[2652] 帝国ホテルはインカ帝国の遺跡である!の巻

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<これは、ゼニになりまっせ、大将>

■わが逃走[45]
 帝国ホテルはインカ帝国の遺跡である!の巻
 齋藤 浩

■私症説[05]
 にぎにぎしい人びと
 永吉克之

■展覧会案内
 JAGDA新人賞受賞作家作品展2009 色部義昭・えぐちりか・岡田善敬・榮良太
 Max Huber - a graphic designer


■わが逃走[45]
帝国ホテルはインカ帝国の遺跡である!の巻

齋藤 浩
< https://bn.dgcr.com/archives/20090604140400.html
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こんにちは。なんか最近、サイズの合わない服や、すでに持っている本などを立て続けに買ってしまい、合計16,000円ほど損してしまいました。定額給付金が無駄に消えただけでなく、さらに4,000円ほど赤字になってしまったのです。自業自得といえばそれまでなのですが、なんかもう、くやしくてくやしくて、幸せそうな奴を見かけたら呪ってやりたくなる、そんなケツの穴の小さい齋藤浩です。みなさん、お元気ですか?

さて、ゴールデンウィークに『偏りのある中央線の旅』と題しまして、極親しい間柄の年上の女性Aさん(年齢非公開)とともに東京→名古屋→松本と旅してきました。

今回の『わが逃走』も、その旅の初日に行った博物館明治村! に保存されているフランク・ロイド・ライト設計による『帝国ホテル』(の一部)を中心に語りたいと思います。

明治村とは100万平方メートル(って言われてもピンと来ないよね)もの広大な敷地の中に、明治から昭和初期にかけての名建築が移築保存されている素晴らしい博物館です。

よく地元出身のヒトに「明治村ってどうよ?」と尋ねると、たいてい「あんなとこ、ぜんぜん面白くないからやめとけ」という答えが返ってくるのですが、それを真に受けると、一生後悔します。

なぜ地元出身者は、みな口裏を合わせたように「明治村はつまらん」と言うのでしょうか。それには理由があったのです。彼らにとって明治村とは『小学校の遠足が雨だった場合、しかたなく行くところ』だったのです!!!

それを知ってしまうと、まあ、仕方ないか……と思わなくもない。建築の価値のまだわからない子供達が、雨の中連れて来られたところは、一見遊園地風だけど観覧車もジェットコースターもない、建物しかない公園な訳です。そりゃ、つまらんよなあ。

そういった訳で名古屋の皆さん、大人になった今こそ明治村の真の価値を体感してください。名古屋以外の方は、地元出身者の意見に惑わされずに、明治村へ直行しましょう。

以下前回のつづき。

汽車から見下ろした帝国ホテルは、巨大な積木のようなシンプルで力強いフォルムが印象的だったが、近づいてくるにしたがいスクラッチタイルやテラコッタの装飾などのディテールが際立ってくる。入口付近に立ったとき、まずオレが衝撃を受けたのが、壁面のレリーフ表現だ。まるでインカの遺跡のような力強さ。
< http://www.dgcr.com/kiji/20090604/01 >

片目をつぶってマクロレンズな気持でレリーフを眺めると、それ自体がひとつの都市のようにも見えてくる。思わずBGMに、つボイノリオの名曲『インカ帝国の成立』が聞こえてくるようだ。

で、正面にまわってみると、本当にインカの遺跡っぽい『戦士の像』が池の両脇に立っていたりするのだ。
< http://www.dgcr.com/kiji/20090604/02 >

後で解説のおねいさんに質問してみると、本当にライトはそっち系の遺跡が好きだったのだそうだ。くそーライトめ、極東の島国だと思って自分の趣味で好き勝手に作りやがったな。でも、美しすぎるから許す。

正面玄関付近から庇を見上げてみる。と、そこにも手の込んだ装飾がはめ込まれているのだが、そこを通過して壁面に落ちる影の美しさにぞっとする。
< http://www.dgcr.com/kiji/20090604/03 >

そう、これはただの装飾ではなく、光を和らげるための、いわば調光装置だったのだ。形状は機能に追従すべきなのである。ライトは何十年もの時を超えて、デザインとは何かということを通信教育してくれているのだ。

ありがとう、ライト。あんたは施主の奥さんを寝取ってしまったり不倫騒動を起こしたりと、いろいろ女癖が悪くて評判落として、こんな小さな島国まで逃げてきたのかもしれないけど、あんたの造形に対する考え方は、こうして今でも見るものにしっかりと伝わっているよ。

で、いよいよ中に入ってみた。スゲー。ボキャブラリーが貧困で申し訳ないのだが、ほんと、スゲー。エクステリアだけでなく、その建築内で使用する照明やテーブルに椅子、レストランで使う皿の絵柄まで全てライトが手がけているのだが、デザインとは何か、アートディレクションとは何かを瞬時に理解させてくれる。
< http://www.dgcr.com/kiji/20090604/04 >

今まで『帝国ホテルで使われていた皿』とか『昭和30年代の帝国ホテル』などという写真を見たりしたもんだが、百聞は一見にしかずとはまさにこのことだった。

あの有名な『背もたれが六角形の椅子』を例に挙げると、オレはいままでずっとあの部分を六角形だと信じて疑わなかった訳だが、こうしてライトの設計した建築の中でそれを見てみると、実は六角形ではなく、(概念として)立方体だったのだ! ということに気づいたのだった。

と言葉で言われてもわからないでしょう。
なので頼む、見に行ってくれ。

壁面のディテールも凄い。今だったら絶対不可能と思われる、大谷石と煉瓦との構成美。埋め込まれた灯りが、木漏れ日のごとくやさしく室内を照らす。
< http://www.dgcr.com/kiji/20090604/05 >

もう、なんでこんな素晴らしいものをぶっ壊してしまったんだろう。もし、今でも日比谷に完全な状態で存在していたら、世の中の人は経済と同じくらい文化のことを考えるようになっていたかもしれない。その結果、丸ビルや同潤会アパート、三信ビルなんかも取り壊されずにすんだかもしれない。東京が世界に誇る文化都市になれたかもしれなかったのに。

そう思うともう、クヤシくてならない。でもまあ、一部だけでも保存してくれたことに、ものすごく感謝します。建築とは風景だ。その地で暮らすということは、その地の風景と親しむということなのである。

なので、祖父と孫が同じ風景を共有できないということは、文化の断絶を意味すると思うのだ。建築とは本来、そこに必要だからこそそこに建った訳なので、移築して保存、という考え方は邪道といえば邪道なのかもしれない。

なんだけど、こうもスクラップ・アンド・ビルドという考え方が“社会システム”として永久機関のごとく動き続けている日本という国では、移築保存されているだけでも本当にありがたいと思う。

聞くところによれば、このライトの帝国ホテル、この正面玄関部分すら残さずに跡形もなくぶっ壊されるはずだったのだそうだ。

取り壊しが決まった頃、返還問題で揺れる沖縄で佐藤首相が領土に関する記者会見をした際、一人のアメリカ人新聞記者に「日本は人類の宝ともいうべきライトの名建築を破壊しようとしているが、それに対して何とも思わないのか」と詰め寄られた。その時、とっさに佐藤首相は(秘書に耳打ちされて)明治村に移築保存すると答えたのだそうである。うーん、その記者に感謝だなあ。

で、首相が明言したんだからそれなりに予算が出たのかといえば、結局ほとんど国は金を出さなかったそうで、結果的に予算十数億円のほとんどは明治村が出したのだそうだ。

ほんと、ありがとう明治村。なので皆さん、是非とも明治村に行きましょう。移築されたとはいえ、維持管理には金がかかります。一人でも多くの人が見学に行くことこそ、末永く名建築を残すことに繋がるのですから。

一通り見学した後、建物の裏手にまわってみた。すると、オリジナルの柱の一部が、無造作に転がっていた。大谷石はエッジが削れ、スクラッチタイルは苔が生えている。移築の際、放置されたままになっているのだろうか。不思議なことに、これはこれで妙な美しさを感じてしまうのだった。やはり良い建築はたとえ死しても美しいのだろう。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。

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■私症説[05]
にぎにぎしい人びと

永吉克之
< https://bn.dgcr.com/archives/20090604140300.html
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何かの拍子にふと思い出したのだが、私はもともと絵描きだったのである。いやいや「だった」なんて言わずに、これからもせいぜい描いてくださいよ、旦那様。よござんすか、絵描きなんてもなぁねえ、四十五十は洟垂れ小僧、ほんとうの仕事ができるのは、六十からってえじゃねえですか、とは親父の代から奉公している番頭の辰三。尾形光琳とジミー大西の違いも判らないくせに、むやみに激励してくれるのだが、私としてはどうにもモーティベーションが上がらない。

私の絵描き人生のなかで、最もモーティベーションが上がった年のひとつが、2004年。48歳にして初めての個展。大阪市の谷町というところにある、G庵という、カフェで行なったのを手始めに、その年の間に大阪と東京で合わせて四回も個展を行なった。しかし売れっ子ならば知らぬこと、新参者の身で年に四回も個展をなさるとは、ご乱心の謗りは免れませぬ。お家の瑕瑾ともなりましょう、という家老、高村仁左衛門の諫言も顧みずに行なった余が愚かじゃった。将来を期待できるような反応も得られないまま、東海道個展行脚は終った。

それはもういい。昔の話だ。それにもう絵は描かないと決めたのだから。しかし先日、何年振りかも思い出せないほど不義理をしていた、初個展の会場であるG庵に行ってきた。私のことはすっかり忘れられているだろう、店のドアを開けたら、いらっしゃいませ、どうぞ空いてる席に、なんて他人行儀な挨拶をされるだろうと思っていたら、店主のWさんが私を見て、おいおい永吉さんやんか、久しぶりやなあ、何してたんや、たまには顔出さんかい、このボケカス、二度と来るなと、口を極めて歓迎してくれた。

なのに、こっちが余計な遠慮をして、テーブル席でジョッキに入った生ビールをちびちび飲んでいると、なんやその水飲み鳥みたいな飲み方は、カウンターにおいでえなと、Wさんが声をかけてくれたので、やっと、かつてのような打ち解けた気分になれて、個展をした当時の思い出話を、ひとつひとつ箱から取り出すように楽しむことができた。

                 ●

夕方、G庵に着いたときは、客は私しかいなかったが、カウンター席でWさんと暫く話しているうちに、背後に賑やかな気配を感じた。振り返ると、いつの間にか、二十脚以上あるテーブルがすべて埋まっていた。やはり金曜は客が多い。私はもうびっくりしてしまった。

Wさんが、またウチで個展やってくれ、と言ってくれた。本来ならこっちからお願いするところを、先方から依頼されるなんて恐悦至極なのだが、なにしろこっちにその気がない。いやもう、まったくない。絵なんて、ちっとも描きたいと思わない。ん〜最近どうも気分が乗らないのよねぇ、なんて生易しいもんじゃない。摂食中枢を切除されて、まったく空腹を感じなくなってしまった実験動物のようなものだ。彼らは死ぬまで腹が減らないだろう。私も死ぬまで、絵を描きたいとは思わないだろう。そんな気がするのだ。

Wさんの申し出を無下に断るのもアレだしなあと、私は頭を掻き掻き、何気なしに後ろを振り返ると、テーブル席はさらに賑わっていた。いつの間にかテーブルの上には、この店のメニューが全部出てるんじゃないかと思えるくらい、たくさんの料理や酒が載っていて、私はもうびっくりしてしまった。

私は、申し出を断るというよりも、悩める芸術家の告白といった体裁で、Wさんに言った。個展をする気はあるのだが、ぜんぜん描けない。なにも浮かんでこない。僕はもう搾りカスだ、空砲だ、ピンのなくなったホッチキスだ、停電のときの回転寿司屋だと、文学の香り馥郁たる譬喩を総動員して、自分の落魄ぶりをアピールしたのだが、Wさんは呵々と笑って、芸術家っちゅうのはそういうもんや、しばらく作品ができんと、もう一生あかんような気になってまう。それに耐えきれん奴が道を反れたり、命を断ったりするんや、と言った。

なるほど、こういうことは芸術家本人よりも、芸術家を側面から見てきた人の方が、よく解るのかもしれないと感心した。そのときふと振り返ると、テーブル席はますます賑わっていた。客はさらに増えていて、椅子がなくて立って飲み食いをしている客が十人はいる。テーブルの上には、コップひとつ立てる隙間もないほど食器が置かれていて、どれが誰の注文した料理なのか判らないほど雑然としていた。私はもうびっくりしてしまった。

いつごろから、絵を描くことへの熱意が薄らいできたのかを考えてみるに、やはり、2004年の東海道個展行脚以降ということになりそうだ。ここまでやってもダメか、これだけカネと時間と労力をつぎ込んでもダメか、これほどいい作品を出してもダメか、という失望感である。ダメというのは要するに、反応がなかったということ。悪評がない代りに好評もなかった。ブーイングも拍手もしない観客の前で芝居をしている役者のようなものだ。

もし、誰かに何かを言ってもらわなければ絵が描けないということなら、やはり描くのをやめた方がいい。頭を切り替えようと後ろを振り返ると、テーブル席はいよいよ賑わっていた。客が目立って増えている。テーブル席といっても立っている客の方が多くなっていた。立っているのに疲れたのか、床に坐り込んでいる客もいた。なのに、後から後から客が店に入ってくる。しかも帰る客はひとりもいない。私はもうびっくりしてしまった。

いや、原因は別のところにありそうだ。欲しかった反応というのは、自分の才能に対する反応ではなくて、その作品に商業的価値があるかどうかという反応だったのではないのか。つまり自分の絵がカネになりそうだという手応えが欲しかったのだ。「色彩が美しいわ」「可愛いキャラクターだな」「リアリティがあるね」。そんなものは、私にとっては賛辞でもなんでもない。「これは、ゼニになりまっせ、大将」。これ以外に賛辞なんてものはないのだ。

これで、何もかもはっきりした。私が絵を描く情熱を失ったのは「俺の絵はゼニにならへん」と観念したからだ。しかし逆に、ゼニをやるから、これこれこんな絵を描けと言われたら、そらあんた、描きまっせ。ゼニになるんやったら、猥褻図画でも何でも描かせてもらいまひょ。わてのモーティベーションが上がるも下がるも、なんぼもらえるか次第でんがな。

Wさんから、ヤケになりなやと言われた。冗談冗談、といいながら、後ろを振り返ると、テーブル席がとんでもなく賑わっていた。店の入り口が混んでいたので、窓や通風口から入り込んでくる客もいた。すぐにフロアが人でいっぱいになり、溢れた客は厨房になだれ込んで、自分たちで料理を作り、あまつさえ新しいメニューを作り出していた(G庵の料理のメニューの半分は、このような、厨房へと追いやられた人びとによって作られたのである)。そして彼らは、会計を済ませ、閉店時刻になると、隅々まで掃除をし、戸締まりをして帰って行った。私はWさんとその一部始終をずっと眺めていた。みんな素晴らしい人びとだった。

【ながよしかつゆき】thereisaship@yahoo.co.jp
・無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz
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■展覧会案内
JAGDA新人賞受賞作家作品展2009 色部義昭・えぐちりか・岡田善敬・榮良太
< http://rcc.recruit.co.jp/g8/exhibition/g8_exh_200906/g8_exh_200906.html
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< https://bn.dgcr.com/archives/20090604140200.html
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会期:6月8日(月)〜7月3日(金)11:00〜19:00 日祝休
会場:クリエイションギャラリーG8(東京都中央区銀座8-4-17 リクルートGINZA8ビル 1F TEL.03-3575-6918)
内容:社団法人日本グラフィックデザイナー協会(略称JAGDA)は、現在会員数約2,600名を誇る日本最大規模のデザイン団体である。毎年、会員作品集「Graphic Design in Japan(旧:JAGDA年鑑)」出品者の中から、39歳以下の新鮮かつ作品の質の高いデザイナーに「JAGDA新人賞」を贈っている。この賞はデザイナーの登竜門として注目を集めている。27回目となる今回は、新人賞対象者203名の中から、色部義昭・えぐちりか・岡田善敬・榮良太の4名が選ばれた。会場では、新世代のデザイン界を担う4名の受賞作品および近作を、ポスター、小型グラフィックを中心に紹介する。
◇第212回クリエイティブサロン
日時:7月2日(木)19:10〜20:40
ゲスト:葛西薫・色部義昭・えぐちりか・岡田善敬・榮良太
会場:クリエイションギャラリーG8 入場無料、要予約(TEL.03-3575-6918)

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■展覧会案内
Max Huber - a graphic designer
< http://www.dnp.co.jp/gallery/ggg/
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< https://bn.dgcr.com/archives/20090604140100.html
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会期:6月5日(金)〜6月29日(月)11:00〜19:00 土18時 日祝休
会場:ギンザ・グラフィック・ギャラリー(東京都中央区銀座7-7-2 DNP銀座ビル1F TEL.03-3571-5206)
内容:スイスのグラフィックデザイナー、マックス・フーバーは、ミラノを中心に、ラ・リナシェンテ、オリベッティ、ボルサリーノなどイタリアの有名企業のデザインを多数手がけ、20世紀のグラフィックデザイン界を牽引してきた。本展は、前衛的な美的感覚を巧みに商業デザインに持ち込んだ一人のgraphic designer=商業デザイナーとしてのマックス・フーバーに焦点をあて、デザインワークの全容を紹介する。
◇ギャラリートーク
日時:6月6日(土)15:00〜16:30
出演:室賀清徳(『アイデア』編集長)+葵・フーバー・河野(デザイナー)
会場:DNP銀座ビル5階
先着70名、要予約(TEL.03-3571-5206)

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■編集後記(6/4)

心霊特捜・今野敏「心霊特捜」を読む(双葉社、2008)。タイトルは怪しげだが、軽妙なタッチのミステリーで、青春警察小説というジャンルに入るそうだ。主人公は県警刑事部刑事総務課に所属し、物語の中心となる「R特捜班」との連絡係を担う岩切である。無類の臆病で、びくつきながら事件に関わって行く。「R特捜班」とは、心霊現象がからむ事件を担当する特殊な班で、鎌倉署の一室に常駐する。Rはもちろん「霊」。メンバーは4人で、班長以外は霊能者、それぞれ密教、古神道、沖縄のノロの家系出身である。3人の霊感によって幾多のトラブルを解決して来たが、ほとんどが事件にならない。心霊現象が関係する事件など、検察が認めないし、裁判も成立しないからだ。公式にはR特捜班の働きが評価されることはない。こういうおもしろい設定だから、話がつまらないわけがない。6編の物語はたしかに心霊がからむが、荒唐無稽なオカルト放りっぱなしではなく、常識的な線で解決される。怖いのは心霊ではなく、むしろ人間である。そんなパターンが見られるが、憑依している霊的なものに「R特捜班」が総力戦で挑む話がひとつだけある。けっこうあっさり終わってしまうのが拍子抜け。みかけも性格も個性的な4人に、まともすぎる主人公が狂言回しをつとめるこの短編集、ユーモラスで軽妙なタッチが快く、すいすい読める。ぜひシリーズ化して欲しい。また、いかにも映像向き。ちゃんと芝居ができる5人でドラマ化してもらいたい。マンガ化するなら山崎峰水だな。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4575236322/dgcrcom-22/
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アマゾンで見る(レビュー2件)

・5枚目の写真は驚愕。本当にこれが使われていたっていうの?/永吉さんのイラスト、独特で凄くいいけどなぁ。書籍を購入された方ならおわかりかと。/SOY CMSにセキュリティホール。ダウンロードされた方は、対処方法の書かれたメールが届いていないかご確認を。/紫吹 淳 play without words [DVD]友人から、BS朝日のドラマで紫吹淳が俵かついで踊る、とのメール。宝塚歌劇団をもじった俵塚歌劇団という設定らしいのだが、元ネタの元トップが出るなんて、なんとも贅沢っていうか、ゆるさがいいっていうか。紫吹淳さんは、ほんとに男役な方なので、女優としてテレビに出てらしてもあんまりピンと来ないから、男役として出られるのは嬉しい。私が習っているスタジオの先生方(元OSK)が、元劇団四季や元宝塚の方たちと一緒の舞台に、男役として出てらっしゃるのを見るのも。10年以上かけて男役という職業を身につけるのに、卒業したら男役しないのってもったいないわ。ニュースの写真を見たが、俵かついでここまでかっこいいのはさすが。宝塚は女性が男役と娘役をするから、区別をつけるためにも男役は「そんな男性いません」なぐらいキザキザだったり、逆に中世的(フェアリー)だったり。娘役は「そんな女性いません」なぐらい乙女や淑女。でも脇の人たちは、娼婦や子供、老人や動物、人形までやるよ。「清く正しく」なわりに、不倫話は多いし、エロすぎやしませんか? なシーンもあるよん。(hammer.mule)
< http://www.dgcr.com/books/
>  永吉本サンプルPDFあり
< http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2009060102000133.html
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俵かついだ紫吹淳さんの画像あり
< http://www.bs-asahi.co.jp/nitobe/
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