や「ナンバー」「エスクワイア」それから音楽雑誌などで、有名人、職人、社長のポ−トレートなどたくさん撮る機会をもらってきました。最初に被写体に会って挨拶をかわしたときの印象から、撮影に入り、シャッターを切る間、つねによいアングル、よい光、よい表情を見つけようと考えます。たとえ限られた撮影時間(最短10分なんてことも)であっても、工夫次第でかっこいい写真は撮れると思っています。

その結果、まわりのスタッフはじめ、被写体本人も非常にかっこいいと言ってくれるような写真が仕上がっています。実際、僕の撮った写真は媒体に関係なく、たとえ20年前のものでも、いま見ても個展につかいたくなる作品がたくさん残っています。

僕自身は、まだそういうレベルの写真を“撮られた経験”は、残念ながらありません。普通の人が、腕のいいカメラマンに自分のよさを引き出してもらった写真を撮られることって、なかなかないのかな。誰でもそういう“特別な自分の写真”を、一枚は所有したいという希望はあると思うのだけれど。

ということで、フォトグラファーの腕によって一生の思い出になるような特別な写真を撮る、そういう写真館をつくってみようかなと思い、「注文の多い写真館」を始めました。いまのところ、豪華ではないけれど、ぼくの家の一階のアトリエです。ここではパソコンもミーティングもするけれど、奥に丸くなった白壁があり、下はスタジオと同じホリゾントです。もともといつでも作品撮りができるように、そうしていたのがよかったかな。

実は二年くらい前から、僕の写真のファンや知り合いに申し込まれて、少しずつプライベートなポートレートを撮る機会が増えてきています。僕のアトリエでの撮影が基本ですが、結婚式や、自分のお気に入りの場所で撮影して欲しいという希望もいくつかありました。

いろんな人に会って要望をきいていると、写真を撮られる理由ってほんといろいろだな〜って思います。被写体の性別、年齢、職業もさまざまです。いまの自分のためにっていうのはもちろん、ちいさい子供や両親のためにっていうパターンも意外と多いんですね。

被写体の望む理想のイメージに近づけるために、プロのヘアメイク、スタイリストがいたほうがいい場合もあり、よく作品撮りで組んでいるスタッフにも協力してもらっていますが、テンションがあがると、びっくりするほど輝いちゃう被写体も少なくありません。

実際、素人のひとたちでも「ナンバー」の表紙、女性であれば「流行通信」や「ドマーニ」、外国のファッション雑誌に載っているような、かっこいい写真は撮れると思います。望まれれば、僕にしかできないポップだったり、非現実的な写真の被写体になることができるでしょう。

著名人に会って写真を撮るということは、もちろん刺激的なことでいろんな驚きがあるのだけれども、「注文の多い写真館」の構想を考え始めた二年前くらいから、時々ふつうの人のポートレートを撮ってきてみて、僕は結局、写真をとることが本当に好きなんだなと実感していますね。

被写体の有名無名とは関係ないところで、はじめて会った人との距離が撮影によって、写真によって縮まってゆく楽しさも知りました。広告や雑誌の仕事でクライアントから誉められるのと同じくらい、被写体本人から仕上がりを喜んでくれる声が聞こえてくるのは、僕にとってとても心地よいものです。

撮られた人が10年20年、大切にしてくれるような特別な写真を“一緒に”作っていく、そういう空間にしていきたいと思っています。

【ところ・ゆきのり】
< http://www.tokoroyukinori.com/ >
注文の多い写真館
&lt; http://www.tokoroyukinori.com/syasinkan/index.html &gt;

このテキストを書いてる途中に訃報が入ってきました。中学からの後輩でいいやつでした。心筋梗塞でした。まだ人生折り返し地点、頑張って生きて行くために一度ポートレートを撮ってほしいと言われていて、オシム監督の「ナンバー」みたいな渋いのがいいなあ、なんていってたのに。いつ四国から渋谷に来ようかと話した数日後の訃報でした。冗談で、変な写真しか持ってないから遺影にもつかえるしなあと言っていたのに、間に合わなかった。残念でならないです。人生ってわからない。生きてるうちに僕に人生最高の一枚を撮らせてください。

原宿のモグラというギャラリー&カフェで、MOGRA移転パーティーを4月26日
(土)27日(日)の両日行います。そこに素人の友人達のポートレートや新作、少ないですが展示予定です。12時過ぎから24時まで。
< http://mogra-tokyo.jp/12/cat22/ >

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■編集後記(4/24)

・広島高裁でまともな判決が出た翌日に、東京地裁ではまともでない判決が出た。「オリコン訴訟」という、そもそも訴訟自体がとんでもないもので、雑誌「サイゾー」に掲載されたコメントがオリコンの名誉を傷つけたからと、コメントしたジャーナリスト烏賀陽弘道さん個人に損害賠償5000万円を求めたのである。そんな裁判は成立するはずがないとさえ思っていたのに、東京地裁はあきれたことに、一個人に100万円の賠償を命じたのである。雑誌の発行元でなくコメントした個人だけを訴訟対象にするのはどう考えても不自然、不合理なのに、裁判所は「すべての責任者を提訴する義務はなく違法とはいえない」と判断した。だが、構図は見え見えではないか。オリコン側には、不都合なジャーナリスト個人を狙い撃ちして潰すという合理的(?)理由があったのだ。このトンデモ裁判については、まだちゃんと調べていないのでこれくらいにしておくが、「このような司法判断が出ると、取材を受ける側はコメントしにくくなり、マスコミは疑惑を報じる記事を書けなくなる恐れも出てくる」という服部孝章立大教授のコメントに激しく同感。どう考えても異常な判決、わたしがこの裁判の「裁判員」だったら(笑)徹底的に裁判長に抵抗するぞ。でも、こういう訴訟は裁判員制度では取り扱い対象外なのだ。(柴田)
< http://xtc.bz/index.php?ID=396 >
2006年12月18日の「音楽配信メモ」サイトが詳しい

・InDesign CS2のデータをIllustrator CS2に持ってくると、文章が一行ずつ
ばらばらになってしまう。まとまった文章のままにするにはどうしたらいいか、どなたかご存じではありませんか? InDesignでページものを作っていてほぼ完成したのだが、依頼側(経由先)はOS9環境しかなく、OSXにアップする予定もなく、OS9用Illustratorデータも欲しいそう。何年も続いている仕事で、ページによってはあちらがデザインをされるので、文字量を見ながら触りたいというのが理由。ううむ今さら困った。InDesignで作ることは納得してもらえていたのだけれど、OS9で支障が出るとは想像されていなかったのかもしれない。OS9で遜色なく、となると、一行ばらばら事件以外にも、ルビや外字、文字データのない(OS内の表記方法とは違う表記での)外国語のヒゲ類(とでも言うんだろうか。圏点で作った)とかの問題も出てくるよね……。ページものならInDesignの方がはるかに効率よく、ミスの減る作り方ができるのに、旧式に戻すのは良くないと思うんだけどなぁ。Illustratorで作り、InDesignに貼り込む形にすれば良かったか? いや、それだとInDesignの良さはなくなっちゃうよね……。(hammer.mule)