[2512] ジミーの24年・ポールの83年

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<そんな私の歌、聞きたい人、います?>

■映画と夜と音楽と…[392]
 ジミーの24年・ポールの83年
 十河 進

■Otakuワールドへようこそ![82]
 「チャレンジャーの森」とヒトカラと女装と
 GrowHair


■映画と夜と音楽と…[392]
ジミーの24年・ポールの83年

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20081010140200.html >
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●ニューヨーク・アクターズ・スタジオのふたりの同期生

ポール・ニューマンが死んだ。9月26日、83年の生涯だった。ポール・ニューマンとジェームス・ディーンとは、ニューヨーク・アクターズ・スタジオの同期だったという。もっともジミーの方が若く、生きていれば77歳になる。日本風に言えば喜寿である。6歳年上のポール・ニューマンは、ジミーが死んだ後から映画のキャリアをスタートさせた。

僕が映画に目覚めた1960年代半ば、ポール・ニューマンはすでにハリウッド・スターだった。実力派の俳優で、いくつかの代表作を持っていた。エリザベス・テイラーと共演した「熱いトタン屋根の猫」(1958年)は、舞台俳優をめざしたポール・ニューマンの実力が発揮されたテネシー・ウィリアムズの戯曲の映画化だった。

「左ききの拳銃」(1958年)は、後に「奇跡の人」(1962年)や「俺たちに明日はない」(1967年)を作るアーサー・ペン監督作品であり、ポール・ニューマンがビリー・ザ・キッドを演じた西部劇である。実際のビリー・ザ・キッドの写真を見ると、ガンベルトが逆についている。故にビリー・ザ・キッドは左利きだった、という説をとった映画だった。

後に、僕は「ビリー・ザ・キッドが写っている写真は、裏焼きだった。キッドは左利きではなく、本当は右利きだったのだ」という話を聞き、中学のときに憶えた「ザ・レフト・ハンディド・ガン」という原題を虚しくつぶやいた。なぜ伝説を伝説のままにしておけないのか、と悲しくなったものだ。

その後、「ハスラー」(1961年)で、ポール・ニューマンは人気を得る。賭けビリヤードで生きている自信満々のハスラーの若者。彼は「ミネソタ・ファッツ」という老練なハスラーと勝負をして敗北し、自堕落な生活に浸る。足の悪い恋人が自殺し、再びミネソタ・ファッツに挑戦する。

その後、マーティン・リット監督の「ハッド」(1962年)に出演し、ポール・ニューマンの演技力は高く評価された。「ハスラー」「ハッド」と好評が続いた結果、ポール・ニューマンは「動く標的」(1966年)のタイトルも「ハーパー」とすることを主張した。

僕が初めて映画館で見たポール・ニューマンの映画が「動く標的」だった。ロス・マクドナルドの原作は「The Moving Target」で、私立探偵リュウ・アーチャー・シリーズの第一作だった。僕はリュウ・アーチャー・シリーズが映画化されるというので期待していたのだ。

しかし、映画雑誌によるとポール・ニューマンは主人公の名前を「ルー・ハーパー」に変更させ、映画のタイトルを「ハーパー」にさせたというのだ。理由は「H」で始まるタイトルの映画がずっと好評だったから…。その記事を読んでポール・ニューマンは「ワガママなハリウッドの勘違い野郎」なのだと僕は思った。思い上がっている、と反感を抱いた。

リュウ・アーチャーは、僕にとって大切なヒーローだった。当時、「ギャルトン事件」「ウィーチャリー家の女」「縞模様の霊柩車」とロス・マクドナルドは最高傑作「さむけ」に向けて、立て続けにリュウ・アーチャー・シリーズの名作を書き続けていた。新作が出るたびに前作を上まわる深みを加えていた。

それなのに、リュウ・アーチャー・シリーズで最も深みのない通俗的な第一作「動く標的」を映画化し、おまけに名前まで変えてしまうなんて…、と僕は憤慨した。それでも、映画を見にいったのは、当時、僕のお気に入り女優だったパメラ・ティフィンの水着姿に惹かれたからである。

●ハードボイルド私立探偵映画の思い出の一作

今から考えてみれば、リュウ・アーチャー・シリーズ全盛期の諸作は映画化するには向かなかったと思う。じっくり本で読むと深い感銘を受けるが、リュウ・アーチャーが様々な人物に会い話を聞くだけの展開であり、アクションはほとんどない。拳銃はまったくと言ってよいほど出てこないし、あったとしてもリュウ・アーチャーが誰かに後頭部を殴られて昏倒するくらいである。

これでは、ハリウッド的私立探偵映画にはならない。しかし、初期の数作はミッキー・スピレイン作品ほどの派手なアクションはないけれど、それなりに通俗ハードボイルド私立探偵小説の形を継承している。だから「新・動く標的」(1975年)として、ポール・ニュ−マンが再びルー・ハーパーを演じたのも、原作はリュウ・アーチャー・シリーズ二作目の「魔のプール」だった。

しかし、原作と違い映画版「動く標的」は、オープニングのシーンとラストシーンが印象的なハードボイルド映画の名作になった。僕の同世代の人たちで、この映画を好きだという人たちは多い。僕も、中学生のときに見て、好きになった。ロバート・カルプ、シェリー・ウィンタース、ローレン・バコールといった顔ぶれも豪華だった。

「動く標的」は「ハーパー」(アメリカ版だけのタイトルらしい)というタイトルバックに続いて、探偵ハーパーの朝の様子が描写される。コーヒーを煎れようとするが、コーヒーの缶は空っぽ。仕方なく、捨ててあるドリップ式のフィルターを拾い上げて湯を注ぐ。

ハーパーは離婚した中年のうらぶれた私立探偵の侘びしさを、ファーストシーンから醸し出す。珍しいことにハーパーは半袖のホワイトシャツに細いニットタイを結び、村上春樹さんによれば「ブルックスブラザーズ製のナチュラルショルダーのスーツ」を着る。

彼が乗るクルマは、ツーシーターのオープンカーだ。弁護士の依頼を受けて、失踪した億万長者の邸宅に赴くと、車椅子に乗った婦人が現れて「夫を捜して」と言い出す。邸宅のプールサイドでは、自家用飛行機のお抱えパイロットと富豪の令嬢が水着姿で踊っている。

やがて、富豪が誘拐されたのがわかる。身代金の受け渡し役を頼まれたハーパーは指定された廃船にいくが、富豪を見付けた途端に後頭部を殴られて昏倒し、気が付いたときには富豪は殺され身代金は奪われていた。彼を助けにきたのは、今回の仕事の依頼をしてきた友人の弁護士である。

ここから、複雑な家族関係が明らかになったり、新興宗教の教祖やお抱えパイロットの意外な恋人が登場してきたり、後のロス・マクドナルドの作風を予感させるような展開があり、最後に、アッと驚く犯人が指摘される。ハーパーは犯人に真相を解き明かし、去ろうとする。犯人が、その背中に拳銃を向ける。だが…。

この映画のラストシーンを好きな人は多いだろうな。僕もラストシーンのベストスリーには入れている。

●二本の監督作品の間に出演した「明日に向かって撃て」

「動く標的」と同じ年、僕は「引き裂かれたカーテン」(1966年)を見にいった。ヒッチコック監督の久しぶりの新作で、「サウンド・オブ・ミュージック」(1965年)で人気女優になったジュリー・アンドリュースとの共演だった。もちろんジュリー・アンドリュースはシリアスな演技を通し、一曲も歌わない。ヒッチコックの新作で期待しただけに、僕はひどくがっかりした記憶がある。

だが、ポール・ニューマンは裏切らなかった。「暴力脱獄」(1967年)という不思議な映画で彼は復活した。原題は「クールハンド・ルーク」と韻を踏んでいる。酔っ払ってコインパーキングを壊した罪で刑務所に服役したルークという男が権力に屈せず、自由を求めて脱獄に挑み続ける映画は、当時の気分にフィットしたのだろう。この映画を生涯のベストに挙げる人を僕は知っている。

ポール・ニューマンのフィルモグラフィーを見ると、「暴力脱獄」の後に初めての監督作品「レーチェル・レーチェル」(1968年)を作っている。妻のジョアン・ウッドワードを主演にした作品で、監督に徹した。40を過ぎて、自分で監督したくなったのかもしれない。

「レーチェル・レーチェル」の公開は、僕が高校三年生のときだった。四国高松では上映されなかったと思う。翌年、僕は上京し、池袋の文芸坐などでよくかかっていたが、見逃したまま現在に至っている。僕が見たかったポール・ニューマンの監督作品は、自らも出演した「オレゴン大森林/我が緑の大地」(1971年)である。

切り出した大木に足を挟まれ湖に沈んだ父親を助けようとするポール・ニューマンのシーンは、今も鮮明に甦る。彼は大きく息を吸い、水中に没した父親に口うつしで空気を送り続ける。だが、彼は父親が水中で溺れていくのを見続けるしかない。ほんの少し下の水面で父は死にかけているのだ。こんな地味な映画で、こんなに緊張感が漲るシーンも珍しい。監督としてのポール・ニューマンに敬服した。

二本の監督作品の間にポール・ニューマンは「明日に向かって撃て」(1969年)に出演している。まだ新人同然だったロバート・レッドフォードに花を持たせた映画である。しかし、ポール・ニューマンが演じたブッチ・キャシディのとぼけたキャラクターがなければ、サンダンス・キッドはあれほど引き立たなかったはずだ。

有名な崖下への飛び降りシーン。保安官たちに追い詰められたふたりは、戦うか崖下の河に飛び込むかを迫られる。戦おうとするサンダンスにブッチは「ホワイ?」と問う。言いにくそうな表情のサンダンスが「アイ・キャンノット・スイム」と怒鳴るように答える。間をおいて笑い出すブッチ。次のシーンでは、ふたりは大声を上げて飛び降りる。サンダンスとブッチは、ベルトでしっかりとつながっている。

日本公開は1970年2月だった。前年の暮れには「ジョンとメリー」(1969年)、1月には「イージー・ライダー」(1969年)が公開された。僕は大学入試を目前にして、ガールフレンドと一緒に「明日に向かって撃て」を見にいった。映画館を出た後、思わずバート・バカラックの「雨にぬれても」を歌ってステップを踏んだ。そのあまりの下手さにガールフレンドが笑った。

主人公ふたりが蜂の巣になって死んだことを予感させるラストシーンなのに、後味のよい映画だった。ユーモアにあふれた映画であり、最初と最後に映されるスクリーンの映像にかぶさるカタカタという映写機の音がいつまでも耳に残る。B・J・トーマスの歌う「雨にぬれても」が聞こえてくる。キャサリン・ロスを自転車に乗せて走るポール・ニューマンの笑顔が浮かぶ。

「エデンの東」(1955年)「理由なき反抗」(1955年)「ジャイアンツ」(1956年)という三本の映画だけで、永遠の命を得たジェームス・ディーンとは正反対の人生だったかもしれないが、「明日に向かって撃て」という素敵な映画を出演作に持てたポール・ニューマンは、本当に幸せな俳優だった。83歳の大往生だと思いたい。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
変化のない日常なので、ここに書くことに苦労します。平日は、ほとんど社内にいて、様々な仕事をしているのですが、まあ、簡単に言えば「雑用」です。しかし、どんな仕事も必要とされる度合いは同じです。重要度は違うかもしれませんが…

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1 >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

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■Otakuワールドへようこそ![82]
「チャレンジャーの森」とヒトカラと女装と

GrowHair
< http://bn.dgcr.com/archives/20081010140100.html >
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グループ展がいよいよ今月に迫ってきて、前回にも増して修羅場の様相を深めている今日このごろであります。しっちゃかめっちゃかであります。やばいであります。

そういうわけで、今回は何を書こうかなんて悠長なことを考えてる余裕はないであります。最近行ったところとか、あった出来事とか、思ったこととか、出るにまかせて小ネタをぼろぼろっと出すしかないであります。

●チャレンジャーの森へ、というか、チャレンジもほどほどに

日曜は、人形を撮りに、山へ。私が勝手に「チャレンジャーの森」と呼んでいるところ。ここはほんとうにとんでもないところ。まったくシャレにならん。そそり立つ一枚岩がロッククライマーの挑戦意欲をそそるらしく、天気のいい週末には、10数人のチャレンジャーがへばりつく。

とっかかりの手前には、荷物置き場のようになっている四阿(あずまや)があり、地主による警告が掲げられている。「岩登りの人に告ぐ」と題し、「この岩場では再三死亡事故が起きています」と始まり、初心者、技術不足の人、体力不足の人、装備不完全な人、自己中心の人、見栄っぱりの人の入山を禁じると宣言している。そして「命は大切に」と結んでいる。

「再三」というから3回なのかと思いきや、地元の人に聞くと、すでに20数人、滑落死しているそうだ。「勝手に登って勝手に死ぬんだから仕方がない」と冷ややかなもんである。まあ本人も覚悟の上で登るのだろうから、たとえ失敗したって、思いが残ってそこいらへんに浮遊して、通りがかった人に「うらめしやぁ」なんてことはないと思うけど。

ここにいたる道がまた、ひどい。これを道と呼ぶかぁ、これを橋と呼ぶかぁ、いちいちあきれながら歩くような按配である。川に沿って小道がつけられているのだが、なにしろ川がなかなかの急流で、大きな岩の塊が長い年月をかけて侵食されて深くU字に彫れたような、草も生えない箇所もある。道がつけづらいのはよく分かるけど、脚立を延ばしたような金属のはしごが立てかけてあったり、岩に打ち込んだ釘から鎖が垂れていたり、絶壁のどうにも道がつかないところには木の渡り廊下みたいなのが張り出していたり、歩くのになかなか勇気が要る。

流れをしょっちゅう右へ左へと渡るのだが、この橋がまたスリル満点で、丸太ん棒が2本、互いに離れていかないようにコの字型の釘で留めてあるのが、水面のはるか上の岩から岩へ渡してあるだけだったりする。まあ、足切りというか、試金石というか、この程度でビビってるようなやつは岩まで来るな、ってことで、ちょうどいいのかもしれない。

当然のことながら、そこらのガイドブックには載っていない。こんなとこを紹介して、もし見て行った人が事故にでもあった日にゃ、編集したほうだって、夢見が悪いだろうからね。

さて、岩の下まで行ってみたのは、6月の下見のときの話。10月5日(日)は、この道の始まる手前の、下流周辺で撮る。さほど危険のない場所ではあるけれど、高く伸びる杉の森に薄く霧がまいて、ちょっと不気味。死の気配が現実的な感覚を伴って濃厚に漂う。ここで撮ったのは、空飛ぶ生首。作ったのは、八裕さん。

持ってきたのは人形の首から上だけ。これをピアノ線で宙吊りにして、あたかも浮遊しているように撮る。吊るした首がゆっくりゆっくり回転するので、いい角度になって「ここだ!」と思った瞬間にシャッターを切る。

ろくに撮らないうちに、雨がぽつぽつと降り出して、中断。雷雨ではなく、なんとなく降ったり止んだりしながら、明日ぐらいまでぐずつきそうな降り方。一分一刻をあらそうような状況ではない。止むまで待って撮影を再開するか、あきらめて帰るか、もう少し様子を見てから決めようかと思っていると、八裕さんは、すぐに立ち去ろう、と急に強く主張する。

じゃあそうするか、とカメラを片付けはじめると、「そんなのいいから、とりあえず、詰め込んで。早く、早く」とせかしてくる。見ると、八裕さんの背負っているリュックはファスナーが全開。それじゃ、歩いているうちに人形(の頭)、落ちるって。閉めてあげる。

ひどい動揺ぶり。何をそんなに動揺しているのだ? って、後で帰ってからよくよく考えてみると、以前にも、霊感めいたものを発揮してたんだっけ。私は敵が何を仕掛けてきても、鈍感力をもってかわしてしまえば無効なのだが。いったい何の気配を察知していたのだろう。その場では何とも思わなかったのに、後で思い返したら、だんだん怖くなってきたぞ。

だいじょうぶか、熱出たりしなかったか? だいじょうぶじゃなかったようで。後で聞けば、帰りの列車で私が先に降りた後、眠りこけてしまい、終点でも目が覚めず、列車は折り返し運転、気がついたらまた山中の駅にいたそうだ。何とかその日のうちに帰れたが、翌日は仕事に行かれず、朝会社に休むと電話を入れてから、夕方まで寝て、それなのに、夜もしっかり寝れたそうである。しまった。まずかった。場所と人の組合せをよく考えてロケ地を選ぶべきだった。何か連れて帰っちゃったのか?

何を隠そう、山でしょっちゅう人形写真など撮っていると、この手の話はごまんとあるのです。我々の間では、話をこじつけて面白がる、遊びのようなもの、という認識で捉えているのですが。楽しんでいただけたでしょうか?

●女の子は夢みているのよ

思うのだが、カラオケの適正人数って、一人なのではあるまいか。歌うこと自体が楽しいのは、まあまあ分かるんだけど、素人が歌うのをみんなで聞くのって、なんか気恥ずかしくて、いたたまれなくはないだろうか。

私がもし「この歌はいい歌だから、ぜひ聞いてみな」って人に薦めたければ、手っ取り早く、CDを貸すとか、ネットで聞けるサイトのURLを伝えるとかするであろう。自分で歌って聞いてもらっても、あんまり説得力なさそうだ。

しょせんはもともと歌ってるプロの劣化コピーにすぎないわけだし、下手なのを透過してその後ろ側に焦点を合わせてくれれば、実はいい歌だったと察してもらえるのではないかと期待するのは、なんか隔靴掻痒な感じがする。そもそも下手で聞き苦しい歌を、上手い歌に脳内変換してまでちゃんと聞いてあげようなんて殊勝な姿勢の人なんて、まあ、なかなかいないんじゃないかな?

最近は、やるべきことが立て込んじゃって、ヒトカラ行く頻度がめっきり減っちゃったんだけど、行けばこれだけははずせない、というお気に入りの歌がある。「潮風の少女」。

堀ちえみのデビュー曲である。1982年当時、15歳だった、ちえみタン。ウィキペディアによると、今は5児の母のようであるが。今度の日曜日に、彼氏に湘南のまぶしい海辺に連れて行ってもらうのをあれこれ空想して胸ときめかせるという、初々しい乙女心を描いた歌である。「15になったばかり、私が揺れてる」とか「女の子は夢みているのよ」とか「は〜や〜くっ、つかまえて」とか、もう、きゅんきゅんな歌詞が満載なのだ。

これを歌っていると、青春真っ只中のこそばゆさ、みたいな気分に、すっかり浸れちゃう。「私ってば、こんなに可愛くて、もう、どーしましょ」みたいな。見かけは40代後半のおっさんだけど、心は15歳の乙女なんじゃないかしら、ワタシ、って思えてきちゃう。きゃ〜、いや〜ん。そんな私の歌、聞きたい人、います? 「一人でやってなさい!」って声が聞こえてくるようである。いや、だから、一人が適正なんではないかと。

●キャンディ・ミルキィさん、アキバでコレクション展開催中

赤いワンピースに赤いランドセルという派手な女装姿で、原宿を拠点に日本全国津々浦々に出没することで有名なキャンディ・ミルキィさんが、現在、秋葉原でキャンディ・キャンディのグッズのコレクション展を開催している。

キャンディさんは、女装界にこの人あり、というべき大御所。部屋に閉じこもってジメジメ女装するのではなく、明るいお日様の下に出て堂々としようじゃないか、という女装解放思想に基づいて、アマチュア女装雑誌「ひまわり」の編集長&発行人として、1987年12月から2005年8月まで、76号を世に送り出してきた。

今回のコレクション展は、キャンディさんが平成元年から蒐集を続けてきたキャンディ・キャンディのグッズ約500点を展示するもので、茨城県某所にあるキャンディさんのコレクションルームをそのまま再現したもの。会場は、おでん缶自販機の道を蔵前橋通り近くまで行った左側の二階、メイド整体サロン「癒あmaiden」の隣の部屋である。

私は、2000年ごろから2〜3年間、原宿の通称「橋」と呼ばれている橋にほぼ毎週末行って、ヴィジュアル系のバンドのメンバーのコスの女の子たちを撮っていたことがあるが、キャンディさんもほぼ毎週末のように、例の格好でそこにいた。あのころはよくテレビにも出ていて、通りすがりに「テレビ見ましたよー」と言っていく人がけっこういた。私は、ついでにというか、戯れにというか、キャンディさんを撮ることもあった。キャンディさんも調子を合せて、いろいろなポーズをとってくれたり、「ズロースも手作りなのぉ」とか言って、見せてくれたりした。

さて、私は10月7日(火)に会社を休んでアキバへ。女装して行ければよかったのだろうが、残念ながら、外出できるほど肝が据わっていないヘタレなので、ジーンズの下にこっそりパンティーとブルマをはいて、プチ女装で。シャツの裾を中に入れているのには、わけがあるのだ。前屈みになったときに、後ろから見えてはまずいのだ。今、交通事故かなんかで担ぎこまれるわけにはいかないぞ、と緊張しまくり。挙動不審で捕まってもまずいけどな。「ブラ男」なんてのが流行ってるみたいだけど、そのあたりから徐々ににじり寄っていけば、いつかはキャンディさんのような高みに到達できるだろうか。

メイド整体サロンの隣の部屋のドアが半開きで留めてあり、中はもう、ピンク、ピンク、ピンク。ショルダーバッグやら、ノートやら、お皿やら、電気スタンドやら、人形やら、お面やら、浴衣やら、タオルやら、ハンディカラオケみたいなおもちゃやら、ジグソーパズルやら、パンツやら、おびただしい数のグッズが所狭しと壁や棚を埋め尽くしている。ぜ〜んぶ、キャンディ・キャンディ。

キャンディさんは、見慣れた格好で在廊。中を案内してくれた。仕切りの手前は、ぺたんと座って話しながらコレクションを眺められるようになっていて、奥はコレクションの間を歩けるようになっている。奥の右手には、スチール製のがっしりどっしりした学習机。私も小学生のころは、このタイプの机を使っていたので、なつかしい。上の蛍光灯の右脇にコンセントがあるとこまで同じ。だけど、ここにあるのは、色がピンクで、キャンディ・キャンディが描かれている。

コレクションの第一号アイテムは、高円寺のゴジラ屋さん(?)で買った救急箱だったとか、台湾ではキャンディ・キャンディの切手が発行されたとか、東南アジアにはパチもんが出回っていて、絵が粗雑だったり素人くさかったりするとか、前の持ち主が提げ紐を付け替えた形跡のあるぼろぼろの手提げ袋は商品の果報者だ、とか、一点一点への思い入れを語ってくれた。

また、キャンディさんご自身の女装歴についてもあれこれ。小さいころからその芽はあって、姉の下着をこっそり拝借していたとか、ゴミ捨て場から婦人服を拾ってきて、こっそり縁の下に隠していたとか、そしたら野良猫がそこで子供を産んじゃったとか、それを家族に見つけられちゃったけど、自分が拾い集めてきたことはバレなかったとか。

しかし、昭和59年に女装クラブへ通い始めるまでは、「女装」という言葉すら知らなかったそうで。そこで女装名を名乗るように言われて初めて「キャンディ・ミルキィ」とつけたそうだ。だが、女装クラブの客は徹底的に美を追求しつづけるタイプが多い中で、まわりからどう見られるかをあまり省みずに好きな格好がしたいキャンディさんは次第にズレを感じるようになり、徐々にはみ出していったという。一匹狼になっていくにつれて、カリスマ性は増していったようではあるが。

一時間以上にわたってキャンディさんとお話しすることができ、至福のひとときであった。その場には、アマチュア女装雑誌「ヒロイン」の編集者もいらした。女性(←多分)である。「くいーん」と「ひまわり」が廃刊になって、紙媒体の女装雑誌の空白が生じたが、それを埋めるべく奮闘している。

見飽きない女装ができるのは40歳を過ぎてからだといい、それは、その人がどう生きてきたかという過去の積み重ねや、人生観がにじみ出ているからだという。この信念の下、表紙を飾れるのは40歳以上限定なのだそうだ。若ければ勢いだけでも女装できるが、だんだん外見が衰えていけば、やめてしまうかもしれない。その程度の浅さでは、面白くもなんともないのだそうだ。「ヒロイン」はまだメジャーな流通に乗らずに苦戦しているようではあるが、先行きが楽しみな雑誌である。

●キャンディ・ミルキィ、コレクション展
< http://blog.livedoor.jp/moeko2000/archives/51382572.html >
会期:10月5日(日)〜10月19日(日)12:00〜21:00 土11:00開店
場所:東京都千代田区外神田3-7-14 2階 メイド整体サロン「癒あmaiden」
の隣の部屋
入場料:1時間900円(飲み物・お代わり自由)

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

カメコ。ネオロマの声優コンサートで知り合ったカメコ仲間からの情報なんですが。彼が先日買ったばかりのiPod nano 4Gで音楽を聞いていると、時々、左右の音が逆になっていることに気がついたそうです。いろいろ試しているうちに分かったのは、電源を入れるタイミングによって、約1/2の確率で再現するそうです。よく知られた現象なのだろうかと、ネットで検索をかけてみると、アップルのサイトで「この問題を認識している」との記述がありました。しかし、書かれたのは2003年5月で、機種はiPod。iPod nano 4Gが発売されたのは、つい最近のことです。5年間も解決できないような、技術的に困難を極める問題なのでしょうか。謎です。彼は、テスト結果をYouTubeに上げています。
< http://jp.youtube.com/watch?v=LDFsgACqUKY >

●人形と写真4人展「幻妖の棲む森」
会期:10月23日(木)〜11月1日(土)
時間:平日12:00〜19:00 土日12:00〜17:00
会場:ヴァニラ画廊(東京都中央区銀座6-10-10 第2蒲田ビル4階)
< http://www.vanilla-gallery.com/gallery/doll&p/doll&p.html >

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■編集後記(10/10)

・大竹昭子「この写真がすごい2008年度版」を読む(朝日出版社、2008)。読む、というより見る、いや読む。1ページ、あるいは見開きの写真を鑑賞する。添えられた200字以内の文章を読む。この本は著者がこの1年間に、写真は写真集、写真展、雑誌の投稿ページ、広告、インターネットなどで目にした写真の中から、「すごい」「おもしろい」「見飽きない」と感じてセレクトした100点を収録したもので、文章は「どうしてこの写真にひかれるのだろう」と考えたときに、筆者の中から生まれた言葉だという。写真も文章も面白い。わかりやすいいい企画だ。作品は、プロ、アマ混在で、作家名や初出は巻末の一覧を見ないと分からない。写真を1から順に見る前に前に、あの作家は必ず掲載されているに違いないと予想する。本城直季、都築響一、土田ヒロミ、浅田政志、梅佳代、澤田知子、すべて的中。作品を見て作家が分かったのは、楢橋朝子、海野和男、内原恭彦、岩合光昭、屋代敏博、畠山直哉、eric、青山裕企、森山大道、森村泰昌など100点中1/3くらいだ。威張るほどのことではないが。とくに気に入ったのは、佐藤信太郎「非常階段東京 TOKYO TWILIGHT ZONE」と石川直樹「POLAR」だった。それにしてもこの本、あまりのいいかげんな装幀デザインに目を疑った。このデザインがひどい2008年度版だ。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4255004390/dgcrcom-22/ >
アマゾンで「この写真がすごい2008年度版」を見る。レビュー5件
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4861521556/dgcrcom-22/ >
「非常階段東京 TOKYO TWILIGHT ZONE」を見る。レビュー1件
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4898152252/dgcrcom-22/ >
「POLAR」を見る。レビュー1件

・続き。なんだ記録あるんじゃない。社名まで書かれてあったわよ。どうして緑の封筒なのよ(しつこい)と思う。説明を受け、内容を確認し、回答票と統合依頼用紙にも記入。気になったのはこの女性の能面な顔。こっちはくだけて話すのだが、クスリともしない。愛想笑いもない。「統合されたってことは、この厚生年金手帳は……」「捨ててくださって結構です。皆さん、記念にと持ち帰られる方は多いです。」「記念って!」と笑ったら、能面がほんの少し緩んだように思うのだが、のってこない。大阪人が拾えないのってつらいよね…。他の話をした時も能面の下に微妙に反応があったのだが、つとめて事務的であろうとしているようだ。隣の席ではおじさんが怒っている。あなたたちのやり方がまずいから、わざわざ時間を割いてこんなところに来ているんだ! みたいな。至って事務的に処理された後、お礼を言って離れようとしたら、90度のおじぎ。お洋服を買った時の店員さんのあのおじぎ。欲しい服買っただけだから、いいよそんなおじぎ、というおじぎ。うーん。なんだかなぁ。しばらくしたら次は厚生年金の標準報酬月額についての郵便物が届くでしょうってさ。今日の訂正分は確認のため、三ヶ月後に改めて届きますって。「三ヶ月!」と言ったら、「訂正はすぐにできるのですが、分量が多く……」と説明してくれようとしたから、途中で遮った。単に驚いただけなんだが、非難に聞こえたようだ。事情聞いても早くならないのなら、何度も言わされただろう説明を繰り返してもらうのは気の毒だ。いや、気の毒なのは、私ら一般国民(しかもわたしゃ不安定なフリーランスという名の自営業)なんだけどさ。/友人の妹さんは、国民年金側がごそっと抜けていたらしい。領収書なんて当然処分済みで、訴えるしかなさそうということだった。(hammer.mule)
< http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/kaigo_news/20080910-OYT8T00242.htm >
改ざん問題