わが逃走[26]昔の日記。の巻
── 齋藤 浩 ──

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こんにちは、齋藤です。暑いですねー。

先日新潟へ奥只見ダム見学に行ってきたのですが、いわゆるフェーン現象ってやつ? 魚沼付近なんてとんでもなく暑くて、車のエアコンは効かないし、水温計の針がかなり右に傾くしタイヘンでした。ウワサに聞いていたとはいえ、新潟っていうと雪国のイメージが強いし。でも、実際夏に行ってわかりました。こういうことだったのですね。

今回はこの旅のレポートをとも思ったのですが、旅から帰ったら地獄のような仕事漬けで睡眠もろくにとれません。つまり、真っ当なレポートを書くにはいろいろ調べたり検証したりという作業が不可欠な訳でして、今回はそんな時間すらない! とはいえ締切は待ってくれない。さて、なんか良いネタはないかと昔のノートを見ていたら、二年前の日記が出てきた。ただ書きなぐってあるだけだったけどけっこう面白かったので、今回はこれで。



●2006年5月某日

小洒落たカフェで遅めの昼食をとっていると、おばさま二人組がやってきて、でかい声でパンストがMじゃ入らなくてもうLLじゃないとダメ。ほら、ここのラインがこーんな出ちゃってさあとか、デカイ声でケツを突き出して解説し合っているのだ。さんざん「ちょいと奥さん、そーなのよ」とか喋っていたと思ったら、「やっぱり紅茶はダージリンね」とか言いやがる。

●2006年6月某日

明け方、ひどい悪夢にうなされて叫んでいたらしく、極親しい間柄の年上の女性Aさん(年齢非公開)に起こされて目をさます。
おそろしい、恐ろしい夢だった。
どこかわからない、どんよりとした空の下、むせるような圧迫感のある空間を、俺は出口を探してさまよい歩いていた。すると、脊髄から耳に抜けるような激しい痛みが俺をつらぬいた。あわててパンツを下ろすと、なんとチンチンがクワガタにはさまれているのだ。
しかも、南米産のでかいやつにだ。

●2006年7月某日

キヨシローが咽頭癌で入院してしまった。治療に向けたファンへの言葉に泣いた。「夢を忘れずに!」。
この「夢」という言葉を使える人間はそういない。
たとえば小学生に「好きな言葉は?」と尋ねて「夢です」と答えるような奴は、こう答えれば大人が喜ぶということを知っている。

本質を理解せずに、安易に言葉を使うのはコワイ。夢とか愛とか勇気とかいった言葉は、一般的にプラスの印象を与える便利な言葉としてよく使われてるけど、その意味を本当に理解している者はそういないはずだ。

私もそれらの言葉を使えるだけの人生経験を積んでないし、そもそもその言葉の意味がわからないし(でも、使っとけばそれなりに良い印象を与えられるだろうと考えてしまう)。

なによりも、これは良い言葉ですという既成概念が嫌いだった。物に例えるなら花に似ている。オレは花柄が嫌いだ。そもそも花は美しいという既成概念が嫌いなのだ。花の美しさの本質を理解して、それをモチーフにデザインされてるのなら良いのだ。でも、巷にあふれている花柄の壁紙や台所用品なんかは、とりあえず花柄にしておけば当たり障りないでしょ、というかんじに装飾として使っている。夢という言葉は、そんなふうに使われていることが多いように思う。

必然性のない柄はデザインでなく、飾り。本質の見えない言葉も同様である。
で、何を言いたいかというと、キヨシローの言葉で、夢という言葉の意味が伝わったからオレは泣いたんだと思う。
キヨシローだからこそ伝えることができた。
(ここからデザインの話)
この強さは、『Seven』のポスターの強さと似ている。バラをモチーフとしたあのポスターは、バラの美しさとバラは美しいという既成概念を理解した中島英樹だからこそ作ることができ、伝えることができたんだと思う。
そんな強さを持ったデザインができる人になれるよう、精進します。

以上、原文そのまま。そのキヨシローも再び入院してしまった。ついこの前、武道館でカッコいい姿を見せてくれたばかりなのに。とにかく元気にまた戻ってきてくれることを信じて、2008年の私も精進します。
今回は短いけど、これにて。

あ、こんどハヤカワ文庫からスチームパンクの名作『ディファレンス・エンジン』が発売されます。表紙は私が描きました。というか、いま描いてます。明日朝締切です。
みなさん、買ってください。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。
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