[2433] カルディナーレの挑む瞳

投稿:  著者:  読了時間:28分(本文:約13,600文字)


<大の大人が本気出して遊ぶとすごいんだぞ>

■映画と夜と音楽と…[376]
 カルディナーレの挑む瞳
 十河 進

■Otakuワールドへようこそ![74]
 今年もまた鳥取の中国庭園でコスプレ
 GrowHair


■映画と夜と音楽と…[376]
カルディナーレの挑む瞳

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20080530140200.html >
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●新聞の雑誌広告で見つけた「ブーベの恋人」

「小説現代」6月号に藤田宣永さんが「定年小説特集」の一編として「ブーベの恋人」という短編を書いている。「定年小説特集」は、その世代に向けているのだろうが、年代的には藤田さんはまだ60前である。僕より一歳上だ。夫人は小池真理子さんで、直木賞作家夫婦である。

そう言えば、先日の朝日新聞の読書欄で、小池真理子さんは倉橋由美子の「聖少女」を時代の雰囲気を再現するように紹介していたが、あの頃の気分はいくら名文を駆使しても伝わらないのだろうなあ。小池さんの新作「望みは何と訊かれたら」の中にも「聖少女」は特別の小説として登場する。60年代末に思春期を迎えた少女たちのバイブルのような本だった。

新聞の雑誌広告に出た「ブーベの恋人」という小説のタイトルに僕が目をとめたのは、同じようにそのタイトルによって「ある時代」が甦ったからだ。様々な思い出があるからだ。「ブーベの恋人」が公開されたのは昭和39年(1964年)9月。その月、ベストセラーを吉永小百合主演で映画化した「愛と死をみつめて」も公開になった。東京オリンピックが始まるひと月前のことである。

「ブーベの恋人」(1963年)は主題曲が大ヒットし、毎日のように高松市丸亀町のアーケード街に鳴り響いていた。当時のイタリア映画のスコアを書いていたのは、主にふたり。「太陽がいっぱい」(1959年)のニーノ・ロータと「鉄道員」(1955年)「刑事」(1959年)などのカルロ・ルスティケリだった。後に、ニーノ・ロータは「ゴッドファーザー」(1972年)でハリウッドに進出するが、カルロ・ルスティケリはどうなったのだろう。

そう言えば、昭和35年(1960年)、安保闘争で大揺れだった日本に流れた抒情的な曲がある。「太陽がいっぱい」のテーマ曲と「刑事」の主題歌「死ぬほど愛して」だ。どちらもラジオのヒット・パレードの1位を長く守った。映画音楽が大ヒットする時代だったのだ。

特に「アモーレ・アモーレ、アモーレ・ミーオ」と哀愁を帯びて歌う「死ぬほど愛して」は、小学生の僕たちの間でも意味もわからず流行っていた。歌ったのはアリダ・ケッリ。カルロ・ルスティケリの実の娘だという。後に「刑事」を見て気に入った僕は、「死ぬほど愛して」を聴くたびにラストシーンで引き裂かれる若い恋人たちの姿を思い浮かべるようになった。

イタリアの抒情派監督ピエトロ・ジェルミは、「鉄道員」「刑事」「わらの男」などで自ら主演しているほどの渋い役者でもある。特に「刑事」で演じたイングラバーロ警部は印象的だった。疲れた中年男の警部は、貧しいイタリアの現実を見続けた結果、どこか倦怠を漂わせているが、それでいて正義感を失っているわけではない。使命感も持っている。

彼は貧しい恋人たちに同情するような人情家の一面もあるが、その男が殺人犯だとわかると容赦なく逮捕する。もちろん、それは不幸なはずみで起こった殺人事件だった。娘は恋人をかばい続けるが、ついに彼は逮捕される。車で連行される恋人を追う娘。車のリアウインド越しに追ってくる娘が映る。警部は車を走らせ続ける…。そこに流れる「アモーレ・アモーレ、アモーレ・ミーオ」は名曲になった。

娘を演じたのは、当時、20歳を過ぎたばかりだったクラウディア・カルディナーレである。野性的な…と形容される美貌と肉体が輝いていた。人を射抜くように鋭い視線を向ける大きな瞳は、いつも挑むような光を帯びていた。

●CCと略された女優がいた

──MMはマリリン・モンロー、BBはブリジッド・バルドー、CCは誰か知っとる
か?

小学6年生の秋だった。土佐高知の旅館の一室である。はりまや橋近くだった記憶がある。僕たちは修学旅行で、その日、はりまや橋から高知城、それに桂浜で坂本竜馬像を見て、夕方、旅館に入った。夕食と風呂を終えた僕たちは大部屋で枕投げをやって騒いだ後、お決まりのように教師の叱責を受けて床に入った。そのとき、隣の布団で寝ていた高崎君が話しかけてきた。

高崎君は映画好きで知られていた。それも、僕たちがよく見る中村錦之助や大友柳太朗が出る東映時代劇や小林旭の「渡り鳥」シリーズのような映画ではなく、洋画が中心だった。おそらく、それは父親が香川大学教授だったせいだ。趣味の源は、子供の頃の環境である。タイル職人の父を持つ僕は、子供の頃からチャンバラや日活無国籍映画にしか連れていってもらえなかった。父は「字幕やらいうもんは、めんどくさい」と言っていた。

そのときの高崎君の質問でも、僕はマリリン・モンローやブリジッド・バルドーは知っていたが、実際に映画を見たことはなかった。それに、そのふたりの女優には好感を持っていなかった。ひどくイラヤシゲーな感じだったのだ。僕は、東映のお姫様女優や日活の芦川いづみのような清純派が好きだったし、妖艶派だとしても、せいぜいが東宝の水野久美どまりだった。

──CCって、誰や? そんなん知らん。

僕は、ちょっとムッとしながら答えた。そんなことを知っていても何の意味もないと思っていた。高崎君は「映画の友」や「スクリーン」といった洋画を中心にしたファン雑誌を毎月買っているという評判だった。毎週、テレビの「ララミー牧場」の最初と最後に出てくる「さよなら、さよなら、さよなら」と言っている眉毛の太い小男が「映画の友」編集長だと僕が知るのは、ずっと後のことである。

──クラウディア・カルディナーレや。「アモーレ、アモーレ」に出とった女
優や。これからは、CCやで。

高崎君は、自慢そうに言った。「好きなんか?」と僕が聞くと、どういうわけか高崎君は恥ずかしそうにうなずいた。しかし、僕にはクラウディア・カルディナーレがどんな顔をしているのか、まったくわからなかった。僕が読んでいたのは「少年サンデー」と「少年マガジン」であり、後はたまに親戚の家で年上の従姉妹が買っていた月刊「明星」を盗み読むくらいだった。クラウディア・カルディナーレが出てくるような雑誌ではなかった。

しかし、翌年、僕は中学生になり、その秋に「太陽がいっぱい」「恐怖の報酬」「リオ・ブラボー」という三本立てを見て、世の中には様々な映画があることを知った。特に「太陽がいっぱい」のクールな殺人者トム・リプレイにイカれてしまった僕は、アラン・ドロンの映画を集中して追いかけた。その結果、ルキノ・ヴィスコンティ監督作品「山猫」(1963年)でクラウディア・カルディナーレと出会うのである。

●戦後イタリアの政治状況を知る映画

「ブーベの恋人」は、クラウディア・カルディナーレの初めての本格的な主演映画かもしれない。タイトル・クレジットではカルディナーレの名前がトップに出る。続いて、当時、日本では「ウエストサイド物語」(1961年)で人気絶頂だったジョージ・チャキリス(ブーベ役)の名前がクレジットされる。

「鞄を持った女」(1960年)も彼女がヒロインだが、これは少年(ジャック・ペラン)の視点で描かれているから、主演映画という気がしない。「ブーベの恋人」は、ファーストシーンから彼女のナレーションが入り、ヒロインであるマーラの一人称視点ですべてが語られていく。いろんな意味で、クラウディア・カルディナーレが評価された映画だろう。

公開時、「ブーベの恋人」というタイトルと甘美なテーマ音楽のせいか、恋愛映画のイメージが流布した。しかし、実際に見ると、その先入観は裏切られる。どちらかと言えば、「灰とダイヤモンド」(1958年)のイタリア版といった趣もある。「灰とダイヤモンド」は、戦争中にレジスタンスに参加していた青年が、戦後ポーランドの共産化に反対する右派テロリストになって、要人暗殺を図る話がベースだった。

「ブーベの恋人」のブーベは、戦争中はパルチザンとしてドイツ軍と戦い、戦後のイタリアでは共産党員として革命をめざし、国家権力と闘っている。彼は戦友の死を告げにいったイタリアの村で、戦友の妹マーラと出会うのだ。酔って「搾取を許すな」と語るマーラの父親は、ブーベの同志でもある。

マーラはブーベに恋をするが、ブーベの煮え切らない態度や秘密めいた行動を嫌う。ブーベと婚約し彼の実家を訪ねたときも、彼の家族や実家の貧しさがイヤで仕方がない。彼女はコミュニストであるブーベをまったく理解しない。洋服や靴をねだり、ブーベへの腹いせのように男と踊る。他の娘たちのように遊べないことをなじる。

こう書くと、何だかひどく身勝手な女みたいだな。でも、前半のマーラはどうみてもわがままで身勝手な女だと思う。男に無理を言い、困らせる。しかし、カルディナーレの挑むような瞳が男に有無を言わせない。それだけの美しさと魅力がスクリーンから伝わってくるのだ。不思議な女優だと思う。

婚約し、ブーベの実家の街にいったマーラは、署長を射殺した容疑で追われるブーベと共に隠れ家で暮らすが、組織の命令でブーベひとりが地下に潜る。マーラはいったん故郷に戻るものの、「ブーベの女」という烙印が押された身にはひどく居心地が悪い。彼女は街に出て、ひとり暮らしを始める。やがて、ひとりの男と知り合う。

「私は運の悪い女なの」と、彼女は気を許した男に言う。「ブーベの女」と言われて、どこにいるのかわからない男を待ち続けなければならない。彼女は新しい男に惹かれている。だが、結局、男とは別れる決意をする。そんなとき、父親がやってきて「ブーベが逮捕された」と告げる。

警察の廊下の両端に置かれたベンチに離れて座ったふたりは、久しぶりの再会だ。彼女の言葉に何も答えずにいたブーベは、突然、涙を流し「会いたかった。こんなところではなく」とシクシクと泣き出す。その姿を見つめるマーラの表情が凄い。戸惑い、落胆、奮起、叱咤…、言葉で言えばこんな感情を数秒のうちに見せる。最後に顕れる感情は、決意だ。

愛する男と別れてまで待っていた男の涙を見て戸惑い、こんな情けない男だったのかと落胆する。やがて、私がしっかりしなければと奮起し、「やめてよ。情けないわ。しっかりして」と叱咤する。ブーベは政治犯だ。自分の信条に従って人を殺したのではなかったか。プライドを持った立派な姿でいてほしい、そんに風にマーラは思ったのだろう。

そのシーンを見て、僕はクラウディア・カルディナーレを使った理由がわかった。彼女の性格の強さ、感情の激しさ、挑むように見つめる視線、そんなものがマーラというヒロインを作り出し、最後の彼女の決意を納得させる。14年の刑になったブーベの女として、彼女は待ち続けることを決意するのだ。そして、2週間に一度、マーラはブーベの面会に通い続ける…

先日、ジョージ・チャキリスが久しぶりに来日し、テレビに登場した。すでに70半ばである。それにしては、スリムでとてもそんな歳には見えなかった。チャキリスより4歳若いクラウディア・カルディナーレは、今年、70歳。数年前まで現役で映画出演を続けていた。彼女は、今も、大きな挑む瞳を誰かに向けているのだろうか?

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
カミサンが一週間ほど帰郷した。息子と娘は勝手に生きているので、毎日、適当に食事して(痛飲して?)帰宅する。深夜になっても車で迎えにきてもらえないのが辛い。慣れていないので、タクシーに並ぶのも苦痛です。早く帰ればいいだけの話ですけどね。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1 >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

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■Otakuワールドへようこそ![74]
今年もまた鳥取の中国庭園でコスプレ

GrowHair
< http://bn.dgcr.com/archives/20080530140100.html >
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5月10日(土)、11日(日)に、鳥取県にある中国庭園「燕趙園」にて、「第4回中華コスプレ日本大会」が開かれ、全国から集まった約80人のコスプレイヤーが「三国志大戦」や「彩雲国物語」などのキャラに扮し、ロケーションのよさをめでつつ、写真撮影などに興じた。

恒例のコスプレコンテストには、8チームがエントリーし、歌やコントなどのパフォーマンスを披露した。「三国志大戦」の孫権と曹操に扮してみごとグランプリに輝いたのは、東京と茨城から来た「我龍転生」の二人組。孫権に扮した玖珂谷龍斗さんは、両肩に二頭の龍を背負い、鎧を着け、虎の絵が描かれた衣装をまとう。すべて自作したという。後日、製作秘話を聞かせてもらえた。舞台裏完全筒抜けレポート。

●鳥取の観光名所は砂丘だけではない

5月9日(金)6:50羽田発の便で鳥取へ。去年の11月のときも同じ便だったが、あのときは、電車が羽田空港駅に着いたのが6:30ぐらいで、第2ターミナルの長い長い廊下を突端のゲートまで、撮影機材持って大汗かきかき走ったんだった。そしたら、前を「チーム裏天竺」の4人が大荷物引いて走ってたんだった。今日は6:01に駅に着いていたので、余裕。ふと横を見ると、裏天竺の4人が。あれっ?

万鯉子さんのmixi日記によれば、5月3日には鳥取にいたはずである。てっきりずっといるのかと思ったら、一回帰ってたんだね。チーム裏天竺は、第1回中華コスプレ大会のコンテストで優勝していて、今年の2月15日には、鳥取県東伯郡湯梨浜町の観光大使を委嘱されている。それなので、しょっちゅう行き来している。今回は、三徳山に行ったり、地酒「山陰東郷」の蔵元である福羅酒造を見学したりしたそうだ。

その直前には中国に渡っている。次回11月に開催される第5回大会は「アジア大会」と称して、中国や韓国からもコスプレイヤーを招くことにしているので、それのプロモーションだそうだ。チョー忙しそう。しかしまあ、たいていの疲れは「養生館」に泊まるととれちゃうようで。養生館は明治17年創業という古い温泉宿で、東郷湖のほとり、燕趙園の隣りにある。投宿した人の芳名録には、小泉八雲、幸田露伴、大隈重信、志賀直哉、田山花袋などが名を連ねる。

鳥取空港に着いてからは、私は別行動で観光。「ゲゲゲの鬼太郎」の「水木しげる記念館」にしようか、「名探偵コナン」の「青山剛昌ふるさと館」にしようか。迷って、結局近い方へ。燕趙園はJR山陰本線の倉吉駅から東へ一駅目の松崎駅から徒歩で行けるところにあるが、西へ二駅目の由良駅から徒歩で行けるところに「青山剛昌ふるさと館」はある。「水木しげる記念館」のある境港は、ちょっと遠い。

青山剛昌は、コナンの声を演じた高山みなみと2005年5月に結婚している。ギリシャ神話のピグマリオンの現代版かいなってあたりが、なんだかうらやましかったり。けど、別れちゃったらしい。本人出演の生い立ち紹介ビデオでは、そこまでは言っていなかったけど。小学校の卒業文集で、探偵になりたいけど体力的に無理そうなので、探偵物を書く漫画家になりたいと書いている。実際なってるとこに感動。クリエイターを志望する若者に向けて、幅広くものを知っとけよ、とアドバイスを送っている。

テーブルの上に紙類がうず高く積み上げられた作業部屋の再現や、蔵書棚の再現も面白かった。手の内を明かしちゃう潔さがよいと思ったんだけど、それをなぞったからって、コナンが書けるようになるってもんでもないか。

●燕趙園は撮影環境最高! 時間があれば、滝もよい

さて、燕趙園でのイベント初日の5月10日(土)は、あいにくの天気となり、朝から晩までしょぼしょぼしょぼしょぼ雨が降り続いていた。けど、回廊など、屋根のある場所はたくさんあるので、イベントは問題なく決行されたし、写真もちゃんと撮れた。場所が屋根つきのところに制約されるのと、光量が少ないのでぶれないように注意が要るのが苦しいところだが、一方、順光・逆光を気にする必要がなく、どっちを向いても撮れるという利点もある。

このイベント自体、カメコにとっては天国のようだ。絶好のロケーションもさることながら、それを求めて全国各地から鳥取までやってくるレイヤーさんたちは、当然気合い入れて衣装を作ってくるので、出来がすばらしいのだ。「三国志大戦」の甘寧と呂範に扮する、すごいレイヤーさんを発見。特に甘寧は、衣装というより造形に近い。橋本龍さんと紫葵(Sia)さんは、島根県から来たという。

撮らせてもらってから立ち話していると、同じゲームの孫権と荀○(ジュンイク)に扮する二人が登場。「我龍転生」チームを組む、玖珂谷龍斗さんとりおねさん。玖珂谷さんは4月ごろ、コスプレイヤーコミュニティサイト"cure"で橋本さんを見つけ、神と崇めてきたそうで。メッセージを送り、このイベントに参加するとの返事をもらっていたので、会えるのを楽しみにしていたそうだ。たいへん感激していた。いやいや、龍背負ってる玖珂谷さんも、そこそこ神だ。神話の多い山陰地方だけど、ここにも神々集う、か。

夜には、園内の「集粋館」というホールで交流会があり、50人ほどのレイヤーさんたちが衣装のままで参加し、それはそれは華やかな光景を呈していた。ファッションショーのように、ステージからキャットウォークが張り出していて、順繰りにチーム名を呼ばれたレイヤーさんたちが颯爽と歩き、キメのポーズを披露していた。

一日目の写真はこちらでどうぞ〜。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/Tottori080510/ >

って、撮ったレイヤーさんが限られてたり、交流会の模様を載せてなかったりするんで、鳥取県中部情報サイト「鳥〜みんぐ」のページもご覧くださいませ〜。
< http://www.treaming.net/modules/bulletin/article.php?storyid=1452 >

二日目は、からっと晴れて、暑いくらいだった。11時から、集粋館でコスプレコンテストが開かれた。審査委員長は前回と同じく、鳥取大学の野田教授。8組がエントリーした。「だんな!! 一座」は第1回からの連続参加。孫悟空に扮する娘さんは、どんどん大きくなり、もう3歳だ。親の思うとおりに演じてくれないのは相変わらずで、大ウケだった。

"Kanagata"というエントリー名で単独参加したロクカさんは、地元の方。露わな肩や破れ網タイツがちょっとセクシー。だけど、露出で幻惑しようということではなく、コスチュームの完成度がすごい。装飾がいっぱいで、きらびやかだ。自分でデザインした、オリジナルキャラクターだそうで。狼をイメージしたという衣装にはしっぽがついている。だけどなぜかツノも生えている。衣装賞を獲得していた。コンテスト後に撮らせていただいたが、我を忘れてシャッターを切りまくり、後で見ると185枚も撮っていた。

「我龍転生」の二人組は、ステージに上がる時点で、会場から低いどよめきが起こった。孫権の背負う龍と曹操のオレンジ色の大きな翼が、見た目にも鮮やかな上に、衣装制作に注ぎ込んだエネルギーの膨大さを物語っている。パフォーマンスも見事だった。孫権のいる呉と曹操のいる魏は、赤壁の戦いを前にしている。魏が圧倒的に優位で、蜀と同盟を組んでもまだ兵力劣る呉にとっては背水の陣。負ければ国は滅び、孫権は殺される。双方が決意表明する場面。孫権は、剣の一振りで机の角を切り落として、兵の士気を高める。

曹操「荊州は落ちた……。この勝利も、我が天命のうちよ! 何人も我が覇道を阻むことなど出来ぬ。漢王朝の末裔だろうが、江東の虎の息子だろうが、みな完膚なきまでに叩き潰してくれるわ。今こそ飛躍の時! 我が志は千里にあり!!」

孫権「最初から敗北を恐れていては、この乱世を治めていくことなど出来ぬ。父上、兄上が守ってきたこの江東の地……、俺が必ず孫呉の旗を天下へと掲げてみせる!(剣を抜き放ち)聞け! 以後降伏を口にする者は、みなこの机と同じ運命になると思え!!」

二人で「軍を出せ! いざ、赤壁の地へ!!」

この長くて難しい台詞を、迫力満点で流暢に言い終わると、会場は圧倒されて沈黙、そして盛大な拍手。文句なしのグランプリ獲得であった。二人の映像は、NHKで全国放送された。また、翌朝の日本海新聞にはカラー写真が載った。

二日目の写真はこちらでどうぞ〜。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/Tottori080511/ >

月曜日は、イベントではないが、有志で近くの滝へ行き、ロケ撮影。龍神が住むと伝えられるこの滝は、シダといい苔といい、青々としてなぜか巨大だ。ひんやりとした空気。神の住まう気配。午後になると、滝行の人が来たので、レイヤーさんたちは下の流れのほうに移る。白装束ではなく、トランクス一丁なのは、属する団体が宗教系ではなく、ヒーリング系だから。

滝ロケの写真はこちらでどうぞ〜。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/Tottori080512/ >

●衣装制作って、こんなにたいへん

5月21日(水)、東京で玖珂谷さんがインタビューに応じてくれた。玖珂谷さんは、声優養成所に通い、コンビを組んだりおねさんとは同じクラスだったことで、知り合ったという。その声優の卵がインタビューでは3時間ぶっ通しで超絶早口のマシンガントークをしてくれた。おかげで、私の文庫本サイズのメモ帳は36ページびっしりと埋まり、翌日は腕が痛かった。

鳥取のイベントのことは、去年の12月ごろ、バイト先で知ったという。バイト先とは、中野にあるメイドバー「ヴィラージュ・レイ」である。店ではkという名前でメイドをしている。たまたま常連客にカメコがいて、去年の11月に鳥取のイベントに行ってきたことを店で自慢したそうである。次回は5月にあると聞いた玖珂谷さんが、りおねさんに声をかけてみると、乗り気だったので、行くことに決めたそうである。

そのカメコは、きっかけを作ったこと以外は大した働きをしていない。交通手段や宿泊施設、周辺の観光地などについて教えてあげたのと、写真を見せて、イベントの様子を伝えたぐらいである。コンテストは和気藹々とした暖かい雰囲気に包まれて進行するので、パフォーマンスは舞台から降りて会場を巻き込んでもOK、台詞を忘れて立ち往生したってそれはそれで大ウケ、はっきり言って「なんでもあり」、だけど、全体的にコスのレベルはめちゃ高いので、優勝を狙うなら、相当インパクトのあるものを見せなきゃだめだよ、ってなことを言ったようではあるが。

玖珂谷さんは、冬コミではポケモンの同人誌を作って売っていた。年が明けると、疲れが出たか、高熱に長期間苦しみ、2月末ごろまでバイトを休んでいた。衣装作りにとりかかったのは3月半ばごろである。鎧はオーダーしようとネットで造形師のサイトを探したら、25万円かかることが分かり断念、自作しようと決意した。

3月30日(日)、途方に暮れながら、東急ハンズ新宿店の6階をさまよい歩いていた。「どうしたらいいんだ。無理だろ、できないよ」。そのとき「何かお探しですか?」と声をかけてきてくれた親切な店員さんがいた。「鎧を作りたいんですが」と言ってケータイの写真を見せると、必要な材料・道具と作る手順を教えてくれた。小松さんという方だそうである。

ラリッサは細かい加工に向かないので、ライオンボードがいい。まずスタイロフォームを削って形を作り、それにライオンボードを被せる。ライオンボードはヒートガンで加熱すると自由に変形させることができるので、型に押し付けて貼っていけばいい。冷えるとその形に固まる。そしたら型をカパッと外せばよい。

それから、塗装剤の乗りをよくするために、G10(ジーテン)という接着剤をラッカーで薄めて2〜3回下塗りする。そして、液状のラテックスにアクリル絵の具を混ぜ、硬さを見ながら水で薄めて塗装。乾けば薄いゴム皮膜になる。10回以上、重ね塗りする。そうすれば刷毛跡が消えて、発色がよくなる。いっぺんに全部教えては混乱するので、区切りのいいところまでにして、そこまで出来たら続きを教えるからまた来なさい、と言ってくれた。

衣装は、家のガレージで制作した。溶剤のニオイと日差しの対策にほおっかむり。近所の人が通りすがりに「楽しそうね」と声をかけていく。実際楽しかったという。苦労もあった。ラテックスが乾ききらないパーツどうしが風で動いてくっつくという大惨事にも見舞われる。分離できず、はがして塗りなおし。8時間分の作業がパァになった。龍に目を奪われる人が多いけど、実は虎の絵に一番手をかけているそうだ。制作期間1か月ちょい、制作費16万円。ハンズへ何度も往復し、睡眠時間を削って制作。

制作途中段階の写真(玖珂谷さん提供)はこちら。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/FigDGCR080530/ >

ただ、そこまで教えてもらっても、作れる人と作れない人がいるのではないか。それについては玖珂谷さんは「暑苦しいまでのやる気と情熱と愛」だという。ただ、素養について言えば、クリエイティブな空気に満ちた家庭に育っていて、ものを作るのは以前から得意だったそうである。父親は、トキワ松学園横浜美術短期大学の教授で、1962年か35年間にわたって東京藝術大学デザイン科で非常勤講師を務めたN田教授(1930-2003)なのだそうで。N田教授はレタリングに関する著書があり、NECや文藝春秋のロゴマークを手がけている。恵まれた家庭環境にみえるが、本人はあまり喜んでいなくて、昔から何をやっても、あの教授の娘ならそれくらい出来てあたりまえと、ちっとも驚いてもらえないのが面白くなかったそうである。

5月25日(日)には、小松さんにお礼を言いに行くというので、私もお供させてもらう。東急ハンズのエプロンを着けてスタッフルームから出てきてくれた小松さんは、やや長身で、若くみえるが、成人したお子さんがいらっしゃるという。口調は控え目だが、ものづくりにかける情熱が見え隠れする。頼まれれば何でも作るし、ワンフェスにも二度ほど出品したことがあるそうだ。玖珂谷さんのチームが優勝したことに、たいへん喜んでくれた。私が撮った写真をお見せすると、「初めて作ったにしては、ちゃんとできてる」と及第点。「二作目は、もっとすごいものを作ろうね」。

小松さんご自身は、独学でものづくりを覚えたそうだ。本を読みあさって。「それだけで実践できるようになるのですか」と聞くと、「あとはもの自身が教えてくれる」。たばこの灰が手につくと真っ黒になるのを見て、きたないなぁ、ではなく、あ、これは戦車の模型の「汚し」に使える、とひらめく。使えるものは、なんでも使おう、と。

コスプレ衣装も「きらいではない」(←こういうとこが控え目)なのだそうで。今までにもお客さんから相談を受けたことが何回かあるそうだ。これからも、コスプレ衣装作りにアドバイスできる機会がどんどん増えれば嬉しいという。何か作ってみたい、だけど作り方が分からない、やる気と情熱と(キャラへの)愛は腐るほどある、という方は、東急ハンズ新宿店6階へ、小松さんを訪ねていこう!

えーっと、まとまりがつかなくなってきたけど、そういうわけで、今回も楽しく鳥取へ行ってきたというご報告でした。次回の「中華コスプレプロジェクト」は10月25日(土)26(日)、アジア大会の予定だそうです。
< http://www.pulse.vc/cos/ >

あ、そだそだ。中野のメイドバー「ヴィラージュ・レイ」のホームページができました。メイドさん募集中。一芸ある人、歓迎!(←私が)
人生に彩りあるネタ的展開がほしくなった人は、ヴィラージュ・レイへ!
< http://village-rei.girly.jp/index.html >

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

カメコは本気、仕事はおちゃらけ。火曜日、早く帰ろうと思っていたら、いきなり作業を突っ込まれる。なんとか仕上げて、終電で帰る。翌朝、「気分が悪いので休みます」とメールを入れて、休む。気分=機嫌が悪かっただけだけなんだけどね。気分転換に床屋へ。顔を丸める。それから、ヴィラージュ・レイへ。私の顔を見るなり、kちゃんはわーっと絶叫し、カウンターに突っ伏して、しばらく立ち直れず。あ、ヒゲキャラ、好きなんだったっけ。またすぐ生えてくるからって。
零時に店を後にしてから、メールでkちゃんにこの原稿のチェックをお願い。重大な誤りを2か所指摘される。あぶねえ、あぶねえ。それと、感想。「とにかく今回は初めての経験ばかりで大変でしたが、楽しませていただきました。やはり何をするにしても、まず楽しむことで力が出せるのだと痛感した一か月半でした。それもこれも、全て周囲の協力があってこそ。心から御礼申し上げます」。大の大人が本気出して遊ぶとすごいんだぞ、ってことですね。

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■編集後記(5/30)

・国立情報学研究所「想-IMAGE Book Search」サイトで検索すると感動的なことが起る。ここは「新書9000冊を現代的な1000テーマに分類した新書マップやウィキペディアの23万項目を基点に、Webcat Plusや神保町の古書30万冊を探索できます」というサイト。シンプルなトップページのてっぺんにある枠内に検索したい言葉や文章を入力し、IMAGINEボタンをクリックすると、デフォルトで連動しているデータベース3つ(ジュンク堂書店、新書マップ・テーマ、ウィキペディア)の窓がシュッと画面下方に向かってのび、検索結果が一瞬で現れる。中央の新書マップ・テーマの窓は、新書の背表紙が書棚のように並ぶ。これが美しく、本好きにはたまらなく快感。拡大するとさらに美しい。「詳細へ」をクリックすると、それぞれの本の表紙を含んだ図書情報が見られる。データベースは現在11あり、Webサーチでもキーワードを選択してGoogle、gooを利用できる。たとえば「中国」と入れて検索する。ジュンク堂書店で1241件、新書マップ・テーマで317件、ウィキペディアで27867件。もっと具体的に「中国は崩壊するか」と入れると各1470、499、34075件。「中国の環境汚染はどれくらい進んでいるのか」で2998、667、56887件。検索結果の書名やカテゴリを選んでIMAGINEすると、さらにヒット数が増えた。関連情報が一瞬でこんなにつかめるとは恐るべき機能だ。これは、入力文章や選択された記事から「連想検索」するシステムだそうだ。まだ使いこなせないが、いろいろ言葉や文章を入れてIMAGINEして遊んでいる。たとえば「竹取物語の作者は紀貫之か」とか「小学校で英語教育は必要か」とか。おもしろい、おもしろすぎる。(柴田)
< http://imagine.bookmap.info/index.jsp >  想-IMAGE Book Search

・コーヒー一杯でこのお値段なのね、というホテルの喫茶室よりお高い喫茶室に連れていってもらった。上品な白髪のご婦人方がゆったり静かに過ごされているところ。喫茶なのに真っ白なテーブルクロスがかかっていて、お客さんがかわるたびに、汚れていなくても取り替えられる。紅茶を頼んだら、差し湯用のポットが来て、キャンドルで温め続けてくれ、至れり尽くせり。このお店の中で、「文字化けですか。では戻ったらフォント送りますので。」という一言が聞こえてきた。10人ぐらいのビジネスマンがにこやかに打ち合わせ。あなたたち、こんなお店で打ち合わせをするのね。これ会社経費なのね? 社内会議室を使うとか、もう少し安めのお店でするとか……と思ってしまった。社長や重役ならまだわかるんだが、みんな若いのだ。一言も発言しない人間もいるのだ。発言も当たり障りのない、のんびりした、ぽつぽつ、とう感じ。たぶんレギュラー仕事なんだろう。いつもこんな雰囲気で打ち合わせをするんだな。格差を感じた昼下がりであった。(hammer.mule)