映画と夜と音楽と...[435]ささやかな歴史もまた繰り返す?【無人列島/絞死刑/幽閉者(テロリスト)】/十河 進

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●マレンコフの死を大きく伝えた朝日新聞の夕刊

ベスト・オブP.P&M
先日の夕刊に、ピーター・ポール・アンド・マリー(PPM)として活躍したマリー・トラバースの死が報じられていた。72歳だったという。僕は今でもPPMの歌なら英語の歌詞でかなり歌える。「山に登りて告げよ」「井戸端の女」といった、あまり知られていない宗教色の強い曲でも大丈夫だ。

そのマリーの記事と一緒に、マレンコフの死が記事になっていた。大きな囲み記事で、マレンコフがギターを弾く姿が写っているカラー写真まで掲載されていた。9月11日に亡くなったという。82歳だから大往生だろう。僕の父の世代である。マレンコフには、一度、叱責の目で見られたことがある。そのせいか、何となく怖い人というイメージが僕にはあった。いつも不機嫌な顔をしていた。

記事のタイトルは「新宿流し六十年 マレンコフ逝く」となっていた。おそらく、新宿ゴールデン街の馴染みの朝日新聞の記者が書いたのだろう。ゴールデン街の「花の木」は、作家の佐木隆三さんの以前の夫人が開いている店で、朝日新聞の記者と文藝春秋の編集者がよくくると聞いたことがある。「朝日新聞と文春は天敵じゃないの」と僕は聞き返したが、「あれは商売上のことじゃないのか」と、その人に返された。

その記事によると、口をへの字に結んだ不機嫌な顔が、スターリン死後にソ連首相になったマレンコフに似ていることからニックネームになり、そのまま定着したという。僕は30年近く前、映像作家のかわなかのぶひろさんに連れられて飲んでいたとき、店に入ってきたマレンコフに初めて会った。かわなかさんはマレンコフに声をかけ、裕次郎の曲を歌った。



かわなかさんはカラオケ好きで、よく日活映画の主題歌を歌った。石原裕次郎、赤木圭一郎、小林旭、渡哲也などなど、僕も何度か付き合ったことがある。日活の主演俳優は必ず主題歌を歌わされたため、二谷英明のダンプガイの歌や、宍戸錠が赤木圭一郎と掛け合いで歌う「トニーとジョー」という珍しい曲まで残っている。高橋英樹も「男の紋章」では歌っていた気がする。

日活女優で歌手としても成功したのは、吉永小百合くらいだろうか。和泉雅子も松原智恵子も山本陽子も歌はダメだった。浅丘ルリ子は歌がヒットしたことはあるが、あまり上手ではなかった。太田雅子こと梶芽衣子は東映に移籍して主演した「女囚701号・さそり」(1972年)の主題歌「怨み節」が大ヒットし、歌手としても実績を積んだ。しかし、彼女も30年後にハリウッド映画「キル・ビル」(2003年)で、自分の歌が流れることになるとは予想もしなかっただろう。

最近、YouTubeで古い歌を検索すると、驚くようなものまでヒットする。改めて聴くと新しい発見があり、しみじみと聴き惚れることもある。先日来、僕がはまったのは吉永小百合である。彼女が人気絶頂だった頃、僕は少し世代的に下だったせいか、サユリストになることはなかったし、今でも女優としてはどうだかな、と思っている。

しかし、YouTubeで吉永小百合を検索し、昔の曲をいろいろ聴いていると完全にはまってしまった。透明感のある美しい声が素晴らしく、今聴くと歌詞が新鮮だ。元々、「寒い朝」は好きだったが、「光る海」が気に入って何度も繰り返し聴いている。歌と共に若い頃のプロマイドが映り、やはり美少女だったのだと再認識した。遅ればせながらのサユリストの誕生である。

●若い頃の思い出が残る新宿ゴールデン街

新宿ゴールデン街には、若い頃の思い出がいくつもある。大学の2年先輩が酒場を出したのは、僕の卒業の頃だった。それに、大学の同級生の女の子が、卒業するといきなり酒場を出した。さらに、もうひとりの先輩の奥さんも酒場を出していた。奥さんはある劇団の女優で、夜はゴールデン街で酒場をやっていたのだ。その酒場は、今もある。

僕の先輩たちは、演劇青年だった。ひとりは今も映画やテレビドラマに出演しているが、他の先輩たちは照明の仕事をしたり、ゴールデン街に酒場を出したりして、好きな芝居を続けていた。女優の奥さんが酒場を出していた先輩は、シナリオライターをめざしていた。ゴールデン街で酒場をやっている人は、別にやりたいことを持っている人が多い。ゴールデン街は早くて夜7時の開店だ。昼間は別のことがやれる。

そんな風に、ゴールデン街には様々な夢を抱えた人たちがいた。映画、演劇、文学、美術、音楽、写真など、才能が認められなければ金にならないジャンルの夢ばかりだった。だからこそ夢であり、夢を追う充実感もあったのだろう。いつかきっと...、そう思いながら客の水割りを作っている。酒場の壁には、映画や芝居のポスターが張られ、公演パンフレットが置かれている。

先日、少年マガジンと少年サンデーの50周年を記念して作られたライバル物語のドキュメントドラマを見ていたら、小学館と講談社の編集者のいきつけの酒場がゴールデン街の設定で、外観はゴールデン街でロケをしていた。その路地が内藤陳さんの「深夜+1」のあるところで、背景に看板が映り込んでいた。確かに編集者たちもゴールデン街には多く出没している。先日、ある酒場のカウンターで隣になった人は集英社の人だった。

現在の会社に入って、よく飲みに連れていってもらった女性の先輩がゴールデン街の常連だった。彼女のベースの酒場は「銀河系」で、そこには映画関係者が多く集まってきた。棚に「鈴木清順」と書かれたボトルがあった。セルフ出版から「ウィークエンド・スーパー」という雑誌が出ていた頃で、その雑誌の編集者やライターがよくきていた。その中の何人かは、後に映画ライターや映画評論家になった。

無人列島 [VHS]
「銀河系」では「無人列島」(1969年)を撮った金井勝さんにも会った。金井さんは日芸映画学科を出て大映に入社したが、退職して個人映画を作っていた。海外の映画祭でグランプリを獲った実績もある。その頃は、イメージフォーラムで映像制作の講義を持っていた。僕は金井さんの「微笑う銀河系」という映画論集を持っていたので、酒場「銀河系」と関係があるのかと訊ねたが、金井さんは笑って何も答えなかった。

大島渚 1 - 飼育/忍者武芸帳/絞死刑 [DVD]
「銀河系」で紹介され、いろいろお世話になったのは映画評論家の松田政男さんだった。僕は上京して名画座で大島渚の「絞死刑」(1968年)を見たが、そのときに初めて松田政男という人を知った。「絞死刑」はATGの一千万映画だから資金がなく、大島渚夫人の小山明子を含め役者は大島一派でまかなっている。脚本家の石堂淑朗や後にパレスチナへいく足立正生も出演し、映画評論家だった松田政男さんは検察事務官役で出ていた。

薔薇と無名者―松田政男映画論集 (1970年)
「絞死刑」を見てしばらくした頃、僕は滝野川の古本屋で松田政男さんの映画論集「薔薇と無名者」(芳賀書店)を購入した。出版されたのが1970年5月だから、僕が買ったのは浪人時代かもしれない。その本の中で松田さんは自らを「失業革命家」と呼び、映画と政治について熱い主張を展開していた。その本の中には、「革命」という二字が数え切れないほど出てきた。

●政治の季節が終焉を迎えた頃に松田政男さんと会った

内ゲバが盛んだった時代である。そんなに政治的な立場を明確にして大丈夫なのかと僕は思ったが、その当時は政治的ポジションを明確にしなければ何も書けなかったのかもしれない。現に、足立正生は後にパレスチナへ渡り、日本赤軍の一員として政治的立場を極めた。足立正生は日芸映画学科在学中に撮った「鎖陰」によって評判になり、松田政男さんの紹介で若松孝二の若松プロに入ったのだという。

足立正生は数年前に帰国して刑に服した後、岡本公三をモデルにした「幽閉者(テロリスト)」(2007年)を作った。足立正生は、岡本公三と共にレバノンの刑務所にも服役していた。「幽閉者」で岡本公三を演じたのは、田口トモロヲである。彼は岡本公三が1972年にテルアビブ空港で自動小銃を乱射し数10人を射殺したとき、一体何歳だったのだろう。足立正生が新作を作ったと聞き、僕はずいぶん長い時間が経ったのだと実感した。30数年がアッという間に過ぎていた。

足立正生との関係などを知っていた僕は、初めて松田政男さんに紹介されたとき、優しそうな人だなあと意外に思った。当時のゴールデン街では路地のあちこちで乱闘や喧嘩騒ぎがあり、様々な伝説が囁かれていた。曰く「中上健次が評論家の某の頭をビール瓶で殴った」とか、「大島一派の誰々が評論家の××と論争し、若松プロの○○が止めに入ったのに、結局、火に油を注いだ結果になった」といった類の話ばかりだった。

僕が松田さんに初めて会ったのは、70年代後半だ。政治の季節が終焉を迎えかけていた。戦前の台湾で生まれ、戦後、共産党員となり、革命の実現を信じて山村工作隊で活動し、政治評論から評論家になった松田さんは、映画評論に手を染めて映画論集を出し、映画評論誌「映画批評」を立ち上げ、僕が会った頃にはプライベート・フィルムに理解を示す映画評論家として活躍していた。ぴあ・フィルム・フェスティバル(PFF)の一次審査員と一緒に、すべての応募作品を見ていた。

僕は8ミリ専門誌「小型映画」という月刊誌の編集部にいて、松田さんとの接点もあったためか、その後、いろいろとお世話になった。「銀河系」やその他の酒場で飲み明かし、夜明け前の中華料理店で食事をご馳走になったりした。その頃になると「銀河系」で松田さんに会った夜は、夜明かしを覚悟するようになった。何軒かハシゴして、最後は靖国通り沿いの中華料理店に落ち着く。その後、始発で帰宅した。僕は間違いなく若かった。

振り返れば、僕は松田政男さんやかわなかのぶひろさんといった大先輩たちに連れられて酒の飲み方を憶え、映画の見方を教わったのかもしれない。連れられていった酒場では、僕は自分で勘定を払った憶えがない。僕は若くて、貧しく、未熟だった。世話になった人たちに、きちんと礼を尽くすことを学んでいなかった。僕は、先輩たちの好意に甘えたまま、若い時期を過ごした。それが、若いということなのかもしれない。

しかし、僕は次第にゴールデン街から足が遠のき始めた。30を過ぎて子供が生まれ、新宿から離れた土地に引っ越したことも要因だっただろう。「小型映画」が休刊してカメラ雑誌の編集部に移り、仕事での接点がなくなったことも理由のひとつかもしれない。労働組合の委員長になり、そのまま出版労連の役員を引き受け、30代が多忙だったのも影響した。僕は心ならずも新宿へいく回数が減り、やがてまったく足を向けなくなった。

僕は自分の生活を守るために、長い時間を費やしてしまった。10年以上の長い時間が過ぎてゆき、再び松田政男さんに会ったのは、Mというゴールデン街の酒場がなくなった後、常連たちの同窓会が開かれたときだった。僕はすでに40を過ぎ、ビデオ雑誌の編集長をやっていた。「小型映画」時代に世話になったかわなかさんにインタビューをお願いしたのがきっかけで、僕は再びかわなかさんに連れられてゴールデン街に出没するようになった。

そのときも、かわなかさんに誘われてMの同窓会に参加したのだと記憶している。そこに、松田政男さんがいた。僕は無沙汰を詫び、「あの頃は...」と深々と頭を下げた。松田さんは、僕のことを憶えていないかのように、どことなくそっけなかった。無理もない。10年以上、松田さんの前から僕は消えていたのだ。僕は、松田さんの世界には存在していなかったのである。それぞれの人に、それぞれの時間が流れる。それが人生だ。

その同窓会に、ギターを抱えたマレンコフがいた。場が盛り上がり、いろんな人がマレンコフのギター伴奏で歌を唄った。やがて、僕も一曲歌わなければならなくなった。僕は「渡哲也版『東京流れ者』」とマレンコフに告げた。マレンコフがイントロを弾き始めた。だが、僕はきっかけがわからなかった。どこから歌い始めればいいのか、とマレンコフの顔をうかがった。マレンコフは呆れた顔をして僕を見た。マレンコフは何度もきっかけを送ったが、僕はうまく歌い出せなかった。マレンコフは苛立ちの目を向けた。

あのときからでも、すでに15年以上の時間が流れた。松田政男さんとは、あれ以来一度も顔を合わせていない。若いときにあんなに世話になったのに...と、忸怩たる思いが湧き起こる。しかし、僕は今の僕の立場で、松田さんやかわなかさんが僕にしてくれたように、若いモンの面倒を見ればいいのかもしれない。いつの間にか、僕は自分があの頃の松田さんやかわなかさんのようであらねばならない歳になったのだ。最近、僕はそんなことを思った。大げさに言えば、このようにして歴史は繰り返すのかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com

テレビ番組で会社が紹介されるというので見てみたが、ほとんどアッという間の紹介だった。夏にテレビクルーが会社のビルを撮影していたので、映るかと思い故郷の年老いた父母に知らせていたのだけど...。両親は僕がどんな会社にいるのか未だに理解していない。本をまったく読まないので、出版業についてまったくわかっていないのだ。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

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映画がなければ生きていけない 1999‐2002
水曜社 2006-12-23
おすすめ平均 star
star特に40歳以上の酸いも甘いも経験した映画ファンには是非!
starちびちび、の愉悦!
star「ぼやき」という名の愛
star第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
starすばらしい本です。

映画がなければ生きていけない 2003‐2006 重犯罪特捜班 / ザ・セブン・アップス [DVD] 仁義 [DVD] ハリーとトント [DVD] 狼は天使の匂い [DVD]

by G-Tools , 2009/10/02