笑わない魚[245]忘れられた忘却(後編)/永吉克之

投稿:  著者:  読了時間:6分(本文:約2,700文字)


実は、今回のコラムで書きたいことがあったのだが、それが何だったのか、思い出せないのだ。三日前、電車の中で、婦人雑誌の吊り広告をぼんやり見ているときに、よし、これで行こうと思ったのだから、婦人の何かに関係あるのかも知れない。とにかく「近来まれな発想だ」と、人目もはばからず声に出したくらいのアイデアだっただけに悔やまれる。しかし、そんなすごいアイデアをも忘れてしまう私の忘却力の威力は侮れない。

笑わない魚[211]『忘れられた忘却(前編)』にも書いたが、私は物忘れがひどい。初対面の人の名前など、メモでもしておかなければ、たいてい忘れる。ついでに顔まで忘れる。また朝、新聞のテレビ欄で、これは見てみようという番組を見つけたら、録画するほどの番組でなくても録画予約する。でないと、ほぼ間違いなく忘れるからだ。だからアイデアなどもそうだ。朝、寝床で、これだ! と思いついても、顔を洗っているうちに何を思いついたのか忘れてしまうから情けない。
< http://bn.dgcr.com/archives/20061130140500.html >



私がこんな廃人になってしまったのは、老化によるものだとは認めたくない。首から下の老化は認めるにやぶさかではないが、脳の老化を認めるのはやぶさかだ。だから、これら「不都合な真実」(An Inconvenient Truth)はすべて、その原因をパソコンに帰することにしている。パソコンを使っていると廃人になるのだ。

たとえば、隣の部屋の小物入れにある切手を取りに行こうとしたとき、ラジオからたまたま「リバーサイドホテル」が流れてきて、そういや井上陽水、このところテレビで見ないけど、死んだのかな、なんてことに関心を移すとお終いである。井上陽水に切手が上書きされてしまうからだ。しかし、体だけは惰性で隣の部屋に行く。その結果、あれ、俺この部屋に何しにきたんだろう? となる。

いくら考えても思い出せなくて、もとの場所に戻ると、机の上に封筒が置いてあって、あそうか、切手を取りに行ったんだ、と思い出して、また隣の部屋に行かなけれればならなくなるわけだ。だから私は、切手がいると思ったら「切手だ、切手。誰が何と言おうが切手だ。切手以外はみんなクズだ!」とわめきちらしながら取りにいくこといしている。人には見られたくない姿である。

この元凶はWikipediaだ。たとえば、オウムとインコは何が違うのかを調べようと思って「オウム」のページを開く。両種の共通点は挙げてあっても、決定的な相違点についてはなかなか出てこない。読み進むうちに、分類表(◯界□門△綱▽目☆科というアレ)が目に入る。するといちばん上位の分類が「動物界」となっている。ほう、動物界ね、じゃ人間様もここに入るんだろうかと興味が湧いて「動物界」をクリック。ページが開くと。そこには「"動物"という語は、特に日常語の水準では、人間を含まない"獣"の意味で使われることが多い」と書いてある。俺は動物より偉いんだと、ちょっと安心して、スクロールすると「未確認動物一覧(UMA)」というテキストが出てきてリンクが張ってある。面白そうだからリンク先を開くと130ほどの未確認動物が列挙してある。ツチノコや雪男に混じって「ヒツジ男」とか「ングマ・モネネ」とか「XYZ-1」とか聞いたこともないのがずらずらある。天狗やケンタウロスまで入っている。いくらなんでも天狗は動物じゃないでしょ、ははは、となんとなく満足して、ウィンドウを閉じる。かくして、オウムとインコの違いは謎に包まれたまま、忘れ去られてしまうのである。

このようにしてWikipediaは、行動の本来の目的を、関係のない他の目的で上書きすることに無抵抗な人間を大量生産しているのだ。飛行機でパリのドゴール空港に降り立って「あれ、俺、パリに何しにきたんだろ?」と呆然とする人が跡を絶たなくなる、そんな時代はもう目の前だ。

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そんなわけで今回はネタがない、というよりネタが思い出せないので、書けなくなってしまった。といいながらずいぶん書いてしまったが、いつもより文章の量が少なくて申し訳ない。そこで、先週読んだばかりの本の書評を載せておく。書評なんて書くほどの本好きではないのだが、ヒトの本を偉そう批評してみたいと、いつも思っていたので、僭越ながら書かせていただく。

【書評】『首都消失』小松左京(1985年)

首都消失 (下) (ハルキ文庫)すいぶん前に書かれたSFで、ぜんぜん興味がなかったが、亡くなった父親が読んだのか、とにかく家にあったので、捨てるのがもったいないという貧乏人根性で読んでみた。ところが、あにはからんや、SF史に残る傑作であった。

首都東京が、宇宙からやってきたらしい雲のようなものに覆われて孤立し、外部との行き来ができなくなって、たくさんの人たちがとても困ってしまう、確かそんなストーリーだったと思うが、それ以外の内容はよく憶えていない。

やたらと長いうえに、アメリカ軍やソ連軍の兵器の名前や、いろんな方面の専門用語があちこちに出てくるので読んでいるのが苦痛だった。また人の名前がたくさん出てくるので、誰がどういう立場で何をする人なのか、途中から人間関係がだんご状態になって訳が分からなくなってしまった。

最後に、たしか「雲」は消えたと思うが、どうやって消したのかは忘れた。そして、雲のなかに閉じ込められていた人びとが、みな無事だったような気もするし、全滅していたような気もする。それに、雲を作った宇宙人は最後に出てきたのだろうか? また首都は秩序を回復したのだろうか? よく憶えていないが、読み応えのある作品だ。一読をお勧めする。

【ながよしかつゆき/怪奇たたみ男】katz@mvc.biglobe.ne.jp
去る者は日々に疎し。父親の十三回忌だったのをすっかり忘れて、その日は人と飲んだくれていた。正当化するわけじゃないけど、もし私が父親なら、わしのことはもうええ。お前が息災でおればええ、と息子に言いたいだろうな。

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首都消失 (上) (ハルキ文庫)
小松 左京
角川春樹事務所 1998-05

首都消失 (下) (ハルキ文庫) こちらニッポン… (ハルキ文庫) 復活の日 (ハルキ文庫) さよならジュピター〈下〉 (ハルキ文庫) さよならジュピター〈上〉 (ハルキ文庫)

by G-Tools , 2008/05/22