[2653] 暗く深い森のような謎が残った

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<僕はカールツァイスに弱い(笑)>

■映画と夜と音楽と… 421
 暗く深い森のような謎が残った
 十河進

■ところのほんとのところ[18]
 SONYは本気だ!
 所 幸則

■気になる情報・記事CLIP


■映画と夜と音楽と… 421
暗く深い森のような謎が残った

十河進
< http://bn.dgcr.com/archives/20090605140300.html >
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●先行する名作の有名なシーンをなぞるデ・パルマ監督

映画監督というのは、映画が好きで好きでたまらない人が選ぶ職業かもしれない。私はこんなに映画が好きなのだ、というシーンを自作に挿入する監督は多い。先行する名作の有名なシーンをなぞるのは、ブライアン・デ・パルマ監督だ。彼はヒッチコックへのオマージュが多いが、「アンタッチャブル」(1987年)ではエイゼンシュタイン監督「戦艦ポチョムキン」(1925年)のオデッサの階段シーンをシカゴ駅で再現してみせた。

大森一樹監督はロベルト・アンリコ監督「冒険者たち」(1967年)の熱心なファンだが、劇場映画デビュー作「オレンジロード急行(エキスプレス)」(1978年)にも「恋する女たち」(1986年)にも「冒険者たち」のラストの要塞島の上でひとり絶望するリノ・ヴァンチュラを、ゆっくり回転しながら撮影したヘリコプター・ショットにオマージュを捧げたシーンが登場する。

映画の中で映画のことを話すのを好んだのは、フランスのヌーヴェル・ヴァーグの監督たちだ。彼らは元々が「カイエ・デュ・シネマ」という映画評論誌に寄稿する映画狂たちだったから、おそらく四六時中、映画についてしゃべりまくっていたのだろう。かれらはパリのシネマテークに通い、古今東西のあらゆる映画を見た。その代表的な監督はジャン・リュック・ゴダールとフランソワ・トリュフォーである。

トリュフォーの長篇デビュー作「大人は判ってくれない」(1959年)のアントワーヌ・ドワネルは映画館に入り浸る不良少年である。トリュフォーの分身アントワーヌを演じたのは、ジャン・ピエール・レオーだった。彼は成長してもトリュフォー映画でアントワーヌを演じ続けた。ヌーヴェル・ヴァーグを代表する俳優として、ジャン・ピエール・レオーを挙げる人は多い。

そのレオーを主演にしてゴダールが作ったのが「男性・女性」(1966年)だ。相手役は日本でも歌がヒットしたシャンタル・ゴヤである。「男性・女性」のレオーは映画青年で、先行する映画のセリフを口にしたりする。映画館ではスクリーンの規格が違うと、抗議しに映写室に乗り込んだりする。彼はスタンダードサイズやシネスコサイズ、ビスタビジョンサイズの比率を正確に口にする。ゴタールの映画への強い思い入れが伝わってくる。

ベルナルド・ベルトルッチ監督の「ドリーマーズ」(2003年)も、おそらく監督自身の映画体験をベースにした映画である。イタリア人のベルトルッチは早熟な青年だったらしく、20歳で映画界に入ったという。彼が映画的啓示を受けた映画監督はジャン・リュック・ゴダールであり、「勝手にしやがれ」(1959年)だったのだろう。

「ドリーマーズ」の中でヒロインのイザベラは「私は1959年にシャンゼリゼの舗道で生まれた」と言い、「最初に発した言葉は『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』」と大声をあげる。その瞬間、ゴダールの「勝手にしやがれ」のジーン・セバークがニューヨーク・ヘラルド・トリビューンを売り歩くシーンが挿入されるのだ。

「ドリーマーズ」の時代設定は1968年である。大学生であるイザベルの生まれが1959年であるはずがない。それが「勝手にしやがれ」が撮影された年であり、あの有名な「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」を売る声を知らないと、見ている方は混乱してしまう。この映画は、観客に映画的知識を要求する。

イザベラのセリフは、ベルトルッチ本人のものだと思う。「勝手にしやがれ」の公開当時、ベルトルッチは18か19歳。その映画から、全身に電流が流れたほどのショックを受けたに違いない。早くから詩人として認められていたという青年である。その鋭敏な感受性にヌーヴェル・ヴァーグの映像が与えた影響は大きかったはずだ。

●「俺は最低だ!」とジャン・ポール・ベルモンドになりきる

アメリカ人の20歳の青年マシューは、フランスに留学している。映画狂の彼は、毎日のようにシネマテークに通う。1968年の春、シネマテークの創設者アンリ・ラングロアを文化相アンドレ・マルローが追放した事件を発端にして、映画ファンたちが抗議集会を行う。そのとき、映画狂たちをアジテートするトリュフォーやジャン・ピエール・レオーの実写フィルムが挿入される。

その混乱の中で、マシューはフランス人の双子の姉弟と仲良くなる。イザベルとテオは作家の父を持つ仲のよい姉弟だ。彼らは父母が一ヶ月ほど旅行でいなくなるので、学生ホテル住まいのマシューを自宅に招く。三人の生活が始まる。イザベルもテオも、突然、映画のセリフをしゃべり出したり、何かの映画の真似を始めたりする。それが何の映画かを当てるのが彼らのゲームだ。マシューはほとんどの映画を当て、彼らの同志として受け入れられる。

そんな無邪気な「映画ごっこ」を見ていると、若い頃の僕自身を思い出す。僕と友人たちは「さらば友よ」(1968年)のように水をたっぷり注いだグラスにコインを何枚沈められるかを賭けたり、「男性・女性」のジャン・ピエール・レオーの真似をしてタバコを放り投げて口で受け止めたりしていた。よろよろと舗道でよろめいて倒れ込み、「俺は最低だ!」と「勝手にしやがれ」のジャン・ポール・ベルモンドになりきった。

イザベルとテオの映画ごっこは、どんどんエスカレートする。ゴダールの「はなればなれに」(1964年)の中に、主人公であるふたりの男とひとりの女がルーブル美術館の中を駆け抜けるシーンがある。イザベルは、それをやろうと言い出す。映画の三人は9分45秒で走り抜けたのだが、「私たちで、その記録を破るの」と目を輝かせる。「あれは映画だ!」とマシューは怯むが、イザベルの目はすでに常軌を逸している。

そのルーブル美術館を駆け抜けるシーンが素敵だ。モノクロームの「はなればなれに」のシーンとカラーで撮影されたマシュー、イザベル、テオのシーンが短いカットでつながれる。カメラアングル、人物のアクションなどが見事につながっているのに感心する。彼らは9分28秒で走り抜け、「17秒の記録更新だ」と喜び合う。マシユーはすっかり彼らのペースに取り込まれる。

ある日、イザベルが仕掛けた映画がわからなかったテオは、イザベルに罰ゲームとして目の前でのマスターベーションを命じられる。マシューは彼らの異常さに気付く。さらに、彼らが同じベッドに裸で抱き合うようにして寝ているのを覗き見る。そして、とうとうテオの仕掛けた映画ゲームでイザベルが負けたとき、テオは罰ゲームとして「僕の前でマシューとセックスしろ」とイザベルに命じる。

「ドリーマーズ」はテオを演じたルイ・ガレルもいいけれど、陰毛はおろか性器さえ晒してエキセントリックに熱演したイザベル役のエヴァ・グリーンが印象的だった。美しいというより、その独特の視線を放つ両の目に惹き付けられる。「ドリーマーズ」を見たジョルジョ・アルマーニもそう思ったらしく自社のモデルに起用し、リドリー・スコット監督に推薦したという。

僕は、先にリドリー・スコット監督の「キングダム・オブ・ヘブン」(2005年)を見た。不思議な目をした、ある意味では病的な表情をした女優だと、妙に印象に残ったことを憶えている。さらに、「007/カジノ・ロワイヤル」(2006年)で若きジェイムズ・ボンドが愛するヴェスパー役を演じたが、あのときも目の周りを真っ黒に塗ったパンダ化粧をし、冷たく誘惑的な視線でボンドを虜にした。

調べて驚いたのだが、エヴァ・グリーンの母親はマルレーヌ・ジョベールだという。マルレーヌ・ジョベールは「男性・女性」にも出演していたけれど、日本でヒットした主演作はルネ・クレマン監督の「雨の訪問者」(1970年)だった。「さらば友よ」でブレークしたチャールズ・ブロンソンが、そのままヨーロッパで主演をしていた頃の映画である。

●怪しい官能の世界に入っていく思わせぶりな映画

「ドリーマーズ」は、ベルナルド・ベルトルッチ作品がすべてそうであるように、次第に怪しい官能の世界に入っていく思わせぶりな映画だった。常識的でスクエアな優等生だったマシューは、双子の姉弟によって異世界を体験させられる。正直に言うと、ベルトルッチ作品は意味ありげなくせに難解で、僕はよくわからないことが多いのだが、その画面の美しさや充実度は比類がない。

日本で最もヒットし知られているのは「ラスト・エンペラー」(1987年)だろう。最初に描かれた溥儀が子供の頃の紫禁城を写した素晴らしい映像は、今も甦らせることができる。デブラ・ウィンガーとジョン・マルコビッチが出演した「シェルタリング・スカイ」(1990年)のアフリカの砂漠の美しさも忘れられない。物語は、やはり思わせぶりで、意味ありげではあったけれど。

ベルトルッチ監督が日本で一般的に知られるようになったのは、「ラストタンゴ・イン・パリ」(1972年)からだった。話題になった大きな要素は、セックス描写である。「大胆なセックス表現…」というキャッチコピーがつけられる映画は、それだけで話題になる。おまけに「ゴッドファーザー」(1972年)でマーロン・ブランドは再び注目されていた。そのブランドが過激なセックスシーンを演じたのである。

しかし、僕は「ラストタンゴ・イン・パリ」はさっぱり訳がわからなかったし、何の感銘も受けなかった。唯一、印象に残ったのは主題曲である。アルゼンチン出身のテナーサックス奏者ガトー・バルビエリが作曲した単純なテーマだが、音階が次第に上がっていく哀愁に充ちた展開で僕の愛聴曲になった。今でも、様々なジャズ・プレイヤーが演奏している。

ベルナルド・ベルトルッチという名前が熱心な映画ファンの間で評判になったのは、1972年の秋のことだった。日本で初めて「暗殺の森」(1970年)が公開になったときだ。ベルトルッチ作品としては5作目だったが、それまで彼の作品は日本公開にはならなかった。商業的に成功させるのがむずかしい、と判断されたのかもしれない。「暗殺の森」だって、決してわかりやすい映画ではなかった。

アルベルト・モラヴィアの小説を映画化した「暗殺の森」はイタリアのファシズムの時代を描き、誠に美しい映像を見せてくれた。撮影監督ビットリオ・ストラーロの名人芸だ。これほど美しく官能的な映像を僕は見たことがない。官能的であるが故に、どことなく頽廃が漂い、映像の持つ力が緊張感あふれるサスペンスを生み出すのだ。

ファシズムに反対しパリに亡命している元恩師の教授暗殺を命じられたファシスト党に加盟する主人公(ジャン・ルイ・トランティニアン)は、新妻(ステファニア・サンドレッリ)を伴ってかつての恩師を訪ねる。教授の若い妻(ドミニク・サンダ)は彼の意図を見抜きながら、彼と深い関係になる。そんな複雑な関係の彼らが一緒に踊るダンスホールのシーンは、映画史に残る美しさだ。

赤いタングステンの光が世界を覆い、濃紺の夜空が背景を彩る。華やかにライティングされたダンスホール。ドミニク・サンダもステファニア・サンドレッリも、この世のものではないほど美しく輝いている。くっきりとしたコントラストと輪郭のはっきりしたライティングによって描かれる美女たちを、ストラーロのキャメラが艶めかしく映し出す。耽美的であり、蠱惑的である。何かが起こる予感でゾクゾクしながら、深みのある映像の美しさに浸れる。

そのシーンと対照的なのは、雪の降り積もった森の中の暗殺シーンだ。主人公は教授夫妻の乗ったクルマを追う。やがて深い森の中へ。教授を暗殺しようとする男たちがクルマを停め、教授夫妻を引きずり出す。目を覆いたくなるような凄惨でリアルな殺人現場が美しい映像で描かれる。白い雪、暗く深い緑の森、クルマのライト、飛び散る真っ赤な血…、それを目撃している主人公にその光景がくっきりと刻み込まれる。

ベルトルッチ映画はどれも思わせぶりで意味ありげだが、意味を理解しようとせず映像を体験すれば何かが伝わってくる。それも、かなり深い部分に響いてくる。だが、謎は謎として残る。救いを求めるドミニク・サンダを黙って見つめ見殺しにするトランティニアンの心理…、それは30数年を経ても未だに僕にとってはあの暗い森のように深い深い謎なのだ。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
会社のコンペに参加。同じゴルフコースで講談社主催コンペもやっていて、キャディマスター室前で「プロゴルファー猿」の安孫子素雄さんと接近遭遇。もみあげが「猿」にそっくりでした。高橋三千綱さんや伊集院静さんも参加していました。伊集院さんのゴルフ小説集「むかい風」は短編のお手本のような話が18本並ぶ名作です。きっとシングルハンデなのでしょう。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

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■ところのほんとのところ[18]
SONYは本気だ!

所 幸則
< http://bn.dgcr.com/archives/20090605140200.html >
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最近、たて続けに新しい機材が到着した。α900(SONY)と、DP2(SIGMA)だ。どっちも興味があったカメラだ。

●SIGMA DP-2

僕としては、DP1からどういう形で使い勝手がよくなるのか、すごく興味があったし、3連写したあとのフリーズ状態が短くなればそれでいいとも思っていた。

使ってみると、かなりサクサクだ。ただ、暗がりだとピントがなかなかあわない。まあ、僕は太陽の出てる時間帯に、渋谷を撮るために使うので。つまり、「渋谷1sec」用に考えていたから。DP1とDP2の二台あれば、[ところ]のランドスケープのほぼすべてに対応できそうだから、充分使えそうだ。

縦位置がDP1、横位置がDP2って使い方かな? ただ、問題は操作系が少し変わってしまったので、使うときに戸惑ってしまうってことだと、[ところ]は思った。ちょっと混乱してしまったのだ。でも、ほぼ同じセッティングにしておけば、だいたい解決するのかなとも思っている。

そこで、もう一つ気になり始めたのが、DP1の遅さだ! [ところ]はほんとのところまったくといっていい程、気にしてなかった。DP1だけのときは。

だって、性能は中判なみの解像度があるのだから、使い勝手もハッセルだと思えばいいのだ。そう割り切っていたからだ。しかし、DP2が使いやすくなったことで、DP1に持ち替えた時にストレスを感じるようになってしまった。

こうなると、なんとしてもレンズがDP1で、他がDP2バージョンを出してもらうしかないなー、お願いしますよ、シグマさん。

●SONY α900

そしてやってきたα900、雑誌広告で見る限り、どうも頭がでかくてカッコ悪いじゃないかという先入観があったけれど、実物をさまざまな角度から見てると結構かっこいい。

驚きは、のぞいた時のファインダーの明るさと広さだ。性能が同等なら、ファインダーがいいほうが良いに決まってるというのが[ところ]の持論だ。一眼レフはいつもその基準で選んで来た。

ずいぶん前にも、キヤノンEOS-1DS Mark IIと某メーカーのカメラがフラッグシップだったとき、のぞいてすぐにキヤノンにしたのだ。レンズは、もう一方のメーカーのを沢山持っていたにもかかわらずそうした。

それと、バリオゾナーの存在だ。[ところ]はカールツァイスに弱い(笑)。以前も初代コンタックスRTS(フィルムカメラ)を使っていて、バリオゾナーの出来の良さに惚れ込んでいた。

当時、カメラ本体が壊れやすくて、泣く泣く変えてしまったけれど、いいバリオゾナーが24〜70と16〜35の二本出ていた。どちらも形、大きさ、長さ、重さがほとんど変わらない。付け替えても、まったく感覚がかわらないのだ。

もちろん、僕らはプロなので、下に縦位置グリップVG-C90AMをつけてるのだけれども、それだとまったくレンズの重さが気にならない。総重量としては重いので、か弱い人にはおすすめできないけれども。

Vario-Sonnar T* 16-35mm F2.8 ZA SSMは、写真雑誌では評価が低かったりするんだけど、端の方まで描写もすごいし。僕は最高の評価なんだけど、軽ければいいみたいな風潮がちょっとわからない[ところ]だった。

ミノルタの技術資産とソニーのブランド力、資金力。そしてカールツアイスの思想。これからソニーは凄いことになると信じたいですね。

●Sony World Photography Awards

それから、ソニーがスポンサーとして支援する、世界最大規模の写真コンテストのグローバルツアー写真展が東京で開催中です。

Sony World Photography Awards Global Tour 2009/2010
「Sony World Photography Awards(SWPA)2009」

本写真展は、グローバルツアーとして中国・香港を皮切りに世界10都市に巡回しています。東京展は、銀座・ソニービルとお台場・GALLERY 21の2か所で行われています。本当の写真好きなら、ファインプリントの展示をしているお台場・GALLERY 21にぜひ行ってください。もの凄くレベルが高いです。

会期:2009年6月2日(火)〜2009年6月14日(日)10:00〜20:00
会場:GALLERY 21
東京都港区台場2-6-1 ホテルグランパシフィック LE DAIBA 3F
TEL.03-5500-6711 入場無料
< http://www.grandpacific.jp/facilities/gallery/ >
< http://www.klee.co.jp/g21/2009/swpa2009/index.html >
授賞式はカンヌ映画祭と同じ会場だったそうです。
やっぱり、SONYは本気だ!

〈参考〉ソニー、「SWPA 2009」巡回展のオープニングレセプションを開催(デジカメWatch)
< http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/20090603_212275.html >

PS:
僕の友人のフランス在住歴28年の画家が、6月10日から16日まで、南青山で個展を開きます。東京初上陸なので、是非見てください。ラスコーの洞窟壁画や、オーロラからインスピレーションを得た不思議な絵です。もうフランス人の絵になってますね。

"CONSTELLATION"星座2009 西美公二展
< http://www.dokart.com/exhibition/latest.html >
会期:2009年6月10日(水)〜16日(火)12:00〜19:00
会場:DOKA Contemporary Arts+LADS Gallery
東京都港区南青山7-1-12 TEL.03-3407-3477
オープニングレセプションは13日(土)18時からです。
みなさんお越しください。[ところ]も行ってます。

【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則
< http://tokoroyukinori.seesaa.net/ >
所幸則公式サイト
< http://tokoroyukinori.com/ >

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■気になる情報・記事CLIP
< http://bn.dgcr.com/archives/20090605140100.html >
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●“マンガの殿堂”の目的は? 里中満智子氏ら「箱物」批判に反論(INTERNET Watch)
< http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2009/06/04/23684.html >

●「"アニメの殿堂"必要」──里中満智子さんら、「原画やゲーム基板の保存場所を」と訴え(ITmedia)
< http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/04/news104.html >

●飯沢耕太郎トークイベント『戦後民主主義と少女漫画 〜大島弓子、萩尾望都、岡崎京子を読む〜』6月11日(木)19時〜 ジュンク堂書店池袋本店4F喫茶 ドリンク付きで1,000円(予約TEL.03-5956-6111)
< http://www.junkudo.co.jp/newevent/talk-ikebukuro.html >

●文化庁、海外向けに日本の文化芸術に関する各種情報を提供するポータルサイト「日本文化芸術オンライン」
< http://www.bunka.go.jp/culture-online/jp/about.html >

●Webデザイン解体新書-3 YouTubeを徹底的に使った公式サイト「Boone Oakley」(マイコミジャーナル)
< http://journal.mycom.co.jp/column/anatomyofwebdesign/003/ >

●【レポート】アドビ、デザイン、教育機関─アドビの教育への新しい取り組み(マイコミジャーナル)
< http://journal.mycom.co.jp/articles/2009/06/02/education/ >

●マイクロソフト、Webクリエイター必見のイベント「ReMIX Tokyo 09」開催(マイコミジャーナル)
< http://journal.mycom.co.jp/news/2009/06/01/006/index.html >

●明和電機、中村勇吾らの作品も展示─「山中俊治ディレクション『骨』展」(マイコミジャーナル)
< http://journal.mycom.co.jp/news/2009/05/28/027/index.html >

●つまらない? おもしろい? 横浜・開国博Y150を採点!(後半)(nikkei TRENDY net)
< http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20090601/1026667/ >

●凸版印刷と東京国立博物館、幻の江戸城を再現したVR映像を上映(nikkei TRENDY net)
< http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/news/20090602/1026715/ >

●エプサイト実験室 JPEGとRAWの違いを徹底実験!
< http://www.epson.jp/epsite/seminar/cat_laboratory_02.htm >

●レンジファインダカメラのこころ2 海津式レンジファインダ術-1「R-D1を28mmから始める」(マイコミジャーナル)
< http://journal.mycom.co.jp/column/rd1/002/index.html >

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■編集後記(6/5)

怪のはなし・加門七海「怪のはなし」を読む(集英社、2008)。筆者が遭遇した実録怪談20編をおさめる。集英社WEB文芸RENZABURO[レンザブロー]で連載した「怪談宵月夜」を再編成したものだと思う。こんなこわい目にあった、もう二度とごめんだという、モノたちの蠢く身辺雑記だ。雑誌「幽」の「怪談徒然日記」でも、モノに出会う日常を淡々と記しているが、本当にこの人のまわりは怪異だらけだ。「怪のはなし」では、読んでいるときはそんなにこわくないなと思いながらも、でもこれは実話なんだと気づくとやっぱりぞっとする。恐怖を増幅させる演出を加えた文章ではない。逆に抑え気味で、事実、体験しか書かない。「出て来たモノの気持ちを思うと、話の枝葉もいじれない」そうだ。こわい話なのにユーモラスに語るのも真骨頂。筆者はこわい目にあっても、なかなか懲りず、最近は怪異に人生を教わったり、感動させられたりする、など余裕を見せるが、これは本気でヤバいですと脂汗流して必死に逃げるケースもある。読んでいて自分の背中方面が寒くなる。それでも読後感はいいのは、「私は彼らをネタにして、生活の糧の一部にしている。ならば、最低限、モノ達の権利と尊厳は守りたい」という信条が貫かれているからだろう。なぜか、加門七海の小説も2冊続けて読んだ。「真理」「203号室」(ともに光文社文庫書き下ろし)だ。じわじわ迫る恐怖。ノンストップ・ホラー。救いがないから、読後感はよくない。彼女は現在[レンザブロー]でエッセイ「家運猫運怪乱万丈!」を連載中だ。しかし、わたしも好きねえ。(柴田)
< http://renzaburo.jp/ > 集英社WEB文芸RENZABURO
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087712567/dgcrcom-22/ >
アマゾンで見る(レビュー3件)

・モニタの前に体長1mm以下の虫。が、ちょっと様子がおかしい。吹いても飛ばない。超マイペース。よくよく見ると表面ではなく、中にいることが判明。隙間から風を送ろうがゆすろうがダメ。無視して仕事をしようと思うのだが、何せモニタの中。あちこち走り回るので気になって仕方がない。解決方法はないのかと検索したら、結構皆さん同じ目に遭っていることが判明。YouTubeに動画まであったよ。モニタ表面のすぐ後ろにいるような錯覚を覚えるんだけど、照射しているから本当はもっと遠くにいるんだね。古い本棚を整理しようとしたのが根本原因か……?(hammer.mule)
< http://okwave.jp/qa138076.html >  液晶画面の中に虫が!
< >  そっくり