[2703] 「名をこそ惜しめ」とギュは言った

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《とかく恥の多い人生に、「またかよ」な1ページが加わります》

■映画と夜と音楽と…[432]
 「名をこそ惜しめ」とギュは言った
 ギャング/マルセイユの決着(おとしまえ)
 十河 進

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■映画と夜と音楽と…[432]
「名をこそ惜しめ」とギュは言った
ギャング/マルセイユの決着(おとしまえ)

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20090911140200.html >
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●「ギャング」42年ぶりのリメイク「マルセイユの決着」

ジャン=ピエール・メルヴィル監督の「ギャング」(1966年)を42年ぶりにアラン・コルノー監督がリメイクした「マルセイユの決着(おとしまえ)」(2007年)が公開されたのは、昨年の暮れだった。渋谷の単館での公開で、集客をそれほど期待していない感じだった。当然、ハリウッド映画のような扱いにはならないだろうが、もう少し何とかならないものか。

アラン・コルノー監督といえば、イブ・モンタン主演の「真夜中の刑事」(1976年)で日本デビューを飾り、同じくモンタンを使って「メナース」(1977年)を作った。大型トラックが墜落するシーンのテレビスポットが頻繁に流れたのを憶えている。その後の日本公開作品は少ないが、「インド夜想曲」(1988年)は注目された作品だった。

「真夜中の刑事」は原題が「パイソン357」という拳銃の名前で、イブ・モンタンの役にはどこかメルヴィル監督作品「仁義」に登場する刑事くずれでアル中のスナイパー(イブ・モンタン)に対するオマージュが感じられた。公開当時、この監督はメルヴィルが好きなんだろうなあ、と思ったことを僕は憶えている。

そのアラン・コルノーが「ギャング」をリメイクしたと聞いて、僕は早くからパンフレットを入手して部屋の壁に貼ってあった。ネットで予告編を見ると、全体がアンバー系の色調で統一され、なかなかいい雰囲気だった。ちょっとゾクゾクする映像で、「これはいいかも」と期待した。男ばかり出てくる映画で、マヌーシュ役のモニカ・ベルッチひとりが目立っていた。

パンフレットには「ジャン=ピエール・メルヴィルは、いいよ。暗黒街の映画ばっかり撮ってるんだけど、要するに間抜けなアメリカ映画への反発なんだろうね」というビートたけしのコメントが載っていた。10年ほど前に「人生を構成する三つの要素」という文章で、僕は「北野武監督はメルヴィルの影響を受けているのではないか」と指摘したので、何だか嬉しい。

その文章のタイトルは「人生は三つの要素で出来上がっていて、その三つとは愛と友情と裏切りである」というメルヴィルの言葉からとったのだが、それは40年近く前、読売新聞の映画記者だった河原畑寧さんのメルヴィル論(キネマ旬報社刊「世界の映画作家」シリーズ「犯罪・暗黒映画の名手たち」)で読んだものだ。河原畑さんはパリのメルヴィルのスタジオで、「リスボン特急」(1972年)の試写を見ながらインタビューをしている。

2年前、その河原畑さんを紹介してもらったことがある。日本冒険小説協会公認酒場「深夜+1」でのことだった。いつものように映画と本の話を喋り散らしていると、年輩の紳士が入ってきた。その紳士がスツールに腰を降ろした後、カウンターの中にいた冒険小説協会会長こと内藤陳さんが、「ソゴーさん、河原畑寧さんだよ」と紹介してくれた。

そこから後のことは、いつものようにあまりよく憶えていないのだが、僕は河原畑さんにいろいろなことを質問したようだった。もちろん、メルヴィルにインタビューしたときのことも詳しく訊ねた。瞬く間に時は過ぎ、深夜になって腰を上げるとき、河原畑さんには「今夜は楽しかったですよ」とおっしゃていただいた。

しかし、40年近く前に書いた文章を詳細に憶えていて、その中のメルヴィルの言葉を暗唱する読者を前にして、河原畑さんは戸惑ったかもしれないなあと、翌日、酒がすっかり抜けた僕は冷静になって反省したものである。僕の本を送るべきところだったが、河原畑さんに読まれることを想像すると気後れしてしまった。素面になると、途端に情けなくなるのである。

●刑務所に入っていた異色の作家の原作を映画化した

「ギャング」の映画紹介を、僕はTBSが朝に放送していた若者向け情報番組の「ヤング720」で見た記憶がある。映画や音楽の情報を朝からやっていて、それを見てから登校するのが、中学高校のときの僕の日課だった。僕が「ギャング」に注目したのは、それがジョゼ・ジョバンニの原作だったからだ。

中学生の頃に海外ミステリを読みまくっていた僕は、フランスでは暗黒街小説のジョゼ・ジョバンニがひいきだった。刑務所に入っていた異色の作家である。だから「ギャング」はリノ・ヴァンチュラという地味な俳優が主演だったが、どうしても見たくなった。僕はまだ「冒険者たち」(1967年)に出逢っていなかった。リノ・ヴァンチュラは、小太りの中年男にしか思えなかった

ジャン=ピエール・メルヴィルが日本で一般的に知られるようになるのは、アラン・ドロンという人気者を主演にした「サムライ」(1967年)からだ。寡黙で孤独な一匹狼の殺し屋を演じたアラン・ドロンは話題になり、ジャン=ピエール・メルヴィルの名も知られるようになった。そして、「影の軍隊」(1969年)「仁義」(1970年)「リスボン特急」と続く3本は、僕のような熱烈なジャン=ピエール・メルヴィル支持者を作り出した。

初公開のとき「ギャング」は、あまりヒットしなかった。地味だったし、短縮版だったのだ。複雑な物語が、それで余計にわかりにくくなった。後に完全版を見て、僕はようやくストーリーを理解した。アラン・コルノーの「マルセイユの決着」は、さらにわかりやすくするためだろう、説明的なセリフを増やしていた。そのせいか、映画の筋はよくわかる。

シーンを前後させ入れ替えた部分はあるが、「マルセイユの決着」は「ギャング」を忠実にリメイクしていた。60年代の雰囲気もよく出していたし、アンバーを基調にした色彩設計もいいし、主演のダニエル・オートゥイユは僕の大好きな俳優である。ある人は「期待はずれ」と言ったけれど、僕は「よくできてるじゃないか」と素直に感心した。

ただ、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の域には達してはいない。アラン・コルノー監督は、ついつい説明してしまうのだ。それは、どうしてもセリフやカット割りに出る。冒頭から映像的なテクニックを使い、不必要にスローモーションを多用する。さらに、音楽で盛り上げようとする。改めて、僕はジャン=ピエール・メルヴィルの凄さに気付いた。

観客に物語や登場人物の感情を理解させるのは、表現者としては大切なことだ。だが、セリフ、映像的な技法、音楽などを極限まで削ぎ落としたところにジャン=ピエール・メルヴィル作品はあった。それは、表現者として勇気がいることである。よほどの確信や信念がないとできないことだ。迷いを棄て、不要だと思うものを棄てる。そこに、独自の映像世界が立ち上がる。一般的には受けないかもしれないが、熱烈な支持者を生む。

●「仲間を売った」卑劣な行為は死に価することである

「ギャング」あるいは「マルセイユの決着」が描いているのは、昔気質のギャングであるギュの個人的なオトシマエである。物語は錯綜していて整理するのが難しいのだが、暗黒街で有名なギャングであるギュが10数年ぶりに脱獄するところから映画は始まる。

ギュはもう「年寄り」と呼ばれる歳だ。そうはいっても、まだ50前だと思う。血気盛んな時期が戦争にぶつかり、ナチスに対するレジスタンスに参加したが、戦後も銃を棄てたくなかった世代というのがフランスにはいるらしい。彼らは戦後、暗黒街に棲息するようになる。しかし、戦後20年になろうかという頃になると、時代遅れの人種になっていた。

ギュは、そんな世代のひとりなのだ。10数年ぶりに脱獄してシャバに戻ると、汚い奴らがボス面してのさばり、チンピラ共が見境なく金のために人を脅している。昔なじみのマヌーシュの部屋を訪ねると、チンピラ共が拳銃を手にして彼女に迫っていた。ギュの昔なじみであり、マヌーシュを守ることを生き甲斐にしている拳銃の名手アルマンもチンピラに襲われ気絶していた。

ギュは苛立つ。いつの間に、こんなチンピラ共に大きな顔をさせるようになったのだ。彼はふたりのチンピラを彼らの車に乗せ、その中でボスの名前を吐かせると、ひとりに二発ずつの銃弾を撃ち込む。腕は鈍ってはいない。しかし、パリ警視庁のブロ警視は、チンピラの死体を見てすぐにギュの仕業だと見抜く。プロはプロの仕事を理解するのだ。

ギュはマルセイユに隠れるが、国外に逃げるために最後の仕事をしようと決意する。そんなとき、昔なじみの信頼できるポールが大仕事を企んでいることを知る。彼は、そのプラチナ強奪に加わる。護衛の警官を射殺し、強奪は成功するが、ギュはブロ警視の罠にはまって逮捕され、仲間であるポールの名前を口にしてしまう。

陥れられたとはいえ、ポールの名を口にしてしまったギュは、警察署の壁に頭を叩きつけて自殺を図る。彼にとって「仲間を売った」ことは、死に価することなのだ。さらに、彼はマルセイユ警察の署長が新聞に「ギュが仲間の名前を自白した」と発表したことが許せない。ギュを信頼するアルマンやマヌーシュは「警察の陰謀さ」と取り合わないが、強奪仲間たちはギュを疑う。

自分が「仲間を売った」と疑われていることさえもギュには耐えられない。ギュは病院から脱出し、署長を襲い「新聞に発表したことは嘘であり、ギュは自供していない」という文書を手帖に書かせた上で射殺する。そのときに使用した銃はチンピラたちを殺し、警官を殺した銃である。彼は、自分が犯人であることを隠そうとしない。彼は死にたがっている。破滅に向かって疾走する。

「ギャング」を最初に見た10代半ばの僕は、ギュのこだわりが理解できなかった。その後、メリメの「マテオ・ファルコーネ」を読んで、命より名誉や誇りを重んじるコルシカ人の血を知った。逃げてきた男を匿った息子が、追ってきた兵士たちの甘言につられ男を裏切り隠れた場所を教える。男を売ったことで、父親は幼い息子を処刑する。父親にとってファルコーネ家の名誉は、息子の命より重かったのだ。

あれから40年以上の月日が流れ、改めて「マルセイユの決着」を見ると、ギュのこだわりが僕にはよく理解できた。それは、同年代のダニエル・オートゥイユがギュを演じていたからかもしれない。髭を生やしたダニエル・オートゥイユは、リノ・ヴァンチュラによく似ていた。60近くなったダニエル・オートゥイユは、リノ・ヴァンチュラが「ギャング」に出たときよりも年上かもしれない。

歳を重ね先が見えてくると、生きることにしがみつかなくてもいいや、という思いが強くなる。死が身近になる。もちろん、残す人間に何らかの想いはあるだろう。ギュにもマヌーシュがいた。しかし、彼らは彼らで生きていく。そんなしがらみや未練より、「名をこそ惜しめ」という言葉が重みを持ってくる。名誉、などという輝かしいものにこだわるのではない。己の美意識に従うだけのことだ。

仲間を売るのは汚い卑劣な人間のすること、という美意識がギュにはある。大金を得るという自分の欲のために警官を躊躇なく射殺する冷酷さを持つギュは、「仲間を売った」と疑われるだけで生きていけない男である。彼は、新聞に嘘を流した署長を「卑劣な奴だ」と情け容赦なく射殺する。矛盾したキャラクターだが、彼は自分が卑劣で汚い男と思われるのが耐えられない。

名誉が汚されるよりは、死を選ぶ。暗黒街の犯罪者ではない僕はそんな選択を迫られることはなかったが、精神的に似たような状態に追い込まれたことはあった。若く、守るべきもの(家族や生活だ)を多く抱えているときにそんな選択を迫られると、僕は名誉が汚されることを甘受した。死は選べない。「名をこそ惜しめ」と、下唇を噛んで屈辱に耐えるしかなかった。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
水曜社が3巻目の「映画がなければ生きていけない2007-2009」を出してくれることになり、原稿整理を始めました。大沢在昌さんとの対談の再録を光文社の方を経由してお願いし、大沢さんに「喜んで」と了承していただきました。何だかプレッシャーがかかります。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

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■Otaku ワールドへようこそ![102]
オタクは8月がやけに忙しい

GrowHair
< http://bn.dgcr.com/archives/20090911140100.html >
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飾り立ても卑下もせず、オタクのありのままの姿を描写することにより、世の中一般からオタクに対して抱かれているイメージと実際の姿とのギャップを埋めていきたい、という壮大な使命感をもって4年ほど前に始めたこのコラムだが、そんなことは全部テレビやら映画やら社会評論系の本やらに先回りされちゃってすっかり意気が挫け、どうしたもんかと悩んだあげく、結局はあるオタク一個人としての活動報告とか体験談とか日々の雑感といった「小さな物語」にスコープを縮めて細々と続けていくしかあるまい、と開き直って、気がつくと100回も書いてました、っていうのは前回述べたとおりです。

無名の一個人の生活ぶりなんて、それこそミクシィの日記にでも書いておけばいい話であって、ここに書く意味あるのか、って考えると腰が引けるのですが、たまーに読者の方から「面白い」と言っていただけるのが支えで続けてられるようなもんです。大変失礼なたとえですが、面と向かって面白いと言ってくれる人が一人いれば、何も言わないけど面白いと思って読んでくれている人がその30倍はいるのではないか、と勝手に解釈して自分を奮い立たせているわけです。いや、ほんっと、読んでいただいて、ありがとうございます。

さて、今回はその路線の典型みたいなもんで、恒例化してますが、私の夏のあれやこれやの報告です。

●メジャー化するコスプレサミット、ついつい要らんことする私

8月1日(土)、2日(日)は、「世界コスプレサミット」。私は'95年以来、毎回見に行っているのだが、年毎にどんどん規模がでかくなっている。参加国数もパレードの長さも見物人の多さも報道陣の厚みも。'95年の、愛知万博でのときなんて、いたってのんびりムードで、いつも撮らせてもらっている犬夜叉コスのレイヤーさんから「チャンピオンシップに出場するから撮りに来て」と知らせを受けて行ったんだけど、本番前に楽屋から出てきてもらって、雑談したりしてたし。大須のパレードでは、海外から来たレイヤーさんたちの横をくっついて歩いて、軽く言葉を交わすぐらいならできたし。

今年はもう、そんなのとんでもないって感じ。スタッフは、トラブルが起きないようにと神経をぴりぴりさせて大群集を誘導しているし、報道陣はベストな映像を捉えるべく、威勢良く動き回っているし。下手すりゃ、人垣をなす報道陣のおこぼれにあずかって脇から遠巻きに見るよりは、お茶の間でテレビ見てたほうが、よく見えたんじゃないかってくらい。

数年前は、こんなに面白いことが展開しているのに、世の中からあまり知られていないのはもったいないなぁ、もっとメジャーなイベントとして知れ渡ればいいのにと思っていたので、望みどおりの展開ではあるのだが、こうなったらなったで、人多すぎだよーとか思っている自分がいる。

翌週、仕事してたら、上司の上司の上司の上司が席までやってきて「どこにいたんだー」とかのたまうし。テレビ見て、私の姿を探したけど、見つからなくて、それを言いに来たということのようで。いやいやいやいや、控えめな性格なんで、テレビカメラの向いてる先になんて、立ちませんって。確かに過去には二度ほど、図らずもカメコる姿が全国放送されちゃたことはありますけど。あれはアクシデントです、はい。

さて、一か月以上も遅れてマスメディアの二番煎じレポートでは間が抜けているので、ここでは個人的で瑣末な出来事など。一日目、今年は、大須のパレードに先立って、栄の錦通りでもイベントが開かれた。片側を車両通行止めにして、赤いじゅうたんがばーっと敷かれている。始まる前、小雨の降る中、赤紫系のド派手な衣装を着た女性が、テレビカメラの前でマイクを握って実況しゃべっている。実況ったって、まだ何も始まっていないので、けっこう暇そうで、どうでもいいことを思いつくままにって感じ。

テレビ愛知の女子アナに違いない。と思った時点で、私の勘違いは始まっていた。テレビカメラが休んだところを狙って近づき、撮らせてくださいとお願いすれば、ポーズをとって目線をくれる。「テレビ愛知の女子アナ?」と聞いてみる。きっと内心、「この私を知らないか」とムッとしていたに違いない。「はい、新人です」とわざとらしい調子で話を合わせてきたのに、鈍い私は察することができず、言葉どおり受け取る。

「衣装、似合ってるね。いっそのこと、コスプレタレントの路線でずーっといっちゃえば?」と言ったら、まわりのスタッフにどっとウケる。が、本人は苦笑い。私は、なぜウケたのか分からず、きょとーん。その後も、「地元出身?」「いえ、神戸です」「え、名古屋嬢じゃないんだ」と、ちぐはぐな会話が続く。いつの間にかカメラ回ってるし。

最後に、これも何かの縁だと思い、名前を聞いておく。「ミラクルひかるです」。は? 女子アナらしからぬ名前。漫画喫茶に入り、検索かけてみる。あ。有名人じゃん。ウィキペディアに載ってるし。宇多田ヒカルのものまねするらしい。何の番組の収録か聞かなかった。これはさすがに恥ずかしいので、ぜひボツっていてほしいのだが。もし放送されちゃってて、ご覧になった方がいらっしゃれば、知らせていただけるとたいへんありがたいです。とかく恥の多い人生に、「またかよ」な一ページが加わります。

イベント終了後、大須商店街にある、去年行ったラーメン屋にまた行くと、店のご主人がちゃんと覚えていてくれた。「すっぽん道中」。名古屋名物、というわけじゃないけど、そんじょそこらではなかなか見かけない、すっぽんラーメンのお店。去年は、店のインパクトの割には味の特徴がそれほどはっきりしない印象だったが、その後研究を重ねて改良を加えたそうで、さらに、サービスでスッポンの粉末を足してくれたこともあって、今度は分かりやすく鼈鼈鼈鼈した味だ。藻のような生臭さに、すっとする清涼系の香りがかすかに混在する。いかにも薬効ありそう。無理って人もいるかと思うが、私はけっこういけちゃう。来年もきっと行きます。

●立ちゆかぬライフ・ライフ・バランス

「ワーク・ライフ・バランス」という言葉があり、仕事は仕事でしっかりこなしつつも、生活面で多様な生き方が選択できるよう、柔軟な業務形態を導入して調和を図っていきましょうってことらしい。私の場合、このところライフ方面が膨れ上がってきた感じで、ライフ・ライフ・バランスをうまく調整して予定を詰め込まないとこなしきれなくなってきている。

8月28日(金)は、会社を休んで写真撮影のダブル・ヘッダー。昼は自然公園の渓流のほとりで美登利さんの人形を撮り、夜は神楽坂のライブハウスで劇団MONT★SUCHT (モントザハト)の公演の模様を撮る。

「死んでいる少女は美しい」なんて不用意に口にしたりすると、猟奇的な欲望を抱いた変質者かと思われて危険視されかねない。けど、例えば、ミレーの「オフィーリア」などはどうだ。シェイクスピアの「ハムレット」に登場するオフィーリアをモチーフとし、水に落ちて死んでいる少女の姿を美しく描き、傑作と称されている。このコンセプト、アートのテーマとしては、めちゃめちゃ「あり」だ。

美登利さんの人形「冬虫夏草」は、そのモチーフを継承して、「こんなふうに死んでる少女はどうですか、美しくありませんか?」と問いかける作品だ。冬虫夏草は昆虫に寄生するキノコだが、不思議な生態をもつ。植物にせよ動物にせよ、生きている間は免疫などの防衛システムがはたらいているので、普通はカビやキノコに乗っ取られることはない。ところが、冬虫夏草は免疫が健全にはたらいていても、それを食い破って寄生する。

宿主は徐々に弱っていくが、外見にはまったく異常が現れない。最後にキノコがにゅにゅにゅと伸びてきたときには、宿主は内部をすっかり食われ、もはや生きていない。これがもし、少女だったら。外見はまるで眠っているかのようでありながら、生えてきたキノコだけが、死を知らしめている。

菌類が宴会を開いているような枯れ木を見つけたので、寄りかからせて撮ってみる。どうでしょ?
< http://www.geocities.jp/layerphotos/Park090828/ >

冬虫夏草ちゃんは、10月7日(水)〜15日(木)、東京駅前の丸善で開催される「人・形(ヒトガタ)展」に出品される予定です。

2時間ばかりできた暇はヒトカラで埋め、夜は神楽坂のライブハウス「EXPLOSION」でのイベント「刃の夜」にて撮影。50人ほどの来場者で会場は満杯。右サイドから、観客の頭越しに撮れるよう、私は脚立にまたがる。すみません、MONT★SUCHT 出番待ちで、別のバンドの演奏中、その状態で居眠りぶっこいてました。

ダンサーである本原章一氏のリードする役者たちの動きは、普段の生活には決して現れない奇想天外さで、人は何かのきっかけさえあれば、これほど激しい狂気の世界に旅立ってしまえるのだということを示されているようで、怖くなる。加えて、永井幽蘭さんのキーボード演奏とソプラノ歌手のような歌で、軌道がズレていったような科学と宗教の世界を表現する。面白い! 幕が閉じても鳴りやまない拍手が、客席の満足と称賛を示していた。

MONT★SUCHTは、9月13日(日)16:30から池袋「LIVE INN ROSA」で開かれるイベント「Alamode Night」に出演予定。神楽坂のときと同じ演目「クォンタム氏の可能性と不可能性」だがバージョンアップしてるらしい。Alamode Nightは「国内最大級のGothic & Lolita Under World」と銘打ったイベントで、どの出演グループもパフォーマンスのレベルは非常に高いんだけど、表現する世界がゴシックでダークなもんだから、決してメジャーにはなっていかない。だが、心を揺さぶる何かがあって見ごたえあり、超オススメ。前売り券が売り切れて、当日券出ないかも。< http://www.artism.jp/ >

神楽坂では、嬉しいことがあった。読者の方から見つけられ、声をかけていただいたのである。この日は二週間前の金曜日で、前回のこのコラムが配信された日である。その最後に、私の恥ずかしい姿の写真を公開していたのだが。それを見て苦笑いし、その後このイベントに来たら、当人が脚立にまたがっていたのでびっくりした、とのこと。別の出演グループの知り合いで来たので、私がいる可能性については予想もしていなかったという。

●キーワードは「少女」

翌日は山へ、翌々日は福山へ。この詰め込みすぎな3日間に共通するテーマを無理やりこじつけるなら、「少女」ということになろうか。

8月29日(土)は早朝に家を出て、山間の渓流へ。田舎の駅から出るバスのダイヤは言語道断にスカスカで、9:30のを逃すと11:00までないのだ。川に沿って山奥へずんずん入っていくバスに30分乗り、さらに支流に沿って徒歩で40分登る。途中で民家は途絶え、道もなくなり、最後は草を掻き分け、くもの巣を払い、岩によじ登り、撮影地点にたどり着く。誰も来ないってとこがポイント高い。山間は日が暮れるのが早いので、11:00のバスで行ったのでは撮影時間がほとんどなくなってしまう。がんばって早起きするしかないのだ。

被写体は、行きつけのメイドバーのメイドさんだったけど、つい最近辞めちゃった、愛ちゃん。いわゆる地下アイドルでもあったりする。丸顔にストレートの長い髪が美しく、「姫カット」がよく似合う。扮するのは「地獄少女」の閻魔あい。ほらほら出てきた、キーワード「少女」。つまりはセーラー服だ。以前に同じ場所で、私もセーラー服姿になって撮ってもらっているのだが、比べ物にならないくらいきれいだ。ちょっとくやしい。

それと、愛ちゃんのお友達のレイヤーさんお二人。この日初めてお会いする。さらに、メイドバーの常連のU野さんに、アシスタントをお願いした。U野さんは人形をこよなく愛する性格温厚な人だが、その一方、体力抜群で、立派なヲタ芸師だったりする。この日は終始機敏な動きで、非常によく働いてくれた。行き帰りは強力(ごうりき)さんにされてて、道なき道を進むときは、カート
を3つ担がされていた。

総勢5名。私は、現地に到着すると、動きやすい格好に着替える。えーっと、体操着にブルマ。この日初めて会ったばかりの女性二人の前でいきなりこの格好はちょっと抵抗あったが、笑って許してもらえたんで、救われる。後で聞くと、目のやり場には困ったそうだけど。で、写真。割とよく撮れてると思うのですが、いかがでしょ?
< http://www.geocities.jp/layerphotos/Waterside090829/ >

さて、8月30日(日)は、7:30東京発ののぞみで広島県は福山へ。知り合いがたまたま3人、福山近辺に住んでいることが分かり、しかも3人が3人とも濃ゆ〜いオタクなもんで、ならば、集まってカラオケ行って、アニソンで盛り上がりましょうか、って話になったのである。3人はお互いどうし面識はなかった。

吉(きち)さんは、声優さんで、その活動のときの芸名は藤原響さん。'05年4月22日(金)に秋葉原のメイド居酒屋「ひよこ家」で知り合っている。私は仕事で外出した帰りに、同行した同僚の直江雨続くんと一緒に寄ったわけだが、たまたま近くの席で飲んでた7〜8人のグループとなぜか意気投合しちゃって、その中に吉さんがいたのである。その後、福山に里帰りして、ラジオ番組などで活躍している。私が仕事で福山に出張したとき、二度ぐらい出てきてもらって、お茶している。

ばんじょうさんは、グラフィックデザイナーで、趣味の領域では痛車の世界に深く入り込んでいる。実際、福山で催された痛車のオフ会では、スタッフの主要な一員として活躍している。デジクリの読者で、'06年11月10日(金)にバラ園でコスプレ撮影をしたことを書いたとき、たまたま似たようなことをしていたとのことで、メールを送って下さった。去年の5月の鳥取の中国庭園でのコスプレイベントのとき、一度お会いしている。岡山県笠岡にお住まいだそうで、県はまたぐけど、山陽本線で、福山から駅3つじゃないか。この日は奥さんと一緒に来てくれた。

ファルコンさんは、去年の秋にヴァニラ画廊で人形と写真のグループ展を開いたとき、見にきてくれて初めて会っている。元はといえば、一昨年の夏、くうさん(ヤマシタクニコさん)から「8月3日(金)に大阪に来るついではない?」とメールが届き、その翌日は世界コスプレサミットで名古屋に行く予定があったもんだから、まあついでみたいなもんか、と行って、欠席した永吉さんのキープしていた酒を勝手に飲む会が催されたわけだが、そのときにイラストレータのpinkpieさんと知り合っている。pinkpieさんの娘さんがファルコンさん、というわけだ。

その後、母娘ともども東京に移ってきたので、以前から知り合いだったというべちおさんの働きかけで一緒に飲みに行ったりしてたのだが、割と最近、ファルコンさんだけ福山に移っていたそうで。イラストを描く才能って遺伝するのかどうか知らないが、ファルコンさんも、そうとう上手い。

さて、この5人が福山駅に集合し、まずは喫茶店へ。お互いを紹介したりしたのだが、もうあっという間に打ち解けちゃって、いきなりエロい話なんかも飛び出したりして、大盛り上がり。まわりからはちょいと顰蹙買ってたかも。こういう、他人行儀なところのまったくない壁の低さが、オタクどうしの集まりのいいとこで、なんかオタクだというだけで、妙な連帯意識がはたらくのかなぁ。オタクも徐々に変化してきていると言われているが、こういうよさは保たれるといいなぁ。

ところで、この集まりのどのへんが「少女」なのかといえば、私が。さすがにセーラー服を着て新幹線に乗る勇気はなかったので、持っていって、カラオケ店に入ってから着替えた。駅から10分ほど歩いた船町にあるMGというお店に行ったのだが、この店のつくりが、シャイな私にはなかなかの試練であった。

入ると正面にカウンタがあり、それを右から回り込む形で2回左折すると、カウンタ裏が長い廊下になっていて、両側にボックスが並ぶ。その奥のほうの部屋に案内されたわけだが、問題はトイレの位置で、廊下を全部戻ってカウンタ前を通過した、反対側にあるのである。さらに、飲み物は飲み放題で、自分で汲みに来るシステムになってて、そのドリンクバーがカウンタ右脇に設置されている。4時間半いる間には、10回ばかり部屋の外をうろうろ出歩くことになるのだ。

しかも、角を2つ曲がってみないと、ドリンクバーやカウンタ前に人がいるかどうか分からないので、いたらそのときと覚悟を決めて行くしかないのである。飲み物を汲みに行くと、リアル女子高生が2人いる。後ろに並ぶ。アヤシイ気配に気がついたか、ちらっとこちらを見て、驚愕の表情。それから何度かちらちらとこちらをうかがう。で、そそくさと逃げるように立ち去る。角を2つ曲がって姿が見えなくなった瞬間、大笑いする声が。おいおい、聞こえてるって。

みんな歌うの上手い。特にばんじょうさんと吉さんは、プロフェッショナルな域に達してるんじゃないかってくらい。聞いてて実に心地よく、いい盛り上がりだった。4時間以上いてもダレるということがなく、みんな高いテンションをキープしてたもんなぁ。東京に戻れる最終の新幹線は19:31福山発なのだが、19時過ぎまで歌ってて、ちょっと危なかった。セーラー服着て道を走る、って事態にまでは至らなかったけど。

こういうとき、典型的な漫画的展開だと「遅れちゃう〜〜」とか言いながらパンを口にくわえて道を走っていると、角を飛び出したところで出会い頭に人にどんとぶつかって、派手にすっころんで、いちごパンツが丸見えになっちゃうのだな、そして、ぶつかった相手というのが実は転校生で、先生に連れられて教室に入ってくるなり「あっ」と言って指をさされ「いちごパンツの……」って言われちゃうのだな。妄想が暴走。

ばんじょうさんによると、来年また痛車のオフ会を催すそうである。2月14日(日)に。「どうせヒマだろ」と言わんばかりの日にち設定がいいね。「はい、もちろんヒマです」と言って、大勢集まってくるんだろうなぁ。私も行こう。とりあえずまわりには、来年のバレンタインデーの予定が今から埋まってるんだぜー、と自慢しておこう。あ、ついでに言っておくと、クリスマスもヒマだ。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

カメコ。腰に来た。怒涛のスケジュールをこなした後の月曜日。咳をしても鼻をすすっても激痛が走る。伸ばせない、横に曲げられないで寝られる向きがない。うんとゆっくりなら動かせるので、時間をかけてやっと横向きに寝る。火曜、会社を休んで病院へ。レントゲンを撮ってもらったが、骨には異常なし。おお、美しい。軟骨を介して離れ離れになってるでかい塊のような骨が、連結した電車のようにやわらかい曲線をなしてる。自分の骨写真に萌え萌え。午後、寝て過ごしたら、回復した。北京原人みたいな歩き方だったのが、なんとか人類に復帰。気分は青春真っ只中なのに、体のほうは、年波という名のヤな波が寄ってきてるらしい。/山根さんへの言い訳は新居におじゃました時ゆっくり。

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■編集後記(9/11)

・篠田節子「仮想儀礼」を読む(新潮社、2008)。上下巻合わせて900ページ超の長編だが、読み始めたらとまらない。3日もかからず読了。作家になる夢破れ家族と職を失った鈴木と、事業に失敗しホームレス同然となった矢口は、新興宗教のウェブサイトを立ち上げ、虚業としての宗教活動を開始する。教義は鈴木が書いたゲームブック「グゲ王国の秘宝」そのままで、神仏諸尊はゲームキャラに過ぎない、つぎはぎだらけの虚構である。ところが、鈴木は次第に教祖らしい人格と仏教知識を持つ人物像を身につけ、教団は順調に信者を増やし、事業を拡大して行く。こんなうまく行き過ぎは必ず陥穽にはまるに違いない、ハラハラしながら読み進める。案の定、彼らはスキャンダルに巻き込まれ、マスコミの好餌となる。カルトの烙印を押され、5000人の信徒がいた教団は壊滅する。ここまでで充分おもしろい。ところが、これで終わらないのが篠田節子の容赦のないところで、最後まで残った狂気に蝕まれた女信者5人と一緒に、破滅に向かっての道行きが始まる。インチキ宗教で成功し、金と女と権力闘争で破滅というよくある話ではない。鈴木は最初から最後まで理性的で、似非教祖らしからぬ誠実さを持つところに共感できる。なんというおもしろさだ。読み始めたらとまらない。おすすめである。(柴田)
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・十河さん本、3巻目。わーい♪ ラジオやりたい……。ずーっと思っている。/炊飯器はいらないとか、電気代がとか言っているくせに、ヘルシオは欲しい。TVで鶏の唐揚げを作っているのを見てからなのだ。油の処分が苦手でなるべく使いたくない。油物はあまり食べないので、再利用は難しいし。そんな自分にとって、揚げないで揚げられるヘルシオは気になるのだ。鶏の皮の油で調理するんだって。パリパリしてて美味しそうだった。ヘルシオだと料理中ずっと見ている必要はなく、他のことができる。お弁当メニューだとトレイに複数の料理を並べて、一度にチン(?)できるのだ。品数増やせるならヘルシオ導入はアリだよね。/家電のことを調べていて、パソコンって安いよなぁと思ったり。家電は長持ちするから(パソコンもずっと使えるといえば使えるが)、同じようなもん?(hammer.mule)
< http://healsio.jp/product/axx2/ >  これが欲しい
< http://door2009.blog.shinobi.jp/Entry/118/ >
チンジャオロースときんぴらと揚げのチーズ焼きと入り卵が一緒に
< http://blog.goo.ne.jp/doonikanarube/e/b8fbd8e301edeae30763d856fa9604c3 >
お弁当メニュー
< http://item.rakuten.co.jp/analostyle/1247606/ >
ヘルシオ使うならシリコンカップもいるなぁ