うちゅうじん通信[34]うちゅう人は夢を見ない
── 高橋里季 ──

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私は夢をほとんど見ません。本によると、「見ないのではなくて忘れてしまうだけ」だそうですね。普段は、まったく夢を見ないんだけど、見る時は、人生の節目とかに、大事な夢をバッチリ見る感じです。

初恋が終わった時、私は、失恋した相手を殺して、庭の夾竹桃の木の下に埋める夢を見ました。殺す場面はなくて、私はビニール製の雨ガッパを着て、返り血を浴びたまま、埋め終わって土をならしているところでした。

失恋と言っても、中学校の先輩の彼とは、お互いに誕生日プレゼントをしあうような感じで、つきあっていたというほどでもないんだけど。その彼が進学した時に、私の志望校よりランクの低い学校だったのでがっかりしました。バカだったんだ。そう思って、それが私の失恋です。

夢分析的には、「もうひとりの自分」を殺した(抑圧することにした)というようなところでしょうか? 私より成績が下の男の子を好きか嫌いか、意識で考えるより先に、夢でハッキリ答えが出た感じでした。



それはリアルな夢で、私はハッと目が覚めて、最初に思ったのは、「やだ。私ったら雨ガッパを着たまま寝ちゃったのかしら?」とドキドキして冷や汗を拭き、夢だとわかっても心配で、朝早く夾竹桃の木の下を見に行って、埋めた跡がないかどうか確かめたほどです。

それから、性に目覚める前に見た夢で、私は金色の部屋に閉じ込められていました。窓には黒い鉄格子があって、その鉄格子の向うを憧れていた男性教師が歩いて行くのが見えて、私は、「ここから出なくちゃ」と思い、「先生、待って。」と鉄格子ごしに先生を呼んでみました。

次の場面で、お葬式らしく椅子が並んでいて、先生はそこに座っていました。先生の後を追った私も、静かに椅子のひとつに座りました。ふと見ると、私の前で黒い犬が2匹じゃれあっていて、その犬から出た血が、私の足下まで流れてきたので、私は汚いと思い、足に血がつかないようにと体をずらしている。……そして、その犬は間違いなく私の父母だと、私は夢の中で確信している。そういう夢です。

それから、神様が出てきた夢があります。私は川を泳いでいました。広い川で、水面がキラキラして美しく、私は気持ちよく泳いでいました。ふと見ると、岸辺に白い服を着た人が立っていて、「あちら」を指差していました。私には、それがすぐに神様だとわかって、神様が指差している方向には、海が広がっていました。「行きなさい。」という意味だと思いました。

その頃、私は、なるべく地道な将来を考えるべきか、やりたいことをやって生きていこうか、考えていたのかもしれません。流れにまかせて泳ぐか、海の波間を自力で泳ぐか、そういう選択の前にいました。その夢の中で、「川も綺麗だけど、海の青は、もっと綺麗かも?」と思っていました。

中学生くらいから、私の中には、初恋の相手を殺してしまうような自分がいたりして、「意識の私」は、「うわぁ、私ったら恐い〜。どうしよう私?」という感じでしたが、何人かの私が居るようでした。たいがい「意識の私」は、夢を見てから、「そんなこと気にしてたのかしら私?」と気づくような感じ。でも、この頃は、夢分析とか、ユングの理論なんて知らなかったんです。

それにしても、普段は、夢を見ないの。最近でも覚えている夢は、何年も前で、機関車が正面から来て私を轢いて行くんだけど、私は意外と平気で、「私ったら機関車に轢かれても平気なんだな。」という夢。

夢は見ないけど、目が覚めると、すぐに何かアイデアの続きを考えている感じで、寝ている間もずっと、アイデアを考えているような気がするので、もしかしたら夢の中で、私は考え事をしているのかもしれません。

「夢の中で考えている私」の方が、テキパキしていて強い感じがするので、彼女(男っぽい気もする)が、「現実の意識の私」になった方がいいんじゃないかなぁと思うんですが、どうもそれは意識の私には、決定権がないみたいです。

意識の方の私は、ゲームのルールとかが、いつもよくわかりませんでした。神経衰弱というトランプのゲームを初めてやってみた時に、伏せてバラバラに置いたトランプから2枚を表にして、それが同じ数(エースとかキングとか)だったら、カードをもらえるゲームだったので、どんどん開いていきました。次に開けばいいカードが、ぼんやり白く光るので、それを開くと、数がそろいました。一度も間違えずに全部開き終わって、何が面白いのか、よくわからなくて疲れただけ。

スプーンも曲りました。テレビで「スプーンを曲げます。みなさんも一緒にやってみましょう。」と言うので、一緒にやってみたんです。小学校の理科の実験ってあるでしょう? 私の頃は、高い所からバドミントンや羽根つきの羽根を落としてみると、「くるくる廻りますね。」とかいう授業がありました。それから、虫眼鏡を使うと、日光で黒い紙が焼けるとか。

それで、テレビのスプーン曲げというのを、理科の実験のようなことだと思ったんです。やってみたら、簡単にスプーンが曲がるので、私は「スプーンっていうのは、撫でると曲がる金属でできているんだな。世の中には、いろんな金属があるんだなぁ。」と思いました。スプーンは、手にフィットしやすいように、そういう金属で作ってあると思ったんです。

「意識の私」は、根本的なところで考え違いしていることが多いっていうか、たいがいのことは、よくわからない。本当に、なにがどうしてそうなのか、よくわからないままなんだけど、あんまり困ったことにはならないみたい。

【たかはし・りき/イラストレーター】riki@tc4.so-net.ne.jp

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