映画と夜と音楽と…[405]美しき五月のパリへ…
── 十河 進 ──

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●「美しき五月のパリ」というリフレイン

全曲集加藤登紀子が「美しき五月のパリ」という歌を唄っている。「オー・ルー・ジョリー・モァ・ドゥ・メ・ア・パリ」と、僕は30年以上前から耳に聞こえたままを口にしている。「美しき五月のパリよ」というリフレイン。それを口ずさむと、デラシネの旗を掲げてパリを行進する男女が目の前に見える。

もちろん、これは「五月革命」を讃える歌だ。あるいは、懐かしむ歌である。写真で見た学生街「カルチェ・ラタン」を埋め尽くす学生たちの姿が浮かんでくる。「歌え自由の歌を 届け空の彼方へ この五月のパリに人は生きてゆく」と訳詞をしたのは加藤登紀子、原曲の作詞作曲者は不明だという。

まるで革命前夜のようにパリの都市機能をマヒさせた「五月革命」が実際に進行しているとき、僕は四国・高松の高校2年生になったばかりだった。5月の体育祭に向けて練習に励んでいた。僕は遥か遠いフランスで何が起こっているのか、何も知らなかった。いや、日本の東京で起こっていることさえ、僕は知らなかったのだ。



1968年3月28日、東大全共闘は安田講堂を占拠。翌年の1月19日、機動隊導入によって陥落するまで東大全共闘は10ヶ月に及び安田講堂を占拠し続けることになる。また、4月15日には日大紛争の発端になる巨額の使途不明金が発覚。その年の9月、水道橋駅前の白山通りは無数の日大生によって路面が見えなくなった。

昔、会社の4年先輩のHさんに学生時代に撮った写真のコンタクトシートを見せてもらったことがある。Hさんは日本大学芸術学部写真学科を卒業した人だ。そのコンタクトシートには、大通りを埋め尽くすヘルメット姿の学生たちが写っていた。その数に、僕は圧倒された。

しかし、そんな流れが地方都市の高校にまで押し寄せるのは、もう少し後のことだ。僕が友人に、香川大生の下宿で行われていた「マルクス勉強会」という名目のオルグに誘われるのは、日大生が白山通りを埋め尽くした2ヶ月ほど後のこと。その勉強会のテキストはマルクスの「賃労働と資本」だった。

その香川大生は、いわゆる反代々木の三派系全学連だと聞いたが、「反代々木」が何を意味し、「サンパケイ」とは何なのか、その頃になっても僕は何も知らなかった。だから、その半年近く前の春に高校2年になったばかりの僕は、まったくのノンポリ高校生だったのである。

1968年5月3日、パリ大学ナンテール分校は学生と警官隊の乱闘によって閉鎖される。五月革命の発端だ。労働組合はゼネストを計画し、パリは学生によってバリケード封鎖され、フランスは危機状態に突入した。毎年、この時期に開催されるカンヌ映画祭は、5月19日に中止になった。

増補 友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌 (平凡社ライブラリー)山田宏一さんの「友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌」の24章「一九六八年五月」によると、フランソワ・トリュフォー監督が「映画祭中止」を呼びかける声明文を読み上げたという。トリュフォーは映画祭を通じて最も過激で「ゴダールすら、トリュフォーに一方的にひっぱられているよう」だった。

●失われた時への悲痛きわまりないレクイエム

恋人たちの失われた革命 [DVD]昨年、恵比寿の東京都写真美術館ホールで公開された「恋人たちの失われた革命」(2005年)は3時間に及ぶ大作だったが、コントラストの高いモノクロームの映像が美しく、印象深い作品だった。

作家性の強い作品で、3時間を見通すのはちょっとつらいものがあるけれど、せつなさが渺々と伝わってきた。いつか、ふっとワンシーンを思い出すような映画になるかもしれない。主人公のフランソワを演じるルイ・ガレルが見せる表情が心に残るのだ。

ルイ・ガレルは、撮影時に20歳だったという。監督であり父親のフィリップ・ガレルは五月革命のときに20歳だった。父親は息子を主人公にして、「失われた時への悲痛きわまりないレクイエム」(中条省平さんはこう評している)を作った。前半45分(五月革命まで)は、監督自身の体験だという。

フランソワは詩人である。ある日、警官がやってくる。徴兵検査を受けなかったからだ。彼は兵役を拒否し、逃げる。やがて、フランスでは学生運動と労働運動の気運が高まり、警官隊との衝突が起こる。デモ隊はクルマを燃やし、機動隊は催涙弾を発射する。

フランソワも仲間たちと学生デモに加わり、警官隊に追われる。そこここでクルマが炎上し、カルチェ・ラタンの敷石は剥がされ投石に使われる。催涙弾の直撃を受けた学生が大怪我をする。警官隊に追われて逃げる。

五月革命は政府を追い込むが、結局、挫折する。学生たちは「労働組合の妥協」をなじる。「結局、奴らは賃上げが目的だ」と。「革命」は成就しない。失われてしまったのだ。学生たちは「革命前夜」の昂揚を味わい、それだけに深い喪失感にとらわれる。

そんな中で、フランソワは美術学生のリリーと出逢う。ひと目で恋に墜ちたふたりはパリの街を歩き、抱き合い、愛し合う。恋愛の誕生である。だが、愛は永遠に続かない。革命と同じように、恋愛も失われる。「革命」を失った1968年、「愛」を失った1969年、フランソワの青春は終わる。

けっしてわかりやすい映画ではない。商業映画のような娯楽性は皆無といってもいい。しかし、このせつなさは何だ。かつて経験した何かが甦る。かつて僕が持っていた何かが、記憶の底から浮かび上がろうとする。この喪失感は何なんだ…と僕は胸かきむしられるような思いに突き動かされた。ノスタルジーではない。ノスタルジーとは…認めたくない。

「とうとう見付けたよ」というランボウの詩の一節が浮かんだ。「何を?」と問う声に「永遠…没陽とともに去った海のことだ」と答えたランボウ。そう、若者たちは「永遠」を求める。世界を変え、永遠の愛を得る。それが、若者たちの願いだった。それは、20歳の僕の望みでもあった…

「恋人たちの失われた革命」を見ていて、1968年の春、世界中で同じことが起こっていたのだと実感した。不思議なことだが、フランスの学生が決起し、日本の学生たちは校舎を占拠し大学の不正を糾弾し、ニューヨークのコロンビア大学では大学が国防省に関係していることを抗議して校舎を占拠した。

The Strawberry Statement [VHS] [Import]コロンビア大学の闘争は後に「いちご白書」として映画化され、ラストシーンで座り込みを警官隊にごぼう抜きにされ離ればなれになる恋人たちは、日本の若者たちの心を打った。数年後、荒井由実という女性シンガーは「いちご白書をもう一度」という曲を作り注目される。

そう言えば、「いちご白書」では占拠された校舎にチェ・ゲバラのポスターが貼ってあった。あの頃、世界中の若者がゲバラに憧れた。そのゲバラを描く映画「チェ」二部作が、現在、公開されている。もしかしたら、格差社会と言われる今、若者たちの階級闘争が再び蠢動し始めたのだろうか。

●僕がいきたかった「美しき五月のパリ」とは…

パリの学生街「カルチェ・ラタン」は「学生たちの反乱」を象徴する言葉になった。御茶ノ水駅近くには「ラテン区」という喫茶店があったが、文字通り神田はカルチェ・ラタンになったのだ。「革命前夜か」とまで政府を追い込んだ五月革命は、世界中の学生に「自分たちが団結すれば、世界を変えられる」という希望を与えたのだ。

1969年1月18日、東大安田講堂への機動隊による攻撃が始まったとき、東大闘争を支援するために御茶ノ水から神田にかけて数えきれぬヘルメット姿の学生が街路を占拠した。放水と催涙弾に攻撃された彼らは敷石を剥がし、投石で応戦した。その日は「神田カルチェ・ラタン」として歴史に残った。

そのとき、僕はテレビで東大安田砦の攻防を見ていた。数カ月前から誘われて出ていた「マルクス勉強会」はほとんど理解できなかったけれど、サーチライトで照らし出された安田講堂に向かって撃ち出される催涙弾や放水は、目に見えるものとして僕に何かを迫った。

テレビカメラの視点は機動隊側からのものだった。安田講堂からは学生たちの投石があり、火炎瓶が投げられる。それは、見ている者に向かって飛んできたが、そこにいる若者たちの思いを知りたいと僕は痛切に思った。「せっかく東大までいって、何、しょんかの」と母がつぶやき、父が黙ってうなずいた。

やがて、東大は入試の中止を発表し、「東大入学者二桁」を誇っていた僕の高校は大騒ぎになった。そんな中で、中学のときのバスケット部の一年先輩だったMさんは、騒ぎもせずに志望校を京大に変更し、難なく合格して京都へ向かった。

劣等生だった僕はMさんのようにも割り切れず、僕を大学生の勉強会に誘ったIのように突っ走ることもできなかった。Iは生徒会長に立候補して当選し、高校3年の5月の体育祭で全校生徒の前でアジテーション(その頃は造反演説と言われた)を行い、無期停学になった。

そんな頃、僕は一冊の小説を読んだ。「デラシネの旗」という小説だ。五木寛之の新刊だった。当時は、最もアクチュアルな作家だった。僕は「さらばモスクワ愚連隊」を読み、「蒼ざめた馬を見よ」「海を見ていたジョニー」「青年は荒野をめざす」を読んでいた。

「デラシネの旗」は、最後に五月革命のパリでデラシネ(根無し草、故郷や祖国を持たぬ人)の旗を掲げて行進する男女の物語だった。五月革命が何だったのか、僕はその小説を読んで理解した。もちろん、ロマンチックなものとして受け取ったのだ。革命は、いつの時代もロマンチックだった。

翌年、僕が大学進学に臨んでフランス文学科を選んだ要素のひとつに、そのことがあったのかもしれない。しかし、いつかパリに…、カルチェ・ラタンに…、そう思った日から40年という長い長い時間が過ぎ去ってしまった。今の僕のどこを探しても「ロマンチックな革命への思い」などありはしない。それは消え去ったのだ。失われてしまった。

近所の奥さんたちと一緒にパリに出かけ、「今、シャンゼリゼ」と電話をかけてきたカミサンとは違い、僕は一度もパリへいったことはない。僕にとってのパリは、もうどこにもないのかもしれない。それは映画の中にしか存在しないのだ。だから「恋人たちの失われた革命」の中には、僕がいきたかったパリ、そしてカルチェ・ラタンがあった。美しき五月のパリが…

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
会社でサーバの入れ替えに立ち会った。ラックタイプのサーバで非常に薄く、容量はものすごい。ハードディスクも小さくなってさらに「テラバイト」近くなっている。バックアップサーバは、もっと容量があるらしい。それが、こんな値段で…と驚いています。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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映画がなければ生きていけない 1999‐2002
十河 進
水曜社 2006-12-23
おすすめ平均 star
starちびちび、の愉悦!
star「ぼやき」という名の愛
star第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
starすばらしい本です。
starものすごい読み応え!!

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by G-Tools , 2009/01/23