[2638] まったく近頃の若いモンは…

投稿:  著者:  読了時間:32分(本文:約15,600文字)


<世の中もうポイント、ポイント、ポイントの嵐>

■映画と夜と音楽と…[418]
 まったく近頃の若いモンは…
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![95]
 21世紀のお金:迷宮で生き残るゲームのごとし
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■映画と夜と音楽と…[418]
まったく近頃の若いモンは…

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20090515140200.html >
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●苦虫を噛みつぶしたような顔をした孤独な老人

昔、読んだマンガにアメリカ中西部の大学町に住む偏屈な医者が出てきて、いきなり「私は若いモンが嫌いだ」というセリフがあった。「傲慢で、ワガママで、自分勝手で、何をやっても許されると思っている…」というセリフを苦虫を噛みつぶしたような顔で言う。僕自身も若いモンだったのだが、その医者の言葉に何となく納得した。

しかし、次のコマではその町のカレッジの学生たちが「○○先生、○○お願いしまーす」とワイワイやってくるのを、その医者は破顔して迎えている。「そうはいっても、実際に若いモンに何かを頼まれると断れなくてね」と、学生たちを迎え入れながら医者は人のよさそうな笑顔でつぶやくのである。そんな言葉とは裏腹の情の深いキャラクターが僕の心に残った。

クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」(2008年)を見終わったとき、僕はそのアメリカ中西部に住む苦虫を噛みつぶしたような顔をした医者を思い出した。「まったく近頃の若いモンは…」と文句を言いながら、若いモンに本気で力を貸す偏屈な老人…。もっとも「グラン・トリノ」の主人公ウォルト・コワルスキーは医者のようなインテリではなく、フォードの組立工を50年勤め上げた中西部の町に住む保守的な白人のブルーカラーである。

偏狭で人嫌いで、攻撃的ですぐに銃を持ち出す、口の悪い孤独な老人だ。イーストウッドの演じたウォルトは、僕に過去のイーストウッド映画群を甦らせた。「ミリオンダラー・ベイビー」(2004年)の老トレーナー、「スペースカウボーイ」(2000年)の偏屈な老宇宙飛行士、「ホワイトハンター ブラックハート」(1990年)の偏執狂的な映画監督、「ハートブレイクリッジ/勝利の戦場」(1986年)の朝鮮戦争の英雄だった鬼軍曹などだ。

同時に、当たり役「ダーティハリー」(1971年)の悪党を処刑する男のイメージ、「奴らを高く吊せ」(1968年)「荒野のストレンジャー」(1972年)の復讐者(リベンジャー)のイメージも引き継いでいた。クリント・イーストウッドというスターが出てくれば、誰もが抱くイメージがある。ウォルト・コワルスキーというポーランド系の老人は、そんな先行するキャラクターの要素をすべて注ぎ込んだようだ。だから、「グラン・トリノ」はイーストウッド映画の集大成になった。

監督作としても出演作としてもイーストウッドの最高傑作という声がある。異議はない。僕は、その名人芸に圧倒された。笑い、涙ぐみ、ハラハラし、最後に衝撃を受けた。その衝撃に納得し、気持ちが晴れるようなカタルシスがあり、魂が浄化されたことを実感した。クレジット・タイトルがスクロールし、イーストウッド自らが歌う(おそらくピアノも弾いている)「グラン・トリノ」が流れたとき、僕は満ち足りた気持ちで聴き入った。

音楽は息子のカイル・イーストウッドとのコラボレーションだ。カイルは「センチメンタル・アドベンチャー」(1982年)で主人公のカントリー歌手と一緒にナッシュビルへの旅をする甥の少年を演じたが、ジャズ好きの父の影響を受けたのだろう、ジャズ・ベーシストとして10年ほど前にリーダーアルバムを出した。また、「硫黄島からの手紙」(2006年)でも音楽を担当している。

●孤独な老人は1972年型グラン・トリノに何を託したか

「グラン・トリノ」はウォルトの妻の葬式から始まる。ウォルトが苦虫を噛みつぶしたような顔で棺の横に立っている。孫たちが祈りを捧げる。ハイティーンの孫娘はお腹を出し、へそと耳にピアスをしているし、葬式の間中、携帯電話をいじっている。もうひとりの孫も罰当たりな祈りを捧げる。ウォルトの顔がますます不機嫌になる。今にもキレて怒鳴り出しそうだ。

列席している息子ふたりが父親を嫌っているのが会話でわかる。母親が死んでひとり暮らしになった父を「兄さんが引き取ったら」と弟が言い、兄が「とんでもない」と反応し、ふたりで笑う。父親と暮らすことなどあり得ない、という兄弟の共通認識があるから、その会話が笑い話になるのだろう。

ウォルトは嫌な老人だ。息子が「葬儀に多くの人がきてくれたね」と言うと、「ハムを喰いにきたのだ」とにべもない。地下室から椅子を出すのを「手伝おうか」と声をかけると、「おまえに頼むと来週になる」と皮肉を言う。彼は家族も含めて、すべての人間が嫌いなのだろうか。彼が愛情を込めて口にする名前は亡くなった妻だけである。その妻もひとりになったウォルトを案じ、神父に「懺悔をさせて」と遺言していた。妻は、彼の心の重荷を見抜いていた。

ウォルトは怒れる老人だ。いつの間にか近所に住むのが「イエローの米喰い人種」ばかりになったことを怒っている。老婦人とぶつかった若者ふたりが謝りもせず、散らばった荷物を拾いもせず、卑猥な動作をして去っていくことに怒っている。イエローのチンピラたちが自宅の庭に入ったことを怒っている。近頃の若いモンは…、と口にする。彼にとって、世界は怒りの対象でしかない。何もかもがいまいましい。

ウォルトは過去にとらわれた老人だ。朝鮮戦争に出征し、多くの人を殺したことを忘れられない。ほんの少年のような敵の兵士を銃剣で刺したことを忘れることができない。敵を殺した感触を甦らせ、そのことで人生を呪っている。彼は朝鮮戦争の英雄だが、たったひとり生還し勲章をもらったことを誇る気持ちにもなれない。彼は「人を殺したら、どんな気持ち?」と訊かれ、「最低の気分だ」と怒声で答える。

ウォルトは人種差別的言語を吐き散らす老人だ。おまけに、唾も吐き散らす。「クロ」「イエロー」「ジャップ」「ジュー」「イタ公」など、人種差別の言葉が頻出する。ある日、ウォルトが病院にいくと様々な人種の患者がいて、看護婦はイスラム系女性で彼の名前をまともに発音できない。彼の主治医だった白人の医者は3年前に引退しており、担当医はアジア系の女医である。保守的なアメリカ中西部の白人としては、非白人系の移民たちに自分のテリトリーを占領された気分だ。

ウォルトは少年のような老人だ。戦争から帰還したウォルトは、フォードの自動車工場で組立工として働いてきた。その間、膨大な種類の工具を集めガレージの壁に整理している。「これだけ集めるのには50年かかる」と嬉しそうに言う。そのガレージには、彼の宝物であるピカピカの1972年型グラン・トリノが置かれ、常に新車のように整備されている。グラン・トリノのコラム・シフトは彼が工場で取り付けたものだ。アメリカの自動車産業が世界のトップだった時代の美しい車である。

●不器用で愛情を素直に伝えることができない孤独な老人

ある夜、隣家のアジア系(モン族)一家の息子タオは、従兄弟のチンピラたちに脅され、「グラン・トリノ」を盗みにガレージに忍び込むが、ウォルトに見付かって逃げ出す。翌日、チンピラたちがタオの家にやってきて前庭で諍いになり、ウォルトの庭にまで侵入する。ウォルトは銃を持ち出し、チンピラたちに凄みをきかせて追い返す。

タオの姉スーが礼を言いにやってくる。スーは頭のよい娘だ。ある日、彼女は道を歩いていて3人の黒人にからまれる。レイプの危険さえ感じるが、スーは黒人たちに負けていない。ウォルトが車で通りかかり、拳銃を出す真似をして黒人たちを脅す。指鉄砲を向けるウォルトの迫力に気圧され、黒人たちの腰が引ける。ウォルトは胸に手を入れ今度は本物の拳銃を出す。黒人たちが逃げる。このシーンのウォルトは、まるでダーティハリーだ。

車の中でスーと会話をしたウォルトは、自分が素直に話せることに驚く。ある日、スーがウォルトをパーティに招く。隣家にはモン族の人々が大勢やってくる。スーに連れまわされ、いろいろ紹介され、うまい料理を食べて、ウォルトは居心地のよさを感じ、いつもの口の悪い偏屈な自分ではなくなっていることに気付く。不思議なことに、彼は「イエローの米喰い人種」と蔑視していた、言葉も通じない人々の間で心安らぐ時間を持つのだ。

グラン・トリノを盗もうとした詫びに一週間働くというタオに、ウォルトは近隣の家の修理をさせる。それをきっかけにして、周囲に住むアジア系の人々との交流も始まる。また、隣家の排水の修理や天井のファンの修理も引き受け、タオやスーとの交流が深まる。ウォルトは、タオにとって様々なことを教えてくれる父親のような存在になる。そんなふたりをスーが微笑みながら見守っている。

ある日、地下室から古いフリーザーを持ち出そうとしたウォルトは、タオに手助けを求める。何とか持ち出したフリーザーをウォルトは60ドルで売りに出すという。タオが「うちのフリーザー壊れていて…」と言うと、「じゃあ、どうだ。25ドルで」とウォルトがすかさず言う。「でも、60ドルだって…」とためらうタオに「新聞に出す広告代を引いたんだ」とウォルトは答える。

もちろん、彼は隣家のフリーザーが壊れているのを知っていたに違いない。しかし、ストレートに「使っていないフリーザーをあげるよ」とは言えない。相手の自尊心を考えるからだ。自分がそんな好意を示されたら「施しは受けない」と拒否するだろう。だから、タオに手伝いを頼み破格の値段を提案する。ウォルトは好意を素直に表現できない人間なのだ。自分がそんな行為をすることが恥ずかしいのである。

こんなキャラクターを見たことがあるぞ、と僕は思った。そう、あの男はカサブランカという街で酒場とカジノを経営していた。ある日、貧しい若夫婦がナチを逃れてやってくる。アメリカへ出国したいが金がなく、妻が男に相談をする。男は「故郷へお帰りなさい」と冷たく言う。だが、なけなしの金をルーレットに賭けている夫に男は数字を耳打ちし、ディーラーに目で指示を出す。もちろん、若い夫婦は出国するための充分な金を手にする。

ウォルトは、過去の小説や映画で数多く登場したヒーロー像に連なるキャラクターだ。要するに、ハードボイルド的人間なのである。不器用で、照れ屋で、愛情を相手に素直に伝えることができず、孤独であることにもやせ我慢を張り、自分のモラルとルールを守り、そんな生き方を誇りに思っている。男は、強くなければ生きていけないと覚悟し、助けを求めるのは恥だと感じている。自立心が強く、泣き言は言わない。

しかし、ハードボイルド的人間だからこそ、優しくなれなければ生きていく資格がないこともわかっている。熱い心を秘めたセンチメンタリストである。そして、センチメンタリストとは、小林信彦さんが書いているように「過酷な現実の前に挫折した理想主義者」なのだ。ウォルトも理想に燃えた青年だったに違いない。人生に夢を抱いた若者だったはずだ。前途に希望を抱いていた。

だが、20歳になるかならないころに徴兵され、過酷な戦場で死を身近なものとして感じ、多くの敵を殺すことで現実の酷さを思い知らされた。そんな彼を救ったのが妻になる女性だ。彼は彼女との家庭を守るために自動車工場で懸命に働いた。ふたりの息子もできた。だが、いつの間にかアメリカの自動車産業は衰退し、息子たちとのコミュニケーションもうまくとれず、どう接していいかわからなくなった。

そんな彼が妻を亡くした孤独な生活の中で、再び愛する人間を見付ける。彼らを傷つける者がいたら、ウォルトは決して許さない。だが、彼らの人生を邪魔する存在が現れる。このままでは、スーもタオもまともな人生は歩めない。だから、まるでダーティハリーのようにウォルトは行動する。しかし、ダーティーハリー的行動が裏目に出る。それは、まるで「悪党を退治すれば解決した」過去のイーストウッド映画への総括のように思える。

彼の過去の経験則が役に立たなかったそのとき、彼はどう行動すればいいのだろうか。様々な準備をしながら、ウォルトは自分を追い込んでいく。そして、タオも神父も、観客の誰もが予想した行動を超える決着の付け方をウォルトは選ぶのだ。それは、正義のためという名目はあっても、過去の映画の中で多くの悪党を殺してきたイーストウッドなりのオトシマエだったに違いない。

グラン・トリノは、かつて理想を抱いていたウォルトの夢の象徴だ。過酷な人生の中で彼が唯一守り続けた理想や夢、それがピカピカの1972年型グラン・トリノなのである。そして、グラン・トリノが象徴するウォルトの理想や夢は、グラン・トリノを譲るという具体的な形で、彼が愛した最も相応しい人物に受け継がれる。

80近い男が作った映画だが、是非、近頃の若いモンに見てもらいたい。イーストウッド映画の最高傑作ではない。すべての映画の中で最高なのだ。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
連休中に写真・デザイン関係の本を整理しようと思っていたのだが、納戸の中はまったく手がつけられなかった。大した写真集はないけれど、一時期よく通った海外写真家の展覧会の図録はかなり揃っている。アーウィット、ハース、ブラッサイ、ドアノー、キャパ、メープルソープなどなど。最近はまったくいかなくなったなあ。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

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■Otaku ワールドへようこそ![95]
21世紀のお金:迷宮で生き残るゲームのごとし

GrowHair
< http://bn.dgcr.com/archives/20090515140100.html >
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気がつくとポケットの中に財布が三つも入っている。それぞれに入っているお金は、財布についているマークと同じマークのお店でしか使えない。コンビニでテレホンカードを買おうとしたら、お店では使える財布でも、この商品には使えないと拒否される。財布から財布へお金を移すこともできないし、財布の中身を銀行に預けることもできない。使った金額に応じてポイントがつくのでちょっとだけ得するというけれど、そのポイントシステムが恐ろしく複雑怪奇で、ときおり迷宮に踏み込んだ気分や落とし穴にはまった気分に陥る。これが輝かしい21世紀のお金、「電子マネー」だ。ぜんぜんダメダメじゃん。

いや、ダメダメなのは、この私のほう。こっちの世界(人はそれを現実と呼ぶ)に関することが、からっきし苦手なんである。システムの仕組みをしっかり理解した上で上手に活用して、ちょっとずつ得していく、とか、実生活上の利便性を追求するとか。考えただけで疲れる。そんなこてこての現実主義を貫いてたら、人生がパチンコ玉みたくなっちゃわないかなぁ。面倒から逃げ回ってたって、霞食って、妄想ひり出してれば、お金減らないし。

そんな私だけど、電子マネーはもっとちゃんと普及すればいいんじゃないかと思っている。景気の刺激になりそうだし。私が喜んで使うくらいのものになれば、ほぼ間違いなく世の中全体に普及するであろう。というわけで、何かのご参考になるかどうか分からないけど、試しに使ってみた奮闘記など。

●陸(おか)マイラーになるぞ

オカマになるわけじゃなくて。空を飛ばずに、地上に足をつけたまま航空会社のマイレージポイントをかせぐのが陸マイラー。そもそも電子マネーを使ってみようという気になったのは、JALのマイルが底をつきかけてきたから。以前は仕事で海外に行く機会がよくあったのだが、そのプロジェクトが三年くらい前に終わっちゃって、そのころためたマイルがどんどん期限切れになっているのだ。

で、確かマイルって陸でも獲得できるんじゃなかったっけ、とネットで調べてみれば、あるタイプの電子マネーで買い物すると、ポイントとしてマイルがつくという情報に行き当たった。「マイル修行」という生活信条があるんだね。修行僧のように苦行もいとわず、日々マイル獲得に励む。ゴールは、タダで飛ぶこと。それだけ。

マイルに限らず、よくあることだけど、もともとは趣味や実益のために始めたはずのことでも、続けるうちにどんどんのめり込んで、それ自体が目的化してしまうことがある。そうなるともう「オタク」の領域。あ、私はそこまで行かなくてもいいけど。とはいえ、何かにつけ、そういう沼に陥りやすい性分であるという自覚は多少はある。根がオタクなのか。○| ̄|_

意識してみれば、ポケットの中にはすでに電子マネーを入れられる空の財布が三つぐらい入っていた。カラオケの「ビッグエコー」のメンバーになったら、メンバーズカードについてるロゴマークが、社員証についてるのと同じで、なんじゃこりゃ、と思ってたんだけど、それがEdyであった。それと、JALのマイレージのカードにはWAONがついている。じゃ、試しに使ってみるべぇか。

さて、そうこうするうちに、Edyがピンチだというニュースを読んだ。「電子マネーのエディ、9期連続赤字でいよいよ正念場」という見出しの東洋経済の記事で、電子マネー業界のパイオニア的存在でもあるEdyが苦境にあえいでいるというもの。Edyを展開するビットワレットは、2009年3月期に50億円近くの最終赤字を計上する見通しで、これまでも債務超過を避けるために数十億円の増資を五回ほど行っているが、そろそろ限度で、ここらが正念場だろうと述べている。
< http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/3d363f26ca4c22463fb7a7e2d0f7423d/ >

Edyはポイント体系が複雑で、初めて使う者にとって敷居が高いという難点はあるけれど、言い換えれば広く使えて、ポイントの活用が柔軟な、ユーザに歩み寄った仕組みだとも言えるわけで、使って損はないと思う。現に、飛行機に乗る機会の多い沖縄県民の間では、普段の買い物でマイレージがたまるという点が人気を呼び、そうとう普及しているらしい。飛ばない人も、マイレージをEdyのマネーとして還元できるので、ヨドバシカメラのポイントと同じような感覚で、実質的な値引きとして使ったっていいのだ。全国的に普及するポテンシャルは十分にあるとみた。さてさて、起死回生の一手はないものだろうか。

●電子マネーの基本のキ

そういうわけで、まだ電子マネーの世界に足を踏み入れたばかりで右往左往している私ですが、これまでに理解できた、ごくごく基本的なところを、まずは列挙しておきたいと思います。

・電子マネーとは、カードやケータイにあたかも財布のごとくお金を入れておくことができて、買い物ができるしくみのことである
・テレホンカードやバスカードなどのプリペイドカードとの違いは、くり返しお金を入れて、継続的に使えること
・電子マネーには、Edy、WAON、nanaco、SUICA、PASMOなど、種類があり、それぞれ使える店と使えない店とがある
・カードやケータイの「財布」にお金を入れることを「チャージ」という
・チャージするには、専用のチャージ機を使って現金を入れる。あるいは、クレジットカードやバンクカードからチャージできるものもある。また、減ったら自動的に注ぎ足すように自動チャージ設定できるものもある
・電子マネーで買い物の支払いをするときは、専用の読み取り機にかざして、チャリンとかワオンとか音がすれば完了
・たいていの場合、支払い金額に応じてポイントがたまる。例えば、200円使うごとに1ポイントといった具合に。ひとつの財布にお金とポイントが別物として入っているイメージ
・たいていの場合、専用の機械を使ったりネット上のサイトで操作することにより、ポイントはチャージされたお金として還元することができる。例えば、1ポイント→1円など
・入会金や年会費は有料のものもあれば無料のものもある
・加盟店は電子マネーサービス提供者に手数料を払う。けど、顧客数の増加、購買金額の上昇、リピーターの獲得、現金決済に比べて手間の軽減などの効果を期待できる

いちおう、これだけ知っておけば、試しに電子マネーで買い物して、実質0.5%の値引きを受けることができるのではないでしょうか。それぞれの電子マネーのウェブサイトへ行けば詳しい説明が読めるし、店頭には"Edy NAVI"のような冊子が無料でとれるように置いてあるので、参考になるかと思います。

●踏み込めば、迷宮

使うのは簡単だけど、細かな注意点に目を向けると、これがいろいろあってややこしい。前々から使ってきて、慣れてる人にはあたりまえになっているのかもしれないけど、急に足を踏み入れるとめまいがする。いつの間に世の中こんな巨大なスパゲッティーボールみたくなってたんだ?

WAONにつくポイントとしてWAONポイントがあり、nanacoにはnanacoポイントがある。この類推で、てっきりEdyにはEdyポイントがあるものだと思い込んでいた。ところが、そうではなかった。Edyポイントというものは存在せず、カードによって、ANAのマイルがたまったり、楽天のポイントがたまったりと、決まっているのだ。ANAのマイレージカードについているEdyで買物をすると、どこで何を買ってもANAのマイルがたまるのである。だからこそ陸マイラーができちゃうのだ。

私はここが分かってなくて、カラオケのビッグエコーのメンバーズカードについていたEdyをしばらく使ってから、ハタと気がついた。いったい自分は何のポイントをためていたのだろう。レシートにも書いてないし。調べてみると、clubDAMポイントになっているらしい。ビッグエコーポイントとは別物なのがまたややこしい。clubDAMのサイトにログインしてみるのだが、ビッグエコーポイントはすでに324ポイントついているのに、clubDAMポイントのほうがいまだに0ポイントである。ウェブサイトに反映されるまでにタイムラグがあるのだろうか。精密採点IIの得点なんて、今、歌ってきたばかりのが即座に反映されるというのに。不安になって問合せメールを送ってみると、やはり反映までに時間がかかるという返信。

ANAのEdyを使うべきだったと気がついても、ビッグエコーのEdyにチャージした分は、現金に戻せるわけではなし、別のEdyに転送できるわけでもなし。使いきるしかない。そういう融通の利かなさには、げそっとする。社員証にくっついてきたEdyは、何のポイントがたまるのか、いまだに謎なんですけど。なお、ケータイのEdyなら、使う側が何のポイントをためるのか選ぶことができる。

使う側がちゃんと理解して使う分には、この仕組み自体は、上手く考えられているといえる。WAONが主にイオン系、nanacoが主にセブン・アイ系のお店で使えるのに対して、Edyは広く使えるという特色がある。店側からすると、顧客をなるべく囲い込みたいので、使用可能範囲を絞り込んだポイントを付与したい。Edyは店側の思惑にうまく答えている。一方、消費者はあっちにもこっちにもちょこちょことポイントがたまっていると、把握するのが面倒でしょうがない。Edyはそこにもうまく答えている。

WAONも似たような仕掛けになっている。イオンの発行するWAONではWAONポイントがつくのに対して、JALのマイレージカードについてくるWAONではWAONポイントは一切つかず、代わりにJALのマイルがつく。私はそっちを使ってきた。先ごろ、給付金にちなんで、12,000円をチャージすると、もれなく1,200WAONポイントがもらえるというキャンペーンをやっていたが、もともとそのポイントがつかないタイプのWAONはキャンペーン対象外だった。実際には得しなかっただけの話だが、こういうときって損した気分になるのが人ってもんなんだよなぁ。ぶつぶつ。

あと、JR東日本もなかなかややこしい。SUICAポイントとVIEWサンクスポイントとえきねっとポイントが、それぞれ別物として存在する。一社にしてこの調子だから、世の中もうポイント、ポイント、ポイントの嵐。

で、ひとつのポイントから別のポイントへと移行できるルートができてきている。例えば楽天ポイントはTSUTAYAのTポイントに移すことができる。不思議なのだが、ANAのマイルから、SUICAポイント、VIEWサンクスポイントと経由すると、JALのマイルに転換できちゃうのだ。ただし、手続きに2ヶ月以上かかるのと、66%に目減りしちゃうんだけど。こういうのを調べるのに便利な「ポイ探」というサイトがある。ここをうろうろしてみると、ポイントシステムの迷宮ぶりがたっぷり味わえる。
< http://www.poitan.net/ >

これだけシステムが複雑だと、どっかを一回りさせるとチャージ分を目減りさせることなくポイントだけが増えていた、みたいな穴が存在してたりしないだろうか、なんてことが気になり出す。いわゆる「錬金術」とか「永久機関」というやつである。電子マネーは、すでに何年も運用しているので、そんな穴はそうそうあいているもんじゃないだろうけど。かつてはあったらしい。

クレジットカードからEdyにチャージする。かつてはこの時点でもポイントがついていた。クレジットカード会社から、Edyチャージ分の支払い請求が来る。これを銀行口座からの自動引落としにせず、請求書を送ってもらう。これをコンビニの収納代行サービスを利用して支払う。その際、先ほどのEdyにチャージした電子マネーで支払う。これで一回りして元の状態。手許には、タダ取りしたポイントが残る。錬金術。何回でも回せるから、永久機関。運営者もうっかりしちゃうくらい、システムが複雑化してしまったということなのではあるまいか。

今ではこの穴はふさがっている、もちろん。チャージ時のポイント加算は続々と廃止されているし、電子マネーで支払いできる商品に制限がかかってきている。公共料金の収納代行、荷物の発送・受取り、金券類の購入、煙草の購入、などなど。これでシステムはいっそう複雑化した。商品によって使えたり使えなかったり、それ、もはやお金って感覚じゃないから。

電子マネーを活用するなら、クレジットカードとの組合せも考えたほうがお得。私は、一新した。10年以上前に英会話のNovaに入会したとき、入会金が安くなるってんで、JCBのクレジットカードと一体化した会員証を作っていた。が、一度も使わないままうっかりずっと温存してしまい、多分、払った年会費で、入会金の値引き分はチャラになっている。Novaの授業料ぐらいはそれで払ってみようと思ったら、面白いことに、それができなかった。あまりに解約が多すぎて、信販会社から信用をなくしていたのだな、Novaは。まあ、早晩つぶれると思っていたよ。逃げ遅れたけど。

これをやっと解約して、新規に、JALのマイレージカードとVIEWカードとSUICAとWAONが一体化したJCBカードを作った。一方、いつも使ってきたVISAカードのクラシックなやつも解約して、ANAのマイレージカードとEdyが一体化したVISAカードに切り替える予定。これで、クレジットカードやSUICAにつくポイントも効率よくマイルに転換することができ、陸マイラーとしての道具立てが揃うというわけだ。

あとは牛丼をこつこつと500杯くらい食えば、1,000マイルくらいにはなるのだ。そういえば、吉野家は4月からWAONが使えるようになると言ってたけど、近所ではまだ見かけない。どうなっているのだろう。ウェブサイトから問合せメールを送ったら、その返信がびっくりするほど早かった。さすがは吉野家。早い安いうまい。だけどWAONの導入は遅れていて、あと一年くらいはかかるらしい。

……こういう実務的なことに手をかけて、ふと気がつくと、俺の歩いていく方向性、これでいいんだろうかという疑問に捉われてしまう。なんだか性格まで変わっていくような。この文章だって、自分が書いてるものだという気がしない。もっとも、セーラー服着てきゃぴきゃぴ言っているのが本当の自分の姿かといえば、それはそれで疑問なんだけど。

●普及への決め手はあるのか?

迷宮にはうんざりだけど、仕組みとしては悪くない電子マネー。個人的にはもっと普及するといいなーと思っている。カードの発行枚数は8千万枚くらいだそうだけど、使わずに一人何枚も温存してるってケースが多々ありそう。普及率って今のところ10%程度なんではないかな。根拠はなく、多分に感覚的だけど。

新技術の普及に関するマーケティングに、ジェフリー・ムーアが提唱した「キャズム」という概念がある。「IT情報マネジメント用語辞典」のサイトによると、普及学の基礎理論として知られるエベレット・M・ロジャーズのモデルでは、顧客は
1)イノベーター/Innovators/ハイテクオタク(2.5%)
2)アーリーアドプター/Early Adopter/ビジョン先行派(13.5%)
3)アーリーマジョリティ/Early Majority/価格と品質重視派(34%)
4)レイトマジョリティ/Late Majority/みんなが使っているから派(34%)
5)ラガード/Laggards/ハイテク嫌い(16%)
の5つの採用者タイプに区分される。新技術や新流行は、最初の2層に普及すると、急激に全体に普及していくという。これに対してムーアは、利用者の行動様式に変化を強いるハイテク製品においては、最初の2層と残りとの間には「深く大きな溝」があるとし、これをキャズムと呼んだ。
< http://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/chasm.html >

私は、電子マネーには非常に深いキャズムが存在し、今まさにその段階に来ているのだと感じる。少々のキャズムがあったとしても、たいていの場合は、先発隊が太鼓判を押してくれれば後発隊も重い腰を上げそうなものだが、こと電子マネーにおいては、先発隊が喜んで使っているのを見てもまだ後発隊の食指が動かないようにみえる。

ポイント集めに熱心な人は、居酒屋でみんなで飲んだときなど、会計の際にお金を集めて代表で支払う役を買って出たがる。これで、みんなの分のポイントを独り占めできちゃう。だけど、「私が」、「いえいえ私が」と、その役の取り合いになるとか、しまいにはポイントまで割り勘にしようなんて話になるケースはそれほど発生してはいないのではあるまいか。「単純に得すればうれしい」派と、「ちょっとぐらい得してもなぁ、コマゴマしたことにいちいちつきあってられるほどヒマじゃないぞぉ」派との世界観の相違からくる溝だとすると、それは限りなく大きそう。

国の方針として、電子マネーの普及を推進しようってことにして、利用の敷居を下げるために法を整備したり、利用者を優遇するための策を講じれば、一発で普及しそう。法整備では、たとえば、ふつうの財布並みにお金の出し入れを容易にしたり、利用範囲を拡大したり。優遇策としては、電子マネーで決済したら消費税を3%にマケてくれるとか。それで税収が減るようにみえても、消費の拡大や、機器やカードの需要の伸びの効果で、埋め合わせてお釣がきそう。

運営側にできることとしては、とにかく分かりやすくすること。どんなポイントがいくらたまっているかをレシートに印字し、ウェブサイトでもチェックできるよう、即時反映させる、なんて基本的なところは、さっさとやらないとはじまらないでしょ。

現金がそんなに面白いもんではないことを考えると、電子マネーを面白くする工夫にどれだけ意味があるか何ともいえないけど、決済音の前に、ケータイの着信音みたく、好きな音楽なり口上を挿入できたりすると、楽しいかも。「紅茶を淹れてきてちょうだい、チャリン」とか「だって涙がでちゃう、女の子だもん、ワオン」とか。拾ったり盗んだりした人が恥ずかしくて使えないくらいの台詞を入れておけば、セキュリティ向上につながるし。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

来ぬ人を待って一時間ボーっとしているか、ケータイをもつか、そういう選択を迫られても前者を選んじゃう私。日曜日の新宿駅南口改札前で人を眺めてたら、冗談抜きに楽しかったよ〜。頭の中のBGMは石川優子「春でも夏でもない季節」。24年前の歌なんだけど、ちょうどこの季節に人を待ってもう一時間になるぞ、という歌。詩というよりは散文調で、たとえがユーモラスで楽しい。/今週末の鳥取の中華庭園「燕趙園」でのイベントを前に、床屋に行った。35年来、いつも完全お任せで、ヒゲはすっきり剃り落としてもらっていたが、今回初めて注文をつけた。「三国志大戦」のカードを持って、「このキャラにしてください」と。皇甫崇。三国に分裂する前の、2世紀ごろの弱りかけた後漢時代、あちこちで勃発した反乱を鎮める役の軍人。まるでアヤシイ中国人みたいな顔に。発案者は行きつけのメイドバーのkちゃん。顔を見せに行ったら「まさか本当にやるとは」だって。俺、ぜーったいメイドに遊ばれてる飼い猫だ。/この前の日曜の劇団MONT★SUCHTの公演、よかった〜。/数学計算ソフト "Mathematica" は、めっちゃ賢くて、私は仕事で10年来愛用している。以前、デジクリにフィボナッチ数列のことを書いたとき、このソフトで図を出力した。さて、その開発者のStephen Wolfram氏が、今度は検索エンジン "Wolfram|Alpha" を作ったとな! Googleを超えているか? 5月18日(月)公開予定だそう。
< http://www.wolframalpha.com/ >

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■編集後記(5/15)

・裁判員制度は今月21日から始まるというのに、読売新聞の先月の世論調査では「参加したくない」という人は79%である。裁判所だけで65億円余り費やしたという広報のおかげで、このバカ制度の内容を知れば知るほど、人を裁くことへの不安は高まっている。皮肉なことである。郷田マモラの漫画「サマヨイザクラ 裁判員制度の光と闇」上下巻を読む(双葉社、2008-09)。主役は、会社の不正を告発しようとしたために嫌がらせを受け、会社にいられなくなったネットカフェ難民のフリーターだ。彼は裁判員に選ばれ「根古田観音丘殺人事件」に関わる。近隣の主婦3名を殺害したとして裁判にかけられたのは、主役と同じ歳のひきこもり青年。彼は罪を認め自分を死刑にして欲しいと述べた。検察官は理路整然と死刑を求刑する。弁護人は地域住民たちの執拗な嫌がらせが存在していたと法廷で暴き、「集団の悪」こそが「個人の悪」を生んだとして情状酌量を求める。法廷の冒頭手続き、審理、評議室の評議、法廷の判決手続きという裁判の一連の流れがわかりやすく展開されて興味深い。そして、主役を含め、いやおうなく死刑裁判に巻き込まれた一般市民6人の地獄のような評議の苦しみが描かれる。リアルである。こういう場面は必ず現実のものになる。法律の素人は完全に感情を押し殺すことはできず、その感情のあらわれは、アンバランスで不当な判決を生み出す危険性がある。作者はこれを裁判員制度の闇だと言う。では、裁判員制度の光とはなにか。この物語はオタクである主役によって(一般人が裁判に参加することで)奇跡的な結末を迎える。それが光なのか。しかし、作者は言う。裁判に参加した経験を自分自身に生かすこと、それが裁判員制度の光ではないだろうか、と。わたしは絶対違うと思うが、ひとまず意義あるおもしろい作品である。時々背景にあらわれる地獄絵が効果的だ。ドラマ化されフジテレビ系で30日(土)21時から放送の予定だ。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4575835420/dgcrcom-22/ >
アマゾンで見る(レビュー2件)
< http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2009/090326samayoi.html >
ドラマ

・「『たかたかゆび』だったよね? ケータイで変換できないの。」とうちの母。「何言ってるの、『なかたかゆび』でしょ。」と。もちろん「中指」は使うのよ。でも「中高指」と言う時もあって。パソコンで検索してみたら、「高々指」の方が大阪的には正しく、ことえりでも一発変換。「高々指」は「たけたかゆび(丈高指)」の転で、近畿・四国・中国あたりの方言。その他地域との境界では「なかたかゆび」と言うらしい。そうか私は境界型か。/今日は「DTP Booster Vol.1」。準備しはじめてから、今日まであっという間だったなぁ。うまくいきますように。楽しみ〜♪(hammer.mule)
< http://www.weblio.jp/content/たかたかゆび >
< http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/58879/%8Ew/6/ >  指の名称一覧