ローマでMANGA[10]ヴァレンティーナ/midori

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前回は、MANGAとコミックスの構築法の違いを、夢中になって説明してしまいました。まだ考察は続いてますが、今回は工房の中身を。

いよいよ第一回の工房も終わりました。イタリアの学校制度は6月が学年末だからです。当初の参加者8名が、紆余曲折で5名になりました。今回はそのうちの一人、ヴァレンティーナに焦点を当てます。



●卓越した画力のヴァレンティーナ

ヴァレンティーナは、色白でいつも顔を紅潮させている。いわゆるマンガチックなスタイルで描く。つまり、日本の漫画風。というよりゲーム画風。唯一の二年生だ。工房参加者は三年生か卒業生と基準を決めたのだけれど、ヴァレは卓越した画力で、三年生にひけを取らない。

< http://www.luxferulez.deviantart.com/gallery/ >

彼女が長年温めて来た物語を、やっと表に出せる機会を得たと喜んで参加している。というか、頭に物語をあたためている子によく出会う。だけど、こうした工房を待ってないで、自分で勝手に描かないの? エミリアもルチアーノもそう。まぁ、いいか。

ヴァレンテイーナがあたためて来た物語は、大長編。それを50ページ以内にまとめるのは無理だから、一番描きたい部分を読み切りのエピソードにまとめたら? のサジェスチョンで、「あるきっかけで、主人公が幼い頃の想像だと思っていた真の姿になる」というエピソードを取り出した。

ささっと描く人物がうまい。鉛筆の線がいかにも手慣れている。訓練された線で、見ていて目が気持ち良い。早口の説明はついて行くのが大変。頭の回転が早い子だ。もたもたと私がひねり出すイタリア語の感想を、いつも前半分で皆までわかってしまい、残り後半を代わりに言ってくれる。

工房を開始して二か月はキャラデザインばかりやっていて、不安だったけど、ずっとあたためて来た物語だけあって、人物が決まると後は早かった。

●超センシブルなヴァレンティーナ

工房で使う教室は、中央に大きな作業机があり、それを囲む形で皆が座る。向かい合い、隣り合うからおしゃべりも当然生じるし、描きながらの独り言にご近所が反応したりする。

ヴァレンティーナも普通に反応したり、「あっしまった!」みたいなことを言うけれど、他の子のように他の参加者の絵を見に行かない。それと、話をする時に人の目を見ないのに気がついた。たまに相手の顔を見るときは、あごを突き出して、見下したような見方をする。つまり、お高くとまっているように見える。

ある日、頭痛がする…と言うヴァレンティーナに指圧を施した。指圧は工房のオプションで「頭が痛い」と言う声がすると、たちまち始まることになっている。

ぐえっ! 首から肩にかけて、肩から背中にかけてガチガチ。頭だろうがなんだろうが、痛くない方がおかしい。普通は初めて経験する指圧の痛みにぎゃーぎゃー騒ぐのがイタリア人だけど、ヴァレンティーナは騒がない。凝りすぎて効いてないのだ。

コチコチの華奢な体を触っていてわかってしまった。敏感な彼女は他人の気持ちをびんびん受け取ってしまう。必要以上に。それで傷つく。傷つかないために構えて武装する。自分を出さない。全部抱え込む。それを言うと「うん、で、時々大泣きするの」

言いながら、ヴァレンティーナの肩の力が少し抜けた気がした。ツンケンしているのではなくて、殻をかぶっているのだ。誤解されてさらに傷つくこともあるだろうに。傷つくことを恐れて殻を厚くするのではなくて、対峙できるようになるといいね。

彼女が夢中になっているマンガ制作は、抱え込んでしまうものを昇華する役割をもっているのだろうか。作者が吐き出すものが、読者のカタルシスになれば両者でお得。作者の自分勝手な発散が、読者の共感を得て快感を与えるようになるには、何が必要なんだろう?

作者の発散がこちらにあって、読者の共感があちらにあるとする。この二つが全く別々のままになってしまうのは駄作。ただの愚痴だったり、ウケ狙いで嫌みだったり。この二つがうまく手を結ぶ作品を作れるのは、人間性の深さによるのだろうか。

●ゾンビのようなヴァレンティーナ

新人賞応募にはMANGA言語が必要だとわかってから、工房でもMANGA構築法の授業を短時間入れるようにした。

ヴァレンティーナは全身をアンテナにして聞き、しかも理解する。だから、ネームを見てサジェスチョンをするとき「この吹き出しの位置が…」と言っただけで、「こっちにずらせば間が開いて、ゆっくり言ったことになってこの状況に合うね」などと即座に分析する。前回の話の続きで言えば、右脳と左脳がハイレベルで機能している感じ。

工房最終日。白い顔をいっそう青白くして、ゾンビのように部屋に入って来た。6月の学年度末で進級試験があり、そのための課題制作に追われた上、当番で家の掃除をしてきたそうだ。睡眠をあまりとってないのだろうね。

ヴァレンティーナの作品は30ページ。ケント紙へのえんぴつ下書きが25ページまで済んでいた。チェックしてみたら、うっかり23ページを2枚作っていた。つまり24ページ以降が1枚づつずれていく。最終ページが奇数ページになってしまうので、1枚追加して32ページにすることにした。

新人賞は12ページから50ページまでが規定だから、追加には問題なし。ゾンビでも動かす手は早く、たちまち最終ページまで下書きを終わらせてしまった。級友とNARUTOの話などしながら。

ヴァレンティーナが描く人物は造形が美しい。美しいけれど、BlameとEDENが好きというヴァレンティーナのファンタジー作品は、ちょいとわかりにくい。

目に気持ちの良い絵に、大泣き代わりの自分の気持ちを込めた作品と、読者の共感が結びつくに至るだろうか。ああ、読者の前に審査員達がいた。仮に賞を取れなくても、自分のウエブギャラリーに載せる作品が出来ることをとりあえず喜んでいる。

【みどり】midorigo@mac.com

毎朝毎朝、どさどさっとばかりに杏の実の絨毯爆撃に見舞われています。庭に三本ある杏の木にどっさり実がついて、一斉に熟しちゃってるわけで、ぽたっ、どさっと実が落ち続けます。

毎朝かごを持って木の下へ行き、5〜6キロは拾い集めます。そのうち半分は既にカラスやツグミにつままれてたり、落ちた衝撃で半分つぶれたりしてるので、それは鶏さんの食卓へ直行。

残りの半分はご近所や親戚に配り、さらに残った分はジャムにしてます。それでも大鍋一杯はあります。毎日大鍋一杯の杏ジャム作り。作ったジャムをガラス容器につめて、これまた友人に配ったりしてますが、杏のどさっ! はまだ続いてます。

取っておいたら腐ってしまうから人にあげる。ジャムにする。ジャムも食べきれないから人にあげる。人にあげて喜ばれる。

これは、前に読んだ「贈与経済」の在り方だなと思いつつ。持って抱え込むのではなくて、人にどんどんあげる。持っているものを抱え込みたくなるのは、それが「利子」を生んで、持っていることでより価値が出る場合。

杏のように、持っていると腐ってしまうものは、持っていても仕方がない。自分で処分しきれないものは人様にもらっていただくのが一番。持っていると価値が下がるが、あげると、その行為には価値がある。お金もそうあるべき……というような話だったと思う。

持ってれば持っているほど偉い! という世界より、人にどんどん廻した方が良い……という世界の方が健全な気がします。自然の法則に近いし。

midori yamane
midoriyamane@gmail.com
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