[2570] 美しき五月のパリへ…

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<この喪失感は何なんだ…>

■映画と夜と音楽と…[405]
 美しき五月のパリへ…
 十河 進

■ところのほんとのところ[10]
 「渋谷1secシリーズ」撮影再開と雑誌編集者の反応
 所 幸則

■イベント案内
 トークショー「活字デザイン今昔」小宮山博史×鳥海修(字游工房)
 「エミール・ルーダー そのタイポグラフィと哲学」


■映画と夜と音楽と…[405]
美しき五月のパリへ…

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20090123140400.html
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●「美しき五月のパリ」というリフレイン

加藤登紀子が「美しき五月のパリ」という歌を唄っている。「オー・ルー・ジョリー・モァ・ドゥ・メ・ア・パリ」と、僕は30年以上前から耳に聞こえたままを口にしている。「美しき五月のパリよ」というリフレイン。それを口ずさむと、デラシネの旗を掲げてパリを行進する男女が目の前に見える。

もちろん、これは「五月革命」を讃える歌だ。あるいは、懐かしむ歌である。写真で見た学生街「カルチェ・ラタン」を埋め尽くす学生たちの姿が浮かんでくる。「歌え自由の歌を 届け空の彼方へ この五月のパリに人は生きてゆく」と訳詞をしたのは加藤登紀子、原曲の作詞作曲者は不明だという。

まるで革命前夜のようにパリの都市機能をマヒさせた「五月革命」が実際に進行しているとき、僕は四国・高松の高校2年生になったばかりだった。5月の体育祭に向けて練習に励んでいた。僕は遥か遠いフランスで何が起こっているのか、何も知らなかった。いや、日本の東京で起こっていることさえ、僕は知らなかったのだ。

1968年3月28日、東大全共闘は安田講堂を占拠。翌年の1月19日、機動隊導入によって陥落するまで東大全共闘は10ヶ月に及び安田講堂を占拠し続けることになる。また、4月15日には日大紛争の発端になる巨額の使途不明金が発覚。その年の9月、水道橋駅前の白山通りは無数の日大生によって路面が見えなくなった。

昔、会社の4年先輩のHさんに学生時代に撮った写真のコンタクトシートを見せてもらったことがある。Hさんは日本大学芸術学部写真学科を卒業した人だ。そのコンタクトシートには、大通りを埋め尽くすヘルメット姿の学生たちが写っていた。その数に、僕は圧倒された。

しかし、そんな流れが地方都市の高校にまで押し寄せるのは、もう少し後のことだ。僕が友人に、香川大生の下宿で行われていた「マルクス勉強会」という名目のオルグに誘われるのは、日大生が白山通りを埋め尽くした2ヶ月ほど後のこと。その勉強会のテキストはマルクスの「賃労働と資本」だった。

その香川大生は、いわゆる反代々木の三派系全学連だと聞いたが、「反代々木」が何を意味し、「サンパケイ」とは何なのか、その頃になっても僕は何も知らなかった。だから、その半年近く前の春に高校2年になったばかりの僕は、まったくのノンポリ高校生だったのである。

1968年5月3日、パリ大学ナンテール分校は学生と警官隊の乱闘によって閉鎖される。五月革命の発端だ。労働組合はゼネストを計画し、パリは学生によってバリケード封鎖され、フランスは危機状態に突入した。毎年、この時期に開催されるカンヌ映画祭は、5月19日に中止になった。

山田宏一さんの「友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌」の24章「一九六八年五月」によると、フランソワ・トリュフォー監督が「映画祭中止」を呼びかける声明文を読み上げたという。トリュフォーは映画祭を通じて最も過激で「ゴダールすら、トリュフォーに一方的にひっぱられているよう」だった。

●失われた時への悲痛きわまりないレクイエム

昨年、恵比寿の東京都写真美術館ホールで公開された「恋人たちの失われた革命」(2005年)は3時間に及ぶ大作だったが、コントラストの高いモノクロームの映像が美しく、印象深い作品だった。

作家性の強い作品で、3時間を見通すのはちょっとつらいものがあるけれど、せつなさが渺々と伝わってきた。いつか、ふっとワンシーンを思い出すような映画になるかもしれない。主人公のフランソワを演じるルイ・ガレルが見せる表情が心に残るのだ。

ルイ・ガレルは、撮影時に20歳だったという。監督であり父親のフィリップ・ガレルは五月革命のときに20歳だった。父親は息子を主人公にして、「失われた時への悲痛きわまりないレクイエム」(中条省平さんはこう評している)を作った。前半45分(五月革命まで)は、監督自身の体験だという。

フランソワは詩人である。ある日、警官がやってくる。徴兵検査を受けなかったからだ。彼は兵役を拒否し、逃げる。やがて、フランスでは学生運動と労働運動の気運が高まり、警官隊との衝突が起こる。デモ隊はクルマを燃やし、機動隊は催涙弾を発射する。

フランソワも仲間たちと学生デモに加わり、警官隊に追われる。そこここでクルマが炎上し、カルチェ・ラタンの敷石は剥がされ投石に使われる。催涙弾の直撃を受けた学生が大怪我をする。警官隊に追われて逃げる。

五月革命は政府を追い込むが、結局、挫折する。学生たちは「労働組合の妥協」をなじる。「結局、奴らは賃上げが目的だ」と。「革命」は成就しない。失われてしまったのだ。学生たちは「革命前夜」の昂揚を味わい、それだけに深い喪失感にとらわれる。

そんな中で、フランソワは美術学生のリリーと出逢う。ひと目で恋に墜ちたふたりはパリの街を歩き、抱き合い、愛し合う。恋愛の誕生である。だが、愛は永遠に続かない。革命と同じように、恋愛も失われる。「革命」を失った1968年、「愛」を失った1969年、フランソワの青春は終わる。

けっしてわかりやすい映画ではない。商業映画のような娯楽性は皆無といってもいい。しかし、このせつなさは何だ。かつて経験した何かが甦る。かつて僕が持っていた何かが、記憶の底から浮かび上がろうとする。この喪失感は何なんだ…と僕は胸かきむしられるような思いに突き動かされた。ノスタルジーではない。ノスタルジーとは…認めたくない。

「とうとう見付けたよ」というランボウの詩の一節が浮かんだ。「何を?」と問う声に「永遠…没陽とともに去った海のことだ」と答えたランボウ。そう、若者たちは「永遠」を求める。世界を変え、永遠の愛を得る。それが、若者たちの願いだった。それは、20歳の僕の望みでもあった…

「恋人たちの失われた革命」を見ていて、1968年の春、世界中で同じことが起こっていたのだと実感した。不思議なことだが、フランスの学生が決起し、日本の学生たちは校舎を占拠し大学の不正を糾弾し、ニューヨークのコロンビア大学では大学が国防省に関係していることを抗議して校舎を占拠した。

コロンビア大学の闘争は後に「いちご白書」として映画化され、ラストシーンで座り込みを警官隊にごぼう抜きにされ離ればなれになる恋人たちは、日本の若者たちの心を打った。数年後、荒井由実という女性シンガーは「いちご白書をもう一度」という曲を作り注目される。

そう言えば、「いちご白書」では占拠された校舎にチェ・ゲバラのポスターが貼ってあった。あの頃、世界中の若者がゲバラに憧れた。そのゲバラを描く映画「チェ」二部作が、現在、公開されている。もしかしたら、格差社会と言われる今、若者たちの階級闘争が再び蠢動し始めたのだろうか。

●僕がいきたかった「美しき五月のパリ」とは…

パリの学生街「カルチェ・ラタン」は「学生たちの反乱」を象徴する言葉になった。御茶ノ水駅近くには「ラテン区」という喫茶店があったが、文字通り神田はカルチェ・ラタンになったのだ。「革命前夜か」とまで政府を追い込んだ五月革命は、世界中の学生に「自分たちが団結すれば、世界を変えられる」という希望を与えたのだ。

1969年1月18日、東大安田講堂への機動隊による攻撃が始まったとき、東大闘争を支援するために御茶ノ水から神田にかけて数えきれぬヘルメット姿の学生が街路を占拠した。放水と催涙弾に攻撃された彼らは敷石を剥がし、投石で応戦した。その日は「神田カルチェ・ラタン」として歴史に残った。

そのとき、僕はテレビで東大安田砦の攻防を見ていた。数カ月前から誘われて出ていた「マルクス勉強会」はほとんど理解できなかったけれど、サーチライトで照らし出された安田講堂に向かって撃ち出される催涙弾や放水は、目に見えるものとして僕に何かを迫った。

テレビカメラの視点は機動隊側からのものだった。安田講堂からは学生たちの投石があり、火炎瓶が投げられる。それは、見ている者に向かって飛んできたが、そこにいる若者たちの思いを知りたいと僕は痛切に思った。「せっかく東大までいって、何、しょんかの」と母がつぶやき、父が黙ってうなずいた。

やがて、東大は入試の中止を発表し、「東大入学者二桁」を誇っていた僕の高校は大騒ぎになった。そんな中で、中学のときのバスケット部の一年先輩だったMさんは、騒ぎもせずに志望校を京大に変更し、難なく合格して京都へ向かった。

劣等生だった僕はMさんのようにも割り切れず、僕を大学生の勉強会に誘ったIのように突っ走ることもできなかった。Iは生徒会長に立候補して当選し、高校3年の5月の体育祭で全校生徒の前でアジテーション(その頃は造反演説と言われた)を行い、無期停学になった。

そんな頃、僕は一冊の小説を読んだ。「デラシネの旗」という小説だ。五木寛之の新刊だった。当時は、最もアクチュアルな作家だった。僕は「さらばモスクワ愚連隊」を読み、「蒼ざめた馬を見よ」「海を見ていたジョニー」「青年は荒野をめざす」を読んでいた。

「デラシネの旗」は、最後に五月革命のパリでデラシネ(根無し草、故郷や祖国を持たぬ人)の旗を掲げて行進する男女の物語だった。五月革命が何だったのか、僕はその小説を読んで理解した。もちろん、ロマンチックなものとして受け取ったのだ。革命は、いつの時代もロマンチックだった。

翌年、僕が大学進学に臨んでフランス文学科を選んだ要素のひとつに、そのことがあったのかもしれない。しかし、いつかパリに…、カルチェ・ラタンに…、そう思った日から40年という長い長い時間が過ぎ去ってしまった。今の僕のどこを探しても「ロマンチックな革命への思い」などありはしない。それは消え去ったのだ。失われてしまった。

近所の奥さんたちと一緒にパリに出かけ、「今、シャンゼリゼ」と電話をかけてきたカミサンとは違い、僕は一度もパリへいったことはない。僕にとってのパリは、もうどこにもないのかもしれない。それは映画の中にしか存在しないのだ。だから「恋人たちの失われた革命」の中には、僕がいきたかったパリ、そしてカルチェ・ラタンがあった。美しき五月のパリが…

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
会社でサーバの入れ替えに立ち会った。ラックタイプのサーバで非常に薄く、容量はものすごい。ハードディスクも小さくなってさらに「テラバイト」近くなっている。バックアップサーバは、もっと容量があるらしい。それが、こんな値段で…と驚いています。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
>
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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■ところのほんとのところ[10]
「渋谷1secシリーズ」撮影再開と雑誌編集者の反応

所 幸則
< https://bn.dgcr.com/archives/20090123140300.html
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●「渋谷1secシリーズ」の追加撮影を再開

12月に「渋谷1secシリーズ」の追加の撮影を再開した。とはいっても、このシリーズは、歩きながら行き当たりばったりで撮りまくるスタイルではない。日が出ている間は渋谷駅回りをうろうろして、撮りたいポジションを探し、ベストな撮影時間の見当をつけるといった感じかな、ところスタイルとしては。

渋谷に繰り出すのは朝だったり、昼だったりするんだけど、冬の日差しは弱く感じるからNDフィルターもいつも8番(3絞り暗くなる。いいかえれば1/60秒で絞りが11だったのが、それをつけると1/8秒で絞り11にすることができる)だったが、4番(2絞り分暗くなるやつ。1/30秒で絞りが11だったのが、それをつけると1/8秒で絞り11にすることができる)に変えた。

実際撮ってみると、晴天で一番明るい時間だと、意外に暗くない。冬だからもっと暗いだろうと思っていたので、ちょっと不思議な気分になった。この12月の撮影は、ポイントと時間がはっきりしてる事もあるけど、慣れて来たせいなのか、出動した日は一日2カットずつは物にできたので気分がよかった。

今回の撮影で、同じ場所でも、季節によって光はずいぶん違うんだなーと改めて実感した。ビルの窓や壁に反射する太陽光がどんどん変わって行き、4〜5日経つとまったく同じ時間に行っても全然おもしろくなかったりとか。すべてのポイントで旬といえる日数が少なくて、せかされるように撮った感じですね。HPにアップしてあるので、ぜひ見て下さい。

●対照的だった写真雑誌の対応

ひとまず順調に進んでいる撮影に対し、ヨーロッパとのやりとりはもの凄く大変。特に、ギャラリーの人達はマガジンや広告の人達と時間の流れが違うようで、ひと月やふた月のズレはあたりまえなのかなと思った。

イタリアのwavephotogalleryから、やっと連絡が来た。これは正式な依頼で、9月に個展が決まった。何日から始まるかはまだ調整してるらしい。オランダのフォトアート誌「Eyemazing」では、14ページにわたる特集も決まった。こちらはメールに対するレスポンスが本当に早くて、ストレスはない。パリの有名なギャラリーもやっと連絡はきたけれど、まだまだ時間がかかりそうだ。

僕もじっくり作品を増やして行くしかないか。いらいらしてもなにもいい事はない。年末にいくつかの写真雑誌と森美術館にアポをとり、年明けに作品を見てもらった。

森美術館のエグゼクティブマネージャーには評判がよく、こういうアプローチの風景は世界的にみてもあまり例がないとのこと、うれしいですね。日本のいくつかの、思い当たるギャラリーに紹介することも考えてくれるという。ありがたいことです。そして、プリントはもっと大きくするべきだという意見が出た。僕もそう思っていたのでうれしかった。

写真雑誌の対応は、けっこう対照的だった。最初は、わりと新しい写真雑誌の編集長に見てもらった。おもしろがってくれたようだったが、そのあとの会話がちょっと頭でっかちな印象だった。彼は写真が好きで、勉強も頑張ってやっている感じもしたけれど、風景撮ってる人はゴマンといて、似たようなアプローチで渋谷を撮っている有名なカメラマンもいるし〜、みたいな事をいわれびっくりした。後日、同じ名前が別の雑誌でも出て来たが、全然違うといわれてほっとした。

それから、こういう作品は何年も積み上げないと評価されない、とも言われた。ヨーロッパのギャラリーからも、ヨーロッパの老舗フォトアートマガジンからも既に評価されてるんだけどなあ、と言いたかったけれど……。こういうタイプのギャラリストもパリにはいる、とパリに行ってる時に画家の友人から聞いた事がある。10年くらいタッチが固定してないと見ない、という人もいるんだそうだ。

それと、漫画家と編集者の関係のように、作品内容にも関わって、ここはこうしたほうが凄くおもしろくなると思う、というようなことも言う。僕の写真を見て、世界のフォトアートマガジンでもそんなことは言わない。でも、実際こういう人の話を聞くのも面白い経験だった。

個展の時に、もう個展の紹介のページは埋まってると告知を断られたが、後に雑誌を見るとしっかり紹介してくれていた。真面目で誠実なのがわかる。頭がいいなと思ったのは、写真の機材やテクニックにおいて、マネだとか方法論が似てるなんてことはまったく関係ないって語ってたのが印象的で、まさに彼の言う通りです。撮影テクといっても、いままでの写真家がいろんな手法を積み上げて来たものの組み合わせでしかないんだから、カメラが同じで、撮影スタイルが似てるなんて言ってる人がどうかしてる。この編集長には、また見てもらって、いろいろ話してみたいと思った。

次の雑誌にて。写真雑誌編集歴ゆうに30年近い(?)という副編集長さんは、日本人写真家(コマーシャル&ファッション系は別として)のことで知らない人はいないっていう感じで、根っからの写真雑誌編集者。かなりおもしろがってくれた。ただ、その雑誌の誌面で横位置写真は片ページの真ん中に入れる事が多いらしく、見開きでバンバンみせるようなことはあまりしないらしい。「渋谷1secシリーズ」はできるだけ大きいほうがより良さが発揮できるから、このシリーズはうちの本には向かないかもしれないなあと、残念そうにいわれた。新しい時空間表現でおもしろい、という感想だっただけに残念。別シリーズを始めたら是非いろいろやりたいですねと言われて、僕も少し残念だったけどいい感じで編集室をあとにした。

実は今回、この誌面に載せてもらいたくて訪ねたのではなかったんだ。去年の2月後半ごろ、明け方の渋谷をあるコンセプトのもと、スナップ感覚で白黒で撮ってプリントし、ためしに見せに行ったら、もう少し撮っておいてもらえれば、秋ぐらいから連載を考えてもいいねって話になったのに、僕のわがままでそれはやめてしまったのだった。そして「渋谷1sec」に走ったので、申し訳なくおもいつつも、個展告知のためにいろんな写真雑誌にリリースを送ったのを不快に思ってるように感じたので、お詫びの意味も込めて副編集長に見せに行ったんですよ、雨の日に重い巨大ブックを持って。だから、喜んで貰えただけで充分でした。

その夜、取材依頼のメールが家に届いたのは意外だった。インタビューの形をとれば、定番レイアウトというお決まりの枠から外せるのだろう。なんとかして載せたいという気持ちがうれしかった。早速、週明けにライターと一緒に来られて、メインの写真を選び、他の雑誌でまだ出てない新作をセレクトしていた。当然だけど3人とも写真の話は大好きなので、インタビュー後も1時間半ぐらい一緒に喋ってた。こういうのって楽しいよね。

【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則
< http://tokoroyukinori.seesaa.net/
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所幸則公式サイト
< http://tokoroyukinori.com/
>

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■イベント案内
『日本語活字ものがたり』刊行記念トークショー
「活字デザイン今昔」小宮山博史×鳥海修(字游工房)
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< https://bn.dgcr.com/archives/20090123140200.html
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日時:2月8日(日)13:00〜15:00 開場12:30
会場:青山ブックセンター本店内 カルチャーサロン青山(東京都渋谷区神宮前5-53-67 コスモス青山ガーデンフロア B2F TEL.03-5485-5511)
定員:120名
入場料:700円(税込み)電話予約の上、当日精算
受付電話:03-5485-5511 受付時間10:00〜22:00
内容:金属活字から写植植字、そしてデジタルフォントにいたるまで、活字をささえてきたそれぞれの技術環境の中で、書体設計の現場はどのように格闘してきたのか。今も昔も変わらぬ苦心のしどころや、新しく生まれた苦労や工夫について、ベテラン活字デザイナーの小宮山博史氏と、鳥海修氏をお迎えして、お二人に書体設計の実際をお話しいただきます。(サイトより)

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■イベント案内
『アイデア No.333 特集「エミール・ルーダー」』刊行記念トークショー
「エミール・ルーダー そのタイポグラフィと哲学」
ヘルムート・シュミット×山本太郎×室賀清徳(アイデア)
< http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_200902/20090214ruder.html
>
< https://bn.dgcr.com/archives/20090123140100.html
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日時:2月14日(土)17:00〜19:00 開場16:30
会場:青山ブックセンター本店内 カルチャーサロン青山(東京都渋谷区神宮前5-53-67 コスモス青山ガーデンフロア B2F TEL.03-5485-5511)
定員:120名
入場料:700円(税込み)電話予約の上、当日精算
受付電話:03-5485-5511 受付時間10:00〜22:00
内容:バーゼルを拠点に活動し、スイス・タイポグラフィに大きな足跡を残したエミール・ルーダー。彼はタイポグラフィを人類の美術史、文化史の歴史全体への視座のなかで捉え、音楽や東洋の美学に強い関心を寄せながら多くの名作を残しました。ルーダーは教育活動にも熱心であり、その教え子たちはいまなおルーダーの教えを胸に秘めながら、第一線で活躍しています。教え子の一人であり、日本で活躍するヘルムート・シュミット氏を囲んで、これまで日本では語られることが少なかったルーダーの作品、人物像、タイポグラフィ観にせまるとともに、現代においてルーダーをどのように読むことができるのかを語ります。(サイトより)
【同時開催】アイデア No.333 特集「エミール・ルーダー」刊行記念展示
「エミール・ルーダー タイポグラフィ、エミール・ルーダー フィロソフィ」
本店ギャラリー:2月12日(金)〜3月5日(木)

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■編集後記(1/23)

宇宙戦争 ウォー・オブ・ザ・ワールド [DVD]・「H.G.ウェルズ 宇宙戦争 ウォー・オブ・ザ・ワールド」(2005/アメリカ)DVDを見る。もちろん、トム・クルーズ主演のあの毀誉褒貶大作とは違う。もちろん、レンタルショップではそれと同じ棚で一本だけ並んでいる。もちろん、BC級SFを愛するわたしはその怪しいパッケージの方を借りる。これはスピルバーグ版と競作する形で映像化したTVムービーで、原作にかなり忠実だというふれこみだ。主役の天文学者ジョージは、結婚10周年を記念してワシントンDCへ家族旅行へ行こうとしている。その時、謎の飛行物体が落下した。「家族をとるか、仕事をとるか」という選択を迫るバカ妻、この事態で天文学者だったら仕事しかないだろうが。アメリカ映画で描かれる家族は、大抵壊れているのがお約束。妻と息子を先にワシントンDCへ行かせて、ジョージは調査のため飛行物体の落下した現場へ急行。そこから現れたのは足の長いカメムシみたいな巨大機械(トライポッド?)が数体、こいつが手当り次第に周囲を破壊し人間を殺し始める。なにが起きたかわからないまま、人々は逃げ惑う。そういう見所映像(チープだが)はごくわずかで、その後はジョージのダラダラした逃避行ばかり見せられる。天文学者としての活躍場面もない。はじめは軍人、次は神父と同行するが、神父は説教を延々と続け、見ている者をさんざんイライラうんざりさせてくれたあげく「神に身を捧げて来たのになぜこうなる。我々は神に見捨てられたんだ」と狂乱し、宇宙人に殺される。ジョージは、破壊され閉じ込められた病院で見つけた狂犬病のウイルス(って何よ?)を宇宙人の体に注射する。それにより(?)ワシントンDCに着いたときには、宇宙人はすべて死に絶えカメムシも倒壊していた。といった、退屈で死にそうになるどうしようもない映画。笑わせて欲しいBC級SFなのに、笑えるところが皆無なのだから、救いようがない。(柴田)
< http://www.bigtimeweb.jp/dvd/archives/redv-00345.php
> こういうビジ
ュアルはまあマシなほうで、ストーリーは眠気をこらえる努力が必要
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>
アマゾンで見る(評価あり)

ソニー デジタルカメラ Cybershot W110 (720万画素/光学x4/デジタルx8) DSC-W110・CyberShot DSC-W110が当たった。スマイルシャッターついてるよ。経緯。街頭で配られていたミニティッシュボックスを、母が「アイデアだね〜」と持ち帰ってきた(何かと後記ネタ候補を持ってくるが、ほとんどボツにされてしまう母……)。ポケットティッシュって、もらった人だけが見る事になり、人によってはカバーがつけられておしまい。でもボックスだと広告スペースは広いし、職場に置いたら、もらった人以外も見るかもしれない。これ(規格外)にカバーをつける人はまずいない。考えた人えらいよ〜と見ていたら、このアイデア自体のアンケートがあったので、どう感じたのかを素直に書いて送ったら当たった。応募時には個人情報が必要なく、当選しましたメールに書かれてあるフォームから入力することになっている。詐欺かもしれないと調べていたら、応募フォームが見つかり、そこに書かれてあった当選通知予定日より遅かったので、もしかしたらおこぼれかもしれない。メモリースティックDuoが必要だと判明。SDと違い、メモステは高い。うーん、当選品のために買うことに? もらったミントケースのためにフリスク買うみたいな。/そういやDTPエキスパート試験の模擬試験優待に応募ゼロ。年度末だしなぁ。/懸賞マニアではないが、面白そうなアンケートや企画ものには参加するようにしている。結構当たるよ。今はコカコーラのビンゴゲームに参加中。毎日番号が5つ、それも1分ごとに発表される。参加者人数やビンゴ人数がリアルタイムにわかるのが面白いよ。ちょっとバグがあるみたいで、発表されていない番号の穴が勝手に開いている……。(hammer.mule)
< http://www.sony.jp/products/Consumer/DSC/DSC-W110/
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< http://www.dgcr.com/present/list.html
>  まずは応募!