[2692] 寛容は敵か

投稿:  著者:  読了時間:26分(本文:約12,700文字)


《名づけて「Web邪魔バナー・ラズベリー賞」》

■わが逃走[49]
 たまにはデザインの話の巻
 齋藤 浩

■私症説[07]
 ローマ字表記における夫婦のあり方
 永吉克之

■電網悠語:日々の想い[127]
 寛容は敵か
 三井英樹

■セミナー案内
 DTP Booster 006(Tokyo/09915)「Photoshop特集」


■わが逃走[49]
たまにはデザインの話の巻

齋藤 浩
< http://bn.dgcr.com/archives/20090827140400.html >
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お盆前のこと。その日の朝、米谷美久さんが亡くなったことを新聞で知った。米谷さんはハーフサイズカメラの名機、オリンパス・ペンをはじめ、XA、OMシリーズを開発した偉大な技術者であり、プロダクトデザイナーだ。

彼は訪ねて来るファンのために、先端がダイヤモンドでできているペンを常に持ち歩き、彼らの持参したカメラのボディにサインをしてくださるという。いつかきっと会えるにちがいない、そのときの為にオリンパス・ペンを差し出す素振りまで練習していたのに、残念である。

米谷さんはデザイナー以前に、純然たる設計者だった。設計あってこその表現を定着させる、言うなれば『形状は機能に追従する』デザインの本質を誠実に歩んだ方なのではないか。

設計者だからこそできた、真のデザインが、そこにはある。ほんの一週間程前に著書「オリンパス・ペンの挑戦」を読み終えたばかりだったせいか、訃報を知ったときは、身近なひとが亡くなったような気がしてショックだった。

そういった訳で、このところ憧れのひとが立て続けに死ぬので困る。先日、トリエンナーレトヤマのレセプションに出席した際、本当はそこにいるはずの福田繁雄さんの姿がなかった。

3年前の授賞式のときはたまたま入ったトイレで隣同士になった。思わぬ連れション状態である。私は慌てて尿を出し切り、
「福田先生、この度はどうもありがとうございました」
こちらを向いた福田さんも雫を切りつつ
「やあ君か。受賞おめでとう」
「あ、あの僕、先生のポスター、幼稚園の頃から大好きでした」
「そうかい。ありがとう」
並列状態でこんな会話があった。

そんなことを思い出しつつ3年後の今年も同じ厠で放尿していると、今年は隣に松永真さんがいた。
「松永さん、前回僕の隣で用を足していた福田先生は死にましたよ」
「こら齋藤、縁起でもないこと言うな」
「本気で心配しているのです。松永さんも死なないでくださいね」
そう言うと、その奥から高らかな笑い声が。佐藤晃一さんだった。

目標とする、高度成長を頭と手で支えてきたデザイナーがこれ以上減ってしまっては困る。私はまだペーペーなのに。背中を追いかけつつも、先生方がおっちんじまう前に沢山仕事を見ていただき、ご指導ご鞭撻の程お願いしとかなくちゃいかんなあ。

そんなことを思いつつ、自分の仕事について改めて考えてみた。デザインに関わる者の一人として、デザインの何たるかをもういちど整理してみなくてはならん、なんて思った。

そもそもデザインとは特定の誰かのためものではなく、みんなのもののはずだ。世の中のデザインが良いものになれば、当然みんなの生活も良いものになるはずなのだ。なぜなら、デザインとは飾り立てることではなく、まず目的があって、それを美しく簡潔に達成するための解決法のことなのだから。

それはグラフィックだろうがプロダクトだろうが、全てのものごとに対し言えることだと思う。にもかかわらず、世の中には酷いデザインが氾濫している。そして、ミテクレの美しいものに対してのみ『デザイナーズ・ナントカ』という名前をつけて本来匿名であるべきはずのデザイナーの名前を前面に押し出して他のものと差別化し、高く売る。これでは誰も幸せになれないよ。

思うに、企業とは良いものを作り、良いものとは何かを人々に教育する責任があるのだ。だが、今の企業は“お客様が望むもの”しか売ろうとしない。数値的にお客様が望むからとか言って花柄の魔法瓶をいつまでも売りつけるのは、いかがなものか。

ミテクレと言うべきところをデザインという言葉で置き換え、「デザインに凝ったから使いにくい」とかいう言い訳も、いかがなものか。先述したとおり、ものの形状は機能に従うべきであり、良いデザインのものとは本来、使いやすいものであるはずなのだ。

使いやすく、美しいものが広まれば、人々は良いデザインの意味を自覚するはずだし、そうすればおのずと良いデザインのものが求められるようになり、人々の生活もそのぶん向上するはずなんだがなあ。

グラフィックに関しても同様である。世の中には「簡潔に情報を伝達し、なおかつ美しいポスター」を作れるデザイナーが沢山いる。にもかかわらず、実際に街や駅には、独りよがりだったり意味不明だったりするような『情報が伝わらず、美しくない』ポスターが氾濫している。

これは、送り手側に、ものごとの本質が見えていないことを意味する。そのポスターの目的は何か。相手とは誰か。相手に対して何を伝えたいのか。あたり前のことをあたり前に認識するだけでいい。発注権を持ってるえらい人には、このへんの意識を高めていただきたいところである。

●「伝わらないポスター」コレクションから

こう言ってると、なんか私が怒ってるみたいに聞こえるから、ここはひとつ趣味で集めた『伝わらないポスター』コレクションの一部をお見せしつつ、えらいひとに自覚を促すとしよう。

まずこれ。何年か前の交通事故防止キャンペーン。
< http://www.dgcr.com/kiji/20090827/01.jpg >
琴欧州を起用した広告といえば明治ブルガリアヨーグルトが有名だ。私は元来、ものごとを広く一般に告知する計画に於いて、タレントの人気にあやかるという方法を好まない。しかし、あの広告は良かった。琴欧州がブルガリア出身だということは誰でも知っているし、毎日食べると琴欧州みたいに強くなれる(かもしれない)。健康のために毎日食べる習慣をつけましょう、というメッセージが素直に伝わってくる。

それに対して、これはどうだ。土俵の上でこれから勝負! というシーンと交通事故との関連性がわからないし、そもそもこんなときに交通事故防止のことなんか、力士は考えないだろう。江口洋介が二輪車事故防止キャンペーンというならわかるが。

次にこれ。火災報知器をつけましょうキャンペーン。
< http://www.dgcr.com/kiji/20090827/02.jpg >
何故か、ハリウッド版ドラゴンボールのビジュアルを全面に配した構成になっているが、この怪しい後姿と手に持った火の玉。もはや彼は放火魔にしか見えない。彼が本当に放火魔であるなら、その魔手から我家を守るためにも火災報知器は必要だ、というロジックが成り立つ。でも違うんでしょ? 私は映画を見てないし、見たいとも思わないが。

さらにこれ。
< http://www.dgcr.com/kiji/20090827/03.jpg >
キャッチコピーは「万引きの罪ってオッキーナ!」。罪の重さを語る際、何故このような表現にしたのかが謎である。罪の大きさ以上に、アッキーナとオッキーナとをかけたダジャレを知らしめることが重要とは思えないのだが。モデルのポーズも「いっけねー、つかまっちゃった。えへ。」とか言ってるようにも見える。

そしてこれ。暴力団追放 キャンペーン。
< http://www.dgcr.com/kiji/20090827/04.jpg >
暴力団という文字をハンマーで叩き壊している。まさに暴力には暴力をもって対抗しよう、と断言しているようである。ホントにそう言いたいのなら構わないけど、おそらく違うと思うのだな。

最後にこれ。世田谷通りにあった立て看板。
< http://www.dgcr.com/kiji/20090827/05.jpg >
おそらくドライバーに対して注意を促していると思われるのだが、文章の意味が瞬時に理解できない。というより全くわからない。私が馬鹿だからわからないのであろうか。いちおうそこに書かれたものを書いてみる。

『お知らせ 世田谷通りは、中央線変移機器改修工事のため中央線変移休止します』

時速40キロで走っている車のドライバーが信号や標識、そして道路状況をみながらこの立て看板の意味を理解できるとは到底思えない。理解できないものを立てかけることに金をかけるのは無意味だと思うのだが、いかがか。

他にもたくさんあるのだが、今回はこのくらいで。偶然にもこうして見ると、いずれも官公庁が作ったものだったりする。この伝わらないポスターや看板が税金で作られているのだと思うと、なんとも複雑な気持である。

えらいひとには、美しくなくたっていいから、せめて伝わるものを作っていただきたいと思う次第。デザインの力は皆さんの想像以上に強く、効果も大きい。同じ予算の中で、きちんと機能するものを作ることは充分可能なのだ。とか何とか、つらつらと書きなぐっていたら眠くなってきたので寝ます。ではまた。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。

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■私症説[07]
ローマ字表記における夫婦のあり方

永吉克之
< http://bn.dgcr.com/archives/20090827140300.html >
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日本語の〈らりるれろ〉のローマ字表記は R ではなくて L を使うべきだという投書を新聞で読んだ。たしかに〈淫乱〉は、INRAN よりも INLAN の方が日本語の発音にずっと近い。俺は、あまりにも納得したので、その感動を表現するために、新聞をばりばりと八つ裂きにしてやった。

「わーまだ読んでないのにー!」
妻の咆哮を背に、俺は裸足で玄関先に飛び出した。しかし飛び出したものの、別段行くあてもなかったので、また部屋に戻った。
居間に入ると、食卓の上で妻が、ずたずたになった新聞を、ジグソーパズルのように、つなぎあわせながら読んでいた。

「どうだ、お前もそう思うだろ!」
「何がよ」
妻は新聞に目を落としたまま、投げ遣りに応えた。
「ローマ字の R は L にしなきゃだめだ。でないと、日本語はいつまでたっても、外国人にとって学ぶのが難しい言語のままだ」
「あ、そう」
「つまりだな……」

そのとき、畳の上に落ちていた折り込み広告に載っている、西武デパートのSEIBU というロゴが目に入った。
「U だ! U もそうだ!」

欧米人に SEIBU を発音させると、最後の母音に力を入れて〈セイブウ〉のように発音する。しかし日本人は、欧米人ほど U に力を入れないから、SEIB の方が日本語本来の発音に近い。

「ユーレカ〈われ、見出せり〉!」
俺は叫んで、発見の喜びを神に感謝するために台所に行くと、コンロの火でその広告を燃やした。そして、また裸足で表に飛び出ると、国道まで全力で走って行って、信号待ちをしていたが、さてこの発見をどこで発表したらいいのか判らず、家に戻った。居間に入ると、妻が羊羹を食べていた。

「ただいま」
「おかえり」
俺はこの発見を、まずは妻に誇ろうと思った。
「いいか、例えばだな、〈没落〉という言葉があるけど、これを現行のローマ字表記にすると、BOTSURAKU になるだろ」
と、手近にあった封筒にボールペンで書いた。
「あっ、それ今からポストに出しに行くんだから、書いちゃダメよ!」
「でも、実際、われわれ日本人が共通語で発音する場合、TSU と KU はほとんど無声音化するから、BOTSLAK でいいんだよ」
「だからその封筒に書いちゃだめだって言ってんのに、ばかー!」

俺はすっかり頭を抱え込んでしまった。
「おい、日本語のローマ字表記は問題だらけだぞ。何とかしなければ」
妻は、この深刻な問題にまったく関心を示さず、修正液で私の書いた字を消すのに懸命だった。
「しかし、お前はいつも俺のやることに冷淡だな。今俺は大変な使命を負っているのだ」
妻は、今週になって初めて、まともに俺の話に応じた。

「だったら、ついでに SEIBU の SEI もなんとかしてよ。律儀に〈セイブ〉なんて発音する日本人はいないわよ。〈セーブ〉が正しい発音よ」
なるほど、そういえば俺も「セーブ」と言っている。「御礼、刑事、丁寧」なんかも「オレー、ケージ、テーネー」だ。しかし、これはどうやってローマ字で表記するのだ。「丁寧」を TENE と書くと「テネ」と発音されてしまう。小学校で習った、E の上に ^ みたいな記号をつけて「エー」と発音させる方法は世界的には通じない。長音はどうすればいいのだ。しかし、俺はあることを思い出した。日本野球が世界に誇る王貞治だ。彼のユニフォームの背中にあった OH というローマ字。長音には H を使えばいいのだ。

「なんだ、H をつければいいじゃないか。〈セーブ〉だったら……」
俺がボールペンを手に取ると、妻はとっさに封筒を隠した。紙がなかったので、自分の手の平に書きながら説明した。
「SEHB とかけばいい。どうだ」
「ふふん」
妻は鼻で笑った。
「だったら〈平方根〉は? これは〈ヘイホウコン〉じゃなくて〈ヘーホーコン〉よ。これ、どうやってローマ字にするのよ、ねえ」
よりによって、日常はぜんぜん使わない言葉を持ち出した。何か企みがあるに決まっている。俺は、妻の腹の中を探りながら、手の平に書いた。

「長音だから H を使って HEHHOHKON でいいじゃないか」
「あはは。思った通りだわ。だめよ、そんなの。それだと〈ヘッホーコン〉って読まれちゃうでしょ」
なんという陰険な女だろう。
「じゃあ〈栄耀栄華〉は?」
「〈エーヨーエーガ〉なら、EHYOHEHGA だろう」
「それだと〈エヒョヘーガ〉じゃない。あなた、あたしの思った通りのことしてくれるわね。その馬鹿正直なところ、もう大好きよ」
もはや悪魔の知恵だ。しかし、頭のいい女ではある。結婚してよかった。

ともかく、日本語のローマ字表記を根本的に変えなくてはならない。俺は仕事を辞めて、ローマ字表記を改革する旅に出た。南北に長い日本列島なら、先ずは北から変えて行こうということで、北海道の千歳空港に降り立ったが、どこでそれを訴えたらいいのか判らず、俺は家に帰った。妻が消えていた。

【ながよしかつゆき】thereisaship@yahoo.co.jp
ここでのテキストは、以下のブログにもほぼ同時掲載しています。
・無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz >

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■電網悠語:日々の想い[127]
寛容は敵か

三井英樹
< http://bn.dgcr.com/archives/20090827140200.html >
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スーパーに入ろうとする。目の前に、ティッシュを持った男女が取り囲むように近づいていてくる。表情はにこやかなのに、受け取らねば通さないぞ、という意気込みを感じる。一歩引いてティッシュは受け取るけれど、その裏の宣伝には目もやらない。ただ、ポケットにティッシュをねじ込んで、可能な限り早く、その不愉快な体験を忘れるための脳内スイッチを入れる。

脳内記憶を消去しながら、スポンサーは何にお金を払っているのだろうと考える。行く道を邪魔されるような体験をさせられたり、路上でケータイでおしゃべりしながらついでのようにティッシュを渡されたり(これは減っててゃいるが絶滅はしていない)。そうした行為の後に、その会社の名が知らされる。全く逆の効果のためにお金を払っているのではあるまいか。


同じことが、Webでも展開されている。ニュースサイトに、ニュースを見に行く。ふざけたバナーが、数秒後に拡大し、ノートPC画面の1/3を埋める。読んでいる記事を見えなくしておいて、企業名がデカデカと視界に広がる。犯人は俺だと叫んでいるように映る。遠視気味な目をこするようにして「close(閉じる)」ボタンを探す。読み始めた記事への好奇心が薄れていくのが分かる。「閉じる」ボタンをクリックした頃には、当初の好奇心より怒りの方が勝っている。

この体験を通じて私が得たことは、「ここ数年の間、この企業の製品を購入選択肢に入れることは絶対にない」という決断だけだ。別にこうした「邪魔バナー」はこれに限ったものではない。ふざけたキャラクターが画面中を闊歩するものにも最近よく会う。どうしてこんな安易で嫌われるモノがはびこるのか。


殆ど強制終了させられた好奇心を返せ、という怒りとともに、どういう会議を経たら、こうしたものが正式採用されるのかに悩む。いや、それ以前に、こうした反社会的アイデアを、提案する人の脳構造を疑う。何を「効果」として考えているのだろうか。窮すれば濫す、そもそもアイデアが枯渇した上での発想なのか。「迷惑」に関するセンサーが欠如しているのか。

画面をジャックするという類のものは、確かに一度流行っている。どのサイトに行っても、最初に数秒間忌まわしき「オープニングムービー」が始まった時代。ポータル系だけでなく、企業サイトはその少し前から流行っていた。自己満足子育てビデオ並みの品質で、自社自慢を延々と垂れ流す。そうした逆効果を、作り手(クライアント+Web屋)自身が諸々手痛いものも含めて体験した上で、「そーいうのは駄目だよね」という暗黙知が広がった。と、思っていた。

裏には、Flashへの攻撃口実の問題もあったようにも思う。いまだに、サイト構築プロセスを理解していないメディア記者は、トップページにFlashを配置したサイトが重すぎると、さもありなんとFlashをその理由に挙げる。EC系も、情報ポータル系も、レスポンスの悪さの問題があれば、あたかもFlashを選んだからだと言わんばかりの見出しが付く。でもね、それが間違いであることは開発者なら誰でも知っているんだよ。Flash(技術)が悪いんじゃない、使い方、その決めた人や決め方が悪いんです、圧倒的に。単純に設計がオバカだから、オバカな重さになるんです。


オープニングムービーが流行った頃、ユーザビリティの大家の放った一言が「Flashは99%有害だ」。それがどれだけ技術と開発者の修練の場を奪って行ったか。冷静に考えて、世界中のデザイナがFlashに熱狂しているさなか、1:99の割合で有害なサイトしか見ていなかったとしたら、それはサンプリングの問題だ。

しかし逆風に負けずに挑んだ心ある開発者は、つけ入る隙のないモノを構築していった。「エモーショナル」という言葉が、定着して行ったのもその頃だった。未だ、アプリケーションにエモーショナルさ(エモさ)なんて不要だと大見得切って叫ばれた時代だった。

参考)Alertbox: Flash: 99%有害(2000年10月29日)
< http://www.usability.gr.jp/alertbox/20001029.html >

いまや、均一化されたアプリケーションをどう差別化するかを教えてくれと、システム屋がデザイン屋の戸を叩いている。解を求める視線の先に、華美な厚化粧デザインはない。もっと本質的なモノを探っている。だとしたら、利用者の心の何かに「刺さる」、あるいは「響く」何かに焦点が向かうのは自然だろう。それらは、「エモさ」や「おもてなし」と表現される領域だと、私は信じている。

流行廃れ(はやりすたれ)の激流の中、技術をどのように使うべきかという「常識」が徐々に培われていったように見えた。JIS X 8341-3(WebコンテンツJIS)も、大きな足枷に見えつつ、遵守しているサイトは、していないサイトに比べて明確に使いやすい。障害者向けと言う色彩は抜け切れていないけれど、アクセスしやすく作る方法は、広まっていったかのように見えた。そう、数年前までは。

参考)情報アクセシビリティ ウェブコンテンツ 公開レビュー
< http://www.jsa.or.jp/stdz/instac/commitee-acc/WG2/review2009/ITBF_Web_review.html >
注)2009年に改訂される予定です。


規律があっても罰則のない世界は長続きしない。JISで定められた最低限のルールですら、価格競争の中で意識もされないように徐々に先祖返りが始まっている。アンケート中のラジオボタンやチェックボックスが先ずは目に付くようになってくる。文言部分をクリックしても反応することを「是」とされているのだが、反応しないものがここ2年でめっきり増えた。アンケートに答えながらムッとする回数が増えている。

コンペ(入札)で低価格落札する人たちは、そういう部分を切り捨てているのだろう。そして、クライアントもその切り落としの意味を分かっていないし、もしかしたら、そうしたUI機能が削除されたことすら気付いていないのかもしれない。3Kとも7Kとも言われるWeb業界の中で、生き残っていくためには、大切なものでさえ削ぎ落として行くしかないのかと哀しくなる。Web屋としての根幹部分が、切り捨てられているように見える。

そして画面ジャックである。今まで培ってきたものを全て崩してしまうほどの大事件だと思う。Webは情報に辿り着きやすいがために、ここまで短期間で成長してきたモノである。その生命線に対するテロ行為だと思う。

しかも、Flashを使ったから使い辛いサイトが出来上がったとののしるニュースサイトが、そんなものを採用している。恥も外聞もない。身も蓋もない(表現が露骨過ぎて、情緒も含蓄もない)。広告枠が売れさえすれば良いのか。本当にそれで良いのか。1/3を埋める情けないビジュアルに問いかける、「お前は、こんなのに使われて嬉しいの?」。


こうした退化現象に対して、何ができるのだろう。こうしたものでさえ寛容に見てみぬふりをすべきなのだろうか。もちろん不買運動をするのは行き過ぎに感じる。Webらしいストッパーが欲しい。

と、ある賞を思い出す。「ゴールデン・ラズベリー賞:The Golden Raspberry(RAZZIE)Award」。アカデミー賞の反対バージョンの不名誉賞。授賞式に、受賞者が行かないことでも有名である。そんなのを「ほぼ公的」に作ればいいのかもしれない。「2009年度のユーザの情報取得を最も邪魔したのは、○○株式会社提供、△△会社制作のこのバナーです。そして、これらを掲載したメディアは□□です」。何だか色々な意味で響きそうだ。

名づけて「Web邪魔バナー・ラズベリー賞」。もちろん、そこに選ばれた企業のWeb担当者は、授与式には参加しないでしょうね。こうした「べからず」集を記録に残し報道することが、ユーザビリティを高める最短距離なのかもしれない。少し情けない気もするけれど。

広告全部を否定している訳ではない。むしろ良いCMは探してでも見たい。ユーザがどんな文脈(コンテキスト)で情報を見ていて、その傍らにある広告の姿。主客転倒の起こらない関係性。もっともっと、さりげなく、寄り添うような「形」があるのだと信じたい。

【みつい・ひでき】感想などはmit_dgcr(a)yahoo.co.jpまで

この広告を、今幾つか探してみたら、ものの見事になくなっている。さすがにヒンシュクだったのだろう。念のために書いておくと、かの大家の言っていること全てに反対している訳ではありません。実は某紙で彼の翻訳もやったことがあります。極めて正論が多いですし、多くのことを学ばせて頂いてます。
・mitmix< *http://www.mitmix.net/ >

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■セミナー案内
DTP Booster 006(Tokyo/09915)「Photoshop特集」
< http://www.dtp-booster.com/vol06/ >
< http://bn.dgcr.com/archives/20090827140100.html >
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日時:9月15日(火)19:00〜21:00
会場:デジタルハリウッド本校セミナーホール(東京都千代田区神田駿河台2-3 DH2001Bldg.)
参加費:2,500円(事前決済)
定員:120名(事前登録制)

内容・講師:
「ソフトフォーカスのシミュレーションとランダムなブラシによるオブジェクトの配置」
次のポイントについてお話しします。
・超基本的な明るさや色調補正
・ソフトフォーカスをシミュレーションして、輝く部分を作る
・ランダムなブラシを使って沢山のオブジェクトを簡単に配置する

藤本圭(株式会社テイク・フォト・システムズ)
< http://www.take-photo.co.jp/ >
フィルムメーカーのスタジオカメラマンから責任者を経て退職後、コマーシャルスタジオのデジタル化や大型写真館の立ち上げなどを請け負う。現在は主にブライダルアルバムやポートフォリオの制作、Photoshopによる写真加工を主に行う。その他に写真スタジオの効率化やデータベースを含めたPhotoshopワークフロー構築、Photoshopのセミナーなど幅広く活動中。Photoshopに関連する得意な領域は、大学時代に勉強した人間の視覚や認識と画像の関係。

「現場でスグに使える人物合成」
東京ナイロンガールズで連載中のPhotoshop合成コラム「メタモル補正」にてお送りしている合成・補正の手法を実演形式でご紹介。
女性の肌や体のライン、メイクの追加など現場でもプライベートでも役立つ、Photoshop中級者向けハウトゥーです。

まめこ(ウープスデザイン)< http://blog.woopsdez.jp/ >
小学生の頃から好きだったもの作りの世界からそのままデザイナーに。デザイン事務所・IT企業を経て2009年に「燃えるココロをデザインに。」と熱血路線でフリーランスデザイナーデビュー!! 現在はネタのような合成や音声・映像編集もできるデザイナーを目指し勉強中。企画から考えるアホなデザインならお任せあれ。「こげぱん」に似てる。趣味はバンドTシャツ集め。

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■編集後記(8/27)

●「例の件」について。確かに見苦しい「佐野叩き」が展開中である。これもネットのブラックな部分だと思う。中国じゃないんだから、日本では誰も制御できない。それはひとまず置いといて、あのエンブレムが本当に2020年の東京オリンピック・パラリンピックに相応しいかといったら、絶対にそうは思えない。テレビCMでも時々出てくるが、祝祭の喜びがまったく感じられず、むしろ気分が落ち込む。東京都庁の表玄関に貼られたエンブレムの写真をネットのどこかで見たが、まさに葬儀会場の雰囲気である。どうしてこんな怪しいデザインが選ばれたのか、デザイン業界の「黒い霧事件」みたいなものなのか。

佐野案を選んだ審査委員の代表、永井一正は朝日の取材で「(大会組織委員会が世界中の商標を確認したら、原案と)似たようなものがほかにあったようだ。そのため佐野さんの案は、元のイメージを崩さない範囲でパーツを一部動かすなど、組織委の依頼で何度か微修正された」とした上で、「最初の案は(類似性が指摘されている)ベルギーの劇場ロゴとは似ていなかった。盗作ではない」と話した。86歳翁は何を言っているのだろうか。最初はどこかのと似ていたから、修正したらベルギーのに似てると言われちゃったよ、でも最初は似ていなかったから盗作ではない、ってか。説得力ないな。審査委員会は何か怪しい。

盗作よばわりされた佐野研二郎には気の毒だが、「まったく似ていない」という本人の主張には無理がある。アートライターの福光恵は佐野のコンセプト解説に対し「デザインに対する考え方が違う(=似てない)」という主張の伏線だったのだろうが、アートの世界でいえば、作品についてロジックを長々解説するアーティストほど、作品に自信がない人。人の目に触れるたび、作家が出かけて行って解説するならいいけど、そんなことできるわけないし。だいたい説明を聞かなくちゃ理解できない作品なんて、面白いわけがない」とズバリ。コンセプトなんかどうでもいいから、一発で分かるデザインであるべきだ。

いったん決まったシンボルマークを差し替えた例がある。1970年の大阪万博である。コンペで選ばれた理屈っぽいデザインを、日本万国博覧会協会の石坂泰三会長が「インテリだけがわかるようなものはだめで、大衆性がなければいけない」とひっくり返し、コンペをやり直して、大高猛デザインの桜をかたどったシンプルなものに決まった。あれはいいデザインだったな。現在、そのようなまっとうな意見が言える財界の大物はいない。優柔不断な五輪関係者はみな模様眺めしているだけだ。「(東京五輪は)皆さんに祝福される大会でなければならない」と強調する安倍首相の出番かも。支持率上がるかも。(柴田)


●Ingress続き。Googleの大規模社会実験としてはじまったゲーム。今はGoogleの組織変更によって独立企業となったNianticが運営。ゲームのストーリーやら何やらあるけれど、傍目には緑チームと青チームに分かれて、陣地取りをしているようなもの。

この陣地はそこらにある「ポータル」を起点に三角形に結んで作る。四角形以上の多角形で囲んでも認められない。コントローラーを複雑に操作してキャラクターを動かすアクションゲームとは違い、まったりゆったり誰にだってできる単純なゲームに思えた。

ポータルやら陣地やらはアプリの中だけで見られる。ただ、そのポータルは、実存する公園だったりお地蔵さんだったり、目立つモニュメントの位置に結びつけられている。GPS必須だ。

たとえばショップの看板を狙い、大の大人が青にするぞ、緑にするぞと争う。ショップ店員さんは、戦略的重要拠点になっているなんて思ってもみないだろう。続く。(hammer.mule)

< http://higai-kodai-mousou.seesaa.net/article/403301779.html >
伊集院光さんのIngress話。わかる〜

< http://ingressblog.jp/17587062/ >
【怖い】勇気を出して嫁にIngressを勧めた結果、嫁が急速に廃エージェント
化する事案多数