ネタを訪ねて三万歩[54]永遠に不変な記憶の黄金比
── 海津ヨシノリ ──

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●思い出の比率

随分前にテレビで知った気になる話のひとつに、「思い出の比率」というものがあります。曰く、良い思い出が60%、悪い思い出が30%、どちらでもない思い出が10%という割合をキープ出来ないと、人は生きていられないのだそうです。バランスを保っている人に新しい「良い思い出」が加わることで、思い出のバランスが崩れ始めると、全体のパランスを保つために脳が「良い思い出」「悪い思い出」「どうでもいい思い出」のバランスを調整するらしいです。そして、驚くべきことにこの比率は人種、民族、世代に関係なく共通なのだとか。

そういえば、冷静に考えてみると、若い時は怒り心頭であった思い出の幾つかが、いつの間にか良い思い出にすり替わっていることに気がつきました。正確には「それほど怒り狂うような思い出ではなくなっている」に変化してしまった感じです。恐らくこれは、誰もが感じていることではないでしょうか。古い記憶ほど「良い思い出」になりやすい……と。そのためか、子供の頃の記憶はどれも私にとって楽しく痛快な出来事ばかりに変化していました。

ALWAYS 続・三丁目の夕日[二作品収納版] [DVD]今月のお気に入り映画でも触れていますが、授業で使う予定で、"ALWAYS 三丁目の夕日"と、"ALWAYS 続・三丁目の夕日"のスペシャルエディションDVDを買い、改めて二本続けてじっくりと二度も見てしまいました。今更ここで私が解説するようなマニアックな作品ではないので御託を並べるのはやめますが、1958年というのは、新しい東京が生まれ始めた年と言っても過言ではありませんね。東京タワーがその象徴みたいなものですから。



つまり、そんな年にスポットを当てたこの二本は、私にとって遠い記憶の糸口になっています。例えば、個人的な好みでいうと特に続編が好きです。オープニングと、エンディング前の山場シーンは無条件降伏です。もちろん、全編にわたっていい人ばかりが出演していて、きれいごとに終始しているという批評もあるようですが、遠い昔の記憶は誰にとっても永遠のお伽話に変化しているわけなので、あのくらいでいいのだと思っています。いや、子供の頃の記憶がお伽話になっていることに、喜びを感じるべきなのかもしれません。

しかし、さすがに私には東京タワーの建設中の記憶はありませんが、首都高速道路ができる前の日本橋の記憶はしっかりとあります。ずっと後になる、環状七号線の淡島交差点あたりの工事現場の記憶も、国道246号線に路面電車が走っていて、高速道路などなかったころの町並みを鮮明に覚えています。まさに"ALWAYS 三丁目の夕日"の路面電車のシーンそのもの。そして芋づる式に様々な海津ヨシノリ物語の前編シーンを思い出してしまいます。

美女と液体人間 [DVD]当時の映画なら、1958年から60年にかけて制作された「美女と液体人間」「電送人間」「ガス人間第一号」あたりを見ると、そのころの世相や生活感が画面から溢れていて、思わずタイムスリップしてしまいます。もっとも、当時の私はまだ地面に近いところしか見えていなかったはずなので、この感覚はどこから湧いてくるのか正直良くわかりませんが。少なくとも、70年代中盤ぐらいまでは60年代の空気が、まだ色々なところに残っていたからかもしれません。

もちろん、鮮明な記憶もあります。例えば、何故か私には勝鬨橋(かちどきばし)の跳開を見たことがあるので、ある意味かなりマニアックな年代(?)かもしれません。勝鬨橋に関しては、平成版「鉄人28号」のオープニングに、跳開シーンが盛り込まれていて大興奮したのを思い出しました。やはり鉄人28号は、オリジナルの昭和30年代前半の設定でなくてはダメですね。そんなことを考えるのも、アニメーション文化論を準備中だからでしょう。

●アニメーション文化論を担当

駿河台大学メディア情報学部にて、病気療養中の先生の代役として思いがけず昨年9月から授業を持つことになり、今期もそれが継続される話を連載46回目にしました。ところが、今回限りだとは思いますが、今年の後半から「アニメーション文化論」という講義も急に担当することになりました。そのため、春先から資料整理やDVD確保に大騒ぎしています。ただ、DVDに関しては大学側がリクエストに応えて購入してくれるので、大変助かっています。

さて、肝心の講義ですが、これは私にとってまったく予想外な方向ではないのです。アニメーション文化論のサブセット版を、既に行っていたからです。それは、多摩美術大学造形表現学部におけるコンピュータ画像処理論という講義の中で、気分転換に始めた数分間のShowTime。学生達が言う通称オタクネタ(最初に言ったのは私自身)という、終了間際の数分間に行っている内容そのものなのです。

ただし、このShowTimeはアニメに限定しているわけではありません。私が調べた範囲で歴史的に意味のある作品、その後の文化に大きく貢献した作品を中心に、時代背景や制作裏話などを語るという内容。そして押さえておきたいCMやパフォーマンス映像といった感じです。ところで、これを行う前の私にとって、単にアニメと言えば手塚治虫作品がかなりのウエイトを占めていたのですが、3年目に入ってみると、私が本当に好きだったのは横山光輝であったことに気がつきました。

とにかく駿河台大学でのアニメーション文化論は、勢いですぐにも爆発してしまうようなお話であり、無条件快諾してしまったわけです。もちろん、チェコやロシア、カナダなどの非セル画系アニメーションにも触れるのは当然です。ただ、独自の視点で日本固有のアニメーション表現のルーツが江戸文化にあるというくだりは、熱く語りたいと考えています。

実は、メディア情報学部ということで、高校の数学を復習し始めました。かなり忘れているのですが、もともと化学工学科を専攻していた私は、数学(もちろん化学も)が嫌いではなかったので、なんとか昔の感覚を取り戻したいというわけです。講義内容の範疇ならそんなことはまったく必要ないのですが、気持ちのリセットという私のこだわりです。あともうひとつ、復習と新たな勉強もあるのですが、それは別の機会のネタにしたいと思います。

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ジューシィ・フルーツ ゴールデン☆ベスト-多汁果実 品質特撰-今月のお気に入りミュージックと映画
"これがそうなのね仔猫ちゃん" by ジューシィ・フルーツ in 1981
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"ALWAYS 三丁目の夕日" by 山崎貴 in 2005(日本)
"ALWAYS 続・三丁目の夕日" by 山崎貴 in 2007(日本)
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■アップルストア銀座のセッション 8月17日(月)19時より
Made on a Macとして画像処理セッション
海津ヨシノリの画像処理テクニック講座Vol. 37 
Photoshopのフィルタ調整と色調補正の組み合わせによる平面モデリング技法。平面モデリングとは、エンドレスの加工処理を示す私的造語。
エンドレス処理の中から生まれる、不思議なデザインイメージについて検証してみます。
予約無用・参加無料・退席自由ですので、気軽に参加してください。
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【海津ヨシノリ】グラフィックデザイナー/イラストレーター
yoshinori@kaizu.com
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○ゴーストフレンドに熱中

NHK総合で木曜日の20時から放送していた、高橋留美原作の「ゴーストフレンド」にはまっていました。このドラマは、幽霊が見えるようになった女子高校生が主人公の青春ドラマで、どう見て対象は中高生以下。方向性としては、以前取り上げた「浪花の華 緒方洪庵事件帳」の次のドラマ、といった感じで放映されていました。ただし、今回ここで取り上げるにはタイミング的に最悪。なにせ、最終回は6月11日でしたので。しかし、ヒロインの数年後まで踏み込んだラストで、涙腺が少し緩んでしまいました。やはり、ドラマはストーリーを生かすも殺すもキャスティングですね。前記したように、完全にティーンエイジャー向けのドラマなのですが、私はこんな世界観が大好きです。私の精神年齢が大人になりきれていないなのかもしれません。主演は福田沙紀[ヤッターマン2号]と西島隆弘[AAA(トリプル・エー)]で、主題歌は、ゆずの「逢いたい」という、かなり豪華な布陣でした。
< http://www.nhk.or.jp/drama8/ghostfriends/
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○ローマ字かな変換は電子辞書だけ

私は、コンピュータを使い始めた頃から、日本語変換処理は「かな入力」で通してきました。かなり奇異の目で見られることもありますが、意外に編集関係の方に少なからずいることを知って安堵していたりします。ただし、世の中、「かな入力」が使えない機器が存在しているから話がややこしくなってしまいます。例えば愛用の電子辞書。機能で購入したために「かな入力」を犠牲にしています。そのため、その電子辞書を使うときには両手の親指だけで、素早く変換している自分をかなり不気味に感じています。かつては「かな入力」の出来る電子辞書を持っていましたが、とんでもなく「タコ」な製品で、信じられないほど簡単な単語もひっかからないという馬鹿辞書のためにすぐさま破棄。世の中うまくいきません。それだったらパソコンも「ローマ字かな変換」に変えてしまえばいいわけですが、どうしても馴染めません。