映画と夜と音楽と…[403]友だちのいない人生は無意味か?/十河 進

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●官能的な映像を感覚的に綴ったルコント監督「髪結いの亭主」

愛と宿命の泉 コンプリート・セット [DVD]フランスの名優といえば、一時期、ジャラール・ドパルデューばかりが注目されていたが、僕は昔からダニエル・オートゥイユが好きだった。1950年生まれで世代的にも近いので、親近感があるのかもしれない。もっとも、僕は彼が最初に注目された「愛と宿命の泉」(1986年)を封切りで見ているのに、ずっと後になるまで気付かなかった。

「愛と宿命の泉」は「フロレット家のジャン」と「泉のマノン」の二部作で、善良な農夫をドパルデューが演じ、彼を陥れるふたりをイブ・モンタンとダニエル・オートゥイユが演じていたが、ダニエル・オートゥイユは醜い農夫の役で凝ったメイクをしていた。そのため、本当の顔がわからなかったのかもしれない。

愛と宿命の泉 PartII 泉のマノン [DVD]「愛と宿命の泉」の第二部「泉のマノン」で一躍話題になったのは、エマニュエル・ベアールである。きれいな人だなあ、と僕は思った。苦闘の中で死んだ農夫の娘が美しく育ち、彼女の父を陥れたダニエル・オートゥイユはそのマノンに恋をする。しかし…というように、まるで一時期の昼ドラのように親子二代にわたる愛憎の物語だった。



愛を弾く女 [DVD]エマニュエル・ベアールもダニエル・オートゥイユも、その後、順調にキャリアを重ねて、今やフランス映画界を代表する女優と男優になったが、僕はそのふたりが結婚したことを「愛を弾く女」(1992年)の公開時に初めて知った。ふたりは「愛を弾く女」で共演しているのだが、ふたりが演じるヴァイオリニストとヴァイオリン職人の微妙な視線の交錯が印象的だった。

その後、ダニエル・オートゥイユはコメディ、シリアスドラマ、フィルムノアールなど何でもこなす名優になった。このことは、少し前に「あるいは裏切りという名の犬」(2004年)のときにも書いたけれど、ホントにいろいろな役を器用にこなす人だと思う。あの独特な風貌は、あるときはマヌケなビジネスマンになり、あるときはプロフェッショナルなギャングにもなれるのだ。
< http://bn.dgcr.com/archives/20080516140200.html >

そのダニエル・オートゥイユが「橋の上の娘」(1999年)に続いて、パトリス・ルコント監督と組んだのが昨年、日本公開された「ぼくの大切なともだち」(2006年)だ。パトリス・ルコント監督は1947年の生まれだから日本なら団塊世代、フランスだと五月革命世代と言ってもいいだろう。

髪結いの亭主 [DVD]パトリス・ルコント監督の作品が日本で最初に話題になったのは、「髪結いの亭主」(1990年)だった。物語を語るというより官能的な映像を感覚的に綴った映画だったが、なぜかひどく評判になり前作の「仕立て屋の恋」(1989年)も続いて公開された。こちらはジョルジョ・シムノン原作らしく、犯罪と謎解きがある作品だったが、やはり妙に官能的ではあった。

ハーフ・ア・チャンス [DVD]その後、「ハーフ・ア・チャンス」(1998年)で年を重ねたアラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモンドを共演させ、どちらの娘かわからない役にバネッサ・パラディ(まだジョニー・ディップの奥さんだと思う)を配し、パトリス・ルコントはドロンとベルモンドの映画を見て育ったことをうかがわせた。

「ハーフ・ア・チャンス」はドロンとベルモンドの28年ぶりの共演をウリにしていたが、ベルモンドのヒット映画「リオの男」(1963年)のパロディじみたシーンや昔の映画を想起させる楽屋落ちが散りばめられていて、ワクワクさせてくれる楽しい映画だった。

●「きみの葬式には誰もこない」と言われたときの反応は?

ぼくの大切なともだち (完全受注5,000本限定生産) [DVD]パトリス・ルコント監督がダニエル・オートゥイユを主演にして作った「ぼくの大切なともだち」は、ジャンルとしてはコメディに入る作品だが、僕にはなかなかシリアスなドラマに見えてしまった。ダニエル・オートゥイユも特に喜劇的な演技をするわけではない。

冒頭、携帯電話で骨董品の売買について話をしているフランソワ・コスト(ダニエル・オートゥイユ)は、冷徹なビジネスマンという雰囲気だ。やがて、彼は葬式に出席していながら仕事の電話をしているのがわかる。その葬儀はさびしいもので出席者は7人。その後、フランソワは自分の誕生日の集まりで数人の仲間たちを相手にさみしい葬儀の話をする。

だが、「7人の出席者」と聞いた仲間たちは口を揃えて「きみの葬式にはひとりもこない」と言う。「まさか」と反論するフランソワに、みんなは「きみには友だちがひとりもいない」と断言する。「そんなことはない」と言い募るフランソワに、骨董店の共同経営者である女性が高価な壺を賭けることを提案する。10日間のうちに親友を紹介できたら…というのだ。

そこで、フランソワは親友探しを始めることになる。友人のリストを作ってひとりひとり当たっていくが、結局、みんなに同じことを言われる。「おまえに友だちはいない」と。小学生の時の友人には「おまえとは親友なんかじゃない。敵だ。おまえは自惚れ屋のイヤな奴だった」と罵られる。

このあたりで、僕は身につまされ始めた。かつて、「開いても友だちこない誕生会」という川柳でからかわれたことがある身だ。その川柳を作ったのは、同僚時代の現デジクリ編集長の柴田さんだった。当時の僕が「友だちいないからなあ」とよくぼやいていたので、そんな川柳を作られてしまったのである。僕には、自虐的にそんなことを口にするクセがある。

確かに、学生時代には仲間はいた。だが、彼らとは疎遠になり、次第に連絡も途絶えた。たまに電話をかけてきていた男は自殺し、特別に親しかった男とはもう15年以上会っていない。かつて、彼には精神的な危機を救ってもらったことがあり、彼の頼みなら何でも聞くつもりの友人だった。しかし、何となく会いにくくなってしまったのだ。

まとまった金を貸したことが原因だった。つまらない話である。そのことで僕に対して卑屈になるような男ではなかったが、会社運が悪く「食い詰めて故郷に帰るよ」と僕に別れを告げにきたとき、彼から見れば安定しているように見える僕の生活を羨むような言葉を口にしたのだ。もちろん皮肉ではなかったし、そういうことをカラッと言える男だった。

その金は餞別にするつもりだったが、彼は「いつか返すよ」と言った。それが彼のプライドだったのだろう。その後、何度か会ったが「借金、忘れた訳じゃないから」と口にする。そのたびに「いいよ」と僕は答えるのだが、そう言われると返してくれることを期待する気分も生まれる。未練がましい話だが、そのことが顔に出るような気がして僕は彼と会えなくなった。そんな自分が情けなく、よけいに会えないのだ。

●「友だちいないからなあ」とぼやいていた僕が学んだこと

──友情は無償のものだ。見返りを求めるものじゃない。

「ぼくの大切なともだち」の中でも何度も使われる言葉である。損得ずくの関係に友情は成立しない。「金の切れ目が縁の切れ目」とは昔からよく言われるが、それほど簡単に割り切れるものではないものの、金銭がからむと友情はもつれるのかもしれない。人は、相手にしてやったことをなかなか忘れることはできないし、してもらったことはいつの間にか負い目になる。負い目を感じる相手とは、人は会いたくないものだ。

恩は着せるな、その場で忘れろ。人から受けた恩は一生忘れるな、感謝して生きろ。そんな言葉をいつも自分に言い聞かせる。人に対して、恩着せがましい言葉を口にしてはいけない。「あのとき、面倒見てやっただろ」なんて、口が裂けても言っちゃいけないのだ。そう自分に繰り返す。だが、それを常に実践するのはむずかしい。ときには口がすべる…。

フランソワも同じだ。「おまえの知り合いはビジネスの相手だけ。すべてを金に換算する。友情に見返りを求めるな」と、いろんな人に言われながら何も悟らない。彼が親友探しをしているのは、高価な壺を賭けで得るためなのだから、そもそも最初から動機が不純なのである。それでも、彼の親友探しに同情し、彼が傷つくのを心配するタクシー運転手ブリュノと知り合う。

小学生のときの親友に会いにいくというフランソワを乗せたブリュノは、相手に口汚く罵られたフランソワを「子供の頃の友情は消えやすいものだ」と慰める。彼は誰に対しても愛想がよく、親切でやさしい。そんなブリュノにつけ込むように、フランソワは「僕の親友になってくれ」と頼み込む。そして、共同経営者に「親友を紹介する」と電話する。それを証明してみせると…。

フランソワはブリュノに店の経営が苦しいと話し、保険金詐取を持ちかける。高価な壺をブリュノが盗み、保険金が出たら戻してほしいというのだ。「親友ならやってくれるよな」と畳み込む。人のいいブリュノは逡巡しながらも了承し、深夜にフランソワのマンションに忍び込み、壺を盗もうとする。

そのとき、明かりがつきフランソワが勝ち誇ったように、そこに招いた仲間たちに言う。「ほら、彼は僕のために泥棒までやろうとした。本当の親友だ」と。そのシーンのフランソワは、本当にイヤな奴だ。茫然とたたずみ「賭け? 何のことだ」とつぶやくブリュノを顧みず、フランソワは自分が賭に勝ったことを喜んでいるだけである。

ブリュノはひどいあがり症で大学受験も失敗し今はタクシー運転手だが、そのことを卑下もしないし負い目にも思わない。子供の頃からの夢はクイズ番組に出ることで、そのために膨大な知識をため込んでいる。タクシーに乗った客に、いちいちウンチクを語るものだから嫌がられることも多い。運転手仲間たちからは「そんなことが何の役に立つ?」と言われる。

クイズ出演者の面接にいくと、いつもあがってしまってわかっているのに答えが出てこない。週に一度は一緒に夕食を摂る両親からも慰められる。両親の家に招かれたフランソワは、ブリュノが親友に妻を奪われたことを両親に知らされる。親友と妻、彼は心から信じたふたりの人間に裏切られた傷を持ちながら、それでも誰にでも愛想よくやさしく親切な人間なのである。

そんなブリュノに夢が叶う日がやってくる。「クイズ・ミリオネア」への出場だ。彼は早押しクイズを勝ち抜き、センターの椅子に座る。ちなみにフランス版「クイズ・ミリオネア」もクイズのルール、音楽、スタジオ設定はまったく日本版と同じだが、司会者がみのもんたほど暑苦しくないのがいい。あれほどの焦らしやタメはない。

ブリュノはライフラインを残したまま、最後の問題までたどりつく。だが、最後の難問。司会者のすすめでフィフティ・フィフティを使い、オーディエンスを使い、最後にテレフォンが残る。「誰か助けてくれるお友達は?」と訊く司会者にブリュノは、緊張した荒い息で答える。

──僕には友だちなんかいない。

もちろん、パトリス・ルコントの映画がこのままで終わるわけがない。ルコント作品を見る楽しみは、その官能的な心地よさに浸れることと、自分がこうありたいと願う夢が描かれていることだ。だから、フランソワはブリュノの夢の実現のためにあることを犠牲にし、そんなことはまったく知らないままブリュノはフランソワを赦すのだ。

しかし、フランソワが行なった無償の行為は、決してブリュノに告げてはいけない。自分だけの秘密として、墓の中まで持っていくべきだ。それまでのフランソワなら絶対にやらなかったであろう、相手のことだけを思う自己犠牲。それは、自分しか知らないことだから価値がある。それを告げることは、ブリュノからの感謝という見返りを求めることだ。

そのことをブリュノに告げた途端、友情は崩れ、屈折し、もつれる。どんなに気にしなくてもいいと言っても、ブリュノは忘れない。もしかしたら負い目に思う。友情を継続するためには、やはり気遣いと努力が必要なのだ。それは、相手が親友だからとは限らない。人間関係を円滑にするには、どんな人に対しても気遣いと思いやりとやさしさが必要なのだと思う。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
暮れの大掃除で月刊誌「スイングジャーナル」8年分を棄てました。棄てるのだけど、一年ずつ月号順に並べてヒモで縛りました。翌朝、ゴミ集積場に両手に一年分ずつ提げて何度も往復。悲しかったなあ。それ以外にも、思い切って棄てた書籍がいろいろ。それでも、まだ処分を待つ書籍と雑誌がダンボールに数箱あります。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

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映画がなければ生きていけない 1999‐2002
十河 進
水曜社 2006-12-23
おすすめ平均 star
starちびちび、の愉悦!
star「ぼやき」という名の愛
star第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
starすばらしい本です。
starものすごい読み応え!!

映画がなければ生きていけない 2003‐2006 恋ひとすじに(ユニバーサル・セレクション2008年第11弾)【初DVD化】【初回生産限定】 愛人関係 (ユニバーサル・セレクション2008年第10弾) 【初DVD化】【初回生産限定】 アメリカ映画風雲録 始祖鳥記 (小学館文庫)

by G-Tools , 2009/01/09