私症説[02]あらすじ映画『善悪のお彼岸』
── 永吉克之 ──

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このところ、若手の映画作家の間で注目されている「あらすじ映画」とは、あらすじを完成作品と見なす映画のことである。あらすじまでは書いたものの、なんだかやる気がなくなって映像化するのをやめてしまった、その遺物としてのあらすじではない。あらすじを書くことが最終目的なのである。したがって完成した映画は、文章の形をとるが、一定のルールはなく、いわゆる箱書きのような図式的なスタイルから、ほとんど脚本といってもいいようなスタイルまでさまざまである。

たとえば劇作家にとって脚本は、それ自体で独立した作品であって、上演されようがされまいが、その価値に変わりはないと考えられる。また、作曲も同じで、楽譜そのものが、実際の演奏とはかかわりなく作品価値をもつと考えられる。たしかに、ヘタな役者や演奏家のせいで、脚本や曲そのものまでが駄作にされては、作者もたまらないだろう。

しかし、同様の発想をあらすじにあてはめるのは難しい。なぜなら、脚本や楽譜とちがい、あらすじは「粗筋」というだけあって、作品の設計図とはなり得ないからである。そんな曖昧なポジションにあるだけに、あらすじ映画が今後どう展開していくのか予想がつかないが、すでに多くの優れた映画が生まれているのは事実である。



そのなかで私が注目した一作が、伊呉隆史(いごたかふみ)監督の『善悪のお彼岸』である。監督はまだ25歳ながら、すでに8本ものあらすじ映画を撮っている。本作は最新作で、あらすじ映画専門誌「Alas!」での上映を終えたばかり。斬新な映像で、人間の実存に迫る作品を撮り続けている。

以下は映画のあらすじであるが、あらすじ自体が作品であり、著作権の保護下にあるため、原文に一切、手を加えないことを条件に、一部を上映する許諾を得た。

■あらすじ映画『善悪のお彼岸』/2009年/16mmカラー/1時間14分
【スタッフ】
監督:伊呉隆史/あらすじ:伊呉隆史/あらすじ清書:伊呉かなえ

【キャスト】
永吉克之[求職中の中年男性]……宮崎あおい
鹿海洋平[パチンコ店の店長]……長澤まさみ
洪 建明[謎の中国人]……………相武紗季
玄武博士[イヌからアヒルを作る研究をしている科学者]…新垣結衣
セルゲイ "ヒットマン" ヴォルゾフ[ロシアの格闘家]……蒼井優
ネブカドネザル2世[新バビロニアの国王] …………………堀北真希

【あらすじ】
49歳のときに正職を失って以来4年間、臨時雇いや、mixiで知り合った知人から回してもらった仕事などで、細々と生きてきた永吉だったが、前年のリーマンブラザーズの経営破綻を発端とした世界的経済危機のあおりで、ただでさえ難しかった中高年の就業がいちだんと厳しさを増し、彼も人生最大の苦境に立たされていた。

すでに20か所で採用を断られ、仕事を探す気力まで失っていた。かといって、このまま即身仏になるわけにもいかず、21枚目の履歴書を書きながら「いったい何回、同じこと書かせりゃ気が済むんだ、おい」と虚空に向かって憤懣を漏らした瞬間、永吉はある思想に目覚めた。それは「どうしても仕事の見つからない中高年は、生活を守るために履歴書に虚偽の記載をし、面接で虚偽の返答をする権利がある」という一種の超人思想だった。

これまでは道徳観から、面接では何でも正直に答えていた。健康状態を尋ねられれば、腰が悪いことや目が悪いことや顔が悪いことなどを明かした。しかしそんな不利なことまで正直に言うのは、わざわざ自分の商品価値を落とす愚行にすぎない。就職面接とは存亡を賭けた駆け引きなのだ。能のない鷹は、虚偽のツメを誇示しなければならない。弱者が強者を縛るために作られた道徳を超克することができなければ、このまま川下へと流されて、澱みのなかで腐っていくしかない。

毎週月曜は仕事情報誌「大阪しごとマガジン city aidem」(無料)の発行日だった。駅前のフリーペーパーのスタンドにそれが並ぶや、永吉が手に取って開くと、すぐにパチンコ店の求人が目に止まった。「オープンにつき、ホールスタッフ急募!」。パチンコといえば、18歳になった時の通過儀礼として一回やったことがあるだけで、スロットとの違いも分らない。しかしそんなものは超克しなければならない。なにしろ時給1300円・交通費別途支給・制服貸与・皆勤手当あり・委細面談という破格の待遇なのだから、超克しない奴はバカだと腹を決めて、電話で面接のアポを取った。

そして永吉は履歴の偽装に着手した。まず、最大の障壁になっていた年齢を引き下げた。53歳のところを24歳と書いた。また経験者優遇とあったので、職歴には、高校を卒業してからすぐに「パラダイスホールOSAKA」という、いかにもな名前のパチンコ店に入社し、6年間勤めたことにしておいた。

最近は、店の雰囲気を明るくするため、女性を優先的に雇用している店が多いと聞いて、性別は女、名前はイザベラと書き、顔写真はネットで見つけた、誰だか知らないがハーフっぽい妙齢の美女の画像を使った。また住んでいる所も勤務地に近い方が有利と考えて、そのパチンコ店と同じ住所にしておいた。

面接の当日。永吉は自信を持って履歴書を差し出した。店長は、その顔写真に魅入られて「ほう!」と感嘆の声を上げると、採用を即決した。ちょうど店側も若い女性を入れたいと思っていたところだったと言う。しかもこれだけの美女なら客を呼べるし、それに同じ住所に住んでいれば、交通費も要らないし遅刻することもない。おまけにこの業界でのキャリアは申し分ない。願ってもない人材だと言う。

イザベラが働き始めて一年ほど経った。常連客も彼女を「ベラちゃん」と呼ぶほどの看板娘なっていた。客の多くは、イザベラが目当てで店に足を運んでいた。中には、店に来るたびにプレゼントをする客もいた。遊郭でもあるまいに、身請けを申し出る客までいた。ストーカーまがいの行動をする客もいたが、他の客たちが袋だたきにしてくれた。

そんな恵まれた職場にいたイザベラだったが、いつしか良心の痛みを感じるようになっていた。皆に愛されていると感じるほど良心が痛んだ。履歴を偽装したまま働き続けることに耐えられなくなっていたのだ。もう何もかも暴露してしまいたい。あの履歴はでっち上げだ、ほんとうは俺は50男なんだと、あらいざらいぶちまけたかった。それで自分はどうなってもいい。しかし店にまで累が及ぶのは間違いない。へたをすると店を潰すことにもなりかねない。

このジレンマを一気に解決するために、イザベラは悩んだ末に思い切った手段に出たのだった。ある出勤日の朝、彼女は虫メガネと発泡スチロールを持って現れ、店長に言った。「私は、ゆ

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上映が許諾されているのは、ここまでであるが、主人公の実存的苦悩が余すところなく伝わってくる。曖昧な情報に踊らされて、真実の人間の姿を見ることができないでいる、われわれ人間の愚かさの寓意であろうか。

【ながよしかつゆき】katz@mvc.biglobe.ne.jp
・無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz
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ここでのテキストは、わがブログに、ほぼ同時掲載しています。


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