武&山根の展覧会レビュー 「アーティスト」ってなんやねん?【アボリジニが生んだ天才画家 エミリー・ウングワレー展】を観て
── 武盾一郎&山根康弘 ──

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武:こんばんは!

山:こんばんはー。

武:いやー、最近忙しいっすねー。

山:そうやなあ。暑なってきたしな。

武:しかも前回から言ってるが、ずっと体調がすぐれなくて、往生してたんすよー。微熱っぽいのが続いたりやんだり、まったく参るぜ。男性更年期かもな。。。

山:往生してたんか。もう次は大往生やな(笑)。

武:ホントに大往生したいわ。しかし話題が健康中心になって行くってのは、寂しいなあ。。。ってことで、梅酒飲みます。健康にいい! かも。

山:だいたいねぇ、健康ってなんやねんな。調子悪いと不健康、とは言いきれんしな。僕は最近あんま酒呑んでないけど、取り立ててかわらん。金がないぐらいやな。

武:金がないのはどうにかせんとな。いや、金がなくても健康で文化的にどう生きてくか、かもしらん。とりあえず、食いもんがあって、住む所があればなんとかなる!

山:金がなくても健康で、文化的(ってなんや)に生きていくことは全然可能やと思うよ。ただ、金がないとできないことも山ほどある、って言う話で。

武:そういえばこないだ、埼玉県にある見沼の福祉農園に行って、農作業デビューしました! ほんのちょこっとだけど。ここいらへんも昔はいろいろな信仰や、風習があったらしい。初午とか。見沼だと農業を主体にして信仰や行事があるんかな。
< http://www.h4.dion.ne.jp/%7Eminukaze/
>

山:まあ昔はどこでも信仰、風習いろいろあったんやろうな。今もそれを受け継いでいるのは確かに少ないやろね。受け継いでても当然形は変わってたりもするしな。そういうもんやろうけど。

武:その社会の主軸となるライフスタイルが変われば、信仰も行事も変わる。多分、昔はどこでも「地域」でそこそこいろんなもんがサイクルして生きてけたんで、独特なお祭りや文化が生まれたりしたんだろうね。

山:そうやな。で、今回は六本木に行って参りました!

武:俺は乃木坂駅から行ったけどね、、ってなんじゃその突然の切り返し!

山:まあもう前置きはええかなあと(笑)。今回は(も?)むずそうなんで。



●【アボリジニが生んだ天才画家 エミリー・ウングワレー展】へ行く


武:赤い大地の奇跡-5万年の夢(ドリーミング)に導かれ、彼女は絵筆をとった。国立新美術館ですな。くにたちじゃないよ。
< http://www.emily2008.jp/
>

山:知ってるがな。で、前回僕らが行った時の新美術館は横山大観やったけど、今回はまた毛色が全然違うな。
< https://bn.dgcr.com/archives/20080213140200.html
>

武:うん。そうだねーっ! それと乃木坂から行くと直接美術館に直結してるって今日初めて知った。

山:へー、そうやったん? 知らなんだ。

武:「すんげー便利」って感じはしなかったけど(笑)。

山:そうなんや。ということでジンロやめてやっぱ黒霧にしよう。

武:なんだんべそりゃ! そうくるなら俺も黒霧島突入! いやー、歴史を感じますねー! ドリームタイムですよ。

山:何の話や(笑)。

武:いや、エミリー・ウングワレーを見る前にな、アボリジニの「ドリーミング」について書いといた方がいいかなあ、と。

山:展示の話やったんか(笑)。

武:ドリームタイムについて、こういうのがある。「天然空洞木」サイトより。

 アボリジニの人達の文化 精神性を知る上でとても大切なのが
 ドリームタイム・ドリーミングという価値観です
 ここでいうドリームという意味は 僕たちのいう「夢」という意味ではなく
 「旅をする 生活をする」ということを指すようです
 エネルギーを持ったもの、、、人間が旅をし歩いていくと
 その歩いた後に 足跡が残っていきます
 このように その人が持っていたエネルギーやスピリットも残ると信じられ
 ています
 そして そのエネルギーやスピリットを残していく行為
 それを「ドリーミング」と呼び そのドリーミングが行われた時代を
 「ドリームタイム」と呼ぶそうです
< http://www.knob-knob.com/digedorimu.htm
>


山:なるほど。


●アーティストってなんやねん


武:つまり、ちょっと説明するのが難しいんだけど、「描く」っちゅうことは「祈りを捧げる」って訳で、その祈りのエネルギーやスピリッツは「旅の足跡」のように残って行く、と。彼女、エミリー・ウングワレーは画家、というより、そのアボリジニの「ドリーミング」を遂行し続けた、アボリジニの人間である、っちゅうのが重要だと思うんさよ。

山:「描く」とは、風化し無くなっていくとしても痕跡を残すということやから、それはまさに「跡」なんやな。でだ、そのアボリジニとして生きたエミリーさんは、ほんまに「天才画家」という物言いでええんか? そもそも「アーティスト」ってなんやねんな?? と、この展示を見て僕はそう思ったんですよ。

武:うーむ、確かにな。「ドリーミング」ってアボリジニの言葉じゃないでしょ。きっと名詞化する必要性のないくらい、ボディーペインティングだとか砂絵を描きながら、暮らす生活があったわけで、その中でエミリーさんは「ドリーミング」だとか「アーティスト」だとかいう概念もなく生きていたわけだよな。ってことは「アーティスト」って一体なんじゃいな、って思うのはわかる。

山:そーなんですよ。

武:が、うーん、難しいな。。。一つは、それを外部から分類した。西欧的見地から、アボリジニの生活思想信仰様式を「ドリーミング」と分類し、生活儀式に即したボディーや砂じゃなくて、カンバスを与え、そこに描くことによって「アート」と分類した。

山:キャンバスに80歳ぐらいから描き始めたっていうのは、もちろん外部から言われんと、そんなんやらへんわな。

武:最初はアボリジニへの教育プログラムとしてバティック(ろうけつ染め)制作をさせられて、それが美術的評価を受け、カンバスに描くようになった訳だよね。けど、彼女はカンバスであろうと大地であろうと、砂であろうとアクリル絵の具あろうと、きっと同じ気持ちで描いてるんだと思う。

山:まったくそうやろうね。でも言われたからといっても、実際にキャンバスに描き始めたというのはどういうことなんやろ。考えるに、すごく頭のいい人で、自分がキャンバスに描くことによって、なくなっていってしまう何かをいろんな意味で残せると考えたんとちゃうやろか。西洋、資本主義に受け入れられると当然外貨が入る訳で、それが自分たちの故郷を守ることになる、とか。

武:多分、他にも同じくカンバスとアクリル絵の具を与えられたアボリジニの人もいたんだと思う。

山:ふむ。

武:けど、きっと大多数のアボリジニは、石の壁や土や身体に描いてる方が良かったんだよ。

山:なるほど。そうかもしれへんな。でも彼女だけは、黙々とキャンバスに描き始めた、と。

武:ってことは、とある「制度」に入って初めて「アート、アーティスト」と成り得る、ってことなんかもしれん。


●過剰な神秘的憧れ


山:そうやなあ。だいたい「教育プログラム」が入るってことはつまり、「あんたらそのままやったらあかんよ」ということでしょ?

武:わはは! その視点はオモロい。それは暴力でもあるわな。

山:なんせ「教育」やからな。暴力やろもちろん。悪い意味だけではないやろうけど。

武:アボリジニの生活は生活でそのまま放っといてもよかったわけだろうし。

山:なんで放っとかれへんかったか。やっぱ金がない、お金を使う社会システムに入ってないからそのままやったらなくなってまうで、っていう話なんとちゃうんか。

武:自立支援。か(笑)。

山:そういうある種おせっかいが入らんと、誰かが困るんやろな。

武:まあ、実際、アボリジニの儀式を「アート化」させた、そのおかげで俺たちも日本で、それを観れる訳だしの。

山:観なくたってええやんか。観たけど(笑)。良かったけど(笑)。

武:で、絵として観た場合、点々や線の繰り返し、そのつたなさや素朴さ、みたいなもんに魅力は感じたけど、例えば『大地の創造』(1994)の大作とか、色彩の響きが良いってわけでもなかったしね。「絵画としてどうか」ってシビアに観たら、はたして、どうよ?

山:うーん、どうやろな。

武:まあ重要なのはそこじゃなくて、アボリジニの伝統的生活信仰「ドリーミング」だってことになるんだろうけど。

山:今回の展示の構成でね、すごく思ったのが、まず、非常に「わかりやすい」ストーリーがある。

武:ほう。

山:絵画的変遷、とでも言うのか、そういうのがすごくわかりやすくある。まるで彼女の人生が美術史をなぞっているかのように。特に最後の死ぬ間際に描いたという作品なんて、劇的に変化してて、明らかに今までと違う。

武:「ラスト・シリーズ」か。
< http://www.emily2008.jp/display.html#07
>

山:それは単純にすごい!と思ったけど、いや、ちょっと待てよ、とも思う。

武:長新太みたいになってた(笑)。

山:え? 意味が分からん(笑)。長新太って晩年そうやったん?

武:ラスト・シリーズの絵は長新太っぽいじゃないすか。

山:そうなん? 知らんがな。っていうか長新太はええねん。エミリーやがな。

武:欧米美術史観だとさ、宗教画(イコン)があって、そっからリアリズムとかあって、で、抽象画に「進化」してく、みたいな。で、アボリジニのエミリーさんは、西欧絵画的リアリズムをすっ飛ばして、西洋画で言う「抽象画」に見える絵を描いてるもんだから、ビックリしてしまった、とか。

山:「これは使える!」と思ったとかな(笑)。実際彼女が制作した最初のバティックでは具象はあったよな。動物とか。それは伝統的にモチーフとしてあったから描いたんかな。で、その後の点描に移行する過程もまだわかる。そんで、死ぬ間際に点描もなくなって一気に絵の雰囲気も変わる…、これね、ちょっとストーリーが分かりやす過ぎるような気がしてならへんねんなー、なんか。

武:未開と呼ばれる人たちの、風習や信仰に対する過剰な神秘的憧れみたいなのもあると思うんさよ。

山:そうやね。

武:多分、アボリジニの伝統とかいうのも、過剰に神秘化されちゃってるような気もするんだよね。見沼の竜神様とか、そういうのとある意味では同じなんだと思うんさよ。土着信仰と儀式、それらは生活と一体となっていて、切り離す事ができない。

山:はは。龍神様やったら日本人である僕らとしては、まあわかるしな。ああ、龍神様ね。よろしく頼んます! ぐらいなもんやったりするし。

武:「アート」って、それらを切り取って、持ち運んで外に出せる「制度」なんかもしれんな。

山:まあ、商売としてでもあるわけやしな。


●生活家でいいんじゃん


武:エミリーさんは、ずっと現場で制作してた訳だから、ブローカー(プロデューサー)がいた訳だ。

山:ふむ。

武:ってことは「アーティスト」とは外に売り出す「プロデューサー」がついた人。ってことでもあるの。

山:おおなるほど。そういう意味で言えば、エミリーさんは立派な天才アーティストやな(笑)。

武:自分らが自分らの地域やコミュニティーで伝統的であれ非伝統的であれ、自立して事足りてたら、それらがどれだけクリエイティビティーに富んでいてアーティスティックであっても、「アート」と呼ばれないし、「アーティスト」とも呼ばれない。

山:そうやね。そう呼ばれる必要すらないやろしね。クリエイティブって言われる前に、すでにもう作ってます、ぐらいのな。

武:で、それを「アートだ!」と自分自身で言って回るか、誰かが「これがアートだ!」って言って回るか、そして、「そうだそうだ」と言って回る人が現れて「アーティスト」は製造される、と(笑)。そんなんでいいんか…?(笑)。

山:「天才とは作られたものである」なんて誰か言ってましたかね(笑)。

武:はは! エミリーさんは天才画家ではないような気がするんですが。

山:天才にしとかんとあかんかったんとちゃうの? なんて思ってしまった。

武:お! それはオモロい。なんかさ、実は煮え切らない気持ちを抱え続けたんだよね。この展覧会。アボリジニへの侵略、侵害、絶滅されかかって、それに対する西欧人の差別意識と罪の意識、そしてプリミティブな生活様式への神秘的憧れ、そういったものが重なって、エミリーさんは天才画家として世界に名をとどろかせなければならない、みたいな。エミリーさんも、なんかいろんなことを薄々感じていただろうし、ダブルバインドを抱えたと思うんだよな。ミョーに引っ掛かりのない洋画っぽくなってる感じとか。

山:僕が思うに、彼女はダブルバインドを抱えてないような気がする。あの作品の量をみると。もう受け入れきったというか。おそらく聡明な人やったんとちゃうかなあ。

武:そうか。

山:というか、信仰心で描いている、生きている訳やし。

武:もっと単純に、描いてる作業がやっぱり楽しかったとかね。でも彼女が現代の美術の情報をまるで知らなかったとは思えないんです。

山:それはそうかもな。

武:誰かが現代絵画の情報や西洋美術史観を教えてると思ったんですよ。

山:何らかの情報は入ってるかもな。ただ、別にそんなんあんま関係なくて、それを彼女なりに汲み取って、それはおそらく美術的にを汲み取るというよりも、教えてくれた人の気持ちを汲み取る形で描かれたんじゃないんだろうか。

武:ふむ。迫害を受けたからこそ、自らの民族性に誇りを持つ、っていうことはあるじゃないですか。カンバスに描くという洋風の仕事をしたからこそ、アボリジニの伝統を守るという強い意志も生まれたのかも知れないし。でだよ、じゃあ「アーティスト」ってなんやねん? というヤマネの根本的疑問にどう結びつけて行くか、だ。

山:うむむ。

武:エミリーさんが政府の教育プログラムなんかぶっちして、ろうけつ染めとかカンバスに描かないで、ずっと砂絵とかボティーペインティングとかしてたら、「アーティスト」じゃないのか?

山:なんなんやろなまったく。でも信仰心、祖先に対する思いで生き抜いたエミリーさんは確かに「アーティスト」やなあ、とも思う。。

武:うん、たしかにな。

山:なんやろ、アーティスト、とかじゃなくてなんか違う言葉ないんかね? 芸術家? うーん、ちゃうなあ。生活家? 全然ちゃうか(笑)。

武:「アーティビスト」とか。なんか、先進国と呼ばれる日本で「アーティスト」とかいって頑張ってる自分がバカらしくなってくるな(笑)。生活家でいいんじゃん(笑)。生活とはそもそも、芸術的あり哲学的であり、シビアであり、生存であり、全部ひっくるめて俺たちは生きてるんだもんな。

山:Yahoo!翻訳によると、生活家=A person of lifeとでました(笑)。


●再びアーティストってなんやねん


山:ところで今ふと、言葉、知識は違えど、結局同じことをずっと問題にしてるんやな、ということに今さら気がついた。わはは。

武:説明してもらわんとわからん(笑)。

山:いや、つまりなんなんやろ、自分は結局考えてることは一緒やなあと。あんまり変わり映えもなく、言葉を獲得したり知識を得たりということで表面的には変わるけど、結局は同じこと思てるやん! みたいな。

武:その、同じところってなんじゃい?

山:だから、アーティストってなんやねん(笑)。

武:あー。エミリーさんはずっと、自分たちの生活様式の中で絵を描いていた、と。それはその社会の中では当然であったろう。天然(自然)的アーティストではあったんだと思う。名を与えられないアーティスト。それが、制度に取り込まれたとき、「アーティスト」となるんじゃないかな、と。例えば、自分で勝手に絵を描いていた自称「アーティスト」が居たとしよう。それが「制度」とコミットすると、「アーティスト」となる、と。そういう身も蓋もないことなんかもしれん、とふと思った。

山:確かに。名付ける、ということはまさしく制度化するということやな。

武:それと、「嘘も100万回言うと本当になる」といったりするが、「俺はアーティストだ」と言い続けてるとアーティストになる、というのもあるかも。

山:ふむ。

武:しかし、これらは全て、称号としてって話だよな。


●ドリーミングは痕跡


山:名付けることができないものを獲得しようとするのもまた、欲求としてあるんやろね。そういったことをする人をなんと呼ぶのか。どういう風にその人は「自信」なり「意味」なりを持ち得るのか。

武:本質的には、内発的・自発的にモノを産み出す行為とその行為の結果だと思う。無形の場合は物語として結果が残る。有形の場合は作品として結果が残る。「ドリーミング」と呼ばれるもの、これらはきっと、ずっと無形のアートだったんだろうね。

山:だからこそ、痕跡なんやろな。

武:痕跡だよね。ドリーミングで言えば「旅の足跡」。

山:エミリーさんの絵の上に、ほんまに犬の足跡が残ってた。

武:「人は二度死ぬ」って言うよね。

山:なんじゃいそりゃ(笑)。

武:一つ目は、生命そのものの死。そして、もうひとつはその死んだことに対する他者の記憶からの死。人は二度目の死を、もっとも恐れる。だから、残したい。継承したい。という気持ちが産まれる。

山:ほんまにそうなんかね? 確かに「死」は生きている人間としては、「未知」のものとして不安やけど。だからといって、死んでしまえばそれはまたわからんことやから、他者の記憶もわからんねんから、残るも残らんも考えられへん。

武:つまり、二度目の死は、他者によって決まるってことなんすよ。死んだ人を忘れてしまう、というのはいけないこと、という感じはするでしょ?

山:ああ、それは何となくわかる。

武:芸術はひとつ、死んだ後も忘れて欲しくない人間の根源的な欲求の現れなのかもしれない。

山:みんな「ドリーミング」を知ってるってことなんかね。


○展覧会採点!


武:☆☆ 星2つ。確かに好きな作品はあったし、いいと思うんだが、なんか釈然としないものが残った。なんなんだろう。。。

山:☆☆☆ 星3つ。「ドリーミング」に引かれました。

【アボリジニが生んだ天才画家 エミリー・ウングワレー展】
< http://www.emily2008.jp/
>
会期:2008年5月28日(水)〜7月28日(月)
会場:国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2)
< http://www.nact.jp/
>
開館時間:10:00〜18:00、金20時(入館は閉館の30分前まで)火休
観覧料:一般1,300円、大学生1,000円、高校生600円
問い合わせ:国立新美術館 ハローダイヤル 03-5777-8600

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/ 埼玉県民の誇りを探す会】
take.junichiro@gmail.com
246表現者会議
< http://kaigi246.exblog.jp/
>

【山根康弘(やまね やすひろ)/洗濯物が乾かん】
yamane@swamp-publication.com
SWAMP-PUBLICATION
< http://swamp-publication.com/
>
交換素描
< http://swamp-publication.com/drawing/
>