[2472] あのときの…ちょっと切ないオヤジの味

投稿:  著者:  読了時間:28分(本文:約13,900文字)


<記憶の中の音がめちゃめちゃあやふや>

■映画と夜と音楽と…[384]
 あのときの…ちょっと切ないオヤジの味
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![78]
 色褪せた音
 GrowHair


■映画と夜と音楽と…[384]
あのときの…ちょっと切ないオヤジの味

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20080725140200.html >
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●38度の熱をおして四国まで飛行機に…

7月11日の朝、熱っぽいので体温計で計ってみたら38度あった。その日の12時半には高松行きの飛行機に乗らなければならないのに、これはまいったぞ、とため息をつく。しかし、38度の熱にしては、それほど躯は辛くない。何とかなるかと思い、準備をして早めに自宅を出た。

しかし、途中で何度か休んだせいか、羽田に着いたのは出発の30分前。食事も摂れずバタバタしているうちに飛行機に乗り込むことになった。自分の席だと思って座っていたら、あとからきた人が不審そうに見る。何だろうと睨んだら「何番の席ですか」と聞かれた。自分の番号を言うと「ひとつ前ですよ」とムッとされ、謝りながら慌てて移動した。

言い訳になるけれど、座席番号を追いながら廊下を進んでいたのだが、僕の席は中央のトイレのすぐ後ろの23番席で、トイレの前が21番、その列には22番がなかったのである。しかし、普段の僕なら、そんな間違いはしないはずだ(と思う)。やはり、熱で体調が悪かったのかもしれない。

空路は快調で揺れもほとんどなく、1時間15分後には高松空港のロビーを歩いていた。「世界の中心で、愛をさけぶ」(2004年)で長澤まさみが倒れ、主人公が「だれか助けてください!」と叫んでいた空港である。そうか、世界の中心はここだったのか、と思いながら食事をどこでするか探していたが、高松築港行きのバスが出るというので乗り込む。

「YouMe Town」と書いて「夢タウン」と読ませる郊外型アウトレットが栗林公園の手前にできている。僕はそこでバスを降りて、とりあえず遅めの昼食を摂ることにした。どこかにセルフサービスのうどん屋はないかと探したが、レストラン街しか見あたらない。仕方なく一軒の茶屋風の店に入り、うどんがついた釜飯定食を頼んだ。

最近、東京でも駅構内にセルフサービスの讃岐うどんのチェーン店が進出し、僕も時々食べている。讃岐うどんは、安くなければならないというのが僕の信条で、会社の近くにけっこう高い値を付けた讃岐うどん店がオープンし、昼になると人が並んでいるけれど、僕は絶対に入らない。ポリシーとして許せないのだ。

セルフの店に入り「ひと玉」とか「ふた玉」と注文する。昔は「シングル」とか「ダブル」と言った。うどんは自分で湯通しする。昔は汁も自分でかけたものだが、さすがに東京のセルフの店ではそこまではやらさない。40年前、高校の食堂のうどんは25円で、町中のうどんは50円だった。今でも秋葉原駅構内では「ひと玉」のかけうどんが190円で食べられる。高松なら150円だ。

そんなことを思いながら、釜飯定食の添え物のかけうどんを食べたのだが、さすがに本場である。うまい。添え物とは思えない。しかし、食べている途中から何となく味がはっきりしなくなった。気がつくと躯がダルく、熱っぽい。釜飯を残し、早々にタクシーに乗って実家へ向かった。

実家に着くと、兄がもうくつろいでいた。大阪に住んでいる兄は梅田まで20分ほどで出られる。そこのバスターミナルから四国行きのバスに乗ると、明石大橋を渡り実家の近くまで高速道路で一直線である。3時間あればくるという。羽田まで2時間かかる僕とはずいぶんな差だ。しかし、年に一度しか帰省しない僕と違って、何度も帰っている。やはり、元気だとはいえ80半ばの両親が長男として心配なのだろう。

さて、体温計を借りて計ると、やはり熱が38度ある。躯は確かにダルかったが、そんなに熱があるとわかった途端、急に躯の節々が痛み始めた。二階に上がってソファに横たわる。そのままうつらうつらしていると、夕方近くになって母親が「トマト、とりにいくからつきあえ」と階段を昇ってきた。

近所に小さな畑を作っていて、今頃はトマトがとれるらしい。僕は母親と一緒に出かけることにした。熱は、まったく下がっていない感じだった。梅雨は完全に明けていて、夏の日差しだ。夕方とはいってもボーッとする熱気である。外部からの熱気なのか、体内の熱なのかわからないまま、フラフラと母親について歩いた。

母親と収穫してきた自家製トマトは、形も悪くて小さい。皮も固そうだし、赤くない。それを台所で洗ってスライスした。そのまま食べると、昔のトマトの味がする。よくソースをかけて食べたものだ。リビングのソファに座って見ていた兄が「ススムは料理するのか」と聞く。「するよ」と答えると、「僕は料理したことないな。どうやるか、まったくわからん」と言う。ええっ、と僕は驚いた。

●愛する人に料理を作り共に食べる幸福感が描かれる

食べることは、人間が生きる基本である。食べることは愉しい。食欲がなくなったら死ぬしかない。しかし、僕は、グルメ映画があまり好きではない。食べ物にこだわりウンチクを聞かされるのは、自分がそんな高価な食事をできないからという理由もあるが、好きになれない。グルメブームには懐疑的だ。ミシュランが紹介する店は、別世界の話である。

だから、料理に関係する映画を思い出そうとしても、あまり浮かばない。「麗しのサブリナ」(1954年)のパリの料理学校のシーンはどちらかというとジョークだし、ヒッチコックも料理シーンを使ったがサスペンスを盛り上げる小道具だし、日本映画に至っては「料理」をテーマにしたものはあったっけ? という状態だ。

食と性がテーマの「ブルジョアジーの秘かな愉しみ」(1972年)や「コックと泥棒、その妻と愛人」(1989年)はグロテスクだし、「料理長(シェフ)殿、ご用心」(1978年)は見ていない。そんなことを思いめぐらしていたら「マーサの幸せレシピ」(2001年)というドイツ映画が浮かんだ。とても好きな映画だが、そんな人が多かったらしく、ハリウッドがキャサリン・ゼタ・ジョーンズ主演「幸せのレシピ」(2007年)としてリメイクした。

勝ち気でプライドの高い女性シェフ、マーサ。彼女はレストランの厨房という世界の女王であり、すべてを支配したいのだ。だが、姉が事故死し姪のリサを引き取ることになる。リサの父親はイタリア人だが、すでに別れている。リサを引き取らせようと彼女は手紙を出す。キャリアを積むことをめざす自立した女には、子供は重荷である。そのことを、リサも敏感に感じている。なじまない。反発する。

リサを引き取ったために、マーサは学校への送り迎えをしなければならない。以前のように仕事に専念できない。また、妊娠したサブのシェフの代わりに人を雇わなければならなくなるが、そのことも彼女を苛立たせる。レストランのオーナーが雇ったのは、イタリア男のマリオ。彼はメイン・シェフとして厨房を切りまわせるキャリアとスキルを持っているが、サブであることにこだわらない。

マリオを演じているのが「ニュー・シネマ・パラダイス」(1989年)のトルナトーレ監督が作った「明日を夢見て」(1995年)の主人公の詐欺師を演じていた俳優。いかにも…といったイタリアのセクシー男で、ジャンカルロ・ジャンニーニの跡を継げるかもしれない。マーサを演じたマルティナ・ゲデックには、「善き人のためのソナタ」(2006年)で再会できた。知的で素敵な女優だ。

さて、イタリア男のマリオはいつも陽気である。鼻歌を歌っている。仕事も適当にやっているように見えるが、作る料理はみんなが絶賛するほどおいしい。彼は何事に対しても余裕がある。学校もいかず食事もしないリサを持て余し、ヒロインがとうとう厨房にリサを連れてこざるを得なくなっても、リサの相手を一番やってくれるのはマリオである。

リサは厨房が気に入る。マリオのおかげで食事も摂るようになる。マーサは何となくそれが気に入らない。マリオの料理より、自分が作る料理が上等だと思っている。だが、次第にマリオに惹かれていく自分を抑えきれない。とうとう男と女の関係になり、マーサは自宅でマリオの料理を堪能する。リサもその関係を歓迎し、疑似家庭が築けるかと思ったとき、手紙を受け取ったリサの父親が引き取りにくる。

イタリア人の父親には別の家庭があり、リサの腹違いの弟や妹もいるらしい。だが、妻も納得していると聞いて、マーサはリサを父親の手にゆだねる。ところが、リサが去った後、何か大切なものを失った空虚感が彼女を襲う。手のかかるリサを重荷に感じながらも、そのことが彼女の生活に充実感を与えていたのだ。マーサは、もうリサなしでは生きていけない。

マーサはマリオと共にドイツからイタリアに向けて、リサを迎えにいく。長い長いドライブの果てにイタリアに着いたとき、リサは彼女の腕に飛び込んでくる…。そう、割によくある話である。しかし、そんな通俗的な物語がマーサの作る料理の描写と共に展開される。いや、恋人のマリオの作る料理も微細に描写され、全編、食べることの幸せが謳歌される。

反面、苛立ち、精神が張りつめたまま作ったときのヒロインの料理が、客に拒絶されるエピソードも印象的だ。料理は幸福に愛情を持って作り、幸福に食べなければならない。映画はそんなメッセージを送ってくる。だから、印象的なのは、マリオが食材を両手に提げてマーサのアパートにやってくるところだ。

いつもは自分が料理を作っているのに、その日はマリオが解説をしながらイタリア料理を作ってくれる。リサも加わって手伝う。楽しそうな料理場面だ。それが終わって、三人で食事をするシーンの幸福感。さらに、食事の後の片付けさえ幸せそうに見える。マーサは料理を作る喜び以上に、愛する人間に作ってもらった料理を食べる歓びを知ったのである。その夜、マーサとマリオは結ばれる。

そんなシーンを見ると、ベッドインを期待するわけではないが、僕も好きな人に食事を作ってあげたくなる。そんなに凝った料理は作れないけれど、米を炊き、みそ汁を作り、魚を焼き、煮物を作り、サラダを添えるくらいは、いつでもできる。味に絶対の自信があるのは親子丼である。最近はあまり言われないが、昔、休日に「親子丼が食べたいなあ」とカミサンが言うときは、あんたが作れ、というサインだった。

●父親の手料理の薄味が記憶の底から甦る

料理は得意、とまでは言わないが、誰もいなければ自分で食べるものは自分で作る。朝食は、もうずっと自分で作っている。時間がある時は、ベーコンエッグを焼いてトマトサラダを作る。パンにスライスチーズを載せてトーストを焼き、コーンポタージュスープを溶く。さらに、コーヒーと野菜ジュースを添える。料理というには、簡単すぎるかもしれない。

時間がないときは、通勤途中、秋葉原駅構内の讃岐うどんコーナーで「かけの小」を頼む。僕は、自分でうどんが打てる。子供の頃に、母親が作っているのを見て覚えた。何人かに食べさせたこともある。出来は、そのときによって違うが、前の日に仕込んで、足で踏んできたえ、ひと晩寝かせて、翌日にゆでる。ゆで上がりを冷水で洗うと、うどんが輝く。美しい。だから「UDON」(2006年)という映画には、不満がいくつかある。

そんなことを考えると、僕は子供の頃から料理をすることに偏見はなかったし、抵抗もなかったのだろう。そう言えば、父もこまめに料理をする人だ。今でも父は抵抗なく台所に入り、母親と並んで喧嘩しながら食事の準備をしている。僕が小学生の頃に母が長く入院したが、そのときに父親の手料理を食べた。大した料理ではなかったけれど、あの味は忘れられない。

10年近く前、カミサンが年末年始に数カ月入院した。その間、僕は子どもたちに食事を作って食べさせた。毎日、同じ料理だと栄養が偏るし飽きると思って、献立は工夫した。元旦には、下手な雑煮を作って、高校生の息子と中学生の娘の三人で初日の出を見ながら食べた。我が家はみそ味の雑煮で、丸餅を焼かずに煮込む。人参と大根をスライスして入れるというシンプルなものである。

あのときの雑煮の味が子どもたちの記憶に残っていたら、僕はとても嬉しい。あの頃のことを思うと、手術直後の管をいっぱい躯に通したカミサンを見て泣きだした娘の姿が浮かび、やりきれないほど切なくなる。だから、50年近く前、40前だった父が子どもたちのために作ってくれた、不器用な菜っぱの煮込みの味を思い出すと、父親の気持ちを想像し僕はちょっと涙ぐむ。母親が生還したときの嬉しさと共に、あの薄味が記憶の底から甦る。

それなのになぜ、兄はまったく料理をしない時代錯誤な男になったのか? 兄は「料理をしたことがない」のではなく、「料理ができない」のである。兄嫁がよくできた人とはいえ、来年、定年を迎える身には辛いことだと思う。兄ちゃん、妻がいつ帰ってこれるかわからず、ふたりの幼い男の子を抱えて、毎日、仕事で建築現場にいきながら作ってくれた、あのときの…、ちょっと切ないオヤジの味を憶えているか?

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
僕の回は、これでしばらく夏休みになるようです。8月後半から再開。1999年のデジクリ夏休み明けから連載スタートだったので、まるまる9年が過ぎてしまいました。9年で384回、1年平均で約43回。本にまとめてから、早くも80回も書いています。来年いっぱいで150回くらいたまるかな。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1 >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

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■Otaku ワールドへようこそ![78]
色褪せた音

GrowHair
< http://bn.dgcr.com/archives/20080725140100.html >
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私は短く書けない体になってしまったのでせうか、と前回書いたら、山口県にお住まいの親切な読者の方からメールを頂戴した。彼も以前はついつい文章が長くなりがちだったが、これはパソコンで書くのがいけないのではないかと思い至り、試しに紙に万年筆で書いてみると、効果てきめんで、コンパクトにまとまるようになったと教えて下さった。

なるほど。では、さっそくそのアイデアを拝借し、今回の原稿は原稿用紙に万年筆でしたためて柴田さんに郵送し、赤が入って戻ってきたのを清書して濱村さんに郵送し、濱村さんがスキャナで取り込んで、画像で配信してみてはどうだろうかと思ったのだが、それでは今度はデータ量がとんでもなく膨らみそうなのでやめて、まずノートにボールペンで全文書いてから、パソコンで入力する手順を踏むことにした。

ここまでしても短くならなかったら、もはやもの書く素養なしということで、デジクリ引退も考えたほうがいいのかもしれない(ここでスクロールバーを見て吹かないように)。ところで、作家が引退することを「筆を折る」というが、水泳選手の場合は「水着を脱ぐ」というのだろうか。

さて、今回もネタはいろいろあるのだが、その中から選りすぐって、川原の石ころみたいにどうでもいいやつをば。だって暑いんだもん。

●わが内なる欠陥

最近、自分の中にとんでもない欠陥を発見し、ショックを受けている。いや、健康上は何の支障もないのだが、精神衛生上、たいへんよろしくない。たとえていうならば、レモンをかじったらドーナツの味がするようなものである。自分の中の絶対音階が、いつの間にか、長2度、ズッコケていたのである。

ちなみに、音楽が発明された時点ではまだゼロという概念は発明されていなかったとみえ、同じ音どうしでは、差が1度あるという(本来はゼロ度というべき)。ドとレの差が長2度、ドとミの差が長3度である。

いちおう、音の記憶はそんなにひどくはズレていかないほうだと自負している。例えば、カラオケで歌い慣れた曲ならば、イントロが鳴る前に軽く口ずさんだのが、大きくはずれることは、まずない。しかし、楽器を演奏することがないため、音が音名と結びついていない。

幼稚園、あるいは小学校の始めのほうで習う唱歌はたいていハ長調なので、「むすんでひらいて」でも「きらきらぼし」でもいいから、記憶から引っ張り出せば、基準のC音が出てきそうなものである。ところが、私の場合、これがうまくいっていないことが判明した。どうやら、古くなった音は、ことごとくずるっとずり下がっているようなのだ。

「ドはドーナツのド」で出てくるドはシのフラットなのである。「レはレモンのレ」でドが出てくる。試したわけではないが、ピアノのドの鍵盤を叩くと、レと思っている音が出てくるはずである。これはきっと、音楽畑に生えている人からすると、気が狂ったのレベルであろう。

どこから発覚したのかというと、パソコンのソフトである。ふと記憶の中の音を音名と結びつけたくなって、それだけのためにピアノを買うほどの酔狂でもないから、音叉あたりが手ごろではないかと思い、値段や入手方法の情報を求めてググってみると、その機能をもったソフトがタダで拾えた。これを鳴らしてみて、愕然としたのである。

●二つの仮説

さて、このように古い記憶の中の音がずり下がる現象は、私に限って起きていることなのだろうか。もしかして、気がつく人があまりいないだけで、一般的にもあることだったりはしないだろうか。そうだとすると、いったいどうして起きるのであろうか。二つの仮説を立ててみた。

第一の仮説は、「音響感知器官伸長説」とでも呼んでおけばもっともらしく聞こえそうだが、平たく言えば「耳が伸びた」説である。多分、耳の中に音が反響する空洞があるんじゃないかと思うのだが、体の成長に伴って、この空洞も広くなっていき、音の響き具合が変わってくるのではないかと。

実は、色彩の見え方に関しては、経年変化が起きている。以前、印刷屋に勤めていて(あれ? しまった、今もだっけ?)、シアン、イエロー、マゼンタの3色のインキの配分でグレーを正確に表現するのが大変難しいと聞いたことがある。人間の視覚はグレーバランスにとても敏感なので、配分がちょっとでも崩れると、色がついて見えるのだそうである。

私は青みがかったグレーをきれいだと感じるので、一般的にもそうかと思い、そっち側へコケてる分にはたいてい許してくれるのではないかと言ってみると、そうでもないという。色の好みは人それぞれで、特に年配の人は黄色みがかったグレーを好む傾向があるという。

ほーう、やはり人生経験を積むと好みが渋くなるものなのかと感心したら、そんなロマンチックなものではなく、単に目玉が黄色く濁ってくるのだという。なーんだ。しかし、徐々に変化していくと、気がつかないもんなんだね。

子供の時分によく過ごした場所へ、大きくなってから久々に戻ってみると、すべてがミニチュアのように見えて、ガリバー気分が味わえる。それはもちろん自分が大きくなったからにほかならない。しかし、もしずっとそこで育ってきたとしたら、見え方の変化が非常に緩やかなので、変化に気づかないかもしれない。実際、電車や車のように、小さいころからいつも見ていたものは、別段縮んだとは感じない。

してみると、音にも同じことが言えるのではなかろうか。つまり、聞こえている音の響きの緩やかな変化に気がつかないのではないかと。耳の空洞が伸長すると、同じ共鳴状態を保つための音は、低いほうへシフトしていく。つまり、感覚的に同じに聞こえる音は、客観的には徐々に低くなっていく。言いかえると、客観的に同じ音は、感覚的には徐々に高く聞こえるようになっていく。子供のころ、子供の声ってそんなに高く感じたっけ? むしろ大人の声が低く感じられてなかったっけ? これが第一の説。

第二の仮説は、「音程記憶弛緩説」、つまり、記憶の劣化である。音自体は同じに聞こえていても、それを時々思い出してリフレッシュすることなく、記憶の地層の下のほうにアンモナイトの化石のごとくずっと眠らせておくと、後から後から沈殿してくるゴミ芥に埋もれて下がってくるのではないかと。

古い写真がセピア色になっていくように、記憶の中の色も褪せていく。彩度が下がっていく一方であり、だんだん鮮やかになっていくことはないような気がする。それと同じように、音も、記憶の中の弦が緩んでいき、低くなっていくのではないかと。これが第二の説。

音楽家に聞けば、印刷屋が色について教えてくれたようなことを教えてくれはしないだろうか。「それはもう前々から定説があってね、……」なんて。そんなことを考えていたら、折よく、バイオリンやホルンをもった人たちがまわりに集まってきた。今回は、紙とボールペンのモバイル環境なので、タダでいくらでも涼んでいられる「なかの ZERO」の地下2階の自販機前の休憩所でこれを書いているのだが、ちょうど目の前に音楽の練習室があり、順番待ちの人たちがおのおの練習を始めたのである。検索かけなくても答えが向こうから寄ってくるアナログ環境、なかなか便利かも!

弓を引かずに左手だけでバイオリンの練習をしている女性が手を休めたところで、すかさず聞いてみた。すると「そんなこと、考えたこともない」という。それはそれで貴重な情報だ。少なくとも、音楽家なら誰でも知っているような周知の事実ではないことが分かった。

また、現象そのものが否定されたわけではなく、さきほどの、いつも乗っている電車は縮まない、と同じ道理で、ずっと音楽畑にいると、かえって音の響きの緩やかな変化に気づかないのかもしれない。

●実験してみた

家に帰って、ひとつ実験してみた。幼少のころではなく、25〜30年前、学生時代に聞いた音の記憶を引っ張り出してみたのである。これは古い記憶には違いないが、この時点ではもうすでに、体格はほぼ成長しきっている。そのころ聞いた音の記憶が変化していなければ第一の説が浮上してくるし、下がっていれば第二の説が浮上してくるというわけである。

あのころよく聞いた歌謡曲で、その後YouTubeなどで聞きなおしたり、カラオケで歌ったりして記憶をリフレッシュしていないのを10曲、選び出した。まず、記憶の中の音と、音叉ソフトで鳴らした音とを比較して、調を特定した。続いて、YouTubeなどで実際に鳴らしてみて、正解を得た。

結果は下記のとおり。歌手名、曲名、私の回答、正答、差分、の順に記している。C, D, E, ... がベースの音階を表し、bはフラットを表し、Mは長調、mは短調を表し、矢印は転調を表す。転調している場合、どちらか片方と一致していれば正解とした。

1)岩崎宏美、ロマンス、Fm、Dm、高すぎ
2)岩崎宏美、あざやかな場面、GM、EbM → EM、高すぎ
3)岩崎宏美、想い出の樹の下で、FM、GM、低すぎ
4)岩崎宏美、二十歳前、FM、FM、正解
5)岩崎宏美、シンデレラ・ハネムーン、Fm、Ebm、高すぎ
6)岩崎宏美、熱帯魚、Fm、Gbm → Abm、低すぎ
7)クリスタル・キング、大都会、AbM、AbM、正解
8)西城秀樹、ブルー・スカイ・ブルー、FM、EM → FM、正解
9)八神純子、みずいろの雨、Dm、Dm、正解
10)五輪真弓、恋人よ、Dm、Em、低すぎ

正答率が40%と低く、記憶の中の音がめちゃめちゃあやふやなことに、まず愕然とした。しかし、まあ、それは置いておいて、不正解のものについては、高すぎることもあり、低すぎることもあり、どっちか一方に偏ってはいなかった。つまり、これを見るかぎり、ここ30年ぐらいの間には、記憶の中の音程の低下はみられない。どうやら、第一の説がやや浮上してきた感じ。

まあ、単なる好奇心にすぎないのですが、もしどなたか、先行の研究などをご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけるとありがたいです。もし、耳の空洞の共鳴状態が成長に伴って変化するのであれば、「等ラウドネス曲線(equal loudness level contours)」の変化として現れるのではないかという気がするのですが、子供を被験者としてとったデータはないのでしょうか。その手の研究がもしなければ、どなたかトライしてみてはいかがでしょうか。何の役に立つかは分かりませんが。

●歌がうまくなりたいと思ったんだった

ところで、そもそもなぜ、絶対音感のことを気にしはじめたんだっけ? そうだ、そうだ、メイドバーだ。中野にある行きつけのメイドバー「ヴィラージュ・レイ」はカラオケが備えてあるが、シャイな私は、半年はROMっていた。ところがあるとき、つい飲みすぎた勢いで一曲がなってしまったら、これがジャイアンなみにひどかったようで、植木が枯れてしまった。(←ちょっと誇張)
< http://village-rei.girly.jp/ >

仲間内ならともかく、ほかのお客さんにまで聞かせるとなると、まさに公害である。まずい、上手くならなくては。ここはひとつ、特訓するっきゃない。と考えちゃうあたり、私はたいへんまじめで几帳面な性格で、こういう人は鬱病になりやすいというから、がんばりすぎないよう、気をつけねば。

さて、これから書くことは、たいへん恥ずかしいので、mixiの日記にすら書けないでいるのだが、ここならチラシの裏みたいなもんだから平気かな、ということで書いちゃうけど、実は一人でカラオケ、いわゆる「ヒトカラ」というのをやってみた。

店によっちゃ、一人でも二人分料金を取るところがあって閉口なのはともかくとして、これがなかなかいい。誰にも気兼ねなく、思う存分練習できる。同じのを続けて3回歌ったっていい。以来、けっこう頻繁に足が向くようになった。週に7回ぐらい。

多分、歌が上手くなるには二つの要素が必要だ。ひとつは頭の中できれいに音が鳴っていること、もうひとつは、その音を実際に出す技術を備えていること。この前者を思うとき、頭の中で正確な音程で鳴らすためには、絶対音感なんかも培わねばならないかな、と思った次第である。

また、道を歩いているときなど、まわりに誰もいなければ、記憶を頼りに高歌放吟して練習してみたいところだが、そこで音程が外れていては、練習にならない。ただし、正確さには限度があって、基準となるA音を440Hzに設定しても、442Hzに設定しても、私にはまったく同じ音にしか聞こえなかった。中野ZEROで、ホルンの人に聞いてみると、ちゃんと聞き分けられるという。この辺はもう素質だからしょうがないんだろうね。

それと、見込み違いがあった。今までカラオケなんて、せいぜい年に2〜3回がいいとこだった私は、歌なんて、ちょっと練習すりゃ、すぐ上手くなるもんだろうと勝手に考えていた。甘かった。そんなもんじゃなかった。

ヴィラージュ・レイのメイドさんたちは、みんなそこそこ上手い。あのぐらいになるまでには、まだまだまだまだがんばらねば。できれば、3年くらい山にこもって精進したいところではある。まあ、声優の卵やらアキバ系地下アイドルに対抗しようなんて考えてるあたり、気が若いとも言えるのかもしれないけど。

●デジタルこわい

いやー、しかし。紙にボールペンで書いてみても、あんまり短くはならんですなぁ。書いてる途中で、すでに何文字書いたのか、ぱっとつかめないので不安だったが、いつもよりかえって長く書いてしまったかと思いつつ、パソコンで入力してみると、実際は大体同じだったということは、やはり手書きのほうが短くまとまりやすいという作用はあるようです。

ちょっと驚いたのは、文体がいつもと違っていることです。入力していて気がついたのだけど、一文が長いし、一段落が短いし、比喩が多いし。変えようと意識してはいないのですが。デジタル環境で、手作業と同じことが置き換えられるはずだ、というのは、理屈の上ではそうなんだろうけど、結果として出てくるものは、違ってきますな。

創造的な行為がいかなるメカニズムによってなされるのか、科学的に解明されているわけではない以上、何がどう作用してくるのか、分かったもんじゃないですな。思考の過程、感情の動き、意識の作用までもがデジタル環境の影響を受けて変容しているのだとしたら、ちと怖いような気もしなくはないですな。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。劇団「MONT★SUCHT(モントザハト)」から宣伝用の写真を撮ってくれませんかとお声がかかる。メンバーの由良瓏砂(ゆらろうさ)さんが人形作家でもあり、3月に展示を見にいってお会いしているというつながりで。そんな大役に指名していただけるなんて、身に余る光栄。きれいな絵コンテを送ってもらったりして、高まる期待。7月20日(日)、埼玉県川口市にある鋳物工場跡のスタジオ "Kawaguchi Art Factory" へ。いんやぁ、めっちゃ楽しかったぁ! みんないい感性もってて、シーンづくりがとってもクリエイティブ。小道具などもいっぱい用意してきてて、気合いの入れようがものすごい。役者だけあって、ポーズがきれい。撮ってて、脳内から気持ちいい汁がどばどばと出っぱなし。丸一日があっという間に経ち、気がつくと1,500枚以上撮ってた。< http://www.artism.jp/ad_m030.html > (MONT★SUCHT)
< http://www.art-kouba.com/ > (Kawaguchi Art Factory)
< http://www.geocities.jp/layerphotos/Factory080720/ > (写真)

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■編集後記(7/25)

・自転車が壊れてしまった。日常的に乗り回していた1万円未満のシティ車(娘のお下がり)は、スタンドがいかれ、チェーンが伸び切り、ヘッドがゆるゆるになり、前カゴはサビだらけ、タイヤはツルツル、見た目はほとんどスクラップと化したので、いまはほとんど乗らない。ここしばらく乗っていたクロスバイクは、後輪のタイヤが裂けて中のチューブが見えている。自転車置き場に立てておいたので、はじめはイタズラかと思ったが、どうやらタイヤが全体的に劣化したようだ。タイヤの交換くらい造作もないが、いまひとつ愛着の湧かない車なので、そのまま放置してある。仕方なく、いまは妻のママチャリを借りて乗っている。いずれ新しい自転車を買わねばなるまい。もはや遠距離のスポーツ走行はしないから、ツーリング車やクロスバイクは不要。高速で走ることもないから、ロードレーサー仕様も不要。軽量の折りたたみ自転車は、電車を使ったミニ旅行のために欲しいが、これは日常用には不向きだ。サブ用にいずれ買う。ブランドなど一切こだわらず、ホームセンターなどで特売している、実用的なシティ車でもいいやと思う。直線的でスポーティなデザインで、少なくとも内装3段以上の変速機、前カゴかリアキャリアがあればいい。ふと思いついたのが、電動アシスト自転車だ。かつてはママチャリにバッテリーを搭載した超重量級の、しかも高価なものがあったが、まったく興味がなかった。いまではスポーティなデザインのものが出ていることをネットで知った。重量もだいぶ軽くなっている。パナソニックのハリヤはクロスバイクタイプでかっこいい。同じくアルフィットというシティ車もすてきだ。モーターがどのくらいアシストしてくれるのか、どれくらい楽なのか、試乗しないとわからない。研究、研究、この時期が一番楽しい。(柴田)

・よし、そのスキャンしたPDFをOCRすればっ!って。目が黄色く……。/続き。スタイラスについて。iLiadはワコムのタブレットを採用している。なので、タブレット付属のペンは使えないだろうかと考えた。10年以上前のワコムArtPadがある。もらいものだったので、使わなくなっても捨てられなかった(自分で買ったものは引っ越しの際に捨ててしまった。ほとんど使うことないの)。久しぶりに箱を開けてみると、ベージュのペンが黄変。うーん、これ白くならないのかしら……。調べてみたら劣化らしい。削るか着色しろってアドバイスがあった。スタイラスよりこのペンの方が遥かに持ちやすい。で、iLiadで試してみたが反応しない。付属スタイラスと見比べ、芯の部分はそっくりだけどなぁと再度ワコムのペンを試してみたら反応。どうも本体にスタイラスが収納されている時は反応しないようになっているみたい。ペンの側面にあるクリックボタンは使えず。付属スタイラスにない機能だもんなぁ。あ、スタイラスがないからと指で画面を触っても反応しないよ。Palmの時は時々指でクリックしていたから、ついやってしまった。電子ペーパーは画面の書き換えが遅いので、タイムラグに慣れるまでは設定でクリック音を出させるようにするといい。スタイラスキャリブレーションもあるよ。(hammer.mule)
< http://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=20678883 > スタイラス