私症説[03]そういう傾向をもった脳
── 永吉克之 ──

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霊体験のない人は生涯に一度も体験しないが、ある人は何度も体験するらしい。それが、霊体験とはそういう傾向をもった脳が見せる幻影だとする根拠を脳科学者たちに与えることになる。実を言うと私も霊体験と言えるものがあるのだ。しかし20代のころに一度あるだけ。だから「そういう傾向をもった脳」をもっているとは考えにくい。それに、あまりにもリアルで、あれが幻影なら、私の人生は全て幻影だったと言わなくてはならない。



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まだ30歳前だった。東京に住んでいる頃で、当時なら、名前を聞けばたいていの若い人は、ああ、あの学校ねと、すぐ思いついて自然と微笑んでしまうほど有名な専門学校で美術の講師をしていた。

生徒のほとんどは高校を出てからすぐに入学してくるのだが、M子は4年制大学を出て、しばらく百貨店でOLを経験してから、25歳で入って来た。受講態度から言葉遣いから身のこなしまで、まだ子供の生臭さを漂わせている他の生徒とは明らかに違っているので、私はかねてからM子に関心をもっていた。

しかし、それだけに教室を支配する年齢層が作り出す雰囲気に、彼女はなかなか溶け込めず、孤立しがちで、休憩時間になって生徒たちが談笑している間も、休んでいる時間が惜しいかのように、今習ったところのおさらいを黙々としているような生徒であった。

当時は個人情報が、現在のように厳しく管理されることがなく、私のような非常勤講師でも、生徒の親の職業まで簡単に知ることができた。だから彼女と私の年齢が近いことや、同じ保谷市(現在の西東京市)の住人であること、趣味も似ていることなど、共通部分が多いことを知って、個人的に話をしてみたいと思っていたら、ある日の授業の中休み、他の生徒たちがみな休憩室に行ってしまった後、教室に彼女とふたりきりになったことがあった。

彼女の周辺のことをいろいろ知っているのを不審に思われてもいけないと思い、ふたりっきりで黙り込んでいるのもアレだから、というような口調で「どこに住んでるの?」と聞いてみた。当然「保谷です」と答える。「え、保谷? へえ、僕も保谷。で保谷のどの辺?」としらじらしく驚いて見せたのをきっかけに、彼女は積極的に自分のことを話し始めた。

寡黙だと思っていたM子だったが、本性は話し好きだった。世代の違う他の生徒たちの話題について行けなかったのだ。それに仕事で接客を経験しているだけに、会話の受け答えにもそつがなく、むしろ彼女の方が私に関心をもっているかのような態度で話すのだった。

私は彼女の容貌には関心がなかった。実際、容貌は並か、並以下かもしれない。しかし自分が受け持っているクラスの生徒というのは、一部のふざけたサル以外はだいたい可愛いもので、学ぶことに熱心で、慕ってくる生徒は特に可愛い。しかもそれが女性だったりすると、教え子としての可愛さと異性としての愛おしさの境界があいまいになってくることがあるのだ。

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秘密裏の交際が始まって一年近く経った。M子は両親と住んでいたので、こちらから電話をするのは難しかった。だから逢う約束をするには彼女からの電話を待つか、週に一度、私の授業のある日にこっそりメモを交わすしかなかったのだ。ケータイなんて便利なものがない時代だった。

ある日、私のアパートでのことだった。M子と諍いになることは、めったになかったのだが、その日は激しい口論になった。自分の行動に私がいちいち干渉するのが厭だと彼女が言ったのがきっかけだった。二〜三日連絡をしないと、何をしていたのかと問い詰められる、映画を観に行った話をすると、どうして僕に黙って観に行ったのか、誰かと一緒だったのかなどと執拗に聞かれる。それが厭だと言う。口論がエスカレートして、彼女は別れると言い出した。誕生日にプレゼントしたネックレスをはずして私に投げつけると、待ってくれと懇願するのも聞かず、部屋を出て行こうとしたのでM子は死んだ。

彼女は顔面を紫色に鬱血させて、仰向けでベッドに横たわっていた。私は、半開きになった彼女のまぶたを閉じてやり、突き出している舌を押し戻して口を閉じてやった。むくんだ顔が見るに耐えなかったので、頭を反対側へ転がして顔を向こうの壁に向けさせた。

私は、M子との口論の一部始終を思い出しながら何時間も坐り込んでいた。ときどき彼女の胸に耳を当てて、心臓が動き出していないか確かめた。しかし瞳孔を確かめる気にはならなかった。恐怖と苦しみにのたうち回っている間の彼女の、あの狂った眼つきが頭から離れなかったからだ。しかし体が硬直し始めたのを見て、やっとその死を受け入れられるようになった。そして私は現実的にものごとを考え始めた。つまり、横たわっている遺体をどうするかということである。

もう零時近くになっていた。私は、部屋の灯りを消し、開いた窓によりかかって、遠くの、街灯に浮かび上がっている人気のない通りを眺めながら考えていた。25歳とはいえ、娘の帰宅の遅いのは両親としても気がかりだろう。それに葬儀屋の手配もある。早く家族に連絡をしてやらなければならないのは分っていたが、それはできなかった。彼女が死んだのが私の部屋だったからだ。学校の方針で、講師と生徒の個人的な交際は禁止されていた。ましてや女子生徒と恋愛をしたとなると、免職処分は間違いのないところだ。

そうならないためには、遺体を処分して、彼女が失踪したことにするしかない。とはいっても私には車がなかった。怪しまれずに遺体を捨てに行くには、どうしても車が要る。ならば、やはり解体して数回に分けて川にでも捨てるか、トイレに流すか、あるいは食べてしまうか以外に方法はなかった。私は、まったくとんでもないものを背負い込んでしまったものだと絶望的な気分に陥っていた。バラバラ殺人と呼ばれる事件の犯人たちも、やはりこんな追いつめられた気分になったのだろうか。

しかたない、解体しようと言ってベッドの方を振り返ると、M子がこちらに顔を向けて、私をじっと見つめているのが月明かりのなかに見えた。今にも泣きそうな眼だった。

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死後硬直までしていた屍体が、何の外的な力も加えられず、自律的に動いたのだ。これは事実である。脳が見せる幻影などでは決してない。人類がみな潜在的にもっている、予備の回路とでもいうべきものが起動して、M子を動かしたのである。

映画『ターミネーター2』で、シュワルツェネッガー演じるところのT-800というアンドロイドが、それよりも高性能のT-1000にとどめを刺されて、いったんは機能を停止するが、予備の回路が起動して蘇生し、T-1000を打ち破る。それと同じ現象がM子に起こったのだ。ただ、私を打ち破るほどのエネルギーではなかったというだけの違いだ。

自分が解体されようとしているのを察知した彼女の予備回路が、防衛のために泣き顔を作り、私の良心に訴えようとしたのかもしれない。解体している最中もその表情は変らなかった。切り刻まれながら訴え続けていた。今にして思えば哀れではある。

【ながよしかつゆき】katz@mvc.biglobe.ne.jp
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ここでのテキストは、私のブログにも、ほぼ同時掲載しています。