笑わない魚[244]自愛ネタ…そんな自分が大好きです/永吉克之

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「"自虐"の反対語が"自愛"かどうか、俺はそんなことは知らない」(永吉克之)

僕って、けっこういい人なんですよ。若い頃はずいぶん心が狭くて、怒りっぽくて妬み深くて意地悪で、いやなやつだな、こんな僕って嫌いだな、と思ってましたけど、最近の自分、わりと好きなんです。相手の立場に立って考えたり、感じたりできるようになった気がするんです。

駅の出口なんかで、ティッシュやチラシを配ってることがよくありますけど、僕はたいてい受け取ります。ゴルフとかエステとかテレクラとか、一生どころか来世まで縁のなさそうな内容のものでも、受け取ります。


配ってる人にしてみれば、どこの誰かわからない人に宣伝チラシを渡すのってけっこうストレスのかかる仕事だと思うんですよ。無視されるだけならまだしも、乱暴に突き返されたり、その場でくしゃくしゃにして捨てられたり、いろいろ不快な思いをしているでしょう。だからせめて僕だけでも、快く受け取ってあげようと思ってるんです。僕は、チラシ配りさんたちにとってのオアシスになろうと思ってます。

それと、コンビニの雑誌コーナーで、目当ての雑誌が二冊残っているとき、僕は手前の方、つまり立ち読みの手垢がついている方を買います。誰かが汚れた方を買わなければいけないなら、僕が泥を被ってあげようということなんですよ。だからといって、きれいな方を買った人が、汚れた方を買ってくれてありがとう、と感謝してくれるわけじゃありません。でもいいんです。僕は、誰にも感謝されなくても、動物のフンを食べてくれるセンチコガネや、死骸を食べてくれるシデムシのような「掃除屋さん」になろう思ってます。

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もう五か月以上も歯医者に通ってます。というのは歯の根っこに病巣があって、お医者さんが、歯に空けた穴からちょこちょこと薬を入れたりとか、尖った道具でつついたりとかしてるのに、ちっとも治らないからないからなんですよ。

もともと病巣はそんなに大きくなかったんですけど、お医者さんがあれこれいじってるうちに、どんどん大きくなっちゃって、これって世間でいう医療過誤じゃないのかな、ならお医者さんにそう言わなくちゃいけないのかな、どっかに通報しなくちゃいけないのかな、などなど社会正義の実践という問題に直面して苦悩したりしたんですけど、もし話がこじれて先生を怒らせて、口の中をめちゃくちゃにされたら困るので、なにも言えませんでした。

とうとう、歯茎がゆで卵みたいにぷりんぷりんに柔らかく腫れてしまって、先生が「膿がたまってるので歯茎をソウハしますがいいですか?」と訊くのです。「ソウハ」って、いったい何をされるのかわかりませんでしたけど、下手に聞き返してお医者さんの気分を害して、口の中をめちゃくちゃにされたくなかったので、はいお願いしますと即答しました。

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で、ソウハしてもらったんですけど、その日は、歯科大の学生のような女の人が見学に来ていて、僕をソウハしている先生が「ほら、ここに病巣があるだろ、これが◯で△だから……」と、所有者である僕自身ですら見ることのできない病巣を、他人が、まるで禁断の秘画を友人に見せびらかすように見せていたのが、なんだか人権を無視されているようで不愉快でした。これってどうなんでしょ? 患者の承諾は要らないんでしょうかね? 先生に直接訊いてみたいもんですけど、もちろんそんなことはできませんよ。機嫌悪くして、口の中をめちゃくちゃにされちゃ大変ですからね。

術後しばらく経過を見ていたら、またゆで卵みたいに腫れてきちゃって、僕も、やっぱりこれは、お医者さんの未熟な技術による一種の医療過誤じゃないのか、という疑念がだんだん強くなってきていたので、診察の当日、抗議のつもりでちょっと陰気な顔を作って診療室に入って、ベッドというか椅子というか、患者が寝かされるリクライニングシートみたいなアレに腰かけて待ってたら、先生が元気な声で「どうですかあ?」と肩でも叩かんばかりの意気込みで聞くので、つられて僕も元気に「はい。また腫れてきたみたいです!」と、まるでもう完全に治りましたと言わんばかりの笑顔で答えて、せっかくの抗議の陰気顔をすっかり台なしになっちゃったんですよ。

でも、悪化した患部のレントゲン写真をいっしょに見ているうちに先生の声に元気がなくなって、「どうやらソウハしたときに、膿が残っていたらしくて、それが原因でまた膿んできたみたいですね……」と情けない声で言いました。そして「すみません。もう一度ソウハさせてください」と頭を下げるのです。

僕は、この先生はいいお医者さんだと思いました。だって自分の失敗を素直に認めたんですからね。とくに、またソウハさせてくださいと情けない声で言ったのには、僕も心を打たれました。心底から謝罪の気持を表すとき、人はみな情けない声を出すものです。そういう態度から、われわれはその人の誠意を汲みとってるんですから。だから僕は先生を信じて、また痛い目にあおうと決心したんです。華岡青洲の妻になろうと思ったんですよ。

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二度目のソウハで膿を出した後は経過がよく、もう大丈夫だろうけど、とにかくしばらく様子を見ましょうということになって、ときどき舌先で患部を触っていたら、あるとき、またあのゆで卵感を覚えて、びっくりしたんです。僕は、もう死ぬまでこの病気につきまとわれるんじゃないかと怖くなって、先生に見てもらったら、やっぱりまた膿がたまってたんですよ。先生は、今度は声だけでなく顔つきまで情けなくなって「何度も何度もすみません。まだ膿が残っていたようなんです。あと一回だけソウハさせてください」と、眉毛をへの字にして言いました。

僕は先生が、眉毛をへの字にするのを見て、やっぱりいいお医者さんだと改めて思ったんです。なかなか自分の非を認めない、中国共産党みたいなお医者さんが多いなかで、眉毛をへの字にして過失を認めるのは勇気のいることでしょうからね。またこうも思いました。いいじゃないか、何度医療ミスをしても。その失敗が今後に生かされるならと。そしてこれからは医学のために、人柱になろうと思ったんですよ。

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三度目をしてもらいました。それ以前の二回と違っていたのは、ソウハしているうちに隠れていた病巣が見つかったらしく、先生が「ありましたありましたありました」と嬉しそうに言ったことです。期待した通り、二度の失敗の経験が生かされたんだと思います。今は術後の様子をみているところですが、今度は大丈夫な感じなんです。手術の成功を自分のこととしてだけではなく、お医者さんのこととしても喜べる、そんな自分が大好きです。

【ながよしかつゆき/韃靼人】katz@mvc.biglobe.ne.jp
NHKのBS2で土曜朝(再放送・日曜深夜)にやっている「週刊ブックレビュー」で作家の山崎ナオコーラがラディゲの『肉体の悪魔』を紹介して、中学生の時に読んで感動したようなことを言っていた。私が中学生のころに映画版の『肉体の悪魔』が公開され、私はタイトルからしてエロス満載の映画だろうと下半身を熱くしながらも恥ずかしくて観に行けなかったのを憶えている。年代が違うとはいえ、同じ中学生でこの差。基本的に器が違うわ、器が。

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