[2599] アカデミー賞の栄冠は死者に届くか

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<関わる人がみんな違う国っていうプロジェクト>

■映画と夜と音楽と…[411]
 アカデミー賞の栄冠は死者に届くか
 十河 進

■ところのほんとのところ[13]
 コミュニケーションって難しい!
 所 幸則

■展覧会案内
 夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史 II.中部・近畿・中国地方編
 やなぎみわ マイ・グランドマザーズ
 第37回社団法人日本広告写真家協会公募展 APAアワード2009展
 写真美術館で観る映画シリーズ VOL.45「ゼラチンシルバーLOVE」

■気になる情報・記事CLIP


■映画と夜と音楽と…[411]
アカデミー賞の栄冠は死者に届くか

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20090306140700.html >
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●死後に助演男優賞賞を受賞したヒース・レジャー

先日、アカデミー賞の授賞式を見ていたら、助演男優賞をバットマン映画「ダークナイト」(2008年)で敵役のジョーカーを演じたヒース・レジャーが受賞した。ヒース・レジャーは昨年の一月に死んでいるから、死後のノミネートだったし、そのため予想でも本命視されていた。

僕はヒース・レジャーという俳優を「ブロークバック・マウンテン」(2005年)で初めて知ったが、調べてみたら彼と認識せずに、その前の出演作も何本か見ていたのだ。「チョコレート」(2001年)「サハラに舞う羽根」(2002年)などである。どちらもいい映画だったけれど、ヒース・レジャーがどの役だったかもわからない。

「ブロークバック・マウンテン」は、ホモ・セクシャルをテーマにした印象的な映画だった。特にヒース・レジャーはよい役だったし、うまい役者だなあと感心したが、男同士のセックスシーンはウォン・カーウァイ監督「ブエノスアイレス」(1997年)並みにハードで、少しまいった。

「ブエノスアイレス」もそうだったけれど、男同士の愛を題材にするとスクリーンに妙な切なさが漂い始める。昔ほどの偏見はなくなったかもしれないが、今も同性愛がアブノーマルだと思われているからだろう。それは当人の中にもあって、そんな心理的障害が相手を強く求める気持ちとぶつかり合い、解決のつかない葛藤を生む。

「いけない、いけない」と理性で抑制しながら、感情は強く強く相手を求めている。要するに、恋愛感情が高まる状況である。障害があるから、抑えられた気持ちは燃え上がる。昔なら「夫ある身の道ならぬ恋」などがよく描かれたが、現在、不倫くらいでは心理的な障害にはならない。そこで、人が人を愛し求める切なさを、男同士の愛で描くことになる。

そう言えば「ブエノスアイレス」でトニー・レオン相手にハードなセックスシーンを演じたレスリー・チャンは、数年後に香港の高級ホテルの部屋から飛び降り自殺をした。そのニュースを聞いたときに、僕は沖雅也の自殺を思い出した。人気俳優のホテルでの飛び降りという共通性もあったが、ふたりとも私生活ではホモ・セクシャルだった。

ホモ・セクシャルを扱った映画はいろいろあるが、僕が男同士の切なさを最も感じたのは「真夜中のカーボーイ」(1969年)である。今やアンジェリーナ・ジョリーの父親といった方が早いジョン・ボイドの出世作であり、ダスティン・ホフマンの最高作と言ってもいいだろう。

あの映画のジョーとラッツォの関係をホモ・セクシャルと言っていいのかどうかはわからないが、男同士の友情という単純な結びつきだけではない気がする。フロリダ行きの長距離バスの中で死んでいくラッツォを看取るジョーの表情には、何とも言えない切なさがあった。

「真夜中のカーボーイ」の監督は、イギリス人のジョン・シュレシンジャーだった。ジュリー・クリスティ主演の「ダーリング」(1965年)や「遥か群衆を離れて」(1967年)で高い評価を得、ハリウッドに呼ばれてベストセラー小説の映画化を担当した。

その後、再びイギリスに戻り「日曜日は別れの時」(1973年)を作る。グレンダ・ジャクソン、ピーター・フィンチというイギリスの名優が出たが、映画史的には「初めて男同士の性的なキスを見せた作品」として記憶される。ピーター・フィンチ演じる医師は、若い男と同性愛の関係になり男同士で抱き合い、キスをした。

性格俳優として長いキャリアを持っていたピーター・フィンチという俳優は、その映画によって広く名を知られることになった。また、数年前、ジョン・シュレシンジャー自身がゲイであることをカミングアウトしていたため、その映画はそういう目で見られた。

●死後に主演男優賞を受賞したピーター・フィンチ

ティム・バートンが監督した「バットマン」(1989年)はとても好きな映画で、僕はLDまで買って何度も見た。そこでジョーカーを演じたのは、怪優ジャック・ニコルソンだった。ヒース・レジャーもニコルソンの演技を参考にしたに違いない。ジョーカーは狂気のキャラクターだから、観客の印象には残りやすい。得な役だった。

それに加えて、「ダークナイト」の完成前に死んでしまったことが、今回の授賞を促したのかもしれない。授賞式にはヒース・レジャーの父母と姉が出てきた。オスカー像は、まだ幼い愛娘が相続することになるらしい。「ブロークバック・マウンテン」の印象が強かったせいか、ヒース・レジャーに娘がいたことに僕は何となく違和感を感じた。役と私生活が入り交じったのだ。

死後にアカデミー賞を受賞したのは、ヒース・レジャーでふたりめになる。初めて死後にアカデミー主演男優賞を受賞したのは「ネットワーク」(1976年)のピーター・フィンチだった。しかし、ピーター・フィンチが死んだのは1977年1月14日、授賞式の三ヶ月前だった。もしかしたらノミネートの時点では生きていたのかもしれない。

ピーター・フィンチというと、僕はオードリー・ヘップバーンが主演した「尼僧物語」(1959年)を思い出す。僕がオードリー・ヘップバーンのファンになった中学生の頃、その映画をテレビ放映で見た。ひどく感動し、その後、完全版を見たくてどこかで上映されないかと気を付けていたのだが、オードリー映画としては地味なせいか、映画館で見ることはできなかった。

オードリーのフィルモグラフィの中でもリバイバル上映もされない地味な映画というイメージができたのは、彼女がほとんど頭巾をかぶった尼僧姿でしか出てこないこと、相手役がピーター・フィンチという要素が大きかった。ピーター・フィンチの名は、「趣味は映画です」と公言する映画ファンでも知っている人は少なかった。ピーター・フィンチは演技派の脇役俳優だった。

だが、「尼僧物語」の中でピーター・フィンチは強烈な印象を残す。それに、僕は「尼僧物語」はオードリー映画のベストスリーに挙げてもいいと思う。これは非常に個人的な嗜好だが、他の二本は「いつも二人で」(1967年)「暗くなるまで待って」(1967年)である。ただし、「ローマの休日」(1953年)と「麗しのサブリナ」(1954年)を別格にしての話だけれど…。

「尼僧物語」は、オードリーが演じたヒロインたちの中でも最も彼女の実人生に近かったのではないか、とオードリーの伝記を読んで思ったことがある。オードリー・ヘップバーンはベルギーに生まれ、第二次大戦中はオランダで反ナチのレジスタンスに参加していた。アンネ・フランクが家族と屋根裏に隠れ住んでいた頃だ。女優になる以前のオードリーの人生を、僕は彼女の死後に様々な本で知った。

●ピーター・フィンチはオードリーの印象的な相手役だった

「尼僧物語」は第二次世界大戦前のベルギーから物語が始まる。医者の娘であるオードリーが父親に連れられてある家にやってくる。その家の広間には何人もの若い娘がいて、彼女と同じように家族との別れを惜しんでいる。彼女も父親から「決心は変わらないんだね」と念を押される。

彼女らは家族と別れ、扉の向こうへ入っていく。そこは修道女たちの修行の場所だ。髪を切り、修道女見習いの身体を覆い尽くす服に着替え、お喋りを禁じられる。俗世との完全な訣別を促される。そこからは修道女になるためのプロセスが描かれる。修道女になるまでが大変なのだと「尼僧物語」で僕は知った。修行の日々が丁寧に細密に描かれていく。

やがて、正式な修道女になるときがやってくる。修道女はイエス・キリストを夫として神に仕えることを誓う身である。そのことを誓う儀式があり、正式な戴冠(というのかどうかわからないが)があり、修道女の衣服を身につける。修行中もそうだったが、オードリーはずっと頭巾をかぶり顔だけしか出していない。

彼女は、シスター・ルークという名前になる。シスター・ルークの夢はアフリカでの医療活動に従事することだった。だが、最初に配置されたのはベルギーの精神病院である。気持ちの優しいシスター・ルークは患者に感情移入しすぎるきらいがあり、トラブルに巻き込まれたりするが、そこでの働きぶりを認められて希望していたコンゴの病院へ派遣される。

そのコンゴの病院の優秀で型破りな外科医フォチュナティ(一体、どこの国の人?)をピーター・フィンチが演じている。彼は無神論者で、看護士として優秀なシスター・ルークを高く評価するが「自分の思い通りの生き方ができない尼僧などやめてしまえ」と彼女を挑発する。

シスター・ルークが尼僧になるには、あまりにも感情がありすぎることを彼は見抜いているのだ。彼女は、反発しながらもフォチュナティに淡い好意を抱く。しかし、やがて自分が結核に冒されていることに気付く。そのシスター・ルークを献身的に看病し、回復させたのはフォチュナティだった。

「尼僧物語」でのオードリーの相手役はピーター・フィンチに違いないが、彼の出番はそう多くない。尼僧であるオードリーが心を乱す相手ではあるけれど、シスター・ルークがコンゴからベルギーに戻るときに駅でひそかに見送る姿が最後になる。しかし、「尼僧物語」一本で僕の中にピーター・フィンチという名前は刻み込まれた。

「尼僧物語」から18年がたち、ピーター・フィンチは61歳で初めてアカデミー主演男優賞にノミネートされた。だが、「ネットワーク」にはウィリアム・ホールデン、フェイ・ダナウェイという格上のスターが出ており、単独主演とはいいがたい映画だった。しかも、ノミネートされていた中には「タクシー・ドライバー」のロバート・デ・ニーロもいた。

授賞式の三ヶ月前、ピーター・フィンチは映画の宣伝でテレビ局へいくために待ち合わせをしていた「ネットワーク」の監督シドニー・ルメットの目の前で、突然、倒れた。ホテルのロビーだった。「まるで『ネットワーク』の彼が死ぬシーンが再現されたみたいだった」とルメットは語った(川本三郎「スタンド・アローン」)。

主演男優賞のオスカー像は、彼の代理として登壇した27歳年下の未亡人に渡された。彼女はピーター・フィンチが周囲の猛反対を振り切って結婚したジャマイカ生まれの黒人で、「会場は"黒い女性"の出現に一瞬静まったが、すぐに事情を知って彼女を拍手で迎えた」と、川本三郎さんは「スタンド・アローン」のピーター・フィンチの項を締めくくっている。

「尼僧物語」でコンゴ・ロケにいったとき、ピーター・フィンチは誰よりも現地の人たちと仲良くなった。「撮影に使われた部落の長はピーター・フィンチが撮影を終えてコンゴを去るとき『あなただけは私たちを未開人と軽蔑しなかった』と、彼の乗った飛行機を最後まで見送った」という。そんなエピソードを知ると、また、改めて「尼僧物語」を見たくなる。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
花粉症が目にくると、ひどいときは目を開けていられなくなる。予防のためにアマゾンで花粉防止メガネを検索して購入したら、サングラスタイプだった。大きなマスクをして、そのサングラスをかけると怪しい男が出来上がるけれど、先日から、そのスタイルで通勤している。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

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■ところのほんとのところ[13]
コミュニケーションって難しい!

所 幸則
< http://bn.dgcr.com/archives/20090306140600.html >
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コミュニケーションって難しい! 同じ日本人同士でもそうなんだから、日本人と、フランス人と、オランダ人と、アメリカ人がまざったらもう大変。

前々回で書いた、エマニエル君との話のあとのことでR(「EYEMAZING」のライターとしてインタビューに来た彼の話。詳しくは「ところのほんとのところ11」を読んでね)。
< http://bn.dgcr.com/archives/20090206140100.html >

けっこう昔の事を聞かれたのが気になっていたが、それはまあ仕方がないかなと諦めていたところであった。しかし、原稿がなかなか送られてこなかったのでちょっとあせり始めたのでR!

だって、電子辞書片手のインタビューだったしー(^^;) 誤解されて書かれていたら困るからと、ところは「誤解があるといけないから一応チェックさせてね!」と頼んだ。彼も了承したから安心していたのでR

しかし、途中で送ったメールで、彼にちょっと違和感が生じたらしい。ところは、なにかコミュニケーション不足な気がしていたから、情報として補足メールを送っていたのだけれど、それが彼にとっては強制的に載せろと言ってるように感じたらしい。

彼から来たメールは、「誤解を指摘してもらうのはとてもうれしい事です。ただ、記事は当事者のチェックなしに雑誌に掲載されるべきものなので、今回は特別なんです。あなたが書いてほしい事を書くものではないので、その点ご了承を願えれば原稿を送ります」といった内容のものだった。

それを読んで、彼のいい分はとても立派で、ジャーナリストとしてのプライドと自信に溢れていると好感を持った。日本の雑誌も基本的にはそういうスタイルだし、個展の告知とか、そういう場合は尊重してくれるけど、彼は日本でこういう仕事をしていてなにか強制された事があるんだろうか? という疑問も出てきたところであった。

しかし、その後なかなか原稿が送られてこないので、ちょっとイライラしてきた。ところがあせったのにも理由があって、ネイティブの英語の友人二人にチェックを頼んでいたのだった。彼女たちも忙しい人で、しかもそのうちの一人はアート全般に非常に強いので、とても頼もしい。その彼女たちを待たせていたりするので、ちょっと申し訳なかったりするのでR。

そろそろやばいなーと思ってたときに、原稿がメールで届いた! 二人に送り、返信を待つ。一人から要約した翻訳が届く。とっても面白そうだ。だけど、急ぎの仕事が入ったようなので、これが限度らしい。

そしてもう一人から電話が鳴る。「こんな事言った? トコロさん? 細かい表現で女性の死とか、出産とか書いてあるけど」いや、それは妖精が産卵すると消えていくみたいな話はしたけど、誤解だね〜。

「いくつか誤解があるみたいだけど、文章は良くできてるわよ。日本語訳と、修正した英文送るわね!」ほんと、ものの一時間であがってくる。さっすがー。今度またうまいもん食いにいこうね!

日本語訳を読んだけど、こんな素敵なインタビュー文章は初めてだ。とってもおもしろい。途中お茶が出てきたときの事まで、おもしろいストーリーになってる。小説みたいだ。

勝手に転載するわけにはいけないから載せられないですけど。発売後、許可がとれたら日本語訳のせますね。多分ぼくのmixiのコミュに。

所 幸則 〜幻想記憶館〜
< http://mixi.jp/view_community.pl?id=497437 >
どんな本かはここから見てね。
< http://eyemazing.dev.ticts.nl/ >

感激して、すぐに彼の携帯に電話したよ! ありがとう、とってもおもしろい!って。ところは、そういうのすぐじゃないと我慢できないんでR。こういうことで失敗もするところだったりもするが。

さて、原稿も読んだので、今度は編集長にどういう形で原稿を渡すか、メールでコミュニケーションをとり始める。最終的に、プリントアウトしたもの7枚と、データ7点。それと、デアドルフ8×10でネガプリントしたプリント1枚、これは銀塩プリントそのものを原稿にしてもらうため。

そして、相手のFedExナンバーを使って着払いで送る手続に入る。コマーシャルインボイスという、通関手続きの書類の制作に入ったとき、送るものの値段を適当でもいいから書かなきゃいけないらしいという事が判明。

万が一何かあったときに保証される金額でもあるし、だけどあまり高くても低くても税関で怪しまれて留まってしまう可能性が高いらしいので、8枚で8万とか書いとこうって思い、編集長にメールを出した。関税から請求が若干行く可能性もあるからだったんだけど、相手が8万円の請求書がくると勘違いしたらしく面倒なことに! これで特集が消えたら困るよー(そんなことないだろうけど)。

「英語がそんなに得意じゃなさそうよ。もう一度もっと簡単に書いてみるわね」そういえば、パリで僕の友人の画家としゃべってたときはフランス語だったなー。関わる人がみんな違う国っていうプロジェクト、本当に大変だ。今度のメールではわかってもらえたみたいで無事終了! ホントのところ、かなり疲れたところでした。

ちなみに、3月12日発売の「フォトグラファーズ・ファイル2009」(玄光社)に載ってるので見てくださいね。
次回は、HPパワーアップ&DP-2β機使用感などの予定、お楽しみに。

【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則
< http://tokoroyukinori.seesaa.net/ >
所幸則公式サイト
< http://tokoroyukinori.com/ >

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■展覧会案内
夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史 II.中部・近畿・中国地方編
< http://www.syabi.com/details/yoake.html >
< http://bn.dgcr.com/archives/20090306140500.html >
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会期:3月7日(土)〜5月10日(日)10:00〜18:00 木・金は20時 月休(休館日が祝日・振替休日の場合はその翌日)
会場:東京都写真美術館(東京都目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイスTEL.03-3280-0099)
料金:一般500円、学生400円、中高生・65歳以上250円
内容:日本全国の美術館、博物館、資料館等の公開施設を持った機関が所蔵する幕末〜明治中期の写真・資料を調査し、体系化する初めてのシリーズ展「夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史」の第二弾。第一弾の関東編に引き続き、現存する貴重なオリジナルの写真作品や多くの東京未公開作品を展覧する。中部・関西・中国地方の施設約2,000箇所へアンケート調査を行い、これに基づき学芸員が現地調査を敢行。写された像だけではなく、装丁や記されている文字など「物」として楽しめる初期写真史の逸品を一堂に紹介する。
◇担当学芸員によるフロアレクチャー
会期中の毎月第2・第4金曜日16:00より。当日有効の展覧会チケットを持つ人は、だれでも参加できる。

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■展覧会案内
やなぎみわ マイ・グランドマザーズ
< http://www.syabi.com/details/yanagi.html >
< http://bn.dgcr.com/archives/20090306140400.html >
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会期:3月7日(土)〜5月10日(日)10:00〜18:00 木・金は20時 月休(休館日が祝日・振替休日の場合はその翌日)
会場:東京都写真美術館
料金:一般800円、学生700円、中高生・65歳以上600円
内容:2000年に初発表し、国内外で高い評価を得た「My Grandmothers」シリーズより、新作を含んだ約30点を一挙公開。若い女性が思い描く50年後の自分の姿を作り上げ撮影した作品の数々には、作家と被写体が対話を繰り返し、想像した将来の姿についてのテキストを付している。
◇対談 やなぎみわ×石内都(写真家)
日時:3月7日(土)15:00〜17:00
定員:70名
参加費:500円
会場:東京都写真美術館1階アトリエ
受付:当日10時より1階受付にて整理番号付き入場券を販売。
開場:14時30分より、番号順入場。自由席。
◇担当学芸員によるフロアレクチャー
会期中の毎月第2・第4金曜日14:00より。当日有効の展覧会チケットを持つ人は、だれでもご参加できる。

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■展覧会案内
第37回社団法人日本広告写真家協会公募展 APAアワード2009展
< http://www.syabi.com/details/apa2009.html >
< http://bn.dgcr.com/archives/20090306140300.html >
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会期:3月7日(土)〜3月22日(日)10:00〜18:00 木・金は20時 月休(休館日が祝日・振替休日の場合はその翌日)
会場:東京都写真美術館
料金:一般500円、学生(高校生以上)・65歳以上300円

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■展覧会案内
写真美術館で観る映画シリーズ VOL.45 操上和美「ゼラチンシルバーLOVE」
< http://www.syabi.com/details/mo_love.html >
< http://bn.dgcr.com/archives/20090306140200.html >
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会期:3月7日(土)〜
休映日:毎週月曜日(月曜が祝日・振替休日の場合はその翌日休)
会場:東京都写真美術館1階ホール
上映時間:11:00/13:00/15:00/17:00/19:00
料金(当日券):一般1,800円、学生1,500円、小・中・シニア・障害者手帳をお持ちの方1,000円

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■気になる情報・記事CLIP マイコミ・ジャーナル
< http://bn.dgcr.com/archives/20090306140100.html >
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●広告批評のファイナルイベント「クリエイティブ・シンポシオン2009」開催
< http://journal.mycom.co.jp/news/2009/02/27/047/index.html >
●印刷表現に挑戦する実験企画『GRAPHIC TRIAL 2009』を開催
< http://journal.mycom.co.jp/news/2009/03/04/012/index.html >
●DRAFTの魅力に迫る-「DRAFT展 ブランディングとアートディレクター」
< http://journal.mycom.co.jp/news/2009/03/05/058/index.html >
●最高賞金は総額約12,000 US$ - コーレル、デジタルアートコンテスト開催
< http://journal.mycom.co.jp/news/2009/03/05/076/index.html >
●1日限りのアートの祭典「GEISAI#12」 -東京ビッグサイトで3月8日開催
< http://journal.mycom.co.jp/news/2009/03/03/044/index.html >
●グラフィックとECOが触れ合う瞬間-「ECOを伝えるグラフィックデザイン展」
< http://journal.mycom.co.jp/news/2009/02/23/002/index.html >

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■編集後記(3/6)

一刀斎忠臣蔵異聞 (文春文庫)・忠臣蔵関係の本を立て続けに読んだ。忠臣蔵は、わたしの好きなテーマのひとつである。映画や芝居でおなじみ忠臣蔵ストーリーもおもしろいが、実際にあった事件で史料も少なからずあるというのに謎が多く、その解釈はいろいろあるというミステリーが一番好きなのである。五味康祐の短編「一刀斎忠臣蔵異聞」では、忠臣蔵の意義をシンプルに描いていた。内匠頭は勅使接待役なのに刃傷事件を起こし、勅使つまり皇室に対して不敬罪を犯したかどで、将軍綱吉から切腹を命じられた。忠臣蔵とは、その国事犯の家来が徒党を組んで吉良邸に討入った、じっさい筋の通らない話である。それなのに、武士道の鑑として称賛される不条理はなぜ成立したのか? 綱吉の朝廷への畏崇の念は深かった。幕府の最高者たる将軍家がそうであってはイデオロギー的に矛盾している。「吉良上野介は高家─つまり幕府にあっては勤皇精神を代表すべき存在で、吉良を増長させることは取りも直さず、幕府政体へのアンチテーゼたる勤皇精神を瀰漫させることになる。かんたんに言えば吉良は勤皇人綱吉の側であり、内匠頭はイデーにおいて佐幕派たる武士階級一般の側にあった。元禄という武家政体の危機の時代に、極言すれば吉良邸討入りで佐幕派は勤皇派を制し得たのである。これが、義士の討入りが、武士道の鑑と称揚される思想的背景である。」なるほどねえ、赤穂義挙により武士階級は息をふきかえしたのか。カタカナ用語には抵抗あるが納得できる説明だ。背景はわかったが、知りたいことは他にいくつもある。それは別の本を読んで答えを得よう。(柴田)
アマゾンで「一刀斎忠臣蔵異聞」を見る
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167335093/dgcrcom-22/ >

・睡眠不足が続く。時間が読めない仕事なんだよなぁ。夜中になると非現実的なぼやきが出る。「みんなもういいかげん古いIEは捨てようよ。ここまで対応する必要はあるわけ?」とか、「いらんやん、こんな機能」とか。そういうものをすべて前提にして仕事にかかっているはずなのにね。やっぱり夜中に仕事をするのは精神的に良くないわぁ。朝だとこんなぼやきにならないもん。CSSやJavascriptの文字を睨んで、バグ対応策を練ったり、他のスクリプトとあたっている箇所を探したり、別の解決策がないか悩んだり。あ、あとお腹が空いているのもダメよね。自分でお腹が空いていると思っていなくても、脳に栄養が足りなくなると良い知恵は浮かばない。座っているだけってのも良くなくて、限界だと諦めてベッドに入った途端に良いアイデアが浮かんで、飛び起き、作業にかかったり。乗り越えられた時は、本当にほっとする。そして、仕事があって良かったなぁ、また勉強になったなぁとも思う。バグがあるから仕事になるんだよね。そのうち誰にでもできるようになったら、仕事にならないよね、とお昼に書いてみる。(hammer.mule)