映画と夜と音楽と…[410]幸せな気分になりたいときに見る映画/十河 進

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●アステアの優雅な踊りに浸れる「バンド・ワゴン」

バンド・ワゴン 特別版 [DVD]僕には「幸せな気分になりたいときに見る映画」が二本ある。一本は、以前にも書いたけれど「バンド・ワゴン」(1953年)だ。このコラムの通しタイトルは、そのミュージカルの中の一曲「あなたと夜と音楽と」から拝借しているくらい、ぼくはその映画が(もちろん曲も)大好きだ。

「バンド・ワゴン」は、第二次大戦前から活躍しているフレッド・アステアのイメージを逆手にとったミュージカルである。フレッド・アステアは、トニー・ハンターという盛りを過ぎたミュージカル・スターとして登場する。「昔、そんなスターがいたね」と言われる存在である。

おかしいのは相手役のシド・チャリシィに「あなたの映画を博物館で見たわ」と言われ、「ダンサーの化石トニー・ハンター」と自分で皮肉るシーンだ。博物館というのは、日本では京橋にある近代美術館の「フィルムセンター」のようなニュアンスだと思う。研究対象として「昔の映画」を見たと言われた感覚なのだろう。


「バンド・ワゴン」には「ザッツ・エンターテイメント」という挿入曲もあり、その曲名をタイトルにしたMGMミュージカルの名シーンばかりを集めた映画は、確かパート3まで作られたのではなかったかな。その映画には、年を重ねたフレッド・アステアも案内役で出ていた。

さて、僕のもう一本の「幸せな気分になりたいときに見る映画」もMGMミュージカルだ。フレッド・アステアは誰かが「重力がない世界で踊っているような優雅さ」と書いていたけれど、その映画の主演スターは「まるでスポーツをするように踊る」男である。力強くエネルギッシュで、体操選手のようなダンスを見せてくれる。

雨に唄えば 50周年記念版 [DVD]そう、それはジーン・ケリーという名前を持つミュージカル・スターである。もちろん作品は「雨に唄えば」(1952年)だ。あの土砂降りの雨の中で、水溜まりを蹴散らして踊る(びしょ濡れになったから、もうどうでもいいやとばかりに、まるでヤケになっているような踊り方だけど)印象的なシーンは多くの人が見ていると思う。

僕が初めてスクリーンでジーン・ケリーを見たのは「ロシュフォールの恋人たち」(1966年)だった。カトリーヌ・ドヌーヴとフランソワーズ・ドルレアックという姉妹を使い、ジャック・ドゥミ監督とミッシェル・ルグランが「シェルブールの雨傘」(1964年)に続いて作ったフランス製ミュージカルである。

ロシュフォールの恋人たち リマスター完全版「ロシュフォールの恋人たち」には「ウエスト・サイド物語」(1961年)で人気者になったジョージ・チャキリスとジーン・ケリーが出演していたのだが、最後で誰と誰がカップルになったのかさえ憶えていない。ジーン・ケリーは、すでに50代半ばになっており、盛りの時期を過ぎていた。

その後、僕は全盛期のジーン・ケリーの作品をいくつか見たのだが、妙に屈託のない笑顔になじめず(アステアにも最初はあのウラナリ顔になじめなかったけれど)、積極的に見たことはなかった。それでも、あの雨の中の踊りだけは何度も目にする機会があった。そして、ある日、僕は「雨に唄えば」を見た。

●ジーン・ケリーは権力に屈しない反骨の人だった

お気楽なハリウッドのミュージカル・スターというイメージのジーン・ケリーだったけれど、先日読んだ津野海太郎さんの「ジェローム・ロビンズが死んだ─ミュージカルと赤狩り」では、僕のまったく知らなかった一面を教えられた。ジーン・ケリーは、あの軽薄な(と見えてしまう)笑顔の裏に実に男らしい性格を持っていたらしい。

「硬骨漢」という言葉は好きだが、自分がそう呼ばれることはないと諦めている。人間は「ないものねだり」になりがちだから、僕も「孤高の人」とか「硬骨漢」などと呼ばれてみたいと思うものの「衆愚」とか「軟弱」といった言葉しか浮かばない。しかし、赤狩り時代におけるジーン・ケリーの行動は、硬骨漢と呼ぶに相応しい。権力に屈しない反骨の人だった。

錨を上げて [DVD]ジーン・ケリーは1912年の生まれで、ブロードウェイでミュージカル・スターとして名を挙げた後、30歳でハリウッドにいき映画デビューする。1899年生まれのフレッド・アステアは1930年代から活躍していたから、ひと世代下の若手ミュージカル・スターの誕生だった。「錨を上げて」(1945年)「踊る大紐育」(1949年)などで人気を獲得する。

さらに、50年代に入り「巴里のアメリカ人」(1951年)「雨に唄えば」(1952年)と大ヒット作が続いた。40歳、脂の乗り切った時期という言い方は月並みだが、その頃のジーン・ケリーの動きは見事と言うほかない。若い頃に比べると、エネルギッシュさはそのままに洗練された魅力が加わった。

そのジーン・ケリーの全盛期は、赤狩りの時代に重なる。津野さんの本は、ジェローム・ロビンズという彼が好きだった振付け師の死をきっかけにして、その赤狩りの時代を丹念に辿った労作だった。従来のハリウッドの赤狩りを扱った本と異なるのは「ミュージカルと赤狩り」という視点である。

王様と私 (製作50周年記念版) [DVD]「王様と私」(1951年)「ウエスト・サイド物語」「屋根の上のバイオリン弾き」など、多くのヒット・ミュージカルを手掛けたジェローム・ロビンズの政治的敗北(エリア・カザンのように彼は圧力に屈して仲間たちを売った)を追うとしたら当然のことだが、その中でジーン・ケリーの感動的なエピソードが記述されていた。

リベラルな信条を持つジーン・ケリーは、終始、赤狩りに対しては批判的だったらしいが、FBIは彼の身辺調査はしても手が出せなかったという。そんな中でハリウッドに赤狩りの嵐が吹き荒れ、ブラックリストに載った人は仕事を奪われた。アメリカを棄てた(あるいは追放された)映画人もいた。そのひとりが、後に「日曜はダメよ」(1960年)を撮るジュールス・ダッシン監督だ。

男の争い [DVD]ジュールス・ダッシンは、フランスで作ったフィルム・ノアール「男の争い」(1955年)でカンヌ映画祭監督賞を受賞する。そのとき、ハリウッドからきていた映画関係者は「赤」と名指しされたダッシンには誰も近寄らなかったが、ただひとりジーン・ケリーだけがダッシンに駆け寄り祝福した。ジュールス・ダッシンは「奴だけがガッツのある男だった」と語ったという。

その時期のジーン・ケリーは大スターで、誰も手が出せなかったのかもしれない。しかし、それはジーン・ケリーにとっては失うものが大きすぎるということでもある。それだけの人気と地位を持っていれば、誰でも守りに入る。しかし、彼は権力に媚びず、政府の非米活動委員会への召還も怖れず、ブラックリストに載った友人たちとも従来通りのつき合いをし、ときには援助した。

●アメリカ中が反共で凝り固まった中で生きること

赤狩りの時代を、僕は実際には知らない。だが、湾岸戦争が始まった頃のアメリカでは国民の戦争支持率が90パーセントを超えていたし、9・11同時多発テロ後のアメリカのヒステリックで異常な空気を考えれば、全国民が反共主義に凝り固まった時期のアメリカは充分に想像できる。禁酒法が成立するような、昔から極端に振れる国である。

そんなアメリカで聖書より部数が出たと言われるのが、ミッキー・スピレインの小説だった。昔、僕も何冊か読んだけれど、彼が創り出した暴力的私立探偵マイク・ハマーは、まさに赤狩りの時代に誕生した。そして、ハードボイルドの祖とリスペクトされるダシール・ハメットが非米活動委員会に召還されて証言を拒否し獄につながれた1951年、スピレインは「寂しい夜の出来事」という小説を出す。

9・11の後、ハリウッド映画やミステリ小説ではテロリストが悪役となった。それと同じように「寂しい夜の出来事」の敵役を担うのは、共産主義者たちである。「コミュニスト・イズ・ギャング」なのだ。マイク・ハマーは、トミーガンを乱射して共産主義者たちの悪だくみを壊滅させる。そんな小説を大衆は争って読みあさり、洗脳されていった。

ティファニーで朝食を (新潮文庫)トルーマン・カポーティの「ティファニーで朝食を」は1958年に出版されたが、主人公の小説家がかつて住んだアパートの隣人ホリー・ゴライトリーを回想する話である。時代は、赤狩りの時期と重なる。その小説の中でホリーは「あの嫌な赤」と口にする。それは、あの時代のアメリカ全体の空気だったのかもしれない。

そんな中でジーン・ケリーのように生きることは、きわめて困難だったにちがいない。彼は大衆の人気という実態のないものを惹き付け続けなければならなかったし、大スターという地位を始めとして守るべき多くのものがあったはずだ。それでも、それらを失うかもしれない危険を冒して自分の信念に従った。友情を重んじた。追放された友の栄冠を祝福した。

ジーン・ケリーがそんな男だったと知った僕は、数え切れないほど見た「雨に唄えば」をまた見たくなった。タイトルバックから黄色いレインコートの三人が傘をさして唄う。ジーン・ケリーとドナルド・オコナー、それにデビー・レイノルズ(レイア姫ことキャリー・フィッシャーのお母さん)である。

ドン(ジーン・ケリー)は、サイレント時代の映画スター。コズモ(ドナルド・オコナー)は、その親友のピアニストだ。ドンはリナというトップ女優とコンビを組まされているが、リナのワガママと性格の悪さにうんざりしている。おまけにリナはひどい悪声で、喋り方も耳障りだ。

ある日、ドンはキャシー(デビー・レイノルズ)という新人女優と知り合う。キャシーは相手が有名スターとは気付かず「俳優にとっては舞台が一番、サイレントでセリフも喋れない映画は何の意味もない」と言ってしまう。厳しいことを言われ、逆にキャシーが忘れられなくなったドンだが、そんな彼にトーキー映画出演のオファーがくる。

「バンド・ワゴン」も昔の人気スターが新作ミュージカルでカムバックする業界の話だったけれど、「雨に唄えば」もトーキー第一作「ジャズ・シンガー」が公開された1927年の映画業界を舞台にしたバックステージものなのである。「バンド・ワゴン」と同じように様々な劇中劇が演じられる。

トーキー作品に挑戦したドンとリナだが、録音技術がひどくて大失敗する。落ち込んだドンにキャシーは映画をミュージカル仕立てに作り直せば…というアイデアを出す。しかし、リナは悪声だし歌は苦手だ。そこで、キャシーが「この映画だけ吹き替えをする」と言い出す。

その後、雨の夜にキャシーを自宅まで送ったドンは初めてキスをし、その昂揚し幸福感に充ちた気分のまま雨の中に歩き出し、「シンギン・イン・ザ・レイン」と唄うシーンになる。傘を畳み、雨に濡れながら歩くドンは、次第にステップを踏んで踊り始め、タップの音が高らかに響く。

やがて通りの真ん中で水たまりを蹴散らし、派手な水しぶきをあげているドンの後ろに黒いレインコートを着た警官がやってきて睨み付ける。すごすごと傘を広げ去っていくドン。音楽が静かにフェードアウトする。そのシーンは4分ほどなのだが、ジーン・ケリーの芸の凄さを堪能するには充分だ。

ミュージカル仕立てにした映画は成功し、リナはキャシーをずっと自分の吹き替えとして使おうとする。しかし、ドンとコズモの活躍でキャシーはスターになり、新作のプレミアショーの夜、キャシーとドンは愛を確認する。ハリウッド黄金時代のハッピーエンド。もちろん、僕も幸せな気分になった。

そのうえ、今回はラストシーンでデビー・レイノルズとキスをするジーン・ケリーの顔が違ったものに見えた。人はどんな風に生きたかで価値が決まるのだと、今さらながらしみじみと身に沁みる。卑怯未練なことはするまい、と改めて己に言い聞かせた。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
ぐるりのこと。 [DVD]日本アカデミー賞。ひいきの木村多江さんが最優秀主演女優賞をとって大いに盛り上がりました。きれいだったなあ、この世のものとは思えないほど。着物姿で抜けるような肌に惚れ惚れ。影が薄く、はかなげで、不幸を背負った雰囲気がたまりません。「日本一死体役が似合う女優になりたい」と本人が言ってるってホント? 昔、「リング」の貞子役をやってました。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

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映画がなければ生きていけない 1999‐2002
十河 進
水曜社 2006-12-23
おすすめ平均 star
starちびちび、の愉悦!
star「ぼやき」という名の愛
star第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
starすばらしい本です。
starものすごい読み応え!!

映画がなければ生きていけない 2003‐2006 映画の見方がわかる本―『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇』まで (映画秘宝COLLECTION) 文体練習 ねにもつタイプ ジャンク・スタイル―世界にひとつの心地よい部屋 (コロナ・ブックス) (コロナ・ブックス)

by G-Tools , 2009/02/27