武&山根の展覧会レビュー アートって、現代美術ってなんやねんな、と考えた──山根康弘の十和田市現代美術館レポート/武 盾一郎&山根康弘

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武:こんにちは! いやー、昼にチャットなんて贅沢ですねー! 呑んじゃう?

山:呑まへん(笑)。いい天気やねー。

武:ってか、夕べも呑み過ぎたな(笑)。

山:僕はそんなに呑んでないはずやねんけどなあ。最近おかしいな。

武:なにしろ、今、山根ん家に居候がいるしね。あ、俺のことじゃないよ(笑)。俺は仕事として、山根ん家に寝泊まりすることが多い、と(笑)。

山:もうプライベートあれへんがな。だからおかしいんやな。

武:プライベートないねー。山根と山根の彼女と俺と居候、計4人の共同生活状態(笑)。山根は全裸だし(笑)。

山:誰が全裸やねん。10年来の友人が東京で職探しをしててうちに居候中。早く職が決まれば落ち着くねんけど。。。って人の心配してる場合ではない。僕も最近、現場仕事薄い(笑)。

武:無職の居候と、潰れかけた会社の食い詰めデザイナーの俺と、現場仕事減少中でしかも罰金刑20万科料されてる山根と、、、凄い状況だな(笑)。

山:まいったがな。罰金多すぎへんか? 払えない(泣)。だれか僕に20万円の仕事下さい!

武:公務執行妨害の罰金刑は2年前位に新設されたらしい(最高50万円)、公権力が強化されてるってことだわな。しっかし、このアパートには現代の若者のワーキングプア、フリータ、貧困、プレカリアート問題が凝縮されてるな。そろそろ「ベーシックインカム」を本気で考えないとならない時期に来てるんじゃないかなあと俺は思うんだが。



●山根康弘、青森へ


山:まあそんな中、落ち込んでいてもしょうがないので気分を変えて、、青森に行ってきました!

武:俺は青森行ってないけどね。山根ん家でスワンプのプレスリリース作ってた。俺、働く人。山根、遊ぶ人。おみやげのたろっぺ(たらの芽)の天ぷら美味かったなーっ! サイコー!

山:あとコシアブラね。八甲田山で買ってきた。まだ雪が残っててスキー客がいっぱいおったな。

武:コシアブラの天ぷらも美味かった!

山:そんで酸ヶ湯温泉に行ってきたんですよ。彼女と友達夫婦と4人で。旦那さんはアメリカ人アーティストのアンソニー・ウォーカー。
  Anthony Cannon Walker
  < http://www.walker-art.net/cs1.html >

武:ほー。

山:酸ヶ湯温泉は混浴で有名なとこやねんな。話では湯気でほとんど見えへん、ってことやったから彼女たちも安心しててんけどね。
  < http://www1.odn.ne.jp/%7Esukayu/ >

武:混浴!!

山:で、入ったらめちゃめちゃハッキリ見えるがな(笑)。

武:わはは! 俺も行きたかった。眼鏡かけて入るぞっ!

山:ほとんど男ばっかりで、何人おったかな。50〜60人ぐらい。女性は5〜6人。そんで男どもは女性を凝視(笑)。まあしゃーないけど。

武:わはは! そりゃ、若くてしかも美人ふたり、凝視せざるを得ないのは「男の性(さが)」。それにしても50〜60人に全裸を見つめられるなんて凄い話だ(笑)。

山:かなり恥ずかしかったやろね(笑)。そんでこっちはアメリカ人とボーズが温泉つかりながら美術談議をしている。どんなんやねん。

武:わはは! 地元のおじさんとかが多いんだろうから、かなり目立ってたハズ。

山:おもろかったけどね。で、そもそもなんで青森に行ったかと言いますと、

武:ほい。


●山根康弘の十和田市現代美術館レポート


山:十和田市現代美術館に行ってきたんです!
  < http://www.city.towada.lg.jp/artstowada/ >

武:ほうっ!

山:『Arts Towada』と言いまして、十和田市を盛り上げてるみたいやね。
  Arts Towada(野外芸術文化ゾーン)について 十和田市現代美術館
  < http://www.city.towada.lg.jp/artstowada/outside/ >

武:なるほど。そんなんやってるんだ。全然知らなかった。

山:桜並木のきれいなとこでね、馬がやたらいろんな所におるんです。本物とちゃうけど。

武:馬のオブジェか! なんで、馬(笑)?

山:馬の産地やったらしい。

武:産地って、すごいな。馬産業だったんだ。で、今回は、「山根康弘の十和田市現代美術館レポート」ってことだね。

山:そういうことやね。ではさっそく、まず美術館の正面には馬の街らしく、『フラワー・ホース』というでかい馬の作品がある。チェ・ジョンファ作。
  < http://japan.swamp-publication.com/?eid=643151 >

武:『花馬』か(笑)、ふむふむ、そんで十和田市現代美術館ってどんな特徴があんのよ?

山:最初に驚いたんは……めちゃめちゃ賑わってた(笑)。20分ぐらい並んだ。

武:並んでるんか!? 出来立てのホヤホヤだからか?

山:どうなんやろ。単純に券売機が機能してなくてスタッフが一人で入場券さばいてたからかな。

武:わはは! なんじゃそりゃ。まず、人をさばく仕組みが機能不全であった、と。田舎のイベントで人が来過ぎて混乱になるって話はよく聞くしな。

山:でも裏口から勝手に出たり入ったりできるんですよ(笑)。

武:わはは!

山:いらんやん入場券(笑)。

武:入場料500円はまあ、良心的かな。これで企画展も観れるの?

山:企画展は400円ぐらいやったかな。

武:別料金かっ!

山:まあ安いと言えば安い。東京に比べれば、だけど。

武:内容にもよるが。オノ・ヨーコ、9作品で400円は高いな(笑)。で、具体的にはどういう美術館なんじゃ?

山:簡単に説明すると、建物(部屋)がいくつもあって、その建物(部屋)ごとに一つずつ作品(インスタレーション)がある。

武:へー! それはちょっと珍しいなあ。

山:主に体感型のが多かったかな。

武:それらが、常設であるんだ。

山:そういうことらしい。

武:ということは、「収蔵」とは違う美術館コンセプトってことなんかな。

山:収蔵と言えば収蔵なんとちゃうか。で、それが、けっこう面白いんですよ。

武:ほう。体感型インスタレーションっていうけど、どんなんがあるん?


●印象に残った作品


山:そうやね。気になったのをいくつか挙げてみると、まずロン・ミュエクという作家の『スタンディング・ウーマン』。これは体感と言うか、でかいおばあさんが作品の名前のとおり立ってる。かなり微細に作ってて。

武:でかいの?

山:4メートル。

武:でかっ!

山:目が合うと怖い(笑)。

武:それが、一つの建物(部屋)に一体どーんと立ってる、と。

山:そうそう。いきなり出てくるからびっくりしますよ。そういやこの作家最近よく見るな。

武:あー、【カルティエ現代美術財団コレクション展】2006年4月22日(土)〜7月2日(日)で観たわ!
  < http://www.museum.or.jp/announce/20060702/ >

山:そっか。僕は見に行ってへんけど。

武:それが、常設でいいんか?(笑)。

山:……知らん。

武:他にはなんかオモロいのあった?

山:キム・チャンギョム『メモリー・イン・ザ・ミラー』。これは映像作品やねんけど、まず壁に鏡、水槽、時計がある。でもこれは真っ白のただの張り子で、形しかないんですよ。そこにプロジェクタで、鏡の映像、水槽の映像、時計の映像をピタッと写している。だから本物みたいに見える。

武:ふむ。

山:鏡は普通、鏡の前に立った人が写り込む訳やけど、そこにいろんな人が写るもんやから何かミョーな感じになる。Webをどーぞ。『memory in the mirror』をクリックすると観れます。
  < http://www.changkyum.com/mirror.swf >

武:ふぇーっ、これはオモロいなー。プロジェクターの前を横切る人の影が出るけど、これは観客の影なん?

山:いや、これも作品に盛り込まれた影でその影によって風景が変わったりするんです。影が横切ったら水槽の中の金魚がいなくなるとか、鏡に写っている人が変わってる、とか。

武:ふーむ、オモロい。で、観客は実際プロジェクターの前を横切ったりするんかいな?

山:するする。だからその影が作品なんか実際の観客なんかわからなくなったりもする。。ってよく見りゃわかるけど。

武:ふえー。で、これも建物一つで一作品で常設なんだ。

山:そう。

武:で、それが常設でいいんかな(笑)?

山:……知らん。次行ってみよか。ハンス・オプ・デ・ビーク『ロケーション(5)』。
  ハンス・オプ・デ・ビーク(Hans Op de Beeck)
  < http://www.hansopdebeeck.com/ >

武:んー、FlashのWeb Siteってストレス。。。

山:これ実際どうなってるんか全然解らんねんけど、室内にドライブインのダイナーカフェがあるねんけど、その窓の外にやたらリアルに、でもミョーに嘘臭いような道路の風景が見えるんです。これいったいどないして見せてんのやろ? けっこう奥まで道路が続いてるんよね。

武:映像なん? 絵なん? 写真なん?

山:それがわからん。動かへんから映像ではないような気もするねんけど、かと言って写真か??? わからん。

武:カフェ様のインスタレーションがあって、風景タブローがある、ってことかいの?

山:いや、タブローとかそういうもんではない。

武:わからん(笑)!

山:だからわからんってさっきから言ってるやんか!

武:体感型、っちゅーことか。

山:そうやね。まさに。

武:なるほろー。

山:でもこれほんま不思議な感じなんですよ。

武:それがまた同様に、一つの建物(部屋)で一作品だ、と。

山:そう。

武:建物を渡り歩いて行くと、全く別世界(別作家作品)が展開されてる、と。なんか、想像するとワクワクするな。

山:面白いで。

武:で、ずーっとそれらは常設だ、と。

山:そうです。

武:うーむ。なんで常設(再)?

山:……知らん。次行こう。栗林隆『ザンプランド』。部屋に入ると机と椅子が二脚、ちょうど机の上の天井に丸い穴。少し離れた天井に下半身だけのアザラシがくっついている。
  < http://www.takakuri.net/art_works/index.html >
  これはペンギンの頭伸びてますけどね。で、観客は椅子に乗って机の上にあがって、その穴の中を覗き込む仕掛けになっている。

武:ほう。穴の中には何があるんだ?

山:天井の穴にはね。。。まあこれ見に行った方がええんとちゃうかな。ああ、そういうことか、って。

武:なるほど。オノ・ヨーコじゃないけど「Yes」とか書いてあるんか?(梯子を昇った上に下げられた虫眼鏡で、天井に書かれた「YES」の文字を読むという作品。ジョン・レノンと出会った作品として有名らしい)

山:まあ見に行って下さい。虫眼鏡はいらん(笑)。もう先に言っとくけど何で常設かは……しらん。

武:先に言われた(笑)。まあ、コンセプチュアル・インスタレーション作品の王道という感じかな。

山:あと、スゥ・ドーホー(東京都現代美術館にも常設ある)の人間シャンデリアみたいな『コーズ・アンド・エフェクト』とか、マリール・ノイデッカーの森のインスタレーション『闇というもの』とか、かなりいろいろあって。いやー、楽しめるんですねー。


●十和田市現代美術館の特徴


武:一作品一建物、ってのが十和田市現代美術館最大の特徴ってことなんか?で、それが常設(笑)。

山:そういうことやろね。

武:ユニークであることは確かだ(笑)!

山:例えばこれらがおっきな部屋の中に一堂にあると、展示としての意味は見い出しにくいが、それらが一つ一つ独立していることで、「いろんな世界があるよー」ということは見えてくんのかな。

武:ふむ。建物がまずあって、そこに作品を展示する、というのと逆の作り方、ってことだよね。そういう意味合いで考えると興味深いものはあるなぁ。

山:そうやね。作品のために建物が存在する、というか。前に行った山梨の紙屋さん「大直」で見たどでかい紙漉きの機械と、その機械を納める小屋とが一体になっている感じ。そういうのは多少感じなくもない。でもあの機械ほどの必然性はないか。
  (参照:「ネグリさんとデングリ対話@東京芸大・上野」レポート)
  < http://bn.dgcr.com/archives/20080409140200.html >

武:なるほど、美術品なので、そこから何かが「生産」されることはないが、来た人たちは「何か」を持ち帰ることは出来る、と。うーむ。


●金とスペクタクル社会


山:美術館としてすごく面白いと思うし楽しめる。ただね、機械と比べても違うんかもしらんけど、なんかどっか無理矢理やん、お金あったらそりゃできるがな、という印象もなくもない。

武:気になるのは、それで何度も足を運びたくなるか、ということだよね。一回は行きたいけど。

山:もう一回行きたいか? そうやな。。。行ってもいい。

武:おー、そうか。それは混浴の温泉とセットででしょ(笑)?

山:混浴はまあ……(笑)。次行くなら借り切りやな。

武:まあ、「美術館」も、広い意味では「公園」だって、強大な暴力である側面はあるよね。

山:ほんま面白かったし、作品としてのクオリティも高いのが多かったと思う。けどね、アートって、現代美術ってなんやねんな、と考えてしまうとこもあるな。

武:ふむ、難しいな。十和田市現代美術館の場合、作品のための建物があって、それら一つ一つがイリュージョンを見せる装置のようなもので、はたして、それだけがアートか、現代美術か? とは思うが、山根の言う「アートって、現代美術ってなんやねんな」ってどういうことなんかな?

山:面白けりゃいいのか? びっくりすりゃいいのか? 考えさせられればそれでいいのか? うーん、よくわからんねんけど。

武:それは「日々の暮らしが入ってない」、「ハレとケ(非日常と日常)」で言えば、「ケ(日常)」がない、ということなんかな?

山:どうなんやろ。単純に与えられてそれで終わり、みたいな感じがどうもしっくりこない。

武:スペクタクル社会である、と?
 1950年代、フランスの思想家、ギードゥボールが唱えた概念。多くの人々が
 受動的な観客の位置に押し込められた世界、映画の観客のようにただ眺める
 ことしか残されていない、資本主義の究極の統治形態をいう。
                       (はてなダイアリーより)


●リアリティーと虚像


山:例えば、僕は夜行バスに乗って青森に行って入場料並んで払って美術館に入って作品を体験、体感するわけですが、その行為そのものは僕にとってリアルやねんけど、そこにある作品と自分のリアルとがどうも一致しない感じ。いや、作品はおもろいねんで。何度も言うけど。

武:ふむ。

山:もちろん作品を見る面白さって、自分が夜行バスに乗って眠くて足痛くっていい感じの電車乗って人に道聞いて、とかそういった面白さと本質的に違うとは思うんですよ。どっちがいいとか悪いとかじゃあなくて。

武:その、生の営みの面白さと、作品自体の面白さを融合する、または、その区分けを感じさせない作品を作っていきたい。という気持ちから来てるんじゃないのかな? それって。

山:旅行に行って古い建物とかみるじゃないですか。あるいは誰かと出会ったりする。それってなんか感動すんねんな。面白いというより、心が動く。でもあそこにあった作品って面白いねんけど、なんかそういった感動がない。普段生きているのと違った別の側面を作品によって見せよう、という意図は分るような気はすんねんけど。と言うのはね、さっき言ったダイナーカフェの作品、これはすごく不思議やし面白い。けどそんなん嘘と言えば嘘やんか。ダイナーカフェ風に作ってあるというだけで。そんなんよりもホントにあるダイナーカフェに実際に行って、そこで何かしら感じることの方がはるかにインプット多いと思うんです。なにもそれを「作品」にしなくてもええんとちゃうの? とか。これは体験型、バーチャルの作品に対してのみ言えることかも知れないけど。

武:なるほど。で、美術館全体がそういう「虚像」である、と。

山:そうやね。ある種のユートピアかもしれない(笑)。でもこれって十和田市現代美術館に限らんねんな。


●文化のアウトソーシング


武:十和田市現代美術館は『Arts Towada』プロジェクトの中核となる施設だとHPにも書いてあるけど、『Arts Towada』とは「この計画は官庁街通りという屋外空間を舞台に、通り全体をひとつの美術館に見立て、多様なアート作品を展開していくものです(十和田市現代美術館HPより)とある。< http://www.city.towada.lg.jp/artstowada/outside/ >ただね、その向こうにあるものは、都会(東京とか)の人たちにいっぱい来てもらって、(都市市民)外貨を得る。だったりしてさ(笑)。

山:そういうこともあるやろな。実際僕は東京から行った訳で。通り全体を何かに見立てるとか、それは別にかまわへんと思うよ。でもなんで美術館にせなあかんねんやろか。なんでアートにせんとあかんねんやろ。

武:「アート」が盛んになって来た(笑)。

山:ほんまに盛んになってんのかね?

武:マズローの欲求説。参照して。
  < http://www.dango.ne.jp/sri/maslow.htm >
  「自己実現の欲求」というと、「アート」と重なる、とか? とあるベクトルの最終地点と「アート」は関係してるんじゃないかなあ、とはうっすら思う。金儲けして成功したあかつきには「アート」買うぞ、とか(笑)。

山:都市がアートを取り入れることで、どういうことがあるんやろう。それでほんまに豊かになるんやろか。アートを与えられて。それって文化のアウトソーシングとちゃうか?

武:自発的・内発的ではない、と。

山:そんな気がどっかするんですよ。

武:ちょっとお叱りを受けるような差別発言をすると、ガッツリ金を儲けたぜ!とビクトリーを顕示するとき、「いい女」買って(飼って)、いいもん喰って、みたいなのってよく聞くじゃん。「アート」って「いい女」なんじゃないのかな? 現代だと「いい女を買う」なんてマッチョなこと言うと誰からも尊敬されなくなるから「アート」にすり替わった、とかね(笑)。

山:でも十和田市はがっつり儲けてないんとちゃうか。むしろ逆ちゃうか。

武:ん? 逆って。

山:いや、ビクトリーを顕示してるんではなく、むしろそれを得んがためにアートを迎え入れる、と。

武:あー、なるほど、確かに。けど、「アート」っていうものが、なんだか「価値がある」ということだわな。

山:すごい機械を買ってきて、もうそれで仕事できた、みたいな。それを使う技術や、まさにそれを「使用」することを忘れて。

武:なるほど。それは言えてる。


●必要・不必要とアート


山:もしそこに住んでいる人、集まる人たちが「私はアーティストなんです」とか「アートが自分にとってまさに必要なんです」って言えるとするならば、わざわざ買ってこなくてもすでにそこは美術館的様相、ある特殊な様相をみせてるんとちゃうかな。別にアートである必要はないけど。もうしゃーないんですよこうなんですよ、というものであればなんでもいい。

武:ふむ。「美術館」ってそもそもがこの極東の列島(日本と呼んでる)にはない概念だったしの。で、「美術館として街全体を見立てる」ってすんげー暴力的発想だけどね。暮らしてる人、どうなってるんだ? みたいな。最近とくに「地域とアート」って言われてるけど、違和感を感じることの方が多かったりするのは事実だよな。例えば、東京の街の片隅にひょいとあったりするオンボロの路地の方が、「美しく」見えたりする時ってあるじゃん! みたいな。

山:まさに必要やからとちゃうか。その風景が。あるいはその場が。

武:でもさ、必要のないものも必要なんさよ。人間には。

山:必要のないもの、、、それはどういうことなんやろ。

武:「アート」(笑)。

山:無用の用ですか。まあそれもそうなんか。

武:道具や実用品になり切らないモノが「アート」の醍醐味の一つであると俺は思うんだ。無力であるとか無能であるとか無意味であるとか曖昧であるとか。「地域とアート」となると、「活性化(ようは金儲け)」や「排除(ゴミと呼ばれるものや汚れてるとか不衛生だとか危険だとかの理由で、きれいにしよう。とか)」の道具になりきってしまう、ってのが、なんかつまらない。というか違和感を持つんだよね。「アート」で処理をしよう。みたいな。個人の精神的問題をアートで解消出来る事は、ままあるよ。けど、それが、力(大資本とか行政とか)側からやられると、なんか凄く違うものになっちゃう、みたいな。

山:そういうとこはあるよな。僕があのダイナーカフェで感じたことは、要は「そこに存在する意味」を求めたんかもしれんね。もし例えばあの作品を、作家が自分で人を集めてしこしこ建物から作ってたりしたら、すごい感動したかも知れん。

武:おっ!

山:それであれば、なんか納得いきそうな気がする。

武:空間(この場合、建物ってことになるのかな)と、作品の合致性みたいなのが、希薄である、と。そういうことなのかな?

山:その場所、とかね。よくわからんけど、主体がどこにあるのか、ってことなんかなあ。なんかビミョーやん。作家はもともと自分たちの作品を作ってたんかもしらんけど、要するに十和田市かどっかから頼まれて作った訳でしょ。

武:別に、十和田じゃなくてもいーじゃん、みたいなことかな?

山:まあそうやし、そこに持ってきたってそれもかまわんねんけど、なんなんやろなあ。僕は「必要から作る」、という何かがあれば実用品でも無意味でもなんでもいいと思うんですよ。

武:ふむ。


●地域とアート


山:だけど「地域とアート」を考えた時に、そこにいきなり何の関係もないもの持ってきても、ほんまに溶け込むんかね、と。どうしても美術館を持ってきたかったのか、それともディズニーランド、つまりただ人が呼べればよい場所にしたかったのか。

武:例えば、田舎の都市って、むしろみんな同じだったりするじゃん。駅まわりとか。道路とか。

山:まったくやね。何処行ってもまあ同じような風景やね。

武:田舎のオリジナルって、地形とか自然、或いは自然発生的建築物や自然発生的な道、だったりする。ってか、どこでもそうだ。それをドカン! って強大な力で塗り替えちゃう事に違和感を覚えるわけだ。けど、京都みたいに強引に碁盤のように街を造っちゃったとしても、それが1000年とか保たれると、「文化」になっちゃう。

山:ディズニーランドは強力に溶け込む、というか風景変えてまうでしょう。1000年持つかはしらんが。。。持つかも(笑)。

武:ジブリの『千と千尋の神隠し』でさ、舞台はバブル期に片田舎に建設されたテーマパークの廃墟じゃないですか。たった10年で廃墟(笑)。そこに神々というか、霊というのか、そういったのが宿る、と。

山:ふむ。

武:「地域とアート」とか流行ってるけど、似たような結末を迎える危険性もある。『Arts Towada』が10年後も元気に継続していれば、十和田市現代美術館の常設展も溶け込んで来るのではないのかなあ。

山:10年持たへんかったらかなり問題やろな。

武:わはは! それ、ホントに。

山:で、大資本でも行政でもいいけど、結局上からおっきくやってね、何がしたいのかよくわからん。いや、お金稼げればええんかもしらんけど。でも大事なのはもっと気持ちとかの部分なんとちゃうんかなあ。うーん、でもおっきくやって便利になって人集まって、みんな助かるっていうこともあるしなあ。「地域とアート」って考えると、なんやろなあ。ちっちゃくてもええんちゃうんかなあ。

武:うん。そう思うよ。ちっちゃくていい、ってのは「継続」を思うからじゃないのかな? 継続を考えると、日常を考える。暮らしとつながってる事を考える。

山:大体「地域」ってなんやねん。僕の家は僕の「地域」や!

武:そうだね! いや、これホントに。本当の「地域」ってそこに暮らしてる人、なんじゃないのかなあ。野宿だとしても。

山:「地域(ちいき)とは、地形が隣接している、同じ性質をもっているなどの理由からひとまとめにされる土地のこと(ウィキペディアより)。」

武:土地か! チクショーッ! 不動産かっ! ってことは所有者かっ。

山:ウィキペディアによれば。
  < http://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=13766374 >

武:うはっ! 難しー。


●留まる自由、移動する自由


山:でもこんなこと言い出したら「移動の自由」なんてなくなるな(笑)。

武:けど、人は移動するものよ。

山:これはどういうことなんかな。現代人の方が移動率が高いってことか。でも大昔はもっと移動してたんかな。

武:人類の歴史は移動の歴史でもある(笑)。

山:ということは留まる方が不自然だ、と。

武:一時、留まるのは自然なんじゃないのかな。誰だって、立ち止りたい時はある。

山:ふむ。

武:留まりたい時に留まりたい場所に留まり、移動したい時に移動したい場所に移動できる。そうなれば、いいんだろうね。「地域(社会)とアート」って流行ってるけど、その原則(理想?)をこしらえる方向を模索すれば良いのかも知れない。

山:そういった時に、いろんな人同士はどのような価値観や経験を共有すればいいのか、あるいは共有出来るのか、ということを考えるとか。

武:そだね。

山:となるとやはりみんなで作ることが重要だ。どっかから持ってくるのではなくて。

武:そだね。「与えるから金ちょーだい」じゃダメなんだよ。その場合、やはり、ちっちゃくていい。とりとめがなくてもいい。間違ってもいい(笑)。さっきの『千と千尋〜』じゃないけど、ドカンとでっかい地域アートはさ、10年後には廃墟になってたりしてさ。で、そこに棲みつくのは、神々や霊ではなく、無宿者とか人間たちになればいいんだけどね。それこそ、地域社会(笑)。

山:「差(さ)が付いて 果てはちい(さ)き社会かな」(笑)。

武:うまいっ!


●展覧会評


山:☆☆☆☆ 星4つ。いや、面白いですよ。今後の期待も込めて。

武:俺は行ってないのでノーカウント。混浴はぜひ行ってみたい、と。

十和田市現代美術館
< http://www.city.towada.lg.jp/artstowada/ >
青森県十和田市西二番町10-9 TEL.0176-20-1127
開館時間:展示室9:00〜17:00(入館16:30)休憩スペース等21:00まで
休館日:月曜日(月曜休日の場合、翌日休館)
入場料:一般500円 高校生以下無料

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/男性更年期を考える会】
take.junichiro@gmail.com
246表現者会議
< http://kaigi246.exblog.jp/ >

【山根康弘(やまね やすひろ)/最近基本全裸ですけど誰か居候用のタンス
下さい】
yamane@swamp-publication.com
SWAMP-PUBLICATION
< http://swamp-publication.com/ >
交換素描
< http://swamp-publication.com/drawing/ >