わが逃走[47]思い込み再び の巻/齋藤 浩

投稿:  著者:  読了時間:7分(本文:約3,000文字)


みなさん、こんにちは。私はどうも最初に「こうだ」と思い込んでしまうと、それが誤った情報でもそのまま突き進んでしまう性分のようです。

以前『わが逃走 第7回 思い込んだらの巻』でも描きましたが、例えばモノの名前から物語の内容に至るまで、自分の脳内で一度こうだ! と思った事柄は、わりと自信をもって間違え続けてしまう。

しかも時間の経過とともに誤った情報も増幅していき、しまいには正しいことを言ってる相手を小馬鹿にしてしまったりするのです。ああ、穴があったら入りたい。そして、真実を知った後で激しく反省するのです。

まあ今のところ、これといって他人に危害を与えるような危険な思い込み(参照:実話1)はしてないのですが、油断は禁物です。



実話1◆赤信号

私の知人で、良家の子女・H本さん(仮名)という美女がいる。生まれも育ちも学歴も、そりゃもう超お嬢様。ただ、幸か不幸か特異な美意識とおかしな常識を持ち合わせていたのだ。例えば、某やんごとなき一族も通うという中学に在籍していた頃は、北関東の暴走族のお姫様になることを夢見ていたとかね。

しかし、残念ながらそのような価値観を理解してくれるご学友が皆無だったため、そのまま仕方なくエスカレーター式に大学をご卒業、なぜかコピーライターになったという経歴を持つ。

噂によればずいぶん前に離婚して、現在は年齢を8歳ごまかして若い男とつきあってるらしい。最近会ってないけど、元気にしているだろうか。なんて言ってみたが、奴に限って絶対元気じゃない筈はない。

で、そのH本さん(仮名)が20代前半だった頃か。運転免許を取得すべく自動車学校に通っていて、助手席に教官を乗せてコースに出たときの話だ。

そのとき彼女は、信号が赤になったのにアクセルを踏み、交差点を通過しようとしたのだ。教官が慌ててブレーキをかける。
「何やってんだ! 信号を見なさい」
「え? 見てますよ。ほら、赤ですよ」
「だから赤だろう」
「赤ですね」
……的なやりとりが行われたらしい。

恐ろしいことにH本さん(仮名)は、赤信号の意味を20数年間『すすめ』だと思っていたのだ。厳密にいえば、ちょっと違う。彼女の理屈によれば「歩行者用の信号が赤になると車が走り出すじゃないですか。なので、赤になったらから車を走らせたんです」なのだそうだ。

その話を聞いたとき、どっと疲れたというか、世の中に嫌気がさしたというか、まあそんな気持になったことを、つい昨日のことのように覚えている。よくそれで今まで無事でいられたものだと思ったもんだが、彼女の行動や言動を観察していると、奴は絶対に死なないと確信できる。ほんと、才能なのか霊が守っているのか知らないが、そういう奴なのだ。

ここで具体例を出してもっと彼女について語りたいのだが、とても言えないような内容ばかりなので、文章にはできない。こんど飲み屋で会ったときにでもお話しましょう。

えー、実話1でした。私にも似たような思い込みはなくもない。幼稚園の頃、「道路を渡るときは、右を見て、左を見て、もう一度右を見てから渡りましょう」と教えられた際、右を見て、左を見て、もう一度右を見さえすれば、たとえ信号無視の車がつっこんで来ようと絶対に事故に遭うことはないのだと思っていたのです。

でも、それは4歳とか5歳の頃の話だしなあ。その後、命に関わるような思い込みはそんなになかったと思うのですが、美意識に関するおかしな思い込みはけっこうありました。その一例として、実話2をお送りします。

実話2◆カッペ

物心ついたときから、カッペに憧れていた。カッペとは、喉に絡んだ痰をカーッと口の中にもってきて、ペッと吐き出す一連の動作のことをさす。

私は物心ついたときから、朝はカッペで目覚めていた。向かいのカメヤマさん(仮名)が、毎朝雨戸を開けると同時にカーッ、ペッと道路に痰を吐くのだ。その音が空に響き渡り、S玉県O宮市のこの町にさわやかな朝の訪れを告げる。言うなれば、『天空の城ラピュタ』のパズーのトランペットのような存在であった。

また、父は会社から返って来ると必ずカッペをする。夜の訪れとともに家中に響くカーッ、ペッの音で、ああ、今日も一日が終わるなあ。明日も学校かー。なんて思ってたもんだ。

そういった訳で、カッペこそ大人の男の証なんだと、幼い私は思い込んでいたのだ。「ああ、僕もはやくお父さんみたいにカッペができるようになりたいな」小学1年生の私はカッペ上手なかっこいい大人になるべく独自の訓練を続け、半年後ついにその技を会得したのだ。

祖父の墓参りの帰りだったと記憶している。小学2年生になったある日、私は母に連れられてO宮駅構内の長い通路を歩いていた。チャンスだと思った。こういう雑踏な感じの場所にこそ、あの行為はよく似合う。

私は鼻の奥にたまった鼻水をずずずっと喉にもっていき、一気にカーッ、ペッと吐いたのである。「なんてことするの! きったない!!」それを見た母が凄い剣幕で私の頭をひっぱたいたのだ。

意外だった。私は「ああ、私の息子も、立派にカッペができるようになったんだねえ」と、しみじみと感慨深げに語る母の姿を想像していたので、その真逆の展開にかなり戸惑ったのだ。

また、父が毎日しているカッペには何も言わなかったので、父のカッペはきったなくなくて、私のカッペはきったないのか? 一見同じに見えるカッペでも実はきったなくないカッペができるようになるまでは、ものすごい忍耐と努力が必要なのかもしれない、なんて思ったりもした。

いま思えば、私の周囲が特異な環境であった訳だ。というか、むしろ原因は私自身にあり、普通は無視するようなことに、おかしな執着をもってしまう性分こそ問題だったのかもしれない。以上、実話2。

◆ねつ造された記憶

うーん、無駄な前置きが多いなあ。で、結局何の話をしたかったかといえば、長いこと固有名詞を間違って覚えていたことが、つい最近発覚した、という話なのです。

近所の中華料理屋『珍宝斎』には、たまに行っては定食なんぞ食べたりしているのですが、極親しい間柄の年上の女性Aさん(年齢非公開)はその店のことを「ひんほーさい」と呼ぶのです。

“ちんぽうさい”の「ちんぽう」の部分が気になるのでしょうか。そんな気にするようなことじゃなかろうに、恥ずかしがり屋さんだなあ。なんて思いつつ先日『珍宝斎』に行ってみたところ、看板にはでっかく『品芳斎』の文字が。

腰が抜けるほど驚いた。私が5年以上も『珍宝斎』だと思っていた店が、なんとホントは「ひんほーさい」だったのである。黄色地にスミ文字で、でっかく『珍宝斎』と書かれた看板が今でも目を閉じればリアルに思い出せるのですが、それらはすべて、ねつ造された記憶だったのです。そんな訳で、人の記憶なんて曖昧なもんですね。

というところで、今回はこのへんにしておきましょう。どうにもくだらない話を書いてしまいました。本当は、最近オープンした青山のフレンチレストランで美味しい料理とワインをたのしんだ話を書こうと思ったのに。
じゃ、それはまた次回ってことで。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。