映画と夜と音楽と…[378]人情がなくなりゃこの世は暗闇/十河 進

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●人情なんて余計なものを背負ってちゃ生きていけねぇ

ひとり狼股旅映画の傑作「ひとり狼」(1968年)の中で、市川雷蔵演じる渡世人の伊三蔵は「おめぇにぁ人の情というものがねぇんだな」と同業の孫八(長門勇)に問い詰められ、その信条をこう吐露する。

──親分もなきゃ子分もねぇ、ねぐらもなきゃ身よりもねぇんだ。渡世の掟がたったひとつの頼りよ。人情なんて余計なものを背負ってちゃ生きていけねぇ。

それを横で聞いていた水車守の老人(浜村純)は、「おめえ、正気で言ってるのかい。人情がなくなりゃ、この世は暗闇だ」となじる。

王将/人生劇場そのセリフで思い出したのは、僕が子供の頃に村田英雄の歌でヒットした「人生劇場」の歌詞だった。「義理がすたればこの世は闇よ」というフレーズである。義理と人情は対立概念として捉えられている。だから、高倉健は「義理と人情はかりにかけりゃ義理が重たい男の世界」と「唐獅子牡丹」で歌った。



しかし、義理がすたればこの世は闇になり、人情がなくなればこの世は暗闇になるとしたら、義理と人情とは何がどう違うのか。「義理」と「人情」は、ときに対立する概念としても捉えられる。義理が社会的関係の中で守るべきものであるとするなら、人情は自分の心が欲するものである。

曾根崎心中,冥途の飛脚,心中天の網島―現代語訳付き (角川ソフィア文庫 51)たとえば、近松門左衛門は「義理と人情に引き裂かれる江戸人の心」を描いたと言われる。代表作である「心中天の網島」(1969年)の遊女小春は、紙屋治兵衛への恋慕(人情)と彼の女房おさんへの義理とのしがらみで身悶えする。彼女の心は男への恋心に充ちているが、正妻への義理がそれを抑制しようとするのだ。

そうした二律背反の感情がせめぎ合った果てに、心中することで相克から逃れようとする。しかし、僕はこの義理と人情の対立構造がよくわからない。恋しい男と添い遂げるのなら情を優先したことになるだろうけれど、心中することで義理は果たせるのか。正妻の方は、遊女と心中してしまった亭主に対してどういう感情を持てばいいのか。正妻の心の傷は深い。

健さんが歌う「義理と人情はかりにかけりゃ義理が重たい男の世界」の意味はよくわかった。男にはやらなきゃいけないこと(義理)がある。自分が死んで悲しむ女を振り捨てて(人情を捨てて)、悪い奴はぶった斬る。男は、情に流されて生きるわけにはいかない。だから僕は、情を捨て義理を選んで殴り込みに赴く健さんに拍手を送り続けた。

勢揃い東海道「人生劇場」で歌われる「義理がすたればこの世は闇」の意味もわかりやすかった。「俺も生きたや仁吉のように」というフレーズがあるように、吉良の仁吉を讃えている。東映映画「勢揃い東海道」(1963年)を見て、僕は吉良の仁吉が何者かを学んだが、まさに義理と人情のせめぎ合いの果てに、情を捨て義理を選んだ代表的な先人である。

三州吉良港を縄張りとする仁吉の元に、兄弟分の神戸の長吉が荒神山の縄張りを安濃徳に奪われたと泣きついてくる。安濃徳は仁吉の恋女房の兄である。悩んだ末、仁吉は義理(兄弟分に味方すること)を選び、情を捨てる(敵の妹である恋女房を離縁する)。ちなみに東映オールスター映画だから、仁吉は市川歌右衛門、清水の次郎長は片岡千恵蔵が演じていた。

どうも日本人は、この義理(社会的な関係)と情(個人的な思い)の相克が好きらしく、そういうドラマは昔から多い。しがらみの中で悩んだ挙げ句、個人的感情を克服し、義理を選ぶことが美しい行為とされる。義理と人情をはかりにかけて、義理を選ぶことに自己犠牲的な美学を感じるのだろう。これは、現在の企業戦士と呼ばれる人たちの精神性とも似ている気がする。

しかし、「ひとり狼」の中で浜村純が「人情がなくなりゃこの世は暗闇だ」と言ったとき、僕はそちらの方が正しいのではないかと思った。いや、正しいと思ったと言うより、しっくりきたと言うべきか。「人の情け」がなくなれば、確かにこの世は暗闇だ。愛情も友情も…、同情さえも存在しない。

●理念と人情のせめぎ合いがダイナミックに繰り広げられる

亡国のイージス コレクターズBOX (初回限定生産)「亡国のイージス」(2005年)が公開されたとき、日本映画を真摯に評論し続けている山根貞男さんは、朝日新聞紙上にこう書いた。

──宮津とヨンファは、まさにその一点、自分の国のあり方を憂える情念で結びついた。同じような思いを抱く渥美は、彼らと屈折した形で敵対する。そんな国家理念の徒に対し、人情家の仙石は、人を殺して何が国のありようだと叫ぶ。こうして全編、理念と人情のせめぎ合いがダイナミックに繰り広げられる。

亡国のイージス「亡国のイージス」は福井晴敏さんが乱歩賞受賞第一作として書いた小説が原作になっている。膨大な原作を映画はかなり省略しているが、日本では珍しいポリティカル・フィクションだ。「KT」(2002年)で金大中拉致事件を映画化した阪本順治監督だけあって、緊迫感に充ちた作品に仕上がっていた。

米軍が秘かに開発していた毒ガス兵器が、北朝鮮(映画ではアジア某国にしてある)の諜報員ホ・ヨンファ(中井貴一)たちに強奪される。ヨンファと同調する「いそかぜ」副艦長(原作では艦長)の宮津(寺尾聰)は、士官クルーを率いて反乱を起こす。彼らは海上自衛隊のイージス艦「いそかぜ」を乗っ取り、ミサイル弾頭に毒ガス兵器を搭載し、日本政府を脅迫する。人質は一千万都民である。

宮津は自衛隊の情報組織ダイスによって息子を殺され、そのことをヨンファから知らされたのだ。母国の堕落に絶望するヨンファは、純粋に国防を考えていた宮津の息子と通じ合うものがあった。宮津は息子が書いた「亡国のイージス」という国防論文の公表、息子を国家機関が抹殺したことを国民の前に明らかにすることを日本政府に要求する。

宮津もヨンファも国を憂う人間だ。自衛隊の情報組織ダイスを束ねる渥美(佐藤浩市)もまた、彼らを制圧する側ではあるが憂国の情を抱えている。渥美は情報が集中するセンターで「いそかぜ」と交信しながら、様々な手を打っていく。その駆け引きが映画を牽引する。ハラハラドキドキを生み出す。

「いそかぜ」には士官連中だけではなく、クルーたちが乗っている。彼らを束ねる現場の艦長のような役が、先任伍長と呼ばれるベテランの海上自衛官である。「いそかぜ」に何十年もクルーとして乗り込み、艦を自分の家のように愛しているのが仙石(真田広之)だ。先任伍長である彼は若い自衛官たちの父親であり、兄のような存在だ。

そんな仙石の元に新しく配属されてきたのが、如月行という若い海士だった。彼は仲間たちと馴染もうとせず、不審な行動を取る。しかし、絵心のある仙石が任務が終わって甲板で夜の海をスケッチしていたとき、如月はその絵を覗き込むようにしてアドバイスをする。如月が描いたタッチを見ただけで、仙石には彼のきらめくような才能がわかる。

一瞬、心を通わせた仙石と如月だったが、副艦長の反乱によってクルーは全員離艦を命じられる。だが、たったひとり残った如月を見捨てられず、仙石は海中に飛び込み、爆破によってできた艦の底部の亀裂から「いそかぜ」に戻る。仙石は、如月が「いそかぜ」反乱を予知したダイスによって送り込まれた工作員だと知ったのだった。

●すべての映画は人の「情」を描いている

「亡国のイージス」の原作を僕は長く敬遠していたのだが、先日、急に気になって読んでみた。もっと早く読んでおけばよかったと後悔した。長い長い物語を短く感じた。映画では説明不足だった部分が明確にわかった。しかし、改めて映画化作品は実によくできていたと思う。テーマは見事にすくい上げられている。やはり、山根さんが指摘した「理念と情のせめぎ合い」こそが福井さんの描きたかったことなのだ。

映画ではほんの短い回想シーンでしか描かれない如月行の生い立ち、ヨンファと美しい殺し屋である妹ジョンヒの過去がじっくりと書き込まれており、涙ぐむこともしばしばだった。「中井の悲しみを秘めたテロリストの非情さが胸を打つ」と山根さんは書いていたが、母国の堕落に絶望した狂気のテロリスト・ヨンファの悲しみの源が理解できるのだ。

「亡国のイージス」を見る、あるいは読むと、憲法九条と戦争放棄、矛盾を抱えた軍隊としての自衛隊、平和ボケした日本、真の国防とは何か、戦争の本質…、そんな言葉が頭の中で渦を巻く。一方、親子の情、兄妹の情、海士たちの友情、人が人を思う感情…、まさに様々な人の情が身に迫って感じられる。

宮津は憂国の志をタテマエにして日本政府に要求を突きつけるが、その実、最愛の息子を殺された無念さに突き動かされて行動している。宮津の復讐心は、親の情が生んだものだ。また、ヨンファも「よく見ろ、日本人。これが戦争だ」という印象的な言葉を口にする政治的テロリストであり、非情に人を殺せる人間ではあるが、妹との情の結びつきは固い。

そして、何より仙石が自らの命を顧みずに「いそかぜ」に戻り、圧倒的な敵を相手に孤軍奮闘するのは、如月への強い思いからである。孤独に生き、人を寄せ付けない如月がほんの一瞬見せた人間的な弱さや優しさ、それを見た仙石は如月を放ってはおけない。それは先任伍長として隊員を守るという、まさに父親が息子を思う情に他ならない。

そして、如月の行動原則もダイスの工作員としての任務ではあるけれど、心を通わせた先輩と後輩がテロリストに殺されたことに対する情念が、戦闘には不慣れな仙石を救いたいという思いが、それを後押ししている。誰も信じなかった如月を変えたのは、仲間たちの情であり、仙石の情けだった。それらが、プロとしての教育を受けてきた孤独な工作員の閉ざした心を溶かしたのだ。

この胸いっぱいの愛を映画で如月一等海士を演じたのは、勝地涼。この映画で初めて見たが、得な役のためか強く印象に残った。その後、「この胸いっぱいの愛を」(2005年)で演じたヤクザの役もよかったけれど、「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(2007年)で演じた主人公の友人であるオカマっぽい美容師は、イメージが違ったなあ。

しかし、いろんな映画をアトランダムに並べてみても、すべての映画が描いているのが「人の情」だとわかる。「この胸いっぱいの愛を」は果たせなかった思い(情)を残したまま死ねなかった人間たちの話だし、「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」は母への情を描いた映画だった。

どんなものをテーマにしても、それが悪い感情や非情さを描くことであっても、愛情や友情の物語であっても、人間を描く以上、人の情を描くことになる。人間とは情を持つ生き物なのである。「人情がなくなりゃこの世は暗闇」になるのは当然のこと。だから僕は、情けはひとのためならず、と時々つぶやく。自分自身に言い聞かせるように…

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
早めの梅雨が始まった。世の中には、雨の日にはできないこともある。いや、やろうと思えばできるのだが、やりたくないのが人情だ。運動会は「雨天順延」が普通だが、順延してまた雨だと「雨天決行」になる。しかし、雨風が強い日には「出社順延」したくなるなあ。そうもいかないので、仕方なく出ていく…。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1 >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

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映画がなければ生きていけない 1999‐2002
十河 進
水曜社 2006-12
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star第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
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映画がなければ生きていけない 2003‐2006 【初回限定生産】『ブレードランナー』製作25周年記念 アルティメット・コレクターズ・エディション(5枚組み)



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亡国のイージス
福井 晴敏
講談社 1999-08
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終戦のローレライ 上 川の深さは (講談社文庫) Twelve Y.O. (講談社文庫) 6ステイン 亡国のイージス コレクターズBOX (初回限定生産)

by G-Tools , 2008/06/13