[2613] 己の覚悟に殉じる人たちがいる

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<あえて損な選択をする、そういう人が好きだなあ>

■映画と夜と音楽と…[413]
 己の覚悟に殉じる人たちがいる
 十河 進

■ところのほんとのところ[14]
 Webサイトのパワーアップ&リニューアル/シグマDP-2(β版)
 所 幸則

■イベント案内
 六本木アートナイト


■映画と夜と音楽と…[413]
己の覚悟に殉じる人たちがいる

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20090327140300.html >
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●「面白すぎる日記たち」に登場する様々な日記

8年近く前に出た新書だが、以前から気になっていた鴨下信一さんの「面白すぎる日記たち」(文春新書)を読んだ。鴨下さんはTBSのディレクターで、山田太一さんと組んで「岸辺のアルバム」や「ふぞろいの林檎たち」を作った人である。この本を出した当時は、TBSの重役になっていた。今は、どうしているのだろう。

さて、「面白すぎる日記たち」は確かに面白くて「へえ」と感心することしきりだったのだが、いろいろと意外なことも教えられた。喜劇人・古川ロッパや小津安二郎監督の日記の面白さは噂には聞いていたが、引用されている部分だけでも興味深くて全部を読みたくなった。

意外なことが多かったのは、「戦いのさなかで」という一章をさいて紹介されている兵士や将軍たちの日記だった。率直な厭戦気分を書いている兵士もいるし、「戦場なら後ろから撃ち殺してやる」と古参兵への怨みを記述している兵士もいた。

「先の大戦中、日本語教育を受けたアメリカ側の情報部員の大きな業務に、戦場に遺棄された日本軍の戦死者のポケットから集められた日記を読む仕事があった」と鴨下さんは書いている。情報分析のための仕事だが、アメリカ側は日本兵の多くが手帖を持ち日記をつけているのに驚いたらしい。

日本人は日記の好きな民族だという。古来から「土佐日記」「十六夜日記」などがあり、日本人には日記というスタイルが合っているのかもしれない。最近のブログの隆盛を見ると、その説に納得する。ブログは公開日記だが、昔から刊行されてきた日記の中にも公開を想定して書かれたものは多い。

歴史を研究する人にとっては、日記は重要な資料になる。「面白すぎる日記たち」にも昭和天皇の侍従を長年勤めた入江相政日記、戦後の東京裁判で資料として提出された木戸幸一日記などが紹介されている。そんな資料的価値を持つ記録のひとつとして、宇垣纏海軍中将の日記があるという。

陸軍大将や朝鮮総督を歴任した宇垣一成の従兄弟だという宇垣纏は、太平洋戦争が始まったときには海軍中将だった。その日記はハワイ・マレー沖海戦のときから書き始められる。山本嘉次郎監督が1942年に監督し円谷英二の特撮で有名な戦意昂揚映画「ハワイ・マレー沖海戦」で描かれた戦いだ。

僕が驚いたのは、その宇垣中将が日本の敗戦を知りながら、8月15日午後4時すぎに大分飛行場から特攻機に搭乗して飛び立ったことだ。宇垣は5機に出撃の準備をさせたが、飛行場には11機が準備されていた。701空派遣隊は全員が宇垣長官に従って南の空に消えた。それが日本の最後の特攻機だったという。

──八月十五日 水曜日/外国放送は帝国の無条件降伏と正午陛下の直接放送あるを報じたり。(中略)彗星特攻五機に至急準備を命じ、本職直率の下沖縄艦船に特攻突入を決す。正午君が代に続いて天皇陛下御自ら御放送被遊。(中略)一六〇〇幕僚集合、別盃を待ちあり。之にて本戦藻録の頁を閉づ。

「戦藻録」と題された日記は、そう閉じられている。宇垣中将は出撃直前まで日記をつけていたのだ。彼は、なぜ敗戦を知った後、特攻機で出撃したのだろうか。彼につき従った部下たちは、どんな想いを抱いていたのだろうか。

●特攻隊に感激し右翼少年になりかかった15の春

僕が高校生の頃に、特攻隊ブームのようなものがあった。いや、予科練ブームというべきだろうか。海軍飛行予備学生の会が編纂した「あゝ同期の桜 かえらざる青春の手記」という本がベストセラーになり、それを元に一話完結のシリーズドラマ「あゝ同期の桜」がテレビ放映された。そのドラマが大きな評判を呼び、やがて東映が映画化した。

テレビシリーズは毎回、配役が変わったが当時の若手人気スターたちが出演した。予科練から特攻を志願する主人公、主人公に淡い恋心を抱く幼なじみの少女、そして母親…。主人公は自分の死を覚悟し「愛する人のために僕は死ぬ」などと言い聞かせて出撃し、少女と母親は涙ながらに見送る。

毎回、そんなシーンがあった気がするが、一種のパターン化された記憶かもしれない。もしくは、小学生の頃に愛読していた「少年マガジン」連載のちばてつや作「紫電改のタカ」の記憶があるからかもしれない。主人公は、幼なじみの少女と母親に見送られ特攻機で出撃するのである。

「あゝ同期の桜」では「同期の桜」がよく歌われた。「貴様と俺とは同期の桜。同じ航空隊の庭に咲く」という西条八十作詞の軍歌である。予科練には「若鷲の歌」もある。「若い血潮の予科練の七つボタンは桜に錨」という詞は、同じく西条八十が書いた。作曲は古関裕而。戦後、多くのヒット曲を放つ彼らの作った歌は、ヒロイズムに陶酔できる甘美なメロディとフレーズを持っていた。

高校一年生になったばかりの15歳の僕は、そのドラマを毎回欠かさずに見ては、僕とそう歳の違わなかった若者たちが国のために、愛する人々のために死にいく姿に涙した。彼らのヒロイズムが心地よかった。そこには反戦ドラマとしての要素はなかった。送り手は意識していたのかもしれないが、自己陶酔とヒロイズムしか僕には伝わらなかったのだ。

僕はよりヒロイズムに浸れることを期待して、映画化された「あゝ同期の桜」を見にいった。驚いたことに、学校でその映画の割引券が配られたのだ。ということは、「文部省推薦」に認定されたか、教育委員会などの推薦があったのだろう。僕は、高校に入って再会した小学生のときに好きだった女の子を誘い、期待に胸を膨らませて映画館に入った。

「あゝ同期の桜」の公開は1967年6月3日。戦後22年である。戦争はまだ遠い記憶にはなっていなかったが、戦無派の僕には遙かな歴史の中の出来事だった。しかし、今なら僕にもわかる。僕が未だに1970年前後の出来事をオンリィ・イエスタディと感じるのと同じように、戦争を経験した世代にとっては「ほんの昨日のこと」という感覚だったろう。

特攻隊員たちが生きていれば、当時は40歳前後だ。実際、「あゝ同期の桜」には特攻隊の生き残りだという鶴田浩二が出ていた。若き特攻隊員を演じたのは松方弘樹や千葉真一たち東映若手オールスターだったが、それはテレビドラマで主人公を演じた若手俳優たちよりやや年上の配役だった。僕が映画版に妙な違和感を覚えた第一の要素は、それだったのかもしれない。

テレビドラマ版は制作費の関係だろうが大がかりな戦闘シーンを描けず、ほとんどが主人公の出撃シーンで終わっていたため、彼らの青春ドラマとして見ていられた。だが、映画版はテレビドラマとの差をつけるために、大がかりな戦闘シーンを見せた。そこでは、実際に特攻機が敵艦めがけて突っ込むのである。彼らの現実の死を見せたのだ。

後に知るのだが、中島貞夫監督はこの会社からのお仕着せ企画を何とか自分の納得いくものにしようとした。特攻機が敵の戦艦に突撃する直前にストップモーションにし、「この瞬間、彼らはまだ生きていた」というテロップを入れた。それは明確なメッセージだ。特攻隊員たちの美化は、戦争美化につながる。中島監督は、それを拒否したかったのかもしれない。だから、僕は映画版に陶酔できず、ヒロイズムに浸ることも許されなかった。

しかし、その映画で僕は何かを学んだ。若き特攻隊員をヒロイズムだけで描き、祖国の英雄と賛美し、愛する者たちを守った軍神であり、靖国神社に英霊として眠っているのだという、生きている者にとって心地よく都合のよい自己欺瞞的な考えに陥らずにすんだのである。映画版「あゝ同期の桜」を見なかったら、僕は単純な右翼少年になっていたかもしれない。

ベトナム戦争が激化の一途を辿っていた時期である。焼身自殺するベトナムの僧、ベトコンを射殺するアメリカ兵、戦火に追われて逃げまどう裸のベトナム少女…、そんな写真も「貴様と俺とは同期の桜」と歌いながら幼いヒロイズムに浸る僕を打ち砕いた。僕は、若者たちの命を爆弾と等価にしてしまう戦争の不条理さを感じるほどには成長したのだった。

●死を覚悟して生きるからこそストイックに美しく見える

毎年、8月になると様々な戦争ドラマが放映される。それらは「反戦」という免罪符を掲げて、ときにヒロイズムをうたいあげることがある。昨年の夏も僕は一本のドラマを見た。特攻隊員の世話をした女学生たちのドラマだった。特攻隊の出撃を一本の桜の枝を振って見送るもんぺ姿の女学生、現実に残っているその一枚の写真を元にしたドキュメント・ドラマだった。

確かにそれは、感動的な番組だった。しかし、若手の人気俳優たちが演じる特攻隊員たちのドラマになると、どこかにヒロイズムが紛れ込む。死を覚悟した彼らの凛々しさや潔さを描く場面が、ある種の郷愁を感じさせ「昔の青年は立派だった」というような単純な感傷を呼び覚ます。「君たちのために敵を倒す」という彼らの言葉に震えるような感動さえ覚える。

それは、戦争の記憶がまだ生々しかった1953年に制作された家城巳代治監督の「雲流るる果てに」も同じである。その映画で特攻隊員を演じている俳優たちは全員が戦争経験者であり、主要人物のひとりを演じた鶴田浩二はわずか8年前には特攻隊として出撃する可能性があったのだ。それにもかかわらず、特攻隊員の美化からは逃れられなかった。

「雲流るる果てに」も学徒航空兵たちの手記を集めて出版されたベストセラーの映画化だった。だからだろうか、様々なタイプの特攻隊員が登場し、そのひとりひとりに生々しいリアリティがある。雨が降れば出撃はないからと雨を祈る隊員もいれば、てるてる坊主を吊す隊員もいる。学究肌の隊員もいれば、酒ばかり呑んでいる奴もいる。

だが、出撃前の彼らの日常、民間人との交流、訊ねてきた家族との再会、そこに描かれるものは今も作られる特攻隊映画とあまり変わらない。当たり前のことかもしれないが、「ホタル」(2001年)「紙屋悦子の青春」(2006年)という最近の映画も同じものを描いている。

もちろん、人間が消耗品として死んでいく虚しさが「雲流るる果てに」の全編を覆っている。しかし、彼らは死を覚悟した人間であるからこそ美しく見える。それは、ある種のヒロイズムかもしれない。だから「今の若者たちは何だ。特攻で死んでいった青年たちを見ろ」という老人の勘違いが「俺は、君のためにこそ死ににいく」(2007年)という映画になる。製作総指揮・脚本は、権力を持つ勘違い老人代表・石原慎太郎だった。

しかし、正直に言うと、僕は死を覚悟した人間だからこそ美しく見えるその姿が好きだ。「雲流るる果てに」に家族と面会できる日の早朝に出撃を命じられた鶴田浩二が、湧き起こる未練を断ち切るように慟哭しながら「至誠にもとるなかりしか、言行に恥ずるなかりしか、気力に欠くるなかりしか、努力にうらみなかりしか…」と叱咤するシーンがある。その鶴田浩二の姿に僕は滂沱の涙を流す。彼の心根に共振し、ストイックな美しさに胸ふさがれる。

そんな僕だから8月15日の宇垣纏中将の日記に興奮し、彼と共に出撃した部下たちの想いに共感するのだけど、敗戦を知った後でなぜ死ににいかなければならなかったのか、と問いかけたい気持ちも湧く。だが、僕は敗戦を知ってもなお、特攻隊として出撃した人間だから宇垣纏という人物に興味を持ったのだ。どうも昔から、そういう人間が僕は好きらしい。

そう言えば「あえて損な選択をする、そういう人が好きだなあ」と、以前はよく言っていた。己の覚悟に、あるいは自分が考える美しさというものに殉じることができる人間でありたい、そう願いながら…。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
久しぶりに午前4時に帰宅。そのまま寝て、翌日はさすがに定時には出られず、出社は11時近くになった。昼間は平気だったのだが、夕方になって眠くなったり、少しぼんやりし始めた。歳をとると、ダメージが出てくるのも遅くなるようです。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

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■ところのほんとのところ[14]
Webサイトのパワーアップ&リニューアル/シグマDP-2(β版)

所 幸則
< http://bn.dgcr.com/archives/20090327140200.html >
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いよいよWebサイトをパワーアップ&リニューアルしなければ、という状況にある。特にランドスケープのほうでは、僕の「渋谷1sec」は情報量が半端なく多いのだが、モニターで大きく表示できるようにしたいと思う。もちろん、見る人のモニターに合わせて、それができるようにしたいところです。

それと、ランドスケープだってこれからは渋谷にとどまることもないだろうし、いろんな1secが出てきていて、ヌードやポートレートもあるので、今のデザインでは対応しきれなくなっており、拡張性のある仕様を考えなければどうにもならないところまできている、ところのWebサイトなのだ。

そうはいっても僕のWebサイト三代目は、インフォガレージの池田さんの好意で作ってもらってることもあるし、インフォガレージの朴君の技術力アップに応じて、という約束もあるので、対応してもらえそうな範囲内で考えなければならない。

そこで、Webサイトの知識のある友人と相談してから提案することにした。彼の意見では、トップのぼくのTマークはやはりアーティスト所幸則のイメージがよく出ているし、スマートだと評判がいいと思うのだけれども、メインメニューの文字中心になるとちょっと甘さが見える。グレードは落とさずに、もっとシンプルに作品にいけるような構造を考えてみたほうがいいのではないか、という指摘だった。

さっそく、インフォガレージにお邪魔してリニューアルの相談をした。かなり思ったようにやってもらえることになりそうだ。モニターに合わせて、シンプルになおかつ大きく見られるようになる。技術的にも可能だそうだ。たぶん、4月半ばには、作品の量もかなり増えて公開できそうなので、お楽しみに!

5月に発売のフォトアートマガジン「EYEMAZING」に特集されているので、なんとか間に合わせなければ。ヨーロッパやアメリカで読まれるので、ところのWebサイトを見に来る人が増えそうじゃないすか! ほんとのところあせりまくるところなのである。
EYEMAZING < http://eyemazing.dev.ticts.nl/ >

さて、先日、シグマDP-2というコンパクトデジタルカメラのβ版を使う機会があった。簡単なレポートと、小さなテストショットは、今発売中の「キャパ」に載ってますから見てね。

普段こういう話はこないし、カメラの機能やレンズがどうのとか、色収差がどうとか、テクニカルレポート的なことはやった事がないのだが、今回はほんとのところぜひ触ってみたかった、使ってみたかった。だから喜んでやらせていただいた。

DP-1は久々に手にした、ちゃんとしたカメラだと思う。ただ、反応の遅など気にならないではない。いや、僕が撮ってる「渋谷1sec」シリーズでは問題ないのだが。オートブラケット機能をつかって1カット3枚の映像を撮影できるDP-1は、一度シャッターを押すと20秒ちかくはほとんどフリーズ状態である。DP-2では、画像処理エンジン「TRUE II」が、かなり高速になったらしい。ところは自分で使ってみて、それを確かめたかったのだ。

渡されたDP-2は、DP-1と見分けがつかないぐらいそっくりだった。握った感触もほとんどかわらない。微妙に厚みがましてるかな? ってかんじるぐらいだが、ほんとに微妙で違和感はない。

話を聞くと、そのDP-2はβにも達してないというものらしかった。たまに画面が出なくなったり、エラーが起きたりする。しかし、びっくりするくらい早いのだ。普通にサクサク撮れるじゃあないか〜、DP-1ではありえないような感じだ(失礼!)オートフォーカスも早くなってるようだし、これなら普通にポートレートも撮れそうだ。

オートブラケット機能を使って、3枚撮影できるように設定してみた。なんと、5〜6秒で次にいけるのだ。これはちょっといい気分だ、いや、相当いい気分、20秒と5〜6秒はえらく違うなあ、発売が楽しみである。

と、同時にレンズが28mm相当のDP-1sとか出せないものかな。DP-2は40mm相当のレンズだ。早く早く〜という気持ちが抑えられない。ユーザーというのはこういうものなのだなあ。だって、2台持って撮り分けてると絶対スピードの差が気になるじゃないかあ〜。DP-1sとDP-2があれば、大抵のものが撮れるなあって思うのだ。シグマさん、出してくださーい。

今回はヌード撮影もしてみたところでR。どういう仕上がりになるかはWebサイトのパワーアップ&リニューアルを待って下さいね!

【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則
< http://tokoroyukinori.seesaa.net/ >
所幸則公式サイト
< http://tokoroyukinori.com/ >

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■イベント案内
六本木アートナイト
< http://www.roppongiartnight.com/ >
< http://bn.dgcr.com/archives/20090327140100.html >
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「出会い」をテーマに様々なアートが集結する、一夜限りのアートイベントが六本木の街で開催される。周辺の飲食店なども終夜営業を実施する。

日時:3月28日(土)10:00〜3月29日(日)18:00
コアタイム 3月28日(土)日没17:59〜29日(日)日の出5:32

会場:
国立新美術館
< http://www.roppongiartnight.com/ngalerie/index.html >
六本木ヒルズ
< http://www.roppongiartnight.com/roppongihills/index.html >
アートキューブ
< http://www.roppongiartnight.com/roppongihills/index.html >
ヤノベケンジ「ジャイアント・トらやんの大冒険」
< http://www.roppongiartnight.com/rdocument/index.html >
平野治朗「《GINZA》@六本木」
< http://www.roppongiartnight.com/ctscenery/ginga.html >
東京ミッドタウン
< http://www.roppongiartnight.com/midtown/index.html >
サントリー美術館
< http://www.roppongiartnight.com/suntory/index.html >
そのほか、六本木エリア・周辺の一部公共スペースおよび協力施設

入場料:無料(一部プログラムは有料)
会場一覧、参加施設・ギャラリー、地図
< http://roppongiartnight.com/facilities/index.html >

問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)

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■編集後記(3/27)

東天の獅子〈第1巻〉天の巻・嘉納流柔術・柔道の表舞台・講道館から「嘉納」という大看板が消えた。ちょうどそのとき、夢枕獏「東天の獅子」(双葉社、2008)天の巻・嘉納流柔術全4巻に取組んでいた。まさに嘉納治五郎と講道館の話を読んでいるときのことで、何とも言えぬ感慨を覚えた。作者によれば、本来は明治時代の柔道家・前田光世について書くつもりで、柔道創成期のことを書き始めたらおもしろくてどんどん長くなってしまい、ついには4巻本になってしまったとのこと。4巻の終りでようやく少年時代の前田が出て来たが、それはじつに連載11年目、2000枚余りを書いてからだった。本格的に前田の柔道が描かれるのは、まだ文章になっていない地の巻だ。この天の巻では、嘉納、保科四郎、横山作次郎、中村半助、武田総角、そのほかものすごい武術家が奇跡のようにこの時期に多く現れ、存分に闘うさまが描かれる。いやはや、熱い、痛い、おもしろい、読み始めたらやめられない。この格闘シーンは夢枕でしか描けない。彼は世界で一番多くの格闘シーンを文字で書いた人間なのだ。「後に、柔道や柔術が世界に広まって競技化していく過程を眺めると、明治という時代に嘉納治五郎という存在が柔道という新時代の武道を創始したということは、人類史的な事件であったと言ってもいい。」と作者は言い、嘉納が理念をもって柔道という体系を作り上げていくさまをていねいに描いており、じつに興味深い。作中に実在の人物、団体が登場する。各種資料を参考にしているが、解釈は作者独自によるもので、作品はフィクションである。虚実いりまじりが一番おもしろい。それにしても、現在のJUDOはつまらない。美しくない。嘉納が見たら絶対こう言う。「これはわたしの柔道ではない」じつは、生前、その頃の柔道を見て嘉納はそう発言したそうである。夢枕よ、早く地の巻にとりかかってくれ。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4575236373/dgcrcom-22/ >
アマゾンで見る(レビュー4件)

・大阪新歌舞伎座が6月末で終了し、上本町に移転される。さよなら公演の上川隆也主演「その男」が気になっていたものの、そのままにしていたらお誘いメールが。ラッキー! この公演、キャストが気になる人たちばかりで面白そうなの。作曲は上妻宏光さんだし。で、見られるとわかったので、稽古場ブログなるものを覗いたら、小林十市さんが! でもきっと踊りはないんだろな…。時代劇だし。(hammer.mule)
< http://www.shinkabukiza.co.jp/perf_info/performance/200905.html >
5月公演。6月・大トリは杉様なんだって
< http://www.geigeki.jp/event_200904_m_hall.html >
東京芸術劇場は4月
< http://www.juichi-kobayashi.com/diary/index.php >
跳んで跳んで跳んで
< http://www.dgcr.com/present/list.html > プレゼント受付中