[2628] 酔っぱらいたちの最後の自尊心

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<アートとして。あるいはジョークとして>

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■映画と夜と音楽と…[416]
酔っぱらいたちの最後の自尊心

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20090417140200.html
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●アル中の保安官助手が登場する「リオ・ブラボー」

今年も熱海で行われた日本冒険小説協会の全国大会に参加してきた。大賞は樋口明雄さんの「約束の地」とトム・ロブ・スミスの「チャイルド44」である。「チャイルド44」は、すでに映画化が決定していてリドリー・スコットが監督するらしいので、今から期待している。映像に凝るリドリー・スコットのことだから、サイコキラーが見る不思議な視界はどんな風になるのだろうと楽しみだ。

「約束の地」は大変に気持ちのよい小説で、自然描写、動物の一人称描写、巨大な怪物のような獣に襲われる恐怖など、どれも印象的だ。久しぶりに正当派冒険小説(動物小説)を読んだという気分だった。その樋口さんは、大会にふたりのお子さんと奥さんの4人できていた。樋口さんの一家は、信州の八ヶ岳に住んでいるという。

受賞式の宴会が終わり、二次会で樋口さんに「『シートン動物記』やジャック・ロンドンの『白い牙』『荒野の呼び声』を思い出しました」と話しかけると、「動物の一人称描写はむずかしいんですよ。日本なら戸川幸夫さんの小説や西村寿行さんの初期の小説にとてもいいものがあります」と言う。思いを込めた作品が受賞して、とてもうれしそうだった。

初参加だという作家に福田和代さんがいた。「ウィズ・ゼロ」「TOKYO BLACK OUT」とパニック(テロリスト)ものを書き、3作目の海洋冒険小説「黒と赤の潮流」が早川書房から出たばかり。期待の大型新人作家だ。僕は「福田さんが参加する」とスタッフに聞いたとき、「福田さんて女性?」と確認したくらいで、作品と作者に相当なイメージのギャップがあった。

福田さんは、どう見ても少女マンガでも描きそうな可愛い女性なのである。アラレちゃん風メガネをかけ、クリクリした目に愛嬌がある。酔っぱらった僕が「こんな若くて可愛い人が、テロリストによって東京が完全に停電する話を書いたとは思えないなあ」と失礼な大声をあげると、「私、若くないですよ」と福田さんが訂正する。「お若く見えます」と僕。何しろ、こちらはアラウンド還暦なのである。

その福田さんと、どういうわけか「リオ・ブラボー」(1959年)の話になった。酔眼朦朧としていたため、話の流れはまったく記憶にないが、ディーン・マーチン、深夜プラス1、ハーヴェイ・ロヴェル、アル中…という言葉が飛び交ったのは憶えている。福田さんは、最近、どこかの雑誌に「リオ・ブラボー」のことを書いたと語っていた。

さて、そのとき、僕が主張したのは「『リオ・ブラボー』のアル中の保安官助手デュードことディーン・マーチンがいなければ、『深夜プラス1』のアル中のガンマン、ハーヴェイ・ロヴェルは生まれなかった」ということだ。「ギャビン・ライアルは間違いなく『リオ・ブラボー』を見ているし、好きだったに違いない」と僕は断言した。

酔った勢い、というものである。しかし、そう断言した瞬間、僕の中にそれは間違いないことだという確信が生まれた。だから、僕は、また大声でこう追加したものだった。

だって、ギャビン・ライアルは四作目で『本番台本』を書いているでしょう。あそこに出てくるハリウッド・スターのウィットモアは、間違いなくジョン・ウエインですよ。

●「本番台本」に登場するジョン・ウエインらしき大スター

「本番台本」の原題は「シューティング・スクリプト」だから、「撮影台本」と訳す方が正しいだろう。もちろん、「シュート」には「撮影する」という意味に「撃つ」という意味を重ねている。「シューター」は「射撃手」の意味になる。スポーツで使われる「シュート」も同じだ。

そう言えば、スティーヴン・スピルバーグ監督は「シンドラーのリスト」(19 93年)の撮影中、ホロコーストを生き延びたユダヤ系エキストラたちに気を遣い、「本番」と声をかけるときに「シュート」と言わず「スタート」と言い続けたという。「シュート」が「撃て」の意味を持つからである。

さて、その「本番台本」で、主人公のどさまわりパイロットであるキース・カーが初めてウォルト・ウィットモアの弁護士と会い仕事を依頼されたときに、ウィットモアについて語る部分から引用しよう。

──ジョン・ウエイン、ゲイリー・クーパーの年代よりちょっと若いのだが、それでもまだハリウッドの俳優の半分が馬だった頃から出始めた男である。(中略)彼は相変わらず鞍の上に座り続けているのだ。批評家連中が「芸なしウィットモア」から「西部原人」にいたるまで、あらゆるあだ名をつけたが、過去30年間、毎年2本の大作に主演してきている。

「本番台本」が出版されたのは1966年。まだ、ジョン・ウエインはアカデミー主演男優賞はとっていない。西部劇しかできないデクノボーのように言われていたし、毎年2本は主演映画が公開されていた。「ジョン・ウエイン、ゲイリー・クーパーの年代よりちょっと若いのだが」とあるけれど、この文章を読めば、誰もがジョン・ウエインをイメージするだろう。

ちなみに「本番台本」に登場するラテン系俳優ルイス・モンテレーは、リカルド・モンタルバンを連想した。そんなことを連想させるほど、ギャビン・ライアルはかなりの映画好きではないかと思う。そう言えば、5作目の「拳銃を持つヴィーナス」にも映画に関する会話が出てきた。主人公が仕事の依頼主を待っている間に一緒にいる女性にこんな風に話しかける。

──映画のシーンみたいじゃないか? ふたつの寂しい影が長い階段の上で待っている。黒い大型車が近づいてくる。後部の窓がゆっくりと見えてくる。エドワード・G・ロビンソンがトミーガンを構える。ダダダダダッ。ふたつの人影が、ドラマチックに階段を転げ落ちていく。

これを読むとエドワード・G・ロビンソンの出世作「犯罪王リコ」(1930年)を連想するが、1950年代まで大量に作られたワーナー・ブラザーズの犯罪映画が持つイメージが象徴的に書かれているのだと思う。1932年生まれのギャビン・ライアルが最初に見た映画は、ハリウッドの犯罪映画だったのだろうか。彼は1961年に処女スリラー「ちがった空」を発表する。

ちなみに「深夜プラス1」は1965年の発行、「拳銃を持つヴイーナス」は1969年の発行である。もちろんイギリス本国での発行年だ。2作目の「もっとも危険なゲーム」は1963年に出ている。ギャビン・ライアルは30代前半で代表作を書いてしまった作家なのである。改めて驚く。

●酒に溺れた男が再生する物語が印象に残る

ギャビン・ライアルはハリウッドのスリラー映画や西部劇が好きで、中でもジョン・ウエインのファンだったのではあるまいかという推測は、的はずれではないと思う。だから、「深夜プラス1」で主人公ルイス・ケインより人気のあるアル中のボディガード、ハーヴェイ・ロヴェルの造型にディーン・マーチン演じるアル中保安官助手が影響していると僕は確信した。

「リオ・ブラボー」の冒頭から登場するディーン・マーチンは印象に残る役だ。汚れたボロボロの服で酒場に現れるデュードは、何の説明がなくとも酒に溺れた男だとわかる。彼は誰かに酒を奢ってもらえることを期待して酒場にやってきたのだ。ひとりの男が彼に酒代を恵んでやる。しかし、男はコインを床に置いてある痰壺の中に放り込む。

デュードの顔色が変わる。しかし、酒を呑みたいという欲求は彼の自尊心を抑えてしまう。彼はかがんで痰壺の中に手を入れようとする。ここまでは無言劇のように一切セリフはないが、彼がアルコール中毒であることは観客全員が理解するだろう。彼は痰壺に手を入れるのか。観客はハラハラする。自尊心をなくしてしまうかどうかというサスペンスが盛り上がる。

デュードがまさに痰壺に手を入れようとしたそのとき、男の足が痰壺を蹴る。チャンス保安官(ジョン・ウエイン)の登場だ。かつてデュードは早撃ちで腕のよい保安官助手だった。チャンスとも強い友情で結ばれていた。だが、悪い女に惚れて女と一緒に町を出た。そして、戻ってきたときには酒瓶を離せない男になっていた。

酒場で冷酷に人を殺したジョーという男がいる。有力な牧場主の弟だ。チャンスはジョーを逮捕しようとするが、彼の仲間たちに阻まれそうになる。チャンスを救うのはデュード。そのときに見せるデュードの早撃ちは素晴らしい。ジョーを取り戻しに牧場主が大勢の手下を連れて町にやってくることを予想し、チャンスはデュードを再び助手に任命する。

その他に保安官に味方するのは、足の悪いスタンピー老人(ウォルター・ブレナン)だけだ。牛を運んできた昔なじみの牧場主(ワード・ボンド)が助勢を申し出るが、「あんたの身が危なくなる」とチャンスは断る。ワード・ボンドの部下に二挺拳銃使いの若いコロラド(リッキー・ネルソン)がいる。彼はボスに「保安官に助勢すると言っていると命を狙われますよ」と注意する。

案の定、ワード・ボンドが狙撃され殺される。その犯人をチャンスとデュードが追う。犯人はデュードに撃たれ怪我をしながら酒場に逃げ込む。酒場には10人以上の敵がいる。それでもデュードは酒場に乗り込むことを主張し、「裏口はもう飽きた。正面からいく」と顔を上げてチャンスに言う。デュードは見くびられている。酔っ払いの能なしだと蔑まれている。だが、彼は自尊心を取り戻そうと決意したのだ。

──大丈夫か?
──それを試す。

デュードはバーテンがカウンターの中に隠しているライフルを取り上げ、男たちを並ばせてガンベルトを棄てさせる。チャンスが感心するほど見事な仕切りだ。バーテンが妙な動きをするのを、デュードは振り返りもせず制止する。だが、酒場の中に犯人らしき男はいない。

酒場にたむろする男たちが勢いを取り戻す。「デュード、酒が切れて頭にきたな」「一杯やれよ」と口々にからかい始める。ひとりの男がコインを取り出し「やるよ」と痰壺に投げ入れる。デュードの自信がぐらつく。カウンターに酒を充たしたグラスが置かれる。デュードがカウンターによりかかる。デュードは再び酒に手を出すのか、最後の自尊心さえ失ってしまうのか…。

「リオ・ブラボー」は、デュードの復活あるいは再生の物語でもある。だからディーン・マーチンの登場で始まり、ディーン・マーチンの背で映画は終わる。主役のジョン・ウエインよりディーン・マーチンのキャラクターには人間らしい深みがあった。それは、彼が酒に溺れなければ生きていけない弱さを持っているからだ。その酒のために、人間として守るべき自尊心さえ棄てるかもしれない、と思わせるほど弱い男なのである。

「深夜プラス1」のハーヴェイ・ロヴェルに読者の人気が集まるのも同じことだ。ハーヴェイ・ロヴェルがなぜアル中になったのか。それはシークレット・サービスを辞めフリーになったプレッシャーからのように書かれているが、本当のところはわからない。人間は弱い。何かにすがりたがる。何かに依存しなければ生きていけない。だから、ホラ、また今夜も…呑まずにいられない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com

昨年、講談社文庫で「笑い犬」と「ゆげ福」を出した西村健さんと話す機会がありました。西村さんは東大→国家公務員→ライター→作家という、どちらかと言えば下降志向(?)ではないかと思える人で、気さくで面白く偉ぶらない日本冒険小説協会大賞受賞作家です。ちなみに「ゆげ福」は、ラーメンが食べたくなる小説として話題です。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
>
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
>
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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■Otaku ワールドへようこそ![94]
青春の重大な過ち:脳内の混ぜてはいけないアレとコレ

GrowHair
< https://bn.dgcr.com/archives/20090417140100.html
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すでに花よりも葉っぱのほうが多くなっていた 4月11日(土)、新緑を見に来たんだと開き直って花見をした。青山墓地で。余興にセーラー服撮影会などを催す。モデルは私。

写真はこちら。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/FigDGCR090417/
>

さらに、写真から起こした動画をニコ動にアップしました。
< http://www.nicovideo.jp/watch/sm6756958
>

まあ写真見ちゃうと、この後何書いても頭に入っていかないかもしれませんが、今回は初めて屋外で女装してみた感想など。

●会社でしゃべって大騒ぎに

職場はまじめなエンジニアの集まりだということを、うっかりしていた。社員食堂で同僚たちと昼飯を食いながら、軽く驚いてくれそうな話題を投下、ぐらいのつもりで「この前初めて外でセーラー服を着てみたんだけど、あれはいいもんだね」と言ったら、「えーっ!」と大声あげられるわ、ざざっと後ずさりされるわ、なんかものすごい過剰反応が返ってきて、こっちが驚いた。おいおい、まわりの注目集めるじゃないか。

騒ぎになって懲戒処分など食らってはたまらない。「ほら、よくあるオヤジの宴会芸のたぐいだってば」と必死で言い訳してなんとか場を収めた。こっちとしては、女子高生に扮する男性なんてのは、コミケでもアキバでもさんざん見てきてて、珍しくもなんともないんだけど。自分がなるのは初めてだったんで、多少思い切りが要ったとはいえ、まあ、オタクの端くれとして、ありふれた通過儀礼を自分も体験してみました、程度のことだったんだけど。

オタクにとって何でもないことが、時として、一般人にとってはとんでもないことだったりするということに、少し無用心すぎたかも。ひょっとすると、デジクリを読んでいる方々の中にも、私のことを尋常でない変人だと思っている方がいらっしゃるのではなかろうか、とちょっと心配になっている私です。

●かわいいと言われて照れる

キモイ、異様、悪趣味、トラウマになる、といった否定的な反応は予想の範囲内だった。ミクシィの日記に写真を上げてみたところ、永吉さんはトラウマになりかけたようだし、武さんは100年の酔いも醒めちゃったみたいだし、くうさん(女性)は今晩うなされそうだというし。しかし、意外にも肯定的な感想もけっこうもらえた。和んだ、笑って元気になった、似合ってる、可愛らしかった、などなど。嘘じゃないよ。

概していえば、女性のほうが男性よりも肯定的に受け止める人が多かった。もちろん、疑問視する女性もいるし、ほめてくれる男性もいるので、一概には言えない。男性はこうだ、女性はああだ、とステレオタイプに決めつけて論じるわけにはいかない。しかし、統計的に有意な傾向の差異ぐらいはあるようにみえる。

男性は、ロマンチストなところがあって、女性に対して幻想を抱きつづけたい、と思っているようなフシがある。もちろん傾向だけど。対象がもし、飛行機とかパソコンとか、メカ的なものであれば、興味をもった対象については、分解してでも何もかも知り尽くしたいと思う、本能的欲求みたいなものがある。しかし、こと女性となると、興味は強くもっているにもかかわらず、なぜかそこまで徹底的に知り尽くしたいとは思わないものである。

ある程度まで分かったら、だいたい分かったからよし、とするか、あるいはどうせ分からないものなんだからとあきらめるか。客観的に捉えたいのではなく、「女性」という題のお芝居をいつまでも見つづけていたい、というか。お芝居を見たとき、ついでに楽屋まで見たら、幻滅であろう。だから、見ない。たいへん紳士的な態度と言えよう。

もし、女子高生というものに、野に咲く可憐な花のようなイメージをもっているのだとしたら、それを壊さずにイメージどおりに演じてくれる人が、女子高生たる女子高生ということになる。そして、セーラー服のような、女子高生に付随したアイテムに対しても、そのイメージを連続拡張させる。だから、ヒゲ面の40代後半のおっさんがセーラー服など着てはしゃいでいる姿などというものは、よきイメージを破壊する、ゲテモノの極みのように映るのであろう。

しかし、女性の目から見れば、セーラー服はもっと現実的なものであろう。そこになんらかの乙女チックなイメージを抱いていたとしても、セーラー服はセーラー服であって、実体も感触もある具体的なモノとして認識する傾向があるのではあるまいか。舞台の上では芝居を演じるけれど、楽屋の様子も分かってます、みたいな。

そうだとすると、女装する男性に対して肯定的な女性というのは、男性が楽屋まで見にくることを歓迎していると受け止めていいのではなかろうか。そんなこと、ないですか?>女性の方々。たいていの男性にとって、女性というものは、眺めて愛でる対象であったり、追いかけて捕まえる対象であったりと、客体として自分の外に存在する。それが健全。一方、女装するという行為は、女性的なものを自分の内に取り込んで、自分が主体として(下手な真似ごとにせよ)女性になってみるということにほかならない。それは変態。

変態というと、通常ならば女性からは忌避されそうなものだが、こういう変態は、けっこう、意外にも、ウケがよかったりする。そういうものですか? どうも女性の心理というものは、私にとっては数学や物理学の100倍も理解しがたいもので、言ってることにぜんぜん自信ないのですが。異論があったらぜひ指摘して下さい。

●BL小説を読もう

ユングの心理学だったか、アニマとアニムスという概念がある。男性の中に住んでいる女性的なものがアニマであり、その逆がアニムスである。もし、女性にものすご〜く興味があって、楽屋の様子までも知りたいほどであれば、アニムスがどんな姿をしているのか、探ってみるのも面白かろう。

BL小説というのがある。ボーイズのBとラブのL。男と男のゆきすぎた友情を描くライトノベルである。これ、男性にとって、非常にとっつきづらい。ホモは趣味ではないというマイナス要因を差し置いて考えても、そこにリアリティがまるで感じられないのである。小説におけるリアリティとは、かならずしも現実の詳細な記述から来るわけではない。むしろ、心の描写のほうがポイントで、登場人物の心の動きがまるで自分のことのように重なるとき、そこにその人物が実在するかのように感じられる。

太宰治の「女生徒」は、女性が読んでもリアリティが感じられるものらしい。それは、(当時の)女性の心理を的確に描写できているから。男性でありながらそういうものが書けちゃうってところが、小説家としての力量を見せつけてくれた格好である。女性が書いて男性の心の動きをリアルに描写できていれば、見事なお返しということになる。

ところが、たいていのBL小説からは、それがまったく感じられない。「この場面で男性の心理ってそういうふうには働かねーよ」とツッコミを入れたくなること、しばしばである。その瞬間、シラケちゃう。純文学的な基準からすれば、そういう小説は失敗である。ところが、BL小説とは、そもそもそういうところを狙ってはいないのである。

描写しているのは男性ではなく、アニムス。きっと精密に的確に描写されているのだ。そこに気がついて読むと、別のリアリティが立ち上がってくる。男性諸君、一度BL小説を読んでみよう。BL小説を男性に読まれてしまうことを、ものすごく恥ずかしがる女性は多い。それはアニムスというイケナイ部分がモロに露出しているから。とはいえ、読まれて嬉しくないわけではないという、微妙に揺れ動く乙女心があったりもする。

このところよく話題になる「草食男子」は、けっこう抵抗なくBL小説を読めちゃったりして。女性にとっても、芝居をうたなくてもいい、楽屋が丸見えでも平気な相手、という安心感があったりするのではあるまいか。ところで、小説を書かずとも、リアリティが感じられるほどにまで上手に女装することができたら、太宰治と同じ仕事をしたということができまいか。

●アートたりうるか

さて、肯定、否定のほかに、もうひとつ、これはひょっとして現代アートになっているのではないか、というコメントがあった。クラシックな美術では、調和や均整のとれた美しさを追求するが、現代アートは必ずしも美しくなくてもよい。構図の調和や構成の統一性をあえて破壊してみせて、見る者を落ち着かない気分にさせる。見ていて胸糞悪くなるとしたら、それはなぜなんだろう、と疑問を投げかけることによって、人の心の中にある深淵をほのめかすという手法もアリである。

脳内には、混ぜてはいけないアレとコレがある。その感じを手っ取り早く経験してみるには、パフェグラスにカレーライスを盛りつけて、パフェ用の長いスプーンですくって食べてみるとよい。なんかもう、とんでもなく間違ったことをしているという違和感に襲われるであろう。これは実は、秋葉原の雲雀亭(男の娘のメイドさんがいるカフェ&バー)で出されていたメニューである。その店では、この感覚を「精神的ブラクラ」と呼称していた。心の中のブラウザがクラッシュする感覚である。

オヤジがセーラー服を着ているというのも、まさにこれだ。この違和感をキーに、人の心の構造を浮き彫りにできたら、アートとして成り立ちうる。心理学に「ゲシュタルト崩壊」という概念がある。全体性を持ったまとまりのある構造から全体性が失われ、個々の構成部分にバラバラに切り離して認識し直されてしまう現象をいう。これ、「精神的ブラクラ」に近い気がしてならない。

一方、人工知能に「フレーム問題」という概念がある。メイドとして機能するロボットを作ろうとすると、人間の脳に相当する働きをソフトウェアなどで実現すべく、人が設計してやらないとならない。ところが、あらかじめ想定していなかった事態が起きても、柔軟に対処できる能力をつけさせようとすると、起こりうる可能性の組み合わせの爆発がおき、とても計算しつくせないという問題に直面する。これがフレーム問題である。

通常の生活を送っていく上で、人間はどうやってフレーム問題を回避しているのか、まだ解かれていない謎である。人間もときにはゲシュタルト崩壊を起こすわけで、これはフレーム問題に直面した状態、と解釈することができるのではあるまいか。人間はものごとの本質を必ずしもちゃんと捉えているわけではなく、中途半端な理解で済ませたり、変な勘違いをしていたりする。にもかからわず、たいていの場面では、実用的には問題ない程度に、的確で柔軟な行動ができる。

だから、あんまり疑問に思わない。けど、いったん気づいちゃうと、すごーく不安になる。その辺のところを、言葉を使わずに、ひとつの作品によってほのめかすことに成功すれば、これはもう立派なアートであろう。

●ペアルックでデートしてくれませんか?

で、次にやってみたいことがある。アートとして。あるいはジョークとして。本物の女子高生、もしくはそう見える女の子にモデルになっていただく。で、セーラー服または学校の女子用の制服で、私とペアルックになっていただく。さらに、ハゲかつらをかぶっていただき、つけ髭をつけていただく。これで、渋谷のホコ天あたりでデート。お互いに相手の姿に合わせようとして双方から歩み寄った結果、こんな異様なペアルックになっちゃいましたー、愛の力は偉大ですねー、というシャレ。どうでしょ?

道行く人たちが見て、笑ってくれると思う、きっと。で、渋谷を象徴する、たとえば109などを背景に写真を撮れば、アートになると思うのだ。ネットに上げれば、一躍有名になれたりしないだろうか。知り合いのコスプレイヤーたちに声をかけてみたのだが、誰も乗ってこない。誰かモデルになってくれませんか? マジで募集しちゃいます。そういうおバカ企画は嫌いじゃないから、乗ってもいいよって方、ぜひメールください。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。5月は鳥取の燕趙園の「中華コスプレプロジェクト」に行きます。/このところ人形の撮影もしてるし、パフォーマンスを見に行って写真撮ったりもしてるんだけど、撮りっぱなしで整理が追いつかない。遊びすぎ、という名の病は、ロバの耳が生えてからでは治癒が難しいらしい。/国家試験で「飛翔体鑑定士」を新設してみてはいかがだろう。まず飛翔体の定義からか。飛んでるハエ、落下する鳥のフン、舞うホコリ、スキーのジャンプ選手、ウルトラマン、ヒトダマなど、含むのかどうか。

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■編集後記(4/17)

・「デジタルモノクロファインプリントマスターBOOK」(玄光社MOOK)を読む。A4変型の大判に、整然としたデザインが見やすくて好ましい。モノクロのファインプリントを得るには、フィルムで撮影してプリントのテクニックを駆使するのがベストと思い込んでいたが、じつはモノクロこそデジタルで撮影したカラーデータが最も向いているそうだ。そこで、カラーデータをモノクロに変換するワークフローをわかりやすく解説する。プリンタドライバ&Photoshopを利用するのが初級編、デジタルゾーンシステム出力方法を利用するのが上級編だ。さらに、Photoshop&専用ソフト補正テクニックの解説が続く。最後の一章はインクジェット用紙を徹底テストして、モノクロファインプリントに適した用紙の評価をおこなう。順序だてたシンプルな構成でじつにわかりやすい。付録DVDの動画を見るとさらに理解が深まる。記事で使われる作例写真はデータをそのまま使えばいいのだが、口絵や用紙テストの画像はそうはいかない。さまざまな用紙に美麗にプリントされた状態を、この本のたった一種類の用紙上にオフセット印刷で再現しなければならない。これはむずかしいと思う。いや、正確に言えば不可能だろう。たぶん現物プリントをそのまま入稿して、印刷会社でスキャンしてデータ化したのだろう。あとは本機校正に印刷立ち会いで、色を現物に精一杯近づけるしかない。そんな想像を働かせると、この本の制作は非常に大変だったろうなと思う。上級編まで手は出せないが、わりと簡単そうな初級編をこのGWにトライしてみたいと思った。(柴田)
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・「DTP Booster」の更新情報はTwitter。これがとても便利なのだ。修正はきかないけど。ついったら、それがサイトに反映される。企業のサイトを作る時にもTwitter使うことを提案してみようかと思ったり。Twitterは早くから知っていたのに、ぼーっとしてた。「こういう技術があります」「こういうサービスがはじまりました」をどう活かすか、どう取り入れるか。日々の仕事に追われ、情報収集力の低下、そして頭が固くなっているのを感じたよ。/バレエのおかげで体はマシになってきているぞ〜。体を後ろに反らす。つい息を止めてしまわない? 習っている教室では、息は止めない、ゆったりとした感じで、胸から反らすんじゃなくて、どちらかというと斜め後ろに伸びる感じ、その上でお腹の皮を伸ばすようにと説明されるよ。息をしてと言われても〜って思っていたけど、いつだったか、胸を開いたら(背中を意識。肩甲骨を寄せてみる)反らしても息ができて驚いたよ。(hammer.mule)
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