わが逃走[33]世田谷カレー事情の巻/齋藤 浩

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オレはカレーが好きだ。とはいえ、物心ついたときから好きという訳ではない。幼少の頃、カレーといえば母が作ってくれるSBゴールデンカレーが定番だったが、小学2年生のとき、初めてボンカレーを食べて「いつものカレーよりずっとおいしい」と言って母を怒らせたこともある。

まあ、一般的な庶民レベルにカレーに馴染んでいた程度であって、突出してカレー好きという訳でもない子供だったのだ。“子供といえばカレー好き”という、大人が決めた概念が好きじゃなかったとも言える。だからなのか、特に給食のカレーは好きではなかった。

しかし、本質的な理由はもっと具体的だ。だって、肉のかわりにでかい厚揚げが入ってるんだもーん。確かに肉も入ってはいたが小さいのが少しだけで、オレの給食カレーの思い出といえばこの厚揚げなのだ。

美味しいから入れたとは思えない。絶対肉の量をごまかすために入れた子供騙しだ、と思っていた。アクセント的に入れる分には構わないとは思うが、量も多かったし明らかに一片が大きすぎるのが特にいただけない。

せっかくカレーを食べているのに、厚揚げ内部までカレー味が浸透していないので、豆腐7に対しカレー3くらいのおかしな味になってしまうのだ。それでも周りの子供たち=同級生は、「わーい、カレーだカレーだ」とか言って喜んでる。そんなことするからますます大人が手を抜くんじゃないか、なんて思っていたことを思い出す。相変わらず嫌な子供だなー。

さて、その後我家のカレーはゴールデンカレーからディナーカレーへとグレードアップし、オレもスパイスとかコクとか香りなんてものを意識しはじめた。とはいえ、カレーといえばおうちのカレーであって、わざわざカレー専門店に食べにいくものではなかったし、そもそもそんなものは私が育ったS玉県のO宮市なんかには存在しなかったのだ。



●Ccの衝撃

そんなオレ様も、ついにインド人シェフによる真っ当なインドカレーを食べることになる。中学生か高校生か。確かそのくらいの頃だったと思う。

O宮駅の東側にCcというカレー専門店ができたのだ。母が友人と行ったそうで、テイクアウトでチキンカレーとナンを買ってきてくれたのだ。ちょっと温めてみた。いままでに経験したことのない、スパイスの複合体的香りが立ちのぼった(なんて旨そうな……)。

ナンというものを食べたのも初めてだったし、なによりもその複雑なスパイスの組合せによる、本格派インドカレーという存在そのものが新鮮だった。食べてみた。いままで知っている日本のカレーとは別次元の、未知の食感、未知の味。ただ辛いだけのカレーとは違った。辛さの中にもさまざまな性格のものがそれぞれの個性を主張しながらも、ひとつにまとまっているのだ。すげえ!

「旨い」というより「凄い」という印象だった。毛穴からは大量の汗が出る。ものすごく辛いという訳じゃないのに、頭と顔からあふれる汗の量が尋常じゃないのだ。

これこそ正しいスパイスの成せる技なのかもしれない。こういうのを何というのだろう。未知のものに初めて触れること。新しい価値観が生まれた瞬間。革命? 目からウロコ? 適切な言葉が思い浮かばないが、とにかく私のカレーに対する想いは、この瞬間から変わったと言っても過言ではないのだ。

で、その後はインドカレー一筋かといえば、そんなこともない。やたらボリュームのあるトンカツ屋のカツカレーにハマったり、カップやきそばにレトルトカレーをかけて食べてみたり、おうちカレーに缶詰カレーを混ぜてみたり等々、セオリーにとらわれない、幅広いカレーを楽しむ人生を歩むことになったのである。

●会社員時代その1

最初に就職した会社は千代田区麹町にあった。麹町といえば、夜中まで営業しているインドカレー屋の老舗、Ajが有名だ。徹夜仕事の際、よく腹ごしらえに行ったもんだ。新人の給料にはやや高めの値段設定だったが、夜中にコンビニ弁当ばかりではわびしい。がっつり本格派インドカレーを食べて、「よっしゃ、もう一仕事!」なんてことを年中やっていましたとさ。

またここはランチどきのカレー弁当が旨かった(いまも販売しているかどうかは不明)。好みのカレー2種類とナンとライスがついてたような気がする。記憶は定かではない。店で食べるよりもリーズナブルで、なにかというとこのカレー弁当ばかり食べていたような気がする。本格派ゆえインド人もよく買いにきていた。そういえば、客として来ていたインド人をお店の人と間違えてしまったことがあったなあ。

また、半蔵門駅までちょっと歩くと、欧風カレーの店Pがある。最初食べたときはもう、感動だった。あ、今でも感動しますよ。いわゆるライスにかけて食べるカレーなのだが、なんとも深いコクと香り。私が知るかぎり、Pのカレーこそ東京で最も上品なカレーと言えましょう。

本当にヨーロッパのカレーがこういう味なのかは知る由もないが、その昔インドから英国に渡り、フランスあたりまで伝播した時点でのカレーは、おそらくこんな味なのではないか。なんて思っている。ここ半年くらい行ってないので、近々行ってみようと思います。

●会社員時代その2

麹町の会社を辞めて、次は渋谷の会社に就職した。25歳のときだ。渋谷でもよくカレーを食べたなあ。中でも好きだったのがファイアー通りにあるMmという喫茶店のハンバーグカレー。

前に紹介したカレーとは相反する路線で、激しい辛さ、やや苦みのある濃い味わい。ボリュウムのあるハンバーグをドーンと乗っけた荒っぽいカレーを、顔中汗だらけになりながら食べる。付け合わせの、粉でといたようなマッシュポテトがカレーによく合うんだな。いい意味でB級グルメ。まさに癖になる味だった。

この会社には4年近く勤めたのだが、ここにはホントよく行ったもんだ。独立後、思い立って食べに行ったことがあったのだが、当時の辛さが失われていて少し残念だった。確かにあの辛さは暴力的とも言えるものだったので、味を変えたのは正解なんだろう。個人的なノスタルジーに浸るための存在がひとつ減ってしまったことに、私は個人的にさみしいだけなのだ。

出前もよくとった。Sというトンカツ屋のカツカレーと、Rというカレー専門のデリバリーが定番だった。Sのカレーはこだわりのご家庭カレー的味わい。トンカツとの相性が絶妙。ただ、私はここの油が合わなかったせいか、食べるとすぐお腹をこわしていた。それでも食べ続けたんだから、よっぽど好きだったんだなあ。そういえばもう10年近く食べてないや。

Rはまだ存続しているのだろうか。ここは半蔵門のPをカジュアルにした感じの、なかなか上品な味わいだった。私が特に気に入っていたのは、テンペ(大豆のチーズみたいなもの)を乗せたカレーで、カレーソースとの相性は感動モノだった。

●世田谷カレー事情

その後いろいろあって、今では世田谷区世田谷に事務所を構えた訳だが、なんか最近この辺りのカレー屋の充実っぷりが凄いことになっている。

三軒茶屋から環七方面へ世田谷通りをゆくと、旨いカレー屋が何軒もみつかる。通りからちょこっと入った世田谷警察近くのAsには半年ほど前初めて行った。カウンターだけの静かな店内では、なぜか男の一人客ばかりが黙々とドライカレーを食べていた。

どうやらここの定番メニューはドライカレーらしい。で、私もそれを注文してみた。出てきたカレーの美しさに驚く。正方形の皿に正円に盛られたライス。それを整然と覆うペースト状のカレーソース。食べてみた。濃く、上品な味わい。ただ量がやや多いせいか、しつこさを感じなくもなかった。まあこれは個人的な好みの問題でしょう。他のラインナップも気になるので、また行ってみようと思う。

さらに世田谷通りを行くと、右手に老舗カレー店Cnが見えてくる。いつも賑わっている人気店だ。食にうるさいコピーライターのM氏が絶賛していたが、オレは最近行ってないので今回コメントは割愛。

環七を渡ってしばらく行くと、こんどは同じく右手にMtが見えてくる。この店はコストパフォーマンスに優れ、しかも旨い。最近私のお気に入りのインドカレーの店だ。辛さ設定はややマイルドにアレンジされた感じで、とても誠実な味わい。しかも安い!

ランチのカレーメニューは700円から。それでいてナンとライスが選べてサラダもついてドリンク飲み放題で、デザートもついているのだ。驚愕である。夜のメニューも充実。先日3人で行ったのだが、インドビールにサラダ、サモサ、タンドリーチキン、タンドリーなんとか(海老)、さらにインドワインをボトルで頼んでナントカいうマトン料理の後、カレー3種にナン、そしてチャイを飲んでも1人4000円未満だったと記憶している。

高級店という訳でもないし、ものすごく特徴のあるカレーという訳でもないが、カジュアルにインド料理を楽しめる店として末永く続いてほしい。そんな店だ。心配なのは、いつ行っても客が少ないんだよなー。世田谷線若林駅と松陰神社前駅の間にあって、両駅とも微妙に遠いという立地のせいか。とにかく、このMtにはがんばってほしいオレなのさ。

そしてMtの目と鼻の先にあるのは、スープカレーの名店Y。最近メニュー構成が変わって、ライスにカレーソースがかかった状態で供されるようになった。オレ的にはカレーとライスの量を自分で調整できる別盛り方式が好きだったんだけど、いろいろ事情があるらしい。薬味(らっきょうとハラペーニョ)が別料金になっちゃったのはとても残念。オレが行く度に大量に消費していたからかなあ。

もともと銀座のバーだったが、店の隠れメニューが評判になってカレー屋になったらしい。辛さは2種類選べるのだが、スパイスの味がきちんと伝わる『オリジナル』がオススメ。

さて、そこからちょこっと松蔭神社前駅へと脇道にそれると、裏通りに看板の出ていないよい香りのする店がある。Miである。まず素晴らしいのはこの店の内装。無作為の作為とでも言うべきか。ある意味禅の思想にも通じると言っても過言ではない、わびさびの世界だ。

メニューはシンプル、今週のカレーとドライカレーのみ。ジャンルはというと、何にも属さない不思議で優しい味わい。インドから日本へ直接伝来したとしたら、こんなカレーがジャパン・スタンダードになってたかもしれない。そんな味だ。

ドライカレーは独自の深みのあるペーストタイプのもので、数量限定。今週のカレーはその名の通り毎週具材が変わるのだが、特に私はごぼうと人参と鶏肉のカレーが好きだー。由緒正しいスパイスの効いたカレーなんだけど、どことなく横川駅の名物駅弁・峠の釜めしを思い出すのだ。居心地と味わいというふたつの要素を、美意識を通して高度なレベルで融合するMi。ついつい通ってしまう。

以上、世田谷カレー事情の巻でした。さらに世田谷通りを進むと、激しく旨いインドカレー店Smなど、良いお店がたくさんあるのですが、書いてる本人がお腹すいてきたので、今回はここまで。この夏カレーの食べ過ぎで相当太りまして、最近ではカレーは1週間に一度までと決めている齋藤浩でした。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。
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