[2526] 日常生活の貴重さが身に沁みる

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<金星は特別な星>

■映画と夜と音楽と…[395]
 日常生活の貴重さが身に沁みる
 十河 進

■うちゅうじん通信[32]
 うちゅう人と秋の宵
 高橋里季

■ところのほんとのところ[5]
 ベルリンよりパリとそそのかした画家が来日
 所 幸則


■映画と夜と音楽と…[395]
日常生活の貴重さが身に沁みる

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20081031140300.html
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●昭和23年の日本映画ベストワンは黒澤明「酔いどれ天使」

僕の父は、あまり裕福ではない農家の次男坊に生まれ、15歳で満蒙開拓団として旧満州に渡った。口減らしの方策としては、一番手っ取り早かったらしい。終戦の時には徴兵されていたのか、上海にいたと聞いた記憶はあるが、父はほとんど昔のことは話さない。

母は父の里よりさらに山奥の生まれで、貧しい小作人の家だった。尋常小学校まで三里の山道を毎日通ったと、子供の頃にずいぶん聞かされた。首吊りのあった木の下を通るのが怖かったそうだ。母親(僕にとっては祖母)が病弱で、ふたりの妹の面倒を幼い頃からみさせられたという。その母親が死んだのは、小学生の頃らしい。

その後、女工哀史ではないが紡績工場のようなところで働いたり、どこかの問屋に勤めたりしたと聞いた記憶がある。13、14で働きに出たのだから、父親と結婚するまで10年ほどある。しかし、その間、どういう人生を送っていたのかは、あまりよくわからない。勤労奉仕のようなことも、やっていたのだろうか。

ふたりの結婚の事情もよくわかっていない。尋常小学校は同じところだったらしいので、育ったのは今の感覚ではそう遠くないところである。ただし、知り合いだったかどうかはわからない。父母が、昔、小学校の話を共通の知識のように話していたので、そう想像しているだけだ。

何となく子供の頃から耳にした情報を元に組み立てると、大陸から引き上げてきた父親は誰かの紹介で母と見合いをして、結婚式も挙げず一緒に暮らすことになったらしい。間口一間の土間で何かの店をやりながら、自分は職人仕事に出る。その店の奥の三畳か四畳半で新婚生活をスタートさせ、一年後に兄が生まれた。

実は最近知ったのだが、父は兄が生まれる直前まで籍を入れていなかった。兄は昭和24年9月生まれだが、その一ヶ月ほど前に慌てて母を入籍したと聞いた。暮らし始めたのは、その一年前。昭和23年の春の頃なのだろう。僕は、兄が生まれた二年後、昭和26年の秋にこの世に誕生した。

僕の記憶が始まるのは、せいぜい昭和30年になってからである。その頃になると、父は職人として一家を構えていたし、何間かある自前の家を持っていた。数年前、父は80前にして何軒めかの家を建てたが、「わしは生涯に六軒の家を建てた」と自慢していた。アパートや貸家を含めての話だと思う。

今年の夏前、父母の結婚60周年を兄と祝うために帰省した。兄は来年に60になるから、その記念日は入籍の日ではなく、実際に結婚生活を始めた日だと思うけれど、昭和23年から60年が過ぎたのだと実感した。昭和23年は1948年。確かに60年という月日が過ぎ去ったのだ。

昭和23年は、1月に帝国銀行椎名町支店の12人を毒殺した事件(帝銀事件)が起こり、2月には農地改革が実施され、5月には10歳の美空ひばりがデビューしている。日本映画のベストワンは、黒澤明の「酔いどれ天使」だった。闇市が賑わっていた頃である。

●状況劇場出身の小林薫相手に堂々の演技を見せる本上まなみ

黒木和雄監督の遺作になった「紙屋悦子の青春」(2006年)を見ながら、僕が思い浮かべていたのは、父と母の青春だった。その映画の登場人物たちと同じ頃、僕の父と母は青春時代を過ごしていたのだと思うと、何でもないシーンに目頭が熱くなった。

「紙屋悦子の青春」は、実に静かな映画だ。お喋りな人間であるからか、僕は寡黙な映画に好意を感じる傾向がある。最近のハリウッド映画は、そのうるささに辟易することが多い。「紙屋悦子の青春」も反戦映画だけれど、なぜか反戦をテーマにした作品は、声高に戦争の悲劇を語りがちである。

しかし、「紙屋悦子の青春」は、ある時期の鹿児島の田舎の家を舞台に物語が進行し、日常が丁寧に静かに描写される作品である。家族が食事をする。知人が訪ねてくる。夫と妻が、つまらないことで諍いをする。それを年頃の妹が仲裁する。庭の桜の大木が美しい。

人の日常は、60年前も今も大して変わらないのではないか。そんなことを、僕は思った。もちろん、人の考え方や社会的規範はずいぶん違っているかもしれない。特に男女関係や性的なモラルは、ずいぶん変化しているだろうと思う。しかし、人の情は何も変わらない。大切な人を想う気持ちは、いつだって同じだ。近松の心中ものが、今も涙を誘うのと同じである。

勤めにいっている年頃の妹(原田知世)の帰りが遅いと、一家の主人(小林薫)が心配して窓の外を眺めている。その妻(本上まなみ)が、「どうしたんでしょうね」と声をかける。そんな光景は、今も日常茶飯事だろう。今日も、どこかで同じ言葉を無数の誰かが発している。

「先に食事を」と妻に言われて食卓についた夫は、芋の煮物を食べて「ちょっと酸っぱくないか」と言う。「食べられない訳じゃないが…」と言い訳がましくつぶやく。妻が「二日前のだから大丈夫」と答える。「実は、悦子に縁談がある」と、夫が言う。

そのシーンは、本上まなみと小林薫のふたり芝居だが、実にいい。面白い。笑いながら切なくなる。この日常を壊すのは何だ、という怒りが湧いてくる。元は舞台劇だと聞いたが、黒木監督はカットを割らず、10分を超える長まわしで演劇のように撮っている。

それに応えて、本上まなみが見事だ。状況劇場の看板役者を張った小林薫を相手に、堂々の演技を見せている。背筋を反らせた姿勢が凛々しく、まとめ髪によって長い首筋が晒され、その美しさに見惚れる。元々、僕は本上まなみが好きだったけど、この映画で惚れ直した。間違いなく、彼女の代表作である。

本上まなみが演じた兄嫁は悦子の幼なじみで親友であり、女学校のときに一度だけクラスが別々になり「毎日、泣いて暮らした」という仲である。彼女は「悦っちゃんと一緒にいたいから、そのお兄さんと結婚した」と言い、その言葉に傷ついた小林薫の拗ね方が笑わせる。

しばらくして、悦子が帰ってくる。兄がなかなか縁談の話を切り出せない。その縁談は、紙屋家へ入り浸っている明石が親友の永与を紹介したいという話なのだが、兄嫁は悦子が明石にほのかな想いを寄せているのに気付いている。ということは、明石が別の男を紹介したこと自体が悦子を傷つけるかもしれない。

ここまでの話は、実に他愛のない日常の出来事だ。しかし、これが昭和20年3月30日から4月12日までの、ほぼ二週間という設定によって、切なく悲しい物語となるのである。つまり、戦争という背景が、人々の日常をまったく違うものにしてしまうことを、この映画は具体的に描き出す。見る者に突きつける。自らの日常を振り返らせる。

●「赤飯とらっきょうを食べれば空襲で死なない」という迷信にすがる

紙屋家には、兄の後輩である航空隊将校の明石(松岡俊介)が仲間を連れて出入りしていた。ある日、一度だけ訪れた整備担当の永与(永瀬正敏)が悦子を見初める。その想いを親友の明石に打ち明けたのだろう。明石は、永与と悦子の見合いを設定する。明石は、いずれ自分が特攻に志願し死んでいく身であることを自覚し、自分には悦子に結婚を申し込む資格がないと思っている。

見合いの日、明石と永与は誰もいない紙屋家に勝手にあがり、ふたりで会話する。明石は内気で朴訥で不器用な永与に見合いの手順や質問の仕方などを教える。「趣味など訊くといいぜ」と明石が言う。「悦子さんは女学校を出ている。たぶん趣味は読書か映画…。ヘッセだよ、ヘッセ」というやりとりが笑いを誘う。青年たちの純情さが微笑ましい。

悦子が見合いのために用意したおはぎを、明石が見付ける。「甘いものは食べん」とつぶやく明石に永与が「だったら食べるなよ」と言い、そう言われた明石は「いや、食べんわけじゃない」と曖昧な答え方をし、「悦子さんが作ったものなら何でもうまい」と口を滑らせる。その瞬間、永与は「やっぱり」という顔をする。永与は、明石が悦子を好きなことを知っているのだ。

やがて、悦子が帰ってくる。悦子の兄が急な徴用で熊本の工場に派遣になり、悦子のすすめで兄嫁も数日一緒にいくことになり、見合いの日、紙屋家は悦子ひとりになったのだ。そこから若者たち三人の微笑ましくもトンチンカンな会話が描かれる。ユーモアと切なさが交錯し、人が人を想う「情」が日常の場面から浮かび上がる。

だが、世間話のように話している内容に、戦争の影がさす。悦子は両親がいないことを言い、「それでも、よかですか」と永与に問いかける。両親は、ひと月ほど前に揃って東京にいき、3月10日の大空襲に遭遇したのだ。兄嫁との会話にも出てくるのだが、空襲はすでに彼らの日常になっている。熊本の軍需工場にいく夫に兄嫁は「身体に気をつけて」と言うように「空襲に気をつけて」と口にする。

いつ人が死ぬかわからない。死が日常になっている世界。それが、あの頃だったのだ。そんな日々が身に迫って感じられる。見合いの数日後、明石が挨拶にやってくる。「明日か」と兄がつぶやき、それだけで悦子も理解する。玄関で明石を見送り、「悦っちゃん、追いかけなくていいの」という兄嫁に背を向け、家に入った悦子は廊下で泣き崩れる。号泣する。

そうか、戦争も日常なのだ。日常になってしまうのだ。「紙屋悦子の青春」は、改めて僕にそんな感慨をもたらせた。「赤飯とらっきょうを食べれば、空襲があっても死なない」という明らかな迷信にすがり、空襲の目標にされる軍需工場に赴く夫に赤飯とらっきょうを出す兄嫁の想いが、その情が僕の胸を打つ。空襲さえ日常にして暮らさなければならない日々…。

兄嫁は、「日本が負けてもいいのか」と声を荒げた夫に「負けてもいいです」と下を向く。彼女は、戦争の影が及ばない日常を望んでいるだけだ。ある日、知人の若者がやってきて「明日、死ににいきます」と言うことなどあり得ない世界、「空襲に気をつけて」と夫を送り出さなくてよい日々、ただ、それだけを望んでいる。

しかし、そんな時代を、僕の父母も送ったのだ。昭和20年3月31日は紙屋悦子の見合いの日だったのだが、その日は僕の父の20歳の誕生日でもあった。終戦の四カ月前、父は、その頃、中国大陸のどこにいたのだろう。ほとんど昔話をしない父だが、「終戦のときに上海にいたので帰ってこられた。満州の奥地だったら…」と、つぶやいたことがある。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
20年以上、身に付けていたイスタンブール土産のガラス製の目玉のお守りを割ってしまった。携帯電話につけていたのだが、それを落としたらお守りが割れ、代わりに具合の悪かった携帯電話がなおった。以来、10日ほど経つが、携帯電話はまったく問題ない。なんだかなあ?

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
>
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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■うちゅうじん通信[32]
うちゅう人と秋の宵

高橋里季
< https://bn.dgcr.com/archives/20081031140200.html
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今日はよく晴れていたので、夕日が見えた。ラッキー! 気がつくと、もうこんな時間! というふうに毎日が過ぎていくから、何日も夕焼けを見ないということもあります。でも今日は、お茶の時間が遅くなって、夕方5時前頃にプリントアウトをしつつ休憩。窓の外を見ると、太陽が、もうすぐオレンジ色になりそうなんだけど、まだ少し眩しいくらいの感じでした。日が沈むまで、コーヒーを飲みつつ眺めていることにしました。ここは、5階です。

私は、イラストを必ずプリントアウトして確認します。モニタでは確認できないような消し忘れの淡い色残りなどは、印刷では汚れのように見えてしまうので、注意します。プリントアウトで、「あれ? ちょっと色が残ってるかな?」という箇所をモニタ上で拡大してみると、4%のグリーンが、うっすら消し忘れてあったり。特に女性の顔の眉間や目のあたりに、髪型を整えたアトが、変に影のように残っていると、不機嫌な顔に見えてしまうので要注意なの。

それから、色の強弱の見え具合などを確認して、少し直して再度プリントアウトを3回ほど繰り返して、「まあ、これでいいかな。」という感じで休憩。コーヒーがおいしい。

夕日は、確実に動いている感じで、まっすぐにストンと消えてなくなることもなく、少しづつ西に移動しつつ、なんだかだんだん丸が大きく見えて、赤味を増していきました。

それでね、夕焼けについて、謎がひとつ解けました。最後の最後に、ちょうどスッポリとビルに隠れてしまったの。謎だったの。時々、絶対にあっちの方に夕日がありそうで、空は茜色で明るいし、雲もないし、だけど、どこにもオレンジ色の夕日が見えない、不思議だな〜と思ったことが何度かあるんだけど、そうか! ちょうど、夕日を隠すくらいの建物に、うわ〜、ちょうどハマるっていうことが、あるのね。

なんだか嬉しい。私、知ってる。どこにも夕日は見えないけど、あのビルの後ろに隠れたの。その隣りのビルじゃなくて、あのビルの後ろなのよ。

太陽いわく「ちゃんとね、いろいろ決まりがあるの。私が動いてるっていう訳でもないんだけどね。」そうなのね。太陽じゃなくて地球にのって私が動いているのよね。でも、わからない。本当は知らない。そうなんだって本に書いてあったのを信じているだけ。だからきっと、シニフェな太陽が大切なんだと思います。

それから、この文章を書いて、「もう外はだいぶ暗くなっているのかしら?」と、窓から外を眺めると、もう星が出ている。晴れているせいか、大きい星が西の空に、いつもよりバッチリな存在感です。西南の空にも、ひとつ、大きいのがあるけど、名前はなんていうのかなぁ。ということで、ひさしぶりに「星座早見盤」という金属でできたお皿のような道具を取り出してきました。

これは、文章で説明するとなると難しいんですが、お皿のフチに目盛りのように並んだ日付に、時間の目盛りを合わせると、その時の星座が見られるという便利な道具です。みんな知ってるのかな。持ってる? 三省堂とかに売っています。
< http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/gakusan/e-j/seiza_hayami.html
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わからないわ。この道具によるとあの星は、やだ、わからない。そもそも、金星ってどれ? ネットで調べてみたら、日没後、3時間くらいは金星が見えるらしいんだけど。そういえば、明けの明星は見たことがあるけど、宵の明星は見たことがないかも?
< http://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=21231418
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金星って、月みたいに満ち欠けがあるんですって。知らなかったわ。金星は特別な星。ユダヤ密教カバラの生命の樹では、男女、左右などの二項対立のどちらにも属さず、まっすぐに神に通じる道に、ティフェレトは在る。「美」の星なのだわ! 英語ではヴィーナス。

柴田編集長に教えていただきました。「月と惑星は星々の間を動いているので星座早見盤には載っていない。」私、今まで何回も、いろんな星座早見盤で、もしかしたら、これには惑星も載ってるかもしれないとか期待して、やっぱり載っていない。どうしてなのかなぁと思っていました。

「来年7月、奄美大島で皆既日食が見られる。悪石島では、既継続時間が6分30秒という21世紀最大級の日食となるようだ。今日の朝のNHKでやっていたね。」というのも柴田さん情報。
< http://akusekiisland.web.fc2.com/page2/kaikinissyoku1.html
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< http://www.f3.dion.ne.jp/%7Ep2k/eclipse2009.html
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ダイヤモンドリングを見ることができたら素敵! こうやって、少しづつシニファンな太陽が、特別なシニフェな太陽になる。世界を手に入れるって、こういうことかもしれないと思います。

柴田さんによると「夕方西天に見える超あっかる〜い星が金星でしょう。宵の明星です。金星は一等星の170倍の明るさだからすぐわかるよ。」とのことなんだけど、肉眼では、同じくらいの明るい星がね、二つあるんだもの。

わお! ここで柴田編集長経由で、木曜日に連載の松林あつしさんからの情報が!「今の時期、日の沈んだ直後(薄明るい内)、西南西に見えるのは金星(宵の明星)で、その次に南南西に見え始めるのが木星です。どちらも、非常に明るく見えます。金星は6:30ごろ水平線に沈むので、もし、その星が7時頃に見えたとすると、それは木星だと思います。」とのこと。

松林さんは天体望遠鏡を持っていて、星について詳しい方なのです。うわぁ。金星と木星だったんだわ。なんだか嬉しい! そうかぁ。西南西と南南西、さすが松林さん! 大丈夫、私も方位磁石は持ってるの。天体シミュレーションソフトっていうのが、あるのね。欲しくなっちゃったなぁ。

私の秋は、こんな感じで、「秋だわぁ。」とか、それなりに楽しい感じです。柴田さん、松林さん、ありがとうございます。明日も晴れるといいですね!

そうだったわ! 銀座で人形と写真4人展「幻妖の棲む森」11月1日(土)までなの。見に行きたいなぁ。晴れたら、デパートの屋上とかで金星と木星を確認してみようかしら!

「幻妖の棲む森」
< http://www.vanilla-gallery.com/gallery/doll&p/doll&p.html
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会場:ヴァニラ画廊(東京都中央区銀座6-10-10 第2蒲田ビル4階)

【たかはし・りき/イラストレーター】riki@tc4.so-net.ne.jp

・高橋里季ホームページ
< http://www007.upp.so-net.ne.jp/RIKI/
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■ところのほんとのところ[5]
ベルリンよりパリとそそのかした画家が来日

所 幸則
< https://bn.dgcr.com/archives/20081031140100.html
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僕がパリにいく前に、パリから画家がやってきた。本当のところ、とっても憧れてる画家だ。

絵が好みとかそういうことではないんだけれど、在仏28年、パリにアトリエを構えて、すごく儲かってるわけではないがやっていけてるということが、本当に素晴らしいと思う。

日本でも、名古屋から西方面では1〜2年に一回数カ所で個展をやってる。だから1〜2年に一回は、二週間くらい日本に滞在してる。

僕は8年前に、パリにCFの監修役で一週間ほど滞在した時にいろいろお世話になった。行ってみるとほとんどすることがなかった。一時間ずつ二回、パリの編集スタジオでチェックするだけだったので、ほとんどの時間を美術館巡りとかおいしいものを食べに郊外に行ったり、という今から考えると夢のような仕事の旅行だった。

特にバルビゾンの鹿料理は素晴らしかったし、ジャン=フランソワ・ミレーの晩鐘を描いたポイントがあって、そこで同じポーズで写真撮ったりとか、なにやってんだろ? って感じではあったけど(苦笑)まあ、楽しかったぞ。

その前後からイタリア好きになったので、プライベートではほとんどイタリアばかりに行ってて、フランスはご無沙汰になってしまったが、フォトグラファーで食べていくにはヨーロッパではロンドン、パリ、ベルリンが有力な都市だと思い知ったこの8年だったとところは思う。

その画家が、フランスから珍しく一年に二回、日本に来たのが今年だった。6月に一度、二度目が今回だ(10月終わり)。ところのほんとのところ[3]で、ベルリンよりパリがいいじゃんかー! とそそのかした画家が彼である。

彼は東京に知り合いが少ないので、僕もギャラリーの紹介や美術関係の友人にアポをいれたりしている。彼の作品はなかなか面白いと思うんだけど、販売できるかどうかという最後の線は僕には判断できないし、ギャラリーの方向性もあるからとりあえず会ってもらっているところだ。

京都に住んでる美術家で文筆家の友人には、東京に来る前に大阪滞在期間が3日あるというので、彼の家で作品を見てもらった。「僕が紹介して、恥をかくようならお茶を濁すかも……」といってたけど、森美術館の館長に連絡を取ってみるといってるのだから気に入ったのだろうな。

その後、連絡がついたので土曜日に会うことになった。すぐに森美術館が決まるとも思えないし、会ってみないとわからないので、まずは「アイデア」の編集長に紹介してもらった青山のギャラリーでの話が進んだので、ちょっとほっとしてるところ。

他にもイベントキュレーターの高村征也君に、キュレーターが集まるイベントに連れて行ってもらって、知り合いのキュレーターなどに紹介してもらったり、意見を聞いたり、僕もいろいろためになったなーと思う。しかし、毎日オープニングパーティーに参加して、キュレーターと会ったりしてるので、僕も実際疲れた〜。あと二日パーティーが続く。

彼の今後の人脈作りのためでもあるし、パリに行ったときはお世話になるので、日本では僕が頑張ろーと思う、ところです。

【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則
< http://tokoroyukinori.seesaa.net/
>
所幸則公式サイト
< http://tokoroyukinori.com/
>

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■編集後記(10/31)

・隣の柿が気になる。食べごろである。しかし、隣人が収穫している姿を見たことがない。フェンスを越えて外の通路上に延びた枝にも、手が届くところにいくつも実っている。思わず手を伸ばしたくなる。今年も完熟して落ちるか、鳥のエサになるのだろう。テラスから眺めて、ああ惜しいなと思う毎朝。その朝に静けさが戻って来た。掃除機が新しくなったからだ。ここに住み始めてから使っていた掃除機が4月に壊れて、毎朝掃除しないと絶対気が済まない妻が、即日近所のホームセンターで買って来たのが、玩具かと思うくらい小型で、無茶苦茶安いサイクロンクリーナーだった。当然中国製だ。これがうるさい。ものすごくうるさい。掃除機を使っている本人は、電話の受信音が聞こえない。通路側の窓を開けて掃除しているので、ずいぶん遠くからもその音が聞こえる。チョット恥ずかしいが、捨てるわけにもいかず我慢して使い続けて来たが、先日やっと壊れてくれた。電化製品がわずか半年で壊れるのは問題だが、じつはうれしかった。では憧れのダイソンを、というわたしのプレゼンテーションはあえなく却下、2万円もたされてヤマダ電機へ。ネットでは好評価のナショナルとシャープの普及品2種を比較して、店の人のすすめもあってシャープに決めた。ポイントもつかない大特価。家に持ち帰って少し緊張しながら試運転、静かである。とっても静かである。データによると60〜47db、これが掃除機として静かなのかどうかわからないが、とにかくそれまでの中国製に比べたら、どんな掃除機でも静かといえるだろう。おかげで、毎朝7時半からわが家の床掃除は静かに始まる。サイクロンでは毎日ゴミ捨てする必要はないのだが、「今日の獲物」として必ず取り出す。犬の毛がひとかたまり、掃除機のない生活はありえないのであった。(柴田)

・2446号の後記でDTPエキスパート「通信添削模擬試験の無料受講」「30期直前模擬試験の40%割引受講」の募集をした。受講されたM氏より「無事合格できました」というメールあり。やった〜! おめでとうございます!/昨日のつづき。画面内で理由を記載し(それも細かく書けない64文字程度)、自動的に表示されるバーコードつき送付状と宛名カードをプリントアウト。集荷手続きまで画面内でできちゃう。簡単すぎ。客にとっては安心できる良いシステム。しかしこんな方法だと届いた商品が気に入らないからって返品できちゃうね。開封しちゃってるのに。ショップからメーカーに返品交換できるよね……。同じショップから同じ商品の購入はさすがに気分的にできなくて、客観的に見たら気に入らないから返品ととれてしまうかも。事由項目は「トラブルによる返品」にしたのに、返金案内には「お客様による都合」となっていて気分悪し。3つのハードで使えなかったのにな。相性のせいだけじゃないように思うけどなぁ。/後日、別ショップから購入した別メーカーのカード(日本製)はセットした時点で認識し、初期化不要だった。誤動作なし。最大サイズでも保存待ち時間ほとんどかからず。カードが壊れた時に画像が消えてしまうリスクも考え、今回は4Gにした。これならDVD1枚でバックアップできるし、R10の動画は1ファイル4Gまでなので丁度いい。容量の大きなカードより、4Gぐらいのを複数持っている方が便利な気がしたのさ。/年内発売予定と言われているEye-Fiも欲しかった。無線LANつきのSDメモリーカードで、撮影したものをパソコンに飛ばすことができる。これがあったら、いちいちケーブルつけたり、カード取り出したりしなくてもいいのだ。(hammer.mule)
< http://www.hscjpn.co.jp/products_s.php?idno=388
> これ
< http://www.eye.fi/
>  Eye-Fi