わが逃走[42]ガンプラブームを思い出す 〜祝・ガンダム30周年&オレ独立10周年の巻
── 齋藤 浩 ──

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のっけからディープなタイトルでスミマセン。「わが逃走」ももうすぐ連載3年目。ちなみに今年はオレがフリーのデザイナーとして独立して10周年。さらに、全く関係ないけどガンダム生誕30周年なのだそうです……って言われてみればそうか。あの当時オレは10歳。で、今年はシジューだってさ、わはは。我ながらおかしーや。

で、早速当時を思い出してみる。スーパーカー、宇宙戦艦ヤマト、ピンクレディー、ブルートレイン、スター・ウォーズ、そして銀河鉄道999。小学生の興味の対象はものすごいスピードで変化していく訳だが、そんな折、死んだはずのヤマトの乗組員達が都合良く生き返って、何食わぬ顔で新たなる敵と戦いはじめたのだ。

どうも、そのあたりがきっかけとなってオトナの腹黒さを感じるようになったんじゃないか。世の小学生(=オレ)は次第に流行りモノに魅力を感じなくなっていき、なにか夢中になれるものに飢えてきたのだ。


ちょうどそんなときに、常識を覆すとんでもないアニメの放送が始まった。これこそ日本が世界に誇る文化、芸術、テクノロジーの原点(と言っても過言ではない)「機動戦士ガンダム」である。

ガンダムという作品がどれくらいスゴイかってことは、いろんなところで語られているので今日はそんなに書きません。ストーリーはもちろん革新的だったし、キャラクターもその人物がまるで実在するかのような血の通いっぷり。

で、オレ的に最もスゲーと思うポイントは、その“世界観”だ。全長18メートルもの巨大ロボットが格闘する“ありえねえ”世界を、もっともらしく言いくるめちゃう“設定”の数々。少しでもオタク(当時はまだそんな呼び名はなかったが)の素質をもった奴は、そのホントらしいウソにシビレたのだ。ナマイキな小学生達は口々にこう言ったのだ。「ガンダムってリアルだよね」。

そういったウソの根回しが、巨大ロボット(知ってるだろうけど、劇中ではモビルスーツと呼称)=子供のものという偏見、呪縛から解き放ってくれたおかげで、ホントはロボ好きなのに大きな声で言えなかった少年達〜小学校高学年から大学生まで〜を、大手を振って世間を歩けるようにまでしてくれたのである。ビバ“設定”!!!

で、あれから30年。幸か不幸か、背広着たサラリーマンが会社帰りにガンダム談義しながら赤提灯で一杯やる、なんて風景が日常になっちゃった。まさか日本の21世紀がこんなことになるなんて、誰が想像し得たであろうか。ガンダムビジネスはいまやン兆円産業とまでいわれているしなあ。

オレら世代が後期高齢者になる頃には、「ガンダム墓石」や「ガンダム骨壺」なんてものまで売り出されるんじゃないか。戒名や院号はもう古い! 死んだらガンダムの世界で戦死したってことでオフィシャル設定に記録される権利とか、生前に自分が所属する軍、部隊を決めておいて、死んだら2階級特進するオプションとかを、坊主と組んで売り出したりしてな。ホントにそうなりそうでコワイ。あ、でもそうなったらオレはジオン軍のパイロットがいいです。骨壺はいい音色の北宋のものを希望。

さて、ここからガンプラの話です。ちなみに、ガンプラとはガンダムのプラモデルのこと。

ブームってものは送り手によって仕組まれたものも多いけど、歴史に残るブームは受け手のパワーによるものが多い。オレが知る限り、ガンプラも後者だ。リアルな世界にリアルな兵器を見せつけられてしまうと、その世界を自分のものにしたくなってしまうのがマニアの人情。

鉄道好きが、自分で車両を所有できないことへの埋め合わせ手段として、写真を撮ったり模型を作ったりしてしまうように、ガンダムに影響を受けまくってしまったオタク(という呼び名はまだなかったが)たちからは、その世界をミニチュアとして自分のものにしたい! という欲求が高まっていったのであった。だが、当時の立体物といえば、似ても似つかない合金おもちゃくらいで、“リアル”の洗礼を受け手しまったオタクたちにしてみれば、まったく満足のいくものではなかったのだ。

そんなオタクたちの声が天に届いたのか、なんと放送終了後だっていうのに、出たんですよ、ガンダムのプラモデルが。発売当時はまだ普通に買うことができたのだが、次第に雑誌等がそれらをとりあげはじめ、某アニメ雑誌で特集が組まれた頃から急激に人気商品となり、某模型雑誌がガンダムの別冊を発売する頃には超人気商品と化し、それを読んだ小学5年生のオレが欲しくなった頃にはすでにガンダムプラモ(その頃はまだガンプラという呼び名はなかった)は超品薄状態に突入していたのだった。

ほんと、今じゃ考えられないでしょうけど、まったくと言っていいほど手に入らなかったんですよ、ガンダムプラモ。どっかの模型店に入荷したとウワサをきけば、チャリンコ飛ばして駆けつけるも売り切れ……の繰り返し。

そんな訳で、当時の小学生〜中学生男子が血眼になって自転車で町を徘徊していたのは、ガンダムプラモを探していたのだ。とは言い過ぎかもしれないが、でも当時の空気としては、そんな感じだった。友達のなかには入荷するかもわからない店の前に朝5時から並んだ強者もいた。まあ、そんなことする奴がいたせいか、PTAがガンダム禁止例を出した、なんて噂も飛び交った。

いつの世もそうだけど、新しい文化が起こると必ずその親世代は、それらを理解できないゆえ悪ととらえ、禁止するんだよなー。テレビにしても漫画にしても、ガンプラにしても、ファミコンにしても。テレビや漫画があるからコンテンツビジネスという活気が生まれ、ファミコンを経験したからこそ、気構えなくネット生活に馴染めたんだと思うのだが。

そういえば私の高校の担任は、息子にファミコン禁止令を出していたため、息子は友達との話題についていけずクラスで孤立したという噂を聞いた。まあ、飛びつく方も禁止する方も、極端なのはいかんよね。ちょっと話がずれたかな。

で、運命の出会いだ。ある日、祖父の家の帰りに立ち寄った池袋西武に、なんと、あったのですよ。超品薄状態のガンダムのプラモデル!! といってもいわゆるモビルスーツではなく、艦船モノだったのだが。

でもそんなことはどうでもいい。とにかく実物が売ってる、そして今それを買うだけの金もある!(ちなみに300円)。それだけで腰が抜けそうな喜びを感じた。見るとレジ脇に積んであった箱が、次から次へと売れていく。慌ててオレも並ぶ。そして、ついに憧れのガンダムプラモ「シャア専用ムサイ艦」を手に入れたのだった。あの時の感動は忘れられないなあ、300円。

早速作った。そんなにパーツ数も多くなく、30分くらいで組めたと思う。窓部分を「蛍光オレンジ」で、台座を鉄道模型用の「赤2号」で塗装したと記憶している。いままで平面だけの世界だったガンダムのメカが、いま立体となってここに!!

同じ模型でも「世の中に実在するものが縮小された」ではなく、「実在しないものが、いかにも実在するかのように立体化された」なのである。これってガンダムの世界観そのものじゃないか。

といった具合に、従来の模型とはまったく異なる次元の、ガンプラという存在にオレはスゲー感動し、いつまでも片目をつぶって下から見上げつつ、それがいちばんカッコよく見える角度を探していたのだった。

てなところで今週はこのへんにしときます。次回は「ついに入手! ガンダムとグフの巻」とかいう、ますますどうでもいい話になりそうですね。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。