[2687] 「男たちの絆」再び

投稿:  著者:  読了時間:28分(本文:約13,700文字)


<あれから遠くにきたものだ>

■映画と夜と音楽と…[428]
 「男たちの絆」再び
 十河 進
 
■Otaku ワールドへようこそ![100]
 100回記念特別バカ企画:レイヤーがカメコを撮る
 GrowHair


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■映画と夜と音楽と…[428]
「男たちの絆」再び

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20090731140200.html >
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●コインを投げるまでもなく男は死を覚悟している

男は、迷ってなどいない。確かに、それまで「次はどうする?」と仲間に訊かれると、何かにつけコインを投げた。裏か表か。その結果に従った。別れ道でもコインを投げ、目の前を通り過ぎる金塊輸送車を襲うかどうかもコインを投げた。しかし、今、ボスにつかまっているのは、昔の仲間の妻と生まれたばかりの赤ん坊だ。そのふたりを救いにいくことを、男は既に決意している。迷ってなどいるはずがない。

昔の仲間は死んでしまった。その仲間の死は男が招いたのだと思い込み、仲間の妻は男を仇だとつけ狙っている。一度は、その妻に撃たれた。防弾チョッキが弾丸を防いでくれた。その妻と赤ん坊を、男は救いにいく決意をしている。それは命を棄てにいくことだ。男はボスの命令で、ボスに背いた昔の仲間を殺しにいき果たせなかった。そのため、ボスは仲間の妻と赤ん坊を人質に取り、命令に背いた男をおびき寄せようとしている。

マカオの港。停泊する船に男と仲間たちは、たまたま手にした1トンの金塊を積み込んでいるところだ。男たち4人は荒野をさまよい金塊輸送車を襲い損ねたが、別のギャングたちが金塊輸送車を襲撃しているところに出くわした。護送隊の中のひとりの警官が果敢に反撃していた。ライフルの腕は抜群だ。だが、多勢に無勢。警官たちは射殺される。そこを男たちが助け、襲撃してきたギャングたちを全滅させる。

クールに「仲間は全滅。帰ったところで疑われるだけだ」と言い放つ警官に、男は「いっそ俺たちと一緒にいくか」と誘う。その瞬間、男たちと警官の間に絆が生まれる。出逢ったばかりだが、男たちは警官の射撃の腕に敬意を表し、孤軍奮闘する姿に警官の誇りを見たのだ。警官もアウトローの男たちに何かを感じ、彼らを信頼する。

男は金塊を船に積み終えたとき、仲間たちを振り返る。ひとりの太った仲間がコインを投げて寄越す。それを受け取った男は、苦虫を噛みつぶしたような顔だ。コインを投げるまでもないのだ。男の決意は変わらない。男はコインを海に投げ棄てる。それを別の仲間が黙って見つめる。その仲間には、男の決意がわかっていた。

男は船の操縦席にいる警官に向かって「ひとりでいけ」と言う。警官は男たちとボスとの確執には関係がない。男も警官を道連れにするつもりはない。他の仲間たちは、自分と行動を一緒にするだろう。だから警官に「ひとりでいけ」と言ったのだ。「金塊は好きなようにしろ」と男が続けると警官は「夜明けまでは待っている」と答え、ウィスキーをボトルからひと口呑み、男に投げて寄越す。

男はウィスキーボトルを受け取り、やはりひと口呑み、仲間にボトルをまわす。ウィスキーボトルが仲間たちに次々に渡っていく。男たちはウィスキーをまわし呑みしながら、ボスと手下が待ち受けるホテルへ向かう。そこは間違いなく、彼らの死に場所になる。死んでいった彼らの仲間が気にかけていた妻と生まれたばかりの赤ん坊を救うために、彼らは死を覚悟して向かうのだ。そこに悲壮感はない。

ボスのアジトに着いたとき、仲間のひとりがボストンバッグに詰めてきた金塊を出し、ボスから6人の命を買おうとする。ボスは男たち3人と死んだ仲間の妻と赤ん坊には「おまえはいっていい」と言う。しかし、男には「おまえは残れ」と命じる。仲間たちは、死んだ仲間の妻と赤ん坊を玄関から送り出すと同時に拳銃を抜く。椅子に座っていた男も、体ごと椅子を倒し拳銃を抜く。

●流麗なガンアクションが見られる「シューテム・アップ」

ガンアクションの嫌いな男っているのだろうか。計算され見事に演出された撃ち合いは、映画で見る限りワクワクさせる。心を震わせる。ジョン・ウーのガンアクション。ジョニー・トーのガンアクション。どれも魅力的だ。日本映画なら、昔の日活アクションが凝っていた。それでも「野獣の青春」(1963年)「殺しの烙印」(1967年)「拳銃(コルト)は俺のパスポート」(1967年)など、宍戸錠ひとりが頑張っていた印象が強い。

面白いことに、昨年暮れに公開されたジョニー・トー監督作品「エグザイル/絆」(2006年)に、宍戸錠が「日本じゃ考えられない、これでもかの銃撃戦を見よ」と絶賛のコメントを寄せている。ジョン・ウーは日活映画の影響を認めているが、ジョニー・トー監督もそうなのだろうか。僕は「エグザイル/絆」を見ながらサム・ペキンパーとジャン・ピエール・メルヴィルを連想した。

最近見たガンアクションに凝りに凝った映画は「シューテム・アップ」(2007年)だった。全編、大量の銃弾が炸裂する映画で、おもちゃ箱をひっくり返したような賑やかさだった。その凝りようは実際に見てもらう以外にないのだが、あらゆるシチュエーションを想定して作っていて、一度目は驚き感心しながらノリノリで見られた。

しかし、二度目に見ようとしたとき、僕は最後まで見通せなかった。面白くないのだ。鬼面人を驚かすようなガンアクションが続くのだが、二度目は驚きがない分見る気がしない。どんでん返しだけで成立している映画を、もう一度見る気にならないのと同じかもしれない。「シューテム・アップ」のストーリーはガンアクションを見せるためだけの通り一遍のもので、意外性はない。

「シューテム・アップ」のガンアクションの斬新さは、スピード感と使用される銃弾の量にある。命を狙われる生まれたばかりの赤ん坊を嫌々ながら守り続ける正体不明の主人公は、なぜかもの凄い銃の名手で何度も襲われながら危機を脱出する。遊園地の遊具に寝かせた赤ん坊を狙って悪役がライフルを撃ったとき、離れたところにいた主人公は拳銃で遊具の金具を撃って回転させて赤ん坊を救う。「そこまでやるか!」と突っ込みながら僕は拍手した。

ジョニー・トー監督の「エグザイル/絆」も凝りに凝ったガンアクションが何度も見られる映画だが、物語の素晴らしさと男たちの心意気が胸にズシンと伝わってくるから何度でも見たくなる。繰り返し繰り返し飽きずに見られるし、見るたびにより深く共感する。男たちの絆が、現実の世知辛い世の中を生きる僕たちに力を与えてくれるのだ。

ああ、俺にもあんな仲間がいたらなあ…、と自分のことは棚に上げて羨望が湧き起こる。あんな男たちを仲間にするためには、その男たちのために自分の命を捨てる覚悟をしなければならない。自分のために命を捨ててくれる仲間だけを望んでも、それは身勝手だ。人を愛さなければ、誰も愛してはくれない。

●男たちの絆を描く映画だから何度でも見たくなる

「エグザイル/絆」はサム・ペキンパーの「ワイルドバンチ」(1969年)がなければ、作られなかった映画である。それは、ガンアクションのシーンで頻繁に使われるスローモーションというペキンパー的映像テクニックはもとより、物語そのものが「ワイルドバンチ」へのオマージュのように僕には見えた。

「ワイルドバンチ」の中盤。軍用列車から銃器弾薬を強奪した野盗団は、メキシコ国境にかかる橋を爆破して追跡してくる賞金稼ぎたちを河に叩き込み、祝杯を挙げる。ウィスキーボトルをまわし呑みすることで、仲間たちの心が通じ合っていることを示す。もっとも、ウォーレン・オーツだけは意地悪されてウィスキーが呑めない。最後にまわってきたと思ったら、ボトルは空。笑いを誘う穏やかなシーンだった。

彼らは強奪した銃器をメキシコ軍のマパッチ将軍の砦に届け、交換に金貨を受け取る。しかし、メキシコ人アンヘルは村人たちに武器を横流ししたのを咎められ、マパッチ軍に捕らえられる。アンヘルを救おうとダッチ(アーネスト・ボーグナイン)が主張するが、パイク(ウィリアム・ホールデン)は様子を見にいこうという感じで砦に入り、まず娼婦を買う。

娼婦の家の前でダッチが待っている。まだ、娼婦の部屋にいた兄弟(ウォーレン・オーツとベン・ジョンソン)にパイクは「レッツ・ゴー」と声をかける。4人が並び、ライフルに銃弾を装填する。そこからは、有名なシーンだ。4人の男たちは、仲間だったひとりの男を救うために、数百人という軍隊に向かってゆっくりと歩いていくのである。

そう、「ワイルドバンチ」でも「おまえはいっていい」とダッチに向かって将軍が言う。そして、「おまえは残れ」とアンヘルに向かって言うのだ。生と死を分ける権力者の選別。そして、最後に想像を絶する銃撃戦がある。そんな共通性があるから「ワイルドバンチ」を連想したのだが、それだけではない。男たちの精神性において「エグザイル/絆」はペキンパー作品を受け継いでいる。

「エグザイル/絆」のファーストシーン。返還間近になったマカオの一角。ある家のドアを男が叩く。タイだ。キャットが通りの向こうで待機している。ドアを開けた女に「ウーはいるか」と問う。「知らない」とウーの妻は答える。妻は二階に上がり、生まれたばかりの赤ん坊を心配そうに見つめる。そのとき、再びドアがノックされる。

ドアを開けるとサングラスの男が立っている。「ウーはいるか」と、その男ブレイズが言う。やはり相棒らしいファットが一緒だ。「いない」と言う妻の返事を聞いて、ウーの帰りを待つために近くの公園へいく。そこには、タイとキャットがいる。「見逃してやれ」とタイが言う。

ウーが軽トラックで帰ってくる。タイとブレイズを黙って見つめる。トラックを降り、黙ってドアを開けて家に入り、二階へ向かう。ブレイズとタイが後に続く。キャットとファットが見張りをするように家の前に立つ。低音を強調する音楽がずっと響いている。何かが始まるゾクゾクするような予感。一体、彼らの関係は…。

ウーが二階の机の引き出しを開けると、リボルバーと銃弾が無造作に入っている。ウーがリボルバーを取り上げ、ゆっくりと銃弾を詰め始める。ブレイズが自動拳銃のクリップを外し、銃弾を弾き出す。何発かの銃弾が床に跳ねる。いくつかの銃弾を残し、再び装填し薬室に初弾を送り込む。

タイもブレイズが弾丸を弾き出すのを見て、自分の自動拳銃からクリップを外し、何発かの弾丸を棄てる。そのとき、僕は理解した。ウーのリボルバーには6発しか装填できない。ブレイズとタイは自分たちの自動拳銃にも6発の弾丸しか残さなかったのだ。

ウーが立ち上がり、弾丸を装填した拳銃をブレイズに向ける。三角をかたちづくる位置に立ち、3人がいっせいに拳銃を構える。ブレイズはウーを狙い、ウーとブレイズを狙っている。タイは誰に銃を向けているのか。引き金が絞られる。誰が誰を撃ったのか。ブレイズが浴室に飛び込む。通りのキャットとファットが銃声に顔を見合わせる。

彼らは何も喋らない。だが、やがて香港でボスに逆らってマカオに逃げたウーをボスの命令でブレイズが殺しにきたこと、タイがウーを助けにきたことがわかる。そして、ウー、ブレイズ、タイ、ファット、キャットが強い絆で結ばれていた仲間だったことも…。もちろん彼らは熱い心をクールな外面で覆っている。何も語らず寡黙に行動する。ジャン・ピエール・メルヴィルの映画の中の男たちにそっくりだ。

ジョニー・トーは、次作でジャン・ピエール・メルヴィルの「仁義」(1970年)をリメイクする予定らしい。僕が「エグザイル/絆」にサム・ペキンパーとジャン・ピエール・メルヴィルの香りを嗅いだのは、あながち見当違いではなかったらしい。男たちの絆は、いつの時代になっても、フランスでも、香港でも、もちろん日本でも、同じ価値観が、同じ美学が連綿と連なっている。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
「男たちの絆」という文章を書いたのは、このコラムを初めて2年目の夏だった。9年前になる。だとすると、今回で10年を迎えたわけだ。デジクリの夏休み明けから11年目の連載に入る。我ながら、よく続いているなあ。1999年の8月に第一回目の原稿を書いたのだが、あれから遠くにきたものだと何だか感慨深い。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

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■Otaku ワールドへようこそ![100]
100回記念特別バカ企画:レイヤーがカメコを撮る

GrowHair
< http://bn.dgcr.com/archives/20090731140100.html >
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100回目である。何がって、この「Otaku ワールドへようこそ!」が。50回目ぐらいのとき、自分でもまさかこんなに続くとは思ってもみなかった、100回なんてぜーったい無理だ、なんて言ってたような気もしなくもないが、まさかまさかの100回目である。

これもひとえに読者様のおかげであります。こんなフザケたコラムに目くじら立てることもなく、シャレと受け流しつつ読んで下さっている読者様の寛大さに感謝、感謝であります。

ついでに、言わずもがなのことを言っておくと、編集部の忍耐力のおかげというのもありまして。「ケバヤシめ、また下ネタかいっ。よくもデジクリの品位を下げおって」と苦虫噛みつぶしモードの柴田さんに、「これぐらいだいじょーぶじゃないですかぁ」と明るくなだめすかす濱村さんという構図。こうして、デジクリにおける「いやん、これより下はダメなのよライン」をだましだましずるずると押し下げてきたという、せめぎ合いの歴史が水面下で展開していたというわけです。

他の筆者の皆様、ソッチの方面のことを書くときは、このくらいはぎりぎり大丈夫だという基準として参考にしていただければと思うわけですが、どちらかというと、できれば高尚なことなどを書いてバランスをとっていただいたほうが、デジクリにとってはありがたいかと……。

いやほんっっっと、たわけたやつですいません。これからどうするって、特に考えもないので、続くかぎり書いていくんでしょうけども、太宰治によれば、「人は生涯、同一水準の作品しか書けない」(※)のだそうで、まあ、こんなのが続くわけですが、今後ともよろしくおつきあいのほどを。※「もの思う葦」のはしがき。「コクトオの言葉と記憶している」として。

さて、今回は、こんなおめでたいやつがめでたい気分に浸っている100回目というわけで、ややはっちゃけぎみでいきます。

●森の妖精になったつもり

まずは、山で撮ってきた写真をどうぞご覧くださいませ。といっても、風景写真ではなく、セーラー服を着た人物の写真です。しぶきをあげて流れ落ちる水、青々と元気のいい苔を背景に、あっはんうっふんな大胆ポーズをとる、刺激的なショットがいっぱいです。ちょっと恥ずかしかったんですけどぉ、皆さんに喜んでいただきたくてぇ、サービスしちゃいましたー、な感じで。

うっかりつられてわくわくしながら見にいったら、精神的にダメージを食らった、なんて事故を招いては申し訳ないので、いちおう警告しときますけど、モデルはどこぞのヒゲ生やした変態のおっさんです。そういうのが苦手な方は、各自ゲロ袋をご用意の上、ご覧くださいませ。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/Waterside090718/ >

撮ってくれたのは、コスプレイヤーの柊としあき。7年以上前からちょくちょく撮らせてもらっている、なじみのレイヤーである。
< http://blog.livedoor.jp/toshizoukin/ >

イベント会場で最初に声をかけて撮らせてもらったときは、まだ10代で服飾学校に通う学生だった。卒業してからもコスチューム作りは意欲的に続けていて、今は押しも押されもせぬ立派なレイヤーである。「電撃レイヤーズ」という雑誌のVol.25(5月25日発売号)のトップページに、「戦国 BASARA」の伊達政宗に扮する姿で掲載されている。サイトでは「未掲載写真を公開」へ行くと写真が見れます。剣をいっぱい持っているヤツです。
< http://layers.dengeki.com/ >

カメコがレイヤーを撮ったのではあたりまえすぎて面白くないので、今回は逆にしてみた、というわけである。このごろは撮ることにも熱心なレイヤーさんは多い。みずからコスチュームを作るほどの人はみんな感性はそうとう高いレベルにあるし、作品への思い入れは強いし、仲間どうしで撮る気安さから、いろんなアングルからいろんなポーズや表情で撮れるし、場合によってはカメコよりも面白く撮れていたりする。

しかも、いいカメラを持ってたりするのだなー。コンパクトデジカメでは、どうがんばってもファッション雑誌のグラビアページみたいなのは撮れないということに、ちゃんと気がついているわけですな。でかくてごつい一眼レフを持ってたりして、これではカメコ要らずだ。

ただ、残念なことに、メカに弱くて、ちゃんと使いこなせていないというケースがあまりにも多い。せっかく高いカメラ買ったのに、それはないでしょ。頼まれてシャッターを押してあげると、露出もピントも全自動の設定のままになってたりして。ピントを画面の中心で合わせるモードに変更するにはとか、露出をプラス2/3 EX補正するには、とか聞いても、「知らない」って言われちゃったりする。んもー。

写真撮影は奥が深いけれども、撮影技術の基本を習得するのは、それほど大変ではない。露出は感度とシャッター速度と絞りの組合せで決まるので、同じ露出でもいろいろな組合せがありうること、どういうときに露出補正が必要か、オーバー気味やアンダー気味ではどんなふうに写るか、それを効果としてどう生かすか、順光と逆光とサイド光、あるいは複数の光源の効果、点光源と面光源、レフ板の効果、フラッシュの調光補正のこと、焦点距離の長いレンズで絞りを開くと被写界深度が浅くなること、望遠レンズの奥行きつぶれ効果、広角レンズの遠近強調効果、長いレンズや遅いシャッターでは手ぶれに注意が要ること、感度を上げすぎると粒状性が目立つこと、だいたいそのくらい押さえておけばいいと思う。

写真撮影の指南本で、そういった技術的なことがちゃんと書いてあるやつを一冊だけ、丹念に読み通せば、だいたいのところは理解できるはずである。あるいは、デジクリのおかだよういちさんのコラム「おかだの光画部」もためになると思いますよ。

まあ、私も自慢できるほど撮るのが上手いわけではないが、自分の撮り方は、ある程度柊に伝授した。練習で一緒に野良猫を撮りに行ったり、お薦めの本をあげたりと。撮る面白さにすっかり目覚めている模様。

関係ないけど、ずいぶん前、ちょっと不思議なことがあった。柊も私も墓地が大好きなので、二人で一緒に散歩したことがある。海の近くの割と急な斜面にあり、なんだか荒れた印象のあるところである。以前に一人で来たときは、図体のでかい、汚くてみすぼらしい老い猫が墓石の上でずっとじっとしていた。その辺を通るとき柊は「ここ、なんだか墓地らしくないね、線香のにおいとか、しないし」と言った。ちょうどそのとき、私は反対のことを考えていた。一か月以上放ったらかされているようにみえるのに、どうして線香のにおいがするのだろう、と。その後、どちらかが呪われたとか祟られたとかいうこともなく、謎のままである。

●沢沿いに、道なき道を分け入る

今回は、一緒にロケハンに行こうという話をもちかけ、柊は喜んで同行してくれた。いや、ロケハンは嘘ではなく、実際、ロケ地のレパートリーは増やしておきたかった。いつも人形を撮っている、私が勝手に「スピリチュアルの森」と呼んでいるところは、木々の緑、ごつごつの岩、ゆるやかな渓流、みずみずしい苔の趣がたいへんよいのだけれども、行くまでの歩程が長いのと、登山道になっているのでときおり人が通るという不都合があった。

「行きやすいけど・人が行かないとこ」とは矛盾した要求だが、どっちか片方満たすだけでもいいから、とにかく持ち玉は多いほうがいい。地図でよさそうなところを探す。昭文社の「山と高原地図」、登山者向けの地図である。細くてゆるやかな沢があり、道がついてないけど入っていけそうなところ。さすがに鉄道の駅の近くにそんなところはなく、バスでそうとう奥まで入ってから、林道、登山道を行き、最後にちょっと道から外れて、沢を登ってみよう。

セーラー服を持っていくことは柊には黙っておいて、と。7月18日(土)ロケハンを決行。バスを降りてから目標地点までずっと登りで、40分ほどの歩きだった。帰りは20分。いつものところに比べて半分の歩程。沢に沿って道なき道を登ると、空気が急にひんやりとしてくる。東京は猛暑だというのに、吐く息が白いのにはびっくりした。

着いてみれば、大当たり。申し分なくいい場所だ。ここはいつかちゃんと真面目な撮影に使おう。「セーラー服に着替えるから撮ってくれない?」と切り出すと、あっけないくらいあっさり「いいよ」と返事。回りくどく持ちかける必要、ぜんぜんなかったじゃん。

水がまた冷ゃっこいのなんのって。上流で雪が解けてるんじゃあるまいな、ってぐらい。しかし、ここで心臓マヒとか起こしてるわけにはいかない。「セーラー服姿で川遊びの中年男性おぼれる」なんて新聞見出しにでもなった日にゃ、恥ずかしくて死んでも死にきれず、かといって化けて出るわけにもいかず、三界に身の置き所がなくなってしまう。

●撮られる側の大変さを思い知らされた

こっちはもちろん撮られることにはぜんぜん慣れていない。ずっと以前、法律学校の広告でひどいのを見かけたのを思い出した。司法試験に合格した生徒の顔写真がでかでかと掲載されていて、満面笑みの喜びの表情、にしたかったのだろうけど、実際はどうにもこうにも笑顔という表情ではないのである。「はい、笑って」と言われて、あわてて笑顔を作ってみようとしたけれど、はて、笑うってどうするんだっけ? 考えてみると、俺、もう何年も笑ってないかもなぁ。そんな状況が伝わってきちゃう。

口もとが横へ伸びてなくて、丸い口のまま、上唇がめくれ上がり、鼻が上ずっている。なんか強烈な悪臭を嗅いだときの「ふごっ!」っていう表情だ。その写真からは、この人、必死に勉強して栄光を手にしたけど、笑うことを忘れちゃったんだなぁ、という、涙の出そうなメッセージしか伝わってこない。広告としてこれでよかったのか? だけど今の俺はそれを笑えない。ちょっとはにかみつつ、かわいらしく微笑んでみよう、なんて思うのだが、えーっと顔のどの筋肉にどんな力を入れるとそういう表情になるんだっけ、なんて考えちゃって、ちっともその表情にならないのである。笑おうと意識して笑ったことなんて、ないもんなぁ。

柊は、人を撮るの、ほんっとに上手くなってる。イマジネーションを働かせて、頭の中に撮りたいイメージを作り、絶え間なく注文を送ってくるのである。手はこう、顔はあっち、目は上のほうを見て、楽しいこと空想してる夢見がちな表情で、といった具合。気が利く。助かる。私よりはるかに上手い。だいたい、私がレイヤーさんを撮るときは、勝手にカッコよく決めポーズをしてくれるので、こっちはシャッター押すだけで済んじゃうもんなぁ。

表情もさることながら、ポーズも大変。セクシーポーズって、痛い、筋肉つりそう、無理。そうだった。フォトイメージングエキスポの講座で習ったよ。3月29日(日)に東京ビッグサイトであった、久門易先生の「ポートレートのデジタル実践講座」で。粋だったなぁ。灰白色の和服姿が、温厚な文化人然として。他の先生のはだいたいかっちりきっちりしたプレゼンテーションって感じだったのといい対照で、ゆるりゆらりとした写真談義って感じ。

技術的な話はあんまりなくて、場の雰囲気作りとか、表情やポーズにアクセントをつけるための工夫のしどころ、といった美的センスに依拠した話が中心。面白くてためになるなぁ、と思って聞いていたのだけど、まさか自分が実践する側に立つとは思いもよらなかったなぁ。これを聞いていたおかげで、迷いなくいろいろなポーズを試してみることができた。

撮られる側としては、いかにも無理っぽいねじくれた姿勢をとったりすると、見た目に不自然に映るのではなかろうかと心配になってくるのだが、実はそれくらいがちょうどよく、意外ときれいに見えるのだ。といっても、曲がらないものは曲がらない。柊からも、体硬いとあきれられてしまった。だってー、普段の生活じゃ、そんなによじったり反ったりせんからなぁ。

撮る側よりも、撮られる側のほうが大変かもー。そこに気づけば、今後撮るときに、なんらかのプラスにはたらいたりしないだろうか。たまには立場を逆にしてみるのも一興で、なにごとも経験してみるもんだ。上手くないなりにも、だんだん調子が出てくる。わが内なる少女が次第に開放されてくる。なんか、楽しくなってきたわん。撮られるというのもなかなかいいもんじゃないかしら。

男性という性別に課された、役割意識みたいな拘束の硬い殻がひび割れてこぼれ落ちていくと、内側から少女が花開いていく。もういわくいいがたい、底の抜けたナルシシズムに浸れちゃう。あー、このくすぐったい気持ちはなんなんでしょ? って、観念的には精神の不健全のように思えるかもしれないが、実践してみた経験からすると、むしろ健全の部類なんではないかと思えてくる。閉塞的な気分から、開放的な気分へ。陽性転換。早い話が楽しいのである。世の男性諸君、これはお薦めですぞ。今に世間からも「いい趣味」として認知されるようになり、履歴書の趣味欄に堂々と「女装」と書ける時代が到来するといいかな、なんて。

ところで、セーラー服を着ていると、よく人から質問されることがある。スカートの下は何を穿いているのですか、と。あ、やっぱ気になりますよね。恥ずかしいんですが、この際だから大サービスでお教えしちゃいます。コットン100%のショーツの上に、重ね穿き用の紺のオーバーパンツを穿いています。ショーツは白の地にピンクの小粒の水玉模様です。オーバーパンツも素材は綿で、体操用のブルマとは微妙に違います。

どちらも通販の「セシール」で買ったものです。セシールには、「ティーンズファッション」というカテゴリが設けられていて、これがたいへんよい。女の子はお尻が大きいから、中高生向けの下着が中高年のおじさんにも無理なく穿けちゃうのだ。私は、セクシー系のすべすべ透け透けなランジェリーは好みではなく、どちらかというと野暮ったい部類に属するような、コットン100%で単価が激安で、お母さんが中高生の娘に安心して買い与えられるようなのが大好きなのだ。

そのカテゴリの、3枚セットで830円(税込)のが、すんごくいい。購入者のコメントに「中学生の娘が、かわいい柄を気に入って穿いています」とあったりする。それそれ、そういうのがいいんだよ。私もこのピュアでシンプルでほんわかしてきゅんきゅんなかわいさがうれしくてうれしくて、気に入って穿いています。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

ちょい変態カメコ。ロケハンの翌日、7月19日(日)は、紅樹時雨(あかぎ しぐれ)さんの人形を見てきた。原宿の「GLACEAU gallery」(Eの上にアクサンテギュ)にて。「グラソービタミンウォーター」の東京発売を記念して、7月15日(水)、H&M原宿店の8、9階に期間限定オープンしたばかりのスペース「GLACEAU popup」に併設されたギャラリー。この日は紅樹さんの展示の最終日。作品は等身大の人形が3体。メイドさんとか。顔がめちゃめちゃリアルで、ちぎれた腕から金属の骨とごしゃっとした配線がのぞく、アンドロイド系。紅樹さんによれば、来場者の9割は飲料の試供品目当てだそうで、創作人形の世界とはまったく接点のなかった人たちに見ていただくいい機会になったとのこと。人形に触っていく人が多かったらしい。閉じた世界の展示ではぜったいにありえないこと。でも、不快には思わなかったそうで。硬いか柔らかいか、感触を確認したい好奇心系と、歩きすがら不二家の前にいるぺこちゃんの頭をぽんぽんと叩いていくのと同じノリの挨拶系に分かれるらしい。

閉店間際、八裕沙(やひろ まさご)さんが来た。申し合わせたわけではなく、偶然。八裕さんは、8月21日(金)〜30(日)、銀座の「木の庄美術」にて個展を予定している。その案内はがきの写真を私が撮って、デザインを紅樹さんが引き受けてくれている。案内はがきの写真と展示の詳細は八裕さんのサイト「LOTOPHAGOS」でご覧ください。
< http://yahiro.genin.jp/ >

柊に撮ってもらった私のセーラー服写真は、ミクシィのアルバムにアップしてあったんだけど、八裕さんったら、ケータイ使って、紅樹さんに見せちゃった。いや〜ん、恥ずかしいってば。しゃがんでるのが、内向的な少女の物思いに耽っている感じがよく現れているとお褒めにあずかりました。あ、ありがとうございます。

「アリスゲーム解散」でどうでしょ?(分からない方、ごめんなさい。「ローゼンメイデン」ネタです)あそきゅんが外務大臣だったころ、羽田空港でローゼンメイデンを読んでいるところを目撃されたというエピソードにちなんで。そのココロは、内輪の潰し合い。

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■編集後記(7/31)

●デジクリは明日から8月20日(木)まで夏季メンテナンス休暇とします。次号は8月21日(金)予定ですが、臨時の発行もあるかもしれません。

・十河さんの第一回は1999年の8月でしたか。あの頃なにしていただろう。いまはなきアゴストでCG美少女本をつくっていたかな。ケバヤシ(GrowHair)さん、もーおてあげ。/奥浩哉のSFマンガ「GANTZ」をたまたま手に取ったら、その異常な世界にみごとにはまってしまった。2000年から「週刊ヤングジャンプ」で連載中で、単行本も26巻まで発行されている。累計発行部数は1000万部超、アニメやゲームにもなったらしいが知らなかったとは不覚である。死んだはずの人間が何ものかに招集され、謎の「星人」を殺すミッションに強制参加させられるという不条理なストーリーだが、いま読んでいる途中巻でも謎がさらに拡張を続け、そのおもしろさといったら読むのをやめられないくらいだ。主人公たちは真偽をたしかめようもない情報に戸惑いつつ難敵を倒し続けるのだが、読んでいるほうもその展開に翻弄される。こうなると心配なのは終わり方だ。「GANTZ」は、あるルールのもとに綿密に構築されたであろう物語世界であるが、最後の最後にはすべての謎がきちんと解明されるのであろうか。「ドラゴンヘッド」や「20世紀少年」のようなていたらくでは絶対困る。CGを利用した作画はとてもうまく、奥行きのあるリアルな構図だ。キャラクターの描き分けもうまいが、なぜか主人公似のキャラも出て来て混乱させられる。扉絵は意味なくエロい。夏休みのお楽しみのひとつが「GANTZ」没入だ。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4088776682/dgcrcom-22/ >
アマゾンで見る(レビュー9件)

・GrowHairさんがどんどん……。女装とか変態って、隠れて暗く、人知れず…というものじゃないのかと。その明るさは一体! 歌舞伎や宝塚があるわけで、職業なら後ろめたさはないんだなぁとふと思ったり。コスプレを引退された方(有名らしい)の記事があったので、どんなコスプレなんだろうとサイトを見に行って驚愕。18禁であった。GrowHairさんがそちら側に行かれたら止めたいと思います。/明日から夏休み。仕事やったりはしなきゃいけないわけだが、この夏休みの個人的な課題は「引っ越し準備」だ。なんでこう捨てにくいものばかりあるのかね。服は何年か着なかったら捨てる、本も見ていないなら捨てる、ええそうですわ、その通りですわ。持ち物さえ少なければ、引っ越しなんて楽なもの。わかっちゃいるけど、である。ガラクタばかりなのよね……。夏休み明けに、引っ越しの準備がほぼ終わりました、な後記が書けるようにしたい……。/もうOS9で作業しなくてもいいよね。2年は使っていないと思うし。古いフォントを使った仕事が来たら……。ええい、G4ちゃんバイバイ。(hammer.mule)