あの素晴らしいトイレをもう一度
── もみのこゆきと ──

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転職で失敗した。わたしは今、甘やかな過去の思い出を抱きしめ、哀しき現実に打ちひしがれている。

かつてシステムエンジニアをやっていた頃の社屋は、バリバリの新築だった。出入り口はバイオメトリクス認証。データセンター入室にはカードキーによるチェック。全館警備がかかった館内で、人間の体温をセンサーが感知すると、けたたましいサイレンが鳴り響き、警備会社から係員が駆けつける仕組みになっていた。

しかし、今の職場は「建築されたのは戦後ですよね?」と確認したくなるほど、ボロボロに古めかしい。施錠しても「これ、力任せに引っ張ったら開きますけど??」というシロモノなのである。女子更衣室のドアも歪んで閉まらないため覗き放題だ。"震度5で倒壊する"に2000点賭けてもいい建築物なのである。

そのような環境であるからして、たとえば流し台の高さなど「欲しがりません。勝つまでは!」時代の日本女性の平均身長に合わせてあり、比較的身長高めのわたしなど、茶碗を洗うときに腰が痛いったらありゃしない。エレベータは「階段使ったほうが早いんじゃね?」と思うくらい遅く、巷間「日本一遅いエレベータ」と呼ばれている。

しかし何よりも許しがたいのはトイレである。どのへんが許しがたいのかと言えば、「じょ〜」とか「ぷぅ」が外部に高らかに鳴り響く構造になっているからなのだ。



そもそもの間違いはフロアレイアウトだ。狭いエレベータホールに面して男女のトイレが並んでいるのだが、トイレエリアとエレベータホールを区切る扉は常時固定開放状態。タイル張りのトイレ内部は音が反響し、増幅された音はエレベータホールに丸聞こえだ。しかも女子トイレ側には応接エリアがある。応接エリアと言っても、椅子とテーブルを置いただけのオープンスペースなので、ここにも音は丸聞こえなのである。実証実験したから間違いない。

「水の無駄遣いは止め、環境を守りましょう」なんと正しい主張であろうか。しかしこのような音丸聞こえの環境で、トイレの二度流しをするなと言われても無理である。トイレの二度流し、すなわち音を誤魔化すために排泄中に水を流し、トイレットペーパー使用後、もう一度水を流すというヤマトナデシコの嗜みのことである。もちろん、わが職場の和式水洗トイレには音姫などという文明の利器などありはせぬ。

もし"トイレの二度流し禁止令"が出たらどうなるか。応接エリアで「新製品の試作品を開発したいんですが資金不足で......」「なるほど。そうなると機器購入経費や試作・外注経費に使える助成金や融資をお探しなんですね」などと会話している時に、突如響き渡る「じょ〜〜〜〜〜〜〜」。お客様に対して、そのような乱暴狼藉を働くことになるのである。

この状況に「おぉ、なんと雅な響き。風流じゃのう......」と、高級料亭で懐石料理を前にしながら、あたかも鹿威しの音を聞くように耳を傾けるなどということは、悟りを開いたブッダでなければできまい。

「君のすべてを愛してるんだ。"じょ〜"はもちろん、"ぷぅ"さえも!」と情熱的に愛してくれる男がいたとしても、他人にそんな音なんざフツーは聞かれたくない。ヤマトナデシコには耐え難い恥辱である。

好きな男に♪骨まで愛して〜♪と歌う女はいるだろうが、♪"ぷぅ"まで愛して〜♪と歌うクレイジーな女がいたら是非お会いしてみたい。

しかも、わが職場の人々は電話がかかってきた時に席に不在だと、トイレまで呼びに来るのである。「もみのこさーん、電話ー。もみのこさんてばー!」。えぇい、やめいっ!。トイレにまで呼びに来て、いったいわたしにどうしろというのだ?。「今、やっとる最中だっ!出られんっ!」と叫べとでも言うのか。こんなことでは、おちおちトイレになど行けぬではないか!

あぁ、昔の会社のトイレは良かった......。一年中快適な温度に調整されたトイレは常春の桃源郷。暖かい冬の便座など、一度座ったら立ち上がりたくないほどに心地よく、焚き火代わりに冷えた指先を暖めてしまいそうになったものだ。しかも音姫など使わずとも、うまく座ると音が立たないのだ。音姫も二度流しも必要ないのである。"音が立たない便器内部の傾斜に関する研究開発"に注がれたTOTOの情熱を思うと、涙を禁じ得ないわたしである。

ウォシュレットという名の愛しき白亜のオブジェよ。失って始めて、おまえを愛していたことに気付いた愚かなわたしを許しておくれ。今なら「跪いて便器をお嘗め!」といわれたら喜んでそうするだろう。しかし、あの素晴らしいトイレをもう一度と願っても、もう遅い。わたしの人生の伴侶は、高らかな音を響かせる和式水洗トイレになってしまったのだ。

エコカー減税などどうでもいい。民主党は是非最新式トイレ導入減税制度を創設し、設置した団体には助成金でも出していただきたい。温室効果ガス25%削減だけでなく、節水も大切な環境対策であるからして。

あぁ、朝から晩まで、毎日が羞恥プレイ......。

♪あの素晴らしい愛をもう一度
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♪骨まで愛して
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【もみのこ ゆきと】qkjgq410@yahoo.co.jp

働くおじさん・働くおばさんと無駄話するのが仕事の窓際事務員。かつてはシステムエンジニア。
前回、自分の書いたコラムが掲載されたメルマガが届いたとき、恥ずかしさで逃げ出しそうになった。WEBコラムを書いていたことはあるのだが、メルマガと違って読みたくない人はスルーすればいいので気楽だったのだ。しかし有無を言わさず送りつけられるメルマガという媒体はやはり恐ろしい。日刊デジクリは10年近く前から購読している畏れ多い媒体であるのに、初めて書いたコラムが「おまえなんかラブホにラチって、ひっくり返してでんぐり返して」だなんて失礼にもほどがある(しかし、初稿はもっとエロだった)。世界の中心でごめんなさいと叫びたい。
あぁ、それなのに今回も「じょ〜〜〜〜〜〜〜」だなんて......。いったい何を考えているのだ、おまえは!(←自分)。きっとこのコラムが掲載されたデジクリが届いたら、今度は死にたくなるだろう。来月、わたしのコラムがなかったら、ついに自殺したと思ってください。