ショート・ストーリーのKUNI[40]消しゴム
── やましたくにこ ──

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消しゴムというものはすきあらば机の下にもぐりこむものだ。
ある程度使い込まれて角が丸くなった消しゴムは、人間がちょっと油断するとその機を逃さず机の上から転がり落ちる。そして思わぬ跳躍力を発揮してぽんぽんとはねながら人間の手の届かないところへところへとすすみ、ついには行方をくらます。人間たちは一応は探すふりをし、腰をかがめて机の下をのぞき込んだりしてみるものの、たいていは
「うーん、見あたらないなあ。まあいいか」
でかたづけてしまう。消しゴムの替えはいくらでもあるからだ。

そういうわけで、とある小さな会社の事務所でも、机の下の死角には6つの消しゴムが数センチから10センチ程度の距離をおいて集まっていた。どれも同じくらい丸まり、薄汚れ、今はほこりにまみれていた。



消しゴムたちは毎日事務所の人間たちの会話を聞くともなく聞きながら、うとうととまどろんだり、別の消しゴムに話しかけたり、あくびをしたりしながら過ごす。もう人間の手につかまれ、ごしごしと紙にこすりつけられたりするのはまっぴらだとでも言うように。

「おれたち、みんな似てるよな。丸まり具合といい、大きさといい」
「かもな」
「あんた、そこに何年いてるの」
「5年」
「おれは7年。尻が痛いよ」
「私がいちばん古いのね。9年」
「ふうん」
「たまには向きを変えてみたいもんだなあ」
「変えたってどうってことないさ」
「まあね」
「そこのあんた。それは何…あんたの背中の」
「おれの?」
「うん。何か。字が書いてあるじゃない」
「ふわああ。何て?」
「あくびすんなよ」
「うん、字だね、読めないけど」
「おれも読めない」
「ボールペンだね。青いボールペンで書いた文字」
「ふうん」
「汚れじゃないのかい」
「かもね」
「ふうん」

年に一度でも大掃除をすればこれらの消しゴムも発見されて日の目をみたはずだが、この事務所ではそんなことはなかった。消しゴムがだらだらしてるなら、人間もだらだらしてくるのかもしれない。いや、逆か。

それが、ある日。

事務所がにわかに騒がしくなった。いつもよりたくさんの人が出たり入ったりする。外ではトラックも待機しているみたいだ。本棚や椅子がごりごりがたがたと移動させられる。机の上のものを動かしている気配。それから、すうっと、机が持ち上げられる。視界が急に開けた。消しゴムたちがあっけにとられていると人間の声がする。

「おい、おい」
「なんだよ」
「見ろ、これ」
「ああ、消しゴム」
「6つもある!」
「だから言ってるだろー、掃除をちゃんとしろって」
「いまさら言うなよ」
「そうだよ、会社がおしまいの日になって」

消しゴムたちはおどろいた。おしまいだって? この会社が?
まあ、なんとなく納得できるような気はした。

「どうする?」
「この消しゴム?」
「いらないっしょ。最近、おれ、鉛筆なんて使ってなかったし」
「だよな。おれも」
「昔の人が使ってたんだよね。昔はほら、ざら紙に2Bで書いてた、って聞きましたから」
「じゃあ、かなり昔のなんだ」
「ですね」
「捨てましょ」
「そうだな」
 消しゴムたちはあせったが、どうすることもできない。だいたい、すでに捨てられていたようなものなのだが。

「あ、この消しゴム」
「ん?」
「名前が書いてありますよ、ほら。ボールペンで」
「どれどれ…日田?」
「ああ、聞いたことあります! むかしいた主任!」
「ここ辞めてからタクシーの運転手してるとかの?」
「そうそう、その日田さんですよ、変わったひとだったらしい。消しゴムに名前書くって、それっぽいじゃないですか」
「ふうん。なるほど。じゃあ、せっかくだから、これ、日田さんに送ってあげようか」
「それがいいっすよ。住所は古い名簿にあるでしょ。探せば」
「おれたちの最後の仕事かな。これが」
「心をこめて送ったりして」
「ははは」

数日後、今は個人タクシーの運転手である日田さんの元に封筒に入った消しゴムが届いた。日田さんは消しゴムを見るや眉をひそめた。あの会社のことは思い出したくもなかったから。

「なんでこんなものを…。しかし、捨てるのもかわいそうだ。そうだ」
日田さんは消しゴムの「日田」という文字に線を1本加え、「白田」とした。
そしてかつての同僚である白田さんに手紙を書いた。

白田くん
この消しゴムがまちがってぼくのところに送られてきたが、君のだと思う。
よろしく。

数日後、数え切れないほどの転職を繰り返し、いまは無職の白田さんの家に消しゴムが届いた。白田さんは消しゴムを見るや舌打ちをした。あの会社のことは思い出したくもなかった。

「かんべんしてくれよ、ったく…しかたないな、こうしよう」
白田さんは消しゴムの文字にさらに2本線を加え、「伯田」とした。確かいまはフリーのデザイナーだとか聞いたっけ。かつての同僚。ちょっとくせのあるやつだった。いや、あの会社のことはもういい。

伯田さま
ぼくのところにまちがってこの消しゴムが届きましたので送ります。これはまぎれもなくあなたの消しゴムです。どうしてにんべんを見落としたのかわかりませんが。
追伸:何かいい仕事があれば紹介してください。

数日後、伯田さんのところに手紙とともに消しゴムが届いた。
「なんだって? 仕事? そんなもんあったら苦労するかい! おれ自身ここ2か月あぶれてるっちゅうのに。だいたい、おれは消しゴムに名前は書かん!」
伯田さんは頭にきて、消しゴムの文字にぐちゃぐちゃに線を書き足し、無理矢理「権田」とした。どうみたって、あとから書き足したことはまるわかりだが、ほかに使えそうな名前の人間を思いつかなかったから仕方ない。

権田さま
間違って白田くんから私のところにこの消しゴムが届きましたが、どうみても、これはあなたのものです。よろしくお願いいたします。

数日後、いまは趣味で菜園をつくりながら猫7匹、ニワトリのつがいとともに暮らす権田さんのもとに手紙と消しゴムが届いた。

「伯田? だれだっけなあ。思い出せないが、この消しゴムには確かに私の名前が書いてある」

権田さんは今はめったに字を書かない生活だったので、消しゴムは台所の引き出しの中にしまわれた。そこは薄暗かったが、机の下と似た安心感があった。消しゴムはほっとした。

そういうわけで、6つの消しゴムのうちひとつは安住の地を得た。あとの5つはどうなったかしらない。
 
【やましたくにこ】kue@pop02.odn.ne.jp
みっどないと MIDNIGHT短編小説倶楽部
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