ショート・ストーリーのKUNI[57]レーズンパン/やましたくにこ

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それは街のあちこちに桜の花びらが舞う春の日。私がふとバス停のベンチでふうっとため息をつくと、まるでため息に含まれている意味をすっかり読み取ったかのごとく、隣にすわっていたおばあさんが話しかけてきた。

「男運が悪いことくらいでそんなにめげるこたあねえが」
私はびっくりしておばあさんの顔を見た。
「え、そうでしょうか」
「んだ。たいていの女はわかってねえんだ。かんたんなことがな」
私はむっとした。こんなおばあさんに何がわかるというのだろう。
「男を釣ることくらいかんたんなものはねえべ。あんなもなあ、ザリガニやセミをつかまえるよりかんたんだべ」
「そうかしら」
「男はみんなレーズンパンが好きだで、わたしゃきらしたことがねえ。あれさえあればいっくらでもひっかかる」
「まさか」
「疑ってどうすんだ。こうみえてもわたしゃ男に不自由したことがねえでな。よかったら、うちにいっぺん来てみるか。うまいレーズンパンをごちそうすべえ」



そこで私はなんとなくおばあさんについて行った。
おばあさんは小柄な身体を地味な洋服に包んだ、どこにでもいるような冴えないおばあさんなのだが、家は予想を裏切って瀟洒な洋館風の建物で、その庭にもけだるそうに桜の花びらが舞っていた。

おばあさんは居間のテーブルに紅茶の用意を整えると、その中心にレーズンパンが載った皿を置いた。どうということはないレーズン入りの食パンだ。厚みは8枚切りくらい。

「ほんとに、こんなもので男が釣れるんですか」
「ああ、いくらでも」
そういうとおばあさんは遠い目になり、そればかりかおばあさんを中心とする半径1メートルの範囲はぼかしフィルタのかかった、いかにも遠い別世界になった。と思うと、すぐに元に戻った。

「ああ失礼。レーズンにまつわる男たちの思い出を反芻してたもんでな」
「あ、そうですか」
「んだ。ああ、ほんとに、あの男も、この男も、レーズンパンを食べてるときはみーんな、無邪気でかわええもんだべ」
「はあ」
「レーズンは、このくらいたくさん入ってるほうがええ」
「はい」
「んで、これを焼いて、軽くバターを塗って」
「はい」
おばあさんはむしゃむしゃとレーズンパンのトーストを食べ始めた。私もいっしょに食べる。
「ああ、んめえ」
「ええ、おいしいですね」

テレビではニュースが始まった。
「今日、○○駅前のデパートで大規模火災が発生しました。逃げまどう人々で現場はパニック状態、女性客が一人上層階に取り残され、あわやの事態となりました。しかし、突如現れた男性がこの女性を救いました。まるで映画『スパイダーマン』の一場面を見るようでした!」

画面ではその男性と救出された女性がにっこり笑っていた。男性はマスクをつけ、アメコミのヒーローのようなマント姿だった。りっぱな体格はコスチュームを通してでもわかった。

「へーっ、そんなことがあるんだー。かっこいいー!」
私は思わず大きな声で叫んでいた。おばあさんはにこにこして画面を見ていた。それからすぐ、表のドアがばたんと開いた。居間に入ってきたのはたったいま、画面でにっこり笑っていた男だった。コスチュームもそのままだ。

あっけにとられていると男はせかせかとテーブルに歩み寄り、よく磨いた金属のような声で
「ふー、疲れた。ただいま、マリー」
そういうとおばあさんにキスをした。マリー? このおばあさんが?!
「ご苦労じゃったの。ほれ、レーズンパンだべ」
「ああ、ぼくのために用意してくれてたんだね! うれしいなあ!」
男はハンサムな顔を喜びでくしゃくしゃにすると、レーズンパントーストにかぶりついた。

むしゃむしゃと夢中で食べ、それからふとおばあさんの前の皿を見て
「マリー、だめじゃないか! いつも言ってるだろ、レーズンパンのレーズンをほじくって捨てるのはもったいないって!」
「だってね、わたしゃレーズンはそれほど好きでないんだよ。レーズンパンは好きだけど、このレーズンパンはレーズンがたっぷりすぎて。レーズンパンはレーズンをほじくっても、そのあとの穴のまわりに甘みと香りがほんのり残ってるべ。それだけで、わたしは十分満足なんだから」
「ああ、困った子だねえ、マリーは! なんてわがままなんだ! わかったよ。いつものように、君が食べ残したレーズンはぼくが食べてあげる。ぼくとマリーはレーズンパンのレーズンとパンのように、ふたりで一人前なんだからな!」

そういって男はおばあさんの皿から、おばあさんが食パンからほじくり出したレーズンをひとつずつつまんではおいしそうに食べ始めた。おばあさんは、それを見て楽しそうにほほえんだ。

私はぼうぜんとしながらも、おばあさんがおみやげにくれたレーズンのたっぷり入った食パンをしっかりバッグに入れ、アパートに戻った。

その夜、私は半信半疑でレーズン入り食パンをトーストし、軽くバターを塗った。部屋はたちまちおいしそうなにおいでいっぱいになった。
しばらくすると、ドアをノックする音がした。

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